まいた種は次の日の朝、その花びらを大きく広げていた。
いじめっ子のダイアンがわたしの髪を引っ張ったら、逆にダイアンの髪が全部抜けた。
ちっちゃな赤ん坊の妹にオルゴールを壊されて大泣きしたら、次の日にはすっかり直っていた。

他にもたくさん、小さい頃からわたしの周りでは不思議な事が起こっていた。それはもう、不思議が当たり前になってしまうくらい。

だから、お母さまもお父さまも信じていなかったけど、わたしはこっそり自分には魔法を使える力があるんだと思っていた。
かといって、魔法使いのわたしの毎日は他の人と何も変わらない。だってここぞという時の願い事は何一つ叶わないし、空を飛ぶよりもテストで満点を取る方がずっとずっと"幸せ"だったから。

「あなたはとっても優秀ね、イリス」

お母さまのくちぐせはこれ。小学校で先生にほめられるたび、テストでいい点数をとってくるたび、お母さまはこう言ってわたしの頭をなでる。わたしはそれが嬉しくて、次もそのまた次も、おなじようにほめられるように、テストでいい点数をとれるように、がんばるのだ。

なんでこんなにわたしはがんばるのかな、ってたまに思う日もある。でも、そういうときに決まって思い出すのは、数年前に一度だけテストで満点が取れなかった日のこと。

「ああ…ごめんなさいね、イリス…お母様が悪かったのよね、そうよね、私の娘であるあなたがこんな劣等生のようなことをしてくるなんて、本当はあっちゃいけませんのにね。とっても悲しいわ…私がもっと優秀な子に産んであげられたら良かったのにね、ごめんなさいね」

そんなことをまるでうわごとのようにくりかえすお母さまの声は、今でもまるで目の前で言われてるように思い出せる。
このことを知ったお父さまも、後から「お母様を悲しませるなんて、イリスは悪い子だ」って言っていた。

わたしは、満点をとれないと悪い子。満点をとって、先生にほめられて、お母さまに笑ってもらえなきゃ、生まれてきた意味のない子。

そのときに、わたしの"幸せ"は決まった。そしてわたしは"幸せ"になるために、一生懸命がんばってきた。

そうやって生きてきた、11年目の夏。

「あなたは秋から名門のパブリックスクール、チェルトカレッジへ通うのよ。あそこほど品格ある学校ならあなたにも相応しいわ。そこで一番を取ってこそ私達の娘ですからね」

お母さまの最近の口癖はこれ。チェルトカレッジへの入学が決まった途端、わたしの頭を撫でながらそう言うのが大好きになった。わたしが"幸せ"になる為には、お母様の言う事をよく聞いて、いい子でいなくてはいけない。だからわたしは、チェルトカレッジでも一番の成績を取り、先生に気に入られ、お上品な友達を作っていなければいけないのだ。

もちろんわたしは"幸せ"になりたいから、それに逆らうつもりはない。それなのに、どうしてか最近はその事を考える度に、胃の底がズンと重たくなるような感覚になっちゃう。
"幸せ"になるって、とっても大変な事なんだな。こういうときに魔法が使えればいいのにって思うけど、あの不思議な力は、こういう大事なときには力を貸してくれないんだ。

「お嬢様、朝ですよ」

ノックの音と一緒に、扉の外からパトリシアの声が聞こえる。わたしは考え事を中断し、部屋のカーテンを開けた。キラキラの太陽の光が差し込んできて、胃の底の重たいものが消えていくような気がした。

今日も1日、がんばろう。










「おはようイリス、よく眠れた?」
「はいお母さま。おはようございます」

考え事ばかりをしていてなかなか眠れなかったとは言わない。きっとお母さまはとても心配して、今日1日わたしを家から出さなくなってしまうから。

「朝食はスコーンとトースト、どちらになさいますか?」
「スコーンをお願いしても良い?」
「もちろんですとも」

笑顔でスコーンを持って来るパトリシアに短くお礼を言い、もそもそとほおばる。

「まあ、サレー州で殺人事件があったそうよ。しかも犯人はまだ未成年! まあまあ…親の顔が見たいものだわ。イリス、お友達を作る時は相手をよく見極めてね。こういうことをするのはだいだい貧乏だったり、親がいなかったり、そういう育ちの悪い子なの、そういう子とは最初から付き合っちゃだめよ」

お母さまがそう言った途端、忘れかけていた胃の重りがまたのしかかってくるのを感じた。急にスコーンが口の中でパサつく。喉がぐっと詰まって、さっきパトリシアが入れてくれたミルクを慌てて流し込む。

「イリス、お返事は?」
「は…はい…」

わたしをいじめるのが大好きなダイアンは、このあたりで一番のお金持ちのおうちの子。
わたしと学校でとても仲良くしてくれてるミラは、お父さんが元々いなくて、貧乏だけど、お母さんがひとりで一生懸命働きながらミラを育ててる、って言ってた。
お金持ちならいい子、ってわけじゃない。
貧乏なら悪い子、ってわけでもない。

そうわたしは思うんだけど…お母さまがそうじゃないって言うなら、そうじゃないのかもしれない。そこまで考えたところで、重たい胃がいよいよ食べ物を受け付けてくれなくなっちゃった。スコーンの方が良いなんて、言わなきゃ良かった。

この気持ち悪さはどうしたらいいんだろう、あんまりごはんが食べられていないのをお母さまに見つかったら困るなぁ……って思ったその時、ちょうどよく妹が大泣きを始めてくれた。

「あらあら、ちっちゃなかわいこちゃん、どうしたの? そんなみっともなく泣くなんてリヴィア家の名前の方が泣いてしまいますよ〜?」

お母さまが部屋のすみっこの方にある乳母車で大泣きする妹のもとへ行った隙に、わたしはスコーンを棚の中に戻した。お昼頃にこっそり食べよう。どうせこの中はパトリシアしか見ないし…と思ってパトリシアの方を見ると、彼女もこっちを見て、ちょっと困ったようにうなずいてみせてくれた。

40歳くらいのうちの家政婦さん、パトリシアは、ただ1人の、わたしの味方だった。
いつもこうしてお母さまに隠れてわたしが"悪いこと"をする時、パトリシアだけはにっこり笑ってその秘密を一緒に守ってくれていた。わたしはパトリシアのことを、"家政婦さん"というより"生まれた時から一緒にいてくれるお友達"だと思っていた。

いつだったかな、最初にこのすぐにお腹が痛くなる悩みを話した時、パトリシアはちょっとだけ泣いていたっけ。
「パトリシアは本当に無力です…力になれなくてごめんなさい、お嬢様」ってしきりに言うものだから、どうしてそんなに謝るの、ってわたしも何度も聞き返したのを覚えてる。でも結局最後まで、どうしてパトリシアがわたしに謝るのかはわからなかった。
そしてパトリシアはわたしに謝ると同時に、「奥様がお娘様に色々なことを吹き込────教えてくださることは、きっとこれからも変わらないでしょう。ですがお嬢様は、お嬢様自身が感じたことを大切にし、お嬢様自身の学びを大切にしてください」とも言った。

わたしにはまだその言葉の意味はわからないけど、なんだかとてもあたたかい気持ちになったから、あれからおなかが痛くなるたび、この言葉を思い出してがんばることにしてる。

わたしが感じること、わたしが学んだこと────どんなことを感じて、どんなことを学ぶのか、それを考えるのはちょっとだけわくわくするな、って思うから。

棚の戸を閉めて、小さく溜息をつく。
その時、玄関の方でチャイムの鳴る音が聞こえた。

「イリス、出てくれるかしら?」
「はい、お母さま」

妹にかかりきりのお母さま、朝食で使ったお皿を洗っているパトリシア、2人の手がふさがっているから、わたしが玄関先まで出て行った。
扉を開けたその先にいたのは、なんともこう…奇妙…いや、個性的…? そんな感じの…女の人だった。エメラルド色のローブを身につけて、黒いとんがり帽子をかぶっている。顔にはいくつかの深いしわがあったけど、そのキビキビとした雰囲気としゃきっとした姿勢が、年齢を感じさせなかった。

「突然の訪問、失礼します。あなたがミス・イリス・リヴィアで間違いありませんね?」

女の人は、雰囲気と同じキビキビとした声でわたしにそう尋ねた。わたしもなんとなく背筋を伸ばしながら「はい」と答える。
わたしの名前を確認したってことは…この女の人は、わたしに用事があってきたんだろうか? でも当然、わたしはこの人のことなんて知らない。誰か知らない人がわたしに用事を持ってくる理由にも、心当たりなんてない。

「これもまた突然で驚かれることでしょうが…あなたにとても大切な話をする為に、私はこうしてここへ来ました。込み入った話はできれば中でさせてほしいのですが…簡単に言うと、あなたがその内に秘めている力のことについてです」

わたしが秘めてる…力…?

「お嬢様、どうかなさいました…か………」

いつまでもリビングに戻ってこないわたしを心配したのか、パトリシアが手を拭きながら玄関までやってきた。でも、わたしにかけた言葉はだんだんとすぼんで行き、門の前に立っている女の人を穴があくほど見つめ────そして────。

「久しぶりですね、ミネルバ…いえ、今はマクゴナガル教授、とお呼びしましょう」

と、女の人に向かって深々と礼をしながら、確かにそう言った。

マクゴナガル先生? この人、どこかの先生なの? それにしては格好があんまり先生っぽくないけど…それにパトリシアがこの人を知ってるってことは、この人はわたしじゃなくて、本当はパトリシアに用があるのかな…?

「ミス・ベルベット…いえ、今はミセス・ラングでしたね。マグルと結婚した後はマグルのお宅で働いていると聞いていましたが…ここにいたんですね、お久しぶりです」

パトリシアのことを厳しいながらもどこか尊敬を込めた声でミス・ベルベット、って昔の名字で呼んだマクゴナガル先生。優しく微笑み、パトリシアと同じように礼をしていた。

「変わらずお元気そうで何よりです。マクゴナガル教授がこの時期にここへいらしたということは、もしや────」
「ええそうです、ミス・リヴィアにホグワーツの話を」
ああ! それは何よりです!! ささ、上がってください! お嬢様も驚かれたでしょうが、この方は大変素晴らしい方ですからね、安心して一緒にお話を聞きましょうね!」

ほぐわーつ、という聞き慣れない言葉を聞いた途端、パトリシアの顔が輝いた。何を言ってるのかわからずあたふたしているわたしを置いてけぼりにして、マクゴナガル先生を家の中へと案内していく。

「え、ちょっと、パトリシア?」

慌ててついていくわたし。パトリシアは嬉しそうだけど、こんな突然…その…ちょっと風変わりなお客様を勝手にお通ししたら、お母さまは何と言うだろう。











パトリシアにお茶を出されたマクゴナガル先生は「ありがとうございます。ミセス・ラング」と言って、それから目を白黒させているお母さまに改めてあいさつをした。

「前触れもなくお訪ねした無礼をお許しください。私はホグワーツ魔法魔術学校で変身術を教えております、ミネルバ・マクゴナガルと申します。この度はお宅のご息女にお話があり、このように参りました」

さっきも聞いた、ホグワーツという名前。いや、それよりその後に続いた言葉…なんだって?

「魔法魔術学校…?」

お母さまがうわごとのように繰り返すと、マクゴナガル先生は「そうです」とうなずいた。

「この世には、2つの世界が存在しています。魔法界と、非魔法界です。魔法界の存在は、魔法を使わない者に対しては厳重に隠匿されていますので、それが普段公になることはないのですが────魔法というもの、そして魔法を使う者は、確かに存在しております」

まほう。

わたしはその言葉を機械のようにくりかえしながら、どこかで「やっぱりな」と思っている自分がいることにも気づいていた。

お花の種をまいたときのこと。ダイアンに仕返ししたときのこと。オルゴールが壊れたときのこと。わたしが何か強く感情を動かされたとき、いつも何かが起きていた。

それを見たわたしは、こっそり自分のことをどう思っていた?
魔法使いなんじゃないか、って思ってた。

だから、魔法の存在はわたしにとって、あまりおかしなものとは思えなかった。

「突然このようなことを言っても信じていただけないでしょうから、簡単な例だけお見せしましょう。現に私が、その魔法使いであるという証拠を」

でもお母さまの反応を見れば、確かに信じていないのは明白。マクゴナガル先生はそう言うと、ふところから1本の木の杖を取り出し、軽く振った。するとどうだろう、パトリシアがさっき出したばかりのティーカップが、綺麗な飾りのついた置時計に変わってしまった!!

「わぁっ…!」

思わず歓声を上げる。パトリシアも目を輝かせていた。
お母さまだけが、凍りついたように「ひっ…」と喉の奥で叫んで、固まっている。
マクゴナガル先生はすぐにまた時計をティーカップに戻し、「さて、それで本題ですが」とキビキビ話を進めていった。

「ミセス・リヴィア、この度はあなたのご息女にも私達と同じ魔法使いとしての素質があると認められたため、ホグワーツ魔法魔術学校への入学資格があることをお伝えします。こちらが、本校で正式に発行されたご息女への入学許可証です」

まほうつかい。
まほうまじゅつがっこうへの、にゅうがく。

いくら魔法の存在を受け入れたっていっても、マクゴナガル先生の言葉はわたしの頭の中で何度も何度も響いた。まるでそれが本当のことかどうか、何度も何度も確認するように。

本当に────本当にわたしは、魔法使いなの?

黙ったままマクゴナガル先生の方を見ると、先生はさっきパトリシアに見せたものと同じような優しい笑顔でわたしに一度うなずいてみせる。

「ええそうです、ミス・リヴィア、あなたはれっきとした魔女なのですよ



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