私は自分が決めた通り、それ以降シリウスに結婚の話や、家の話をすることはやめていた。
シャワーを浴びた後、まるでその前の話などなかったかのように、当たり前の顔をして明日の作戦の話をした。

「会合はおそらく22時前後から。私達はひとまず変装して、21時頃から先に待機しておくっていうのでどう?」

私の口調が元に戻り、そして態度にももう先程までの圧がないと気づいたらしいシリウスは、明らかにほっとした顔をして「ああ…それで良いと思う。怪しい奴らが集まったら変装を解くってことだな?」と話に乗ってくる。

私達は結局、互いに互いの意思を確認しきれないまま、あの話をうやむやに終わらせることを選んだ。そのまま作戦会議を進め、一通りの流れを確認したところで、一緒にベッドに入る。いつもならシリウスはこれから任務のため外出するところだが、今晩何か厄介な事件に巻き込まれて優先すべき明日の任務に支障が出ては困るので、今日ばかりはお休みを取ってもらうことになった。

「────イリス」

うとうとと瞼が重くなった頃、シリウスが躊躇いがちに私を呼ぶ。

「ん?」
「────少しだけ、待っててくれ。ちゃんとけじめをつけるつもりはあるから」

…深く訊くことは、やめた。何のけじめなのか、そもそも何だろうが"けじめ"をつけることはできるのか、色々と掘りたい疑問はあったが、私はシャワーを浴びる前に「もうそういう話はしない」と言い切ってしまったのだ。5年生の時、彼の一度目の告白を受けられないと素直に話した時と同じように、私は彼が"これからも家のことを気にし続ける"つもりなのか、"本当の意味で家の名から解放される"つもりなのか、その決断を待つことしかできない。そしてこれについては────おそらく、意識的に判断できることではない以上(だって意識的に決められるなら、シリウスはもっと早く解放されているはずだ)、相当な時間がかかるであろうことも覚悟していた。

もう結婚は望まない。
ただ、私との会話の中で、少しでも"昔の無鉄砲なシリウス"が戻って来てくれたら良い────それだけを、思っていた。

翌日、私は通常通り魔法省に出社した後、仕事を早めに終えてすぐに家に帰った。シリウスはいつも通り日中に一通りの家事をこなしておいてくれている。一緒に夕食を食べて、そして、20時50分────。

「さて、そろそろ向かおうか。ポリジュース薬は用意してある。適当な奴の髪は調達できたか?」
「ここに2人分。ちょうど人相の悪いカップルみたいな男女がうちの路地裏にいたからこっそり拝借してきました」
「善良なマグルかもしれないのに、酷い言い様だな」

シリウスは一晩経って、すっかりいつも通りの態度に戻っていた。今はそのことに私も安心しながら(昨日のことをいつまでも引きずられたって困るだけだ)、シリウスがコップに次いでいてくれたポリジュース薬に、2人分の髪を分けて入れる。

薬はそれぞれ暗褐色の泥と苔のような色をした泥に変化した。

「…毎回この見た目はどうにかならないものか悩むよな」
「今まで見た中で一番綺麗だったのはリーマスのだったね。ブルーベリー色」
「この髪の持ち主については、君の評価が正しかったかもしれないな。いかにも人相が悪そうだ」

私は女性の髪が入っている苔のコップを、シリウスは男性の髪が入っている暗褐色のコップを取り、少しでも気持ちを緩和させるために軽く乾杯してから一気に飲み干した。
3年生の時に初めてこれを服用して以来、私がポリジュース薬を飲むのは初めてだった。体が溶けるような激痛が体を襲うが、正直卒業した後の戦いでもっと痛い目に遭ってきていたので、思った以上の苦痛はなかった。…良いことなのか悪いことなのかは、わからない。

1分と経たないうちに、私の目の前には背の低いワニのような顔をした男が立っていた。逆に私は背が伸びたようだ、視界がいつもより高い。やけに手首が細く、指なんて童話に出てくる悪い老魔女の節くれだったそれによく似ていた。

「思ったより年寄りだな。君、なんだかダチョウみたいだ」
「暗くて年齢感まではちょっとわからなかったんだよね。まあ、今はちょっと違和感あるけど…却って元に戻った時体が一気に軽くなって動きやすくなるかも」
「一理ある」

私達は互いの姿を笑い合いながら(ごめんなさい、名前も知らない元の人)、エドガーが教えてくれたバーのある村に姿現しをした。
そこはゴドリックの谷を一回り小さくしたような規模の寂れた村だった。昨晩のうちに調べておいた情報によると、隣接した村や町はなく、近くに公共交通機関も通っていないため、かなり閉鎖的な村なのだそうだ。訪れる人は大抵村人の親戚や友人ばかり。死喰い人の1人の故郷がその村だったらしく、周りには"村の出身者が友人を連れて秘密の話をしに来た"といういかにもグレーゾーンに足を突っ込んでいることが明らかな形で認知されているらしい。村人達も怪しいとは思いつつ、村の出身者がいることと、その村自体もほとんどヴォルデモートの脅威に晒されていないという事情があるせいで、静観を貫いているらしい。

「私達が訪ねて行ったら追い出されないかな」
「バーテンに服従の呪文をかければ良い」
「許されざる呪文を使うの?」
「それで犯罪の片棒担がせるっていうなら僕も反対だけどな、これは公共の利益のために必要なことなんだ。大義の前に些事を気にしてなんていられないさ」
「まあ…わかるけど…」

心の中では「そういう名分を掲げた人達が服従の呪文の行使をエスカレートさせたせいで、禁忌指定になったんじゃないのか」という理性的な意見も手を挙げていたが、正攻法だけでは闇の魔法使い達を殲滅させられないことは重々承知していたので、私はそれ以上何も言わなかった。バーテンに何かをさせようとしているわけじゃない。ただ今回は、"私達がバーテンの知り合い"という風にでも思いこませるだけで良いのだから。

人通りのない道を2人並んで歩き、村で一番大きい通りと思われる一角にあるバーへと入る私達。
その雰囲気は、私が知っている範囲で例えるならホッグズ・ヘッドが最も近いように思われた。客は2人だけ。赤ら顔のでっぷりとした中年の男性と、まるきり対を為す針金のような細身の若い男性が、奥のテーブルで楽しそうにワインを飲んでいる。

バーテンは入店してきた私達を見ると、すぐに異邦人であることに気づいたようで、顔いっぱいに警戒の色を見せた。

ただ、これについてはシリウスの行動が何よりも早かった。ジャケットの内側に忍ばせていた杖を先っぽだけ出し、バーテンに向けて小刻みに振る。するとバーテンは、何かを言おうとした口を一旦閉じ────そして、「ああ、会うのは随分久しぶりだね。ええと…」と、見事に"私達と以前どこかで出会っているが顔以外は覚えていない"絶妙なラインでの記憶改竄がなされた証言をしてくれた。

「やあ。10年前に一度君がロンドンで迷っていたところを案内して以来だったかな? 僕はライオネル。彼女は僕の妻のメリッサだ。ほら、当時はまだガールフレンドだった」
「久しぶりね。変わってなくて安心したわ」

シリウスがペラペラと嘘を並べ立てるのに合わせて、私もにっこりと笑った(僕の妻、と言われた瞬間、気にしないと決めていたはずの心がちくりと痛んだ)。

「ああ、ごめんよ。恩人の名前を忘れてるなんて…。ライオネル、メリッサ。まさか君達がこんなところまで来るとは思ってなかったんだ。何か用でもあったのかい?」
「そのまさかなんだ。メリッサが"そろそろ良い年だから静かなところに移り住みたい"って言っててね。今色々と物件を探してるところで、ちょうど次の目的地の近くにこの村があることがわかったから、ついでに立ち寄ってみることにしたんだ」

多少無理があるような気もしたが、余計な口を挟んでややこしくなっても困るので、私は一生懸命"静かなところに移り住みたい"ような顔を想像してみた。

「そうなのか。いやあ、一度きりの縁だったのに、こうして立ち寄ってくれるなんて嬉しいよ。君達は本当に義理堅いカップル…おっと失礼、もう夫婦だって言ってたね。そういうことなら、好きなだけいてくれよ。寂れたバーだけど、酒の種類には自信があるんだ」

おそろしや、服従の呪文。
バーテンは最初に見せたハゲタカが獲物を狙うような目つきをすっかり狸のように緩め、私達にお勧めのカクテルを紹介してくれた。

今日はオリジナルカクテルを開発したというので、2人揃ってそれを頼むことにする。
提供された酒は、よく晴れた空のような色をした青いカクテルだった。チェリーが添えられていて、微かに上がってくる気泡がぱちぱちと弾けてなんとも可愛らしい。

「ありがとう、サム」
「このカクテルはウェルカムサービスだよ」

看板に"サム・バー"と彫られていたので、私はこのバーが彼の立ち上げたものであることに賭けてみたのだが、どうやら当たっていたようだ。互いの名前と"一度会ったことがある"という共通認識さえ出来上がってしまえば、もうこの場に私達を不審者扱いする者はいなくなる。作戦の半分は成功したようなものだ。

私達はそれから敵が来店するまで、サムに死喰い人に関する情報を持っていないか尋ねてみることにした。

「静かで良い店だ。普段から客足はこのくらいなのかい?」

シリウスが良い質問を投げる。サムは「まあ、本来は1日2、3組ってところだな。営業時間も20時から0時までと短いし」と言った後で、急に眉を顰め、声も落として言葉を続けた。

「────ただ、なんだか最近怪しい奴らがよく来るんだよ」

いきなり本命の情報開示。
どうやらシリウスがサムに植え付けた「一度彼を助けた」という偽の事実が、彼の警戒心を一気に解いてくれたようだった。閉鎖的な人間関係の中で生きている者は、一度受けた恩を殊更大切にする…という話は私も聞いたことがあるが、そういう意味ではシリウスの考えた"設定"は上出来だと言わざるを得なかった。過去道に迷っているところを助け、しかもその"助けた側"が、10年ぶりに通りがかったついでで相手のことを思い出したからわざわざ店に立ち寄ったのだ。そりゃあ、"助けられた側"としては喜んで歓迎することだろう。

「怪しい奴ら? 村の外からってことか?」
「ああ。…いや、一人はうちの村に昔住んでた若造だったんだが…そいつの連れてる友達がどうにも…こう、あんまりこう言っちゃ悪いが、カタギに見えないというか」
「へえ、平和そうな村なのにヤンチャする奴も出るんだな」
「俺と同年代だったから子供の頃はよく知ってたんだがね、あの頃はとにかく気が弱くて、何にでも怯えてるような奴だったんだよ。村を出てからは10年くらい経つかな…まあ、ちょうど1ヶ月くらい前にそいつがひょっこり戻って来たんだ。"仲間を連れてきた"って言ってな。俺はその変わりようにそりゃ驚いたね。冗談で"人でも殺してきたか?"って訊きたくなるくらい顔面が凶悪になってやがった」

…おそらく、本当に殺しているのだろう。そしてサムがそんな冗談を言ったが最後、彼もまた犠牲になっていたかもしれない。
気の弱い人間が闇の魔術に絡め取られ、ヴォルデモートの下につくことで強くなったような気になってしまう現象はよく理解しているつもりだった。"自分"で勝負ができない人間は、"自分の後ろについている人間"で勝負を仕掛けてくる。そういう意味では、死喰い人────ひいてはヴォルデモートは、これ以上なく"自分"という人形を最大限強く見せてくれることだろう。気の弱い者ほど、そういったハリボテの強さに魅せられがちなものだ。

「よく来るって言ってたけど、この辺に住んでるのか?」
「いんや。どうやらあんまり人に聞かれたくない話をするためにここまでわざわざ集まりに来てるらしい。まあ人にゃ言いふらしたくないことのひとつやふたつあって当然だし、俺や他の客に害が及ばない限り追い出すってわけにもいかない。不気味っちゃ不気味なんだが、いつもヒソヒソと閉店時間まで話し込んだかと思ったらアッサリ解散していくから、俺も今のところは何も言ってないんだ」
「へえ…確かにちょっと怖いわね。毎日来るの?」
「ほぼ毎日だよ。今日も来るんじゃないか? いつもだいたい22時頃に来るんだ、あいつら────。まあ他の客に手を出してるのは見たことがないけど、何か嫌な気分になったり迷惑をかけるようなことがあったら言ってくれよ。俺からしたら、すっかり変わっちまった昔の幼馴染より、何も変わってない恩人の方が守る価値があるってもんだからな」

サムは気前良く、2杯目までサービスだと言って今度は金色に透けたシャンパンを出してくれた。

「最近はどんどん世界中の治安が悪くなってるからな。警戒した方が良いぞ」

シリウスがいかにも本気で心配している体を装ってサムの機嫌を取る。
そんなことをしている間に時計は22時を打った。

────バーの扉が開かれる音がしたのは、それと全く同じタイミングだった。

無意識に、体が強張る。ポリジュース薬が切れるまでにはあと20分程だ。その20分で、できるだけ情報を掴み────変装が解けた後は、いよいよ私達の"秘密の守人"ごっこが始まる。

中に入って来たのは、黒いローブのフードを被った男が────およそ10人程度。
ざっと顔を見回してみると────誰もが俯いているので非常にわかりにくいのだが────いた。ヤックスリーだ。

死喰い人の構造は簡単に言うとピラミッドのようになっている。ヴォルデモートを頂点とし、その下層階に彼の腹心…というより、"最も忠実な部下"を名乗る闇の魔法使いと言った方が正しいだろうか、そういった者が名を連ねている。その者達が従える、あまり力の強くない死喰い人がすぐ下層におり、最後にヴォルデモートの理念に賛同している者や、戦闘などには加わらないが積極的に協力するような魔法使い達がのさばっているというような絵図だ。

ヤックスリーはその二段目────ヴォルデモートにかなり近しい存在の死喰い人だった。私達騎士団の人間はひとまず二段目までならある程度把握しているので、他にそのクラスの魔法使いがいればわかるはずなのだが────エドガーとダンブルドア先生が予想していた通り、それ以外に二段目に位置する死喰い人はいないようだった。

ヤックスリーは店内を見回し、すぐ私達の存在に気づいた。村の者でないこともすぐにわかったのだろう。じろじろと不躾な視線を押し付けてくるが、こちらはまだ薬が切れていない状態なので、素知らぬ顔をし、まるでサムが注文を取りに行っている姿を観察しているだけだというふりをして彼らの不審がる目をきょとんと見返した。

「おい」

死喰い人の中の1人がサムに威圧的な声をかけた。

「あいつらは誰だ」
「誰って、昔俺が困っていたところを助けてくれた夫婦だよ。失礼なことは言うなよ、バーク」

サムが明らかにムッとした声で言い返す。雰囲気から察するに、そのバークという男がどうやらこの村の出身者らしい。

「この村の人間じゃないだろ」
「どこの出身かなんて関係あるか? この人達は俺と縁のある人で、その縁を頼りにこの店に遊びに来てくれただけだ。何も問題ないだろう、お前の家に泊めろって言ってるわけでもなし」
「部外者は嫌いだ」

無骨な物言いをするバークを止めたのはヤックスリーだった。

「まあ、放っておけよ。俺達の話に聞き耳を立てるようなバカさえしなければこっちだって大人しく酒だけ飲んで帰るさ」

ところがどっこい、私達は彼らの話に聞き耳を立てる気しかないし、大人しく帰らせるつもりもなかった。サムやたった2人の客をなるべく安全に守るためには、彼らが店を出るその瞬間を狙うしかない。私達はひとまず怯えたような顔を浮かべて(私はこの顔に自信があったが、果たしてシリウスが"怯える"という感情をコントロールできていたかはよくわからなかった)、急いでカウンターの方へ向き直った。

「悪いな」

一通りの注文を聞き終えてきたサムが、小声で私達に言った。

「自分達は平気で余所者を連れてくるくせに、見慣れない顔があるとすぐああやって警戒するんだ。この村の悪いところだと思って俺もずっと皆にもっと開けた村にしようって呼び掛けてるんだが────」
「苦労してそうね。でも、仲間意識が強いのは悪いばかりじゃないわ」
「そう言ってもらえると救われるよ、メリッサ。お礼にストロベリーミルクのカクテルはどうだい? 今のお礼にサービスするよ」
「嫌だもう、サムったら。流石にそろそろこっちにもお金を払わせて。それに今晩はそこまで酔いたくないの。ピニャコラーダでもいただける?」
「もちろん。とっておきのリキュールがこの間手に入ったんだ」

サムは私達のことをいたく気に入ったらしく(シリウスの呪文が巧かったんだろう)、まるで死喰い人への当てつけのように、カウンターに座る私達にしきりに親しく話しかけていた。私はシリウスに目配せをし、「私は死喰い人の話を聞いておくから、あなたはサムの気を引いておいて」と合図をする。シリウスは僅かな視線の動きとカウンター下での指の動きを捉え、小さく頷いた。

「この村には何か名産品とかあるのか?」
「はは、こんな寂れたところにそんなものあったところで誰も買いやしないよ。ただリンゴは結構うまいから、リンゴ酒なんかは結構人気があるんだ」
「へえ、じゃあそれをいただこうかな」

シリウスがうまく話を弾ませてくれているところに相槌だけ打っているふりをしながら、私は後方のテーブルを3つ占拠している死喰い人達の話を聞いていた。

「────秘密の守人はまだ見つからないのか」

いきなり私達の話題を出してもらえてありがたい限りだ。良い収穫になりそうな予感を抱き、私は更に耳を傾ける。

「あのお方のお命を脅かす存在がこの世に生まれるなんてあってはならない。本来なら生まれる前に両親ともども殺すつもりだったのに────あの時のお方のお怒りは凄まじかったな」
「たいして目もかけられてないお前が知ったような口を利くな」

ガタガタ震えている下っ端の1人がそう言うと、ヤックスリーが重々しく口を開く。きっとハリーが生まれて私達が喜んでいる間、死喰い人達はお通夜のような空気になっていたのだろう。

「だからなんとしてでも早くポッター達の拠点を見つけ、息子が魔力をコントロールできるようになるまでに一家諸共殺さなければならない。わかるな、魔法使いの間に生まれた子供の場合、教育次第では3歳にもなればある程度の魔法を使えるようになる」
「しかし、ダンブルドアでさえとどめを刺せないようなあのお方に、3歳の子供ごときが手を出せるとは────」
「"予言"がそう言ったのだ。生まれてきた赤子がとんでもない力を持っている可能性もある。あるいは魔法を学んでいるうちに能力を開花させるかもしれないし────あのお方が既に魔法界を掌握し、予言の子が死ぬ間際になってようやっとあのお方の喉に辿り着くのかもしれない。それがいつになるかはわからないが────あのお方を打ち倒す力を持つ子供がこの世に生まれ落ちてきたことだけは間違いないんだ」

ヤックスリーは明らかに苛立っている。階級間の情報と意識の格差はどうやらかなり大きいらしい。ヴォルデモートの怒りに直に触れているヤックスリーからしてみれば、ハリーをたいして脅威と見なしていない部下の存在がもどかしくて仕方ないのだろう。

そんな話を聞いている間に、10人分のカクテルを作ったサムがそれを運んで行った。時間を見ると、薬が切れるまでにはあと3分を残すのみとなっていた。

「シリウス、そろそろお会計して、私達は外で待ち伏せしよう。店の中で乱闘騒ぎにはしたくない」
「わかった」

サムがいない隙にそんな会話をし、彼が戻って来た時に「そろそろ帰らないと。今はメリッサの両親と同居していてね、あまり帰りが遅くなると心配するんだ」とシリウスが財布を取り出した。

「そうなのかい? 随分と心配性な親御さんなんだな」
「もうそんな年でもないのにね。でもあの人達も年を取るにつれて、いつも私を手元に置きたがるようになっていくのよ。きっと世が世だから心配してるんだわ」
「まあ、それもそうだな。名残惜しいが今日は見送るよ。ぜひまた寄ってくれ。お代ならいらないから」
「何を言ってるんだ、僕らは君の家じゃなくて店に遊びに来たんだ。きちんと金は払うよ」
「いーや、あの日の恩はいつか返したいと思っていたんだ。こんなところにわざわざ来て、楽しい話を聞かせてくれたお礼もある。今日はそのまま楽しい気持ちで返って、お金が余るなら親御さんにでも花を買って行ってやってくれよ」

私とシリウスは目を見合わせ、申し訳ない気持ちになりながらサムの厚意に甘えることにした。恩もお礼も、全部魔法で作られた偽物なのに、彼はそれを信じ切って笑顔で私達を出口まで送ってくれた。

「────あいつ、本当に良い奴なんだな。なんだか今更良心が痛んできたよ」
「わかる。でも仕方ない…って言い聞かせるしかないね。死喰い人は今ちょうど、私達の知りたい話をピンポイントでしてくれてるし」

店の外に出た後は壁沿いの暗がりに身を潜めた。そこからなら、開いた窓から死喰い人達の会話が────かなり耳を澄まさないといけないが、一応聞こえる。

「今まで何の話をしてた?」
「肝心なことは特に。ハリーが生まれたことでヴォルデモートが相当怒ってたって」
「そりゃ、怒るだろうな。あいつからしたらハリーが生まれる前にプロングズ達を殺したかったろうし」
「サムは何か言ってた?」
「いや、あんまり会話は耳に入れないようにしてるって言ってた。万一にでも巻き込まれたくないんだとさ。僕らにとっちゃ都合が悪いが、まあ賢い選択だろうな」

お互いの話を共有したところで、私達は改めて中の会話に耳をそばだてた。

「────それで、予言の子の居場所はいつわかるんだ?」
「落ち着いてくれよ、ヤックスリー。あそこまで虱潰しに調べてわからないということは確実に"忠誠の術"がかかっているはずだって、既に半年前にあのお方が仰っていたじゃないか」
「だから、その"秘密の守人"にどうやって居場所を吐かせるつもりなのかって話をしてるんだろうが。本当にバカだなお前は」
「だってよ、ブラックもリヴィアも姿は現すのに絶対にひとりにならないんだぜ。リヴィアは常に魔法省にいるし、家はもぬけの殻で────聞いた話じゃ、ベラトリックスが調べに行った時はブラックと2人で死喰い人10人をまとめて倒したとか言うじゃないか。それにブラックだって────」
「おまえ、まだそんな昔の話をしてるのか?

ヤックスリーの声が僅かに大きくなる。しかし自分達のしている話があまり人に聞かれてはならない類のものだということをすぐ思い出したようで、それまでより声を一層落として部下を叱りつけていた。

「確かに最初はブラックかリヴィア、あるいはその両方が秘密の守人だって全員が────あの方でさえそう思っていた。でも、あいつらが秘密の守人じゃないことはもうハッキリしてるじゃないか」

私とシリウスは声を上げないよう、どちらも口をぱっと手で押さえなければならなかった。

「!!?」

目を見開き、思わず互いの視線を合わせる。

────私達が秘密の守人ではないことを、知っている?

なぜだ? 私達はこれまで、明言こそしてこなかったものの、あくまで自分達こそが守人であるかのような振舞いを続けていたはずだ。本当の守人が誰かということを考える暇もないほど、私達は巧妙に隠れていた。そこに"秘密"があると、明らかにするように。

しかし敵は知っていた。私達が、秘密の守人ではないことを。

そうすると…彼らは、一体どこまで知っているのだろう。リリー達の家がどこにあるかまではまだ知らないらしい────ということは、ピーターはまだ何も喋っていないはずだ。
彼らは本物の秘密の守人が誰だか知っているのだろうか。知らなければ良いのだが────もし知った上で、ピーターに今まさに惨い仕打ちを受けているとしたら────。あの怖がりだった子が死喰い人の容赦ない拷問にかけられていると思うと、私の心がぎゅっと痛んだ。

「────お前達には失望した。どうやら、本気であのお方を守ろうとする気はないようだな」

ヤックスリーの低い声が脅すように漏れる。

「違っ…そんなつもりはない! ただブラック達を追うのに目が眩んでしまっていただけだ! 失態は認める、しかし守人がブラックでもリヴィアでもないなら、俺が本物の守人から何としてでも情報を吐かせてみせる!」
「声を落とせ、フェビアン」
「…っ、とにかく、必ず忠誠の術は俺が破る。だからあのお方には言わないでくれ────」
「さあな。どちらにしろ本物の守人が吐くのも時間の問題だろう、お前が手を下すまでもなくな。俺はただ事実をあのお方に報告するだけだ。予言の子を殺した暁にはお前の不義を咎めるか、それとも結果良しで無罪放免とされるか────それはあのお方次第だ」

私達こそが守人だと言っていた死喰い人のものだろう、悔しそうな舌打ちが聞こえてきた。

「どうする」
「ひとまずこの場で下っ端は全滅させよう。ヤックスリーは厄介そうだから、ヴォルデモートを連れてくる前に逃げなきゃ。その上で────"あの子"の様子を見に行こう」
「そうだな、それが良い」

ほとんど唇の動きだけで急いで作戦の修正を施す。
再び窓際に耳を寄せ、会話を盗み聞きしようとすると、1人分の椅子がガタンと動く音が聞こえた。コツ、コツと靴の鳴る音が聞こえ────店の出口の方へと向かっている。

「それで────浅はかにも自らが秘密の守人であるかのような振舞いで我々の目を欺こうとした偽の守人は、こんなところで何をしているんだ?

そして、店の明かりを背に受けながら────店のすぐ外にいた私達の前に、ヤックスリーが現れた。

「っ!」

私達はそれぞれ反射的に杖を抜く。もうその頃にはポリジュース薬の効き目も切れ、私は私に、シリウスはシリウスに戻っていた。

「さっきのカウンターにいた客だな。どうにも怪しいと思ってたんだ」

ヤックスリーが外で何かを言っていることに気づいたらしい死喰い人達が、ぞろぞろと店の外に出てきた。困ったような顔をしたサムも一瞬外を覗きに来たが、この異様な風景を見てすぐにしゅっと中に引っ込んだ。ライオネルとメリッサはもう帰ったと思い込んでくれているであろうことだけが、唯一の救いだ。

ヤックスリーは既に杖を手にしていた。私にぴたりと狙いを定めると、「アバダケダブラ!」と何の前置きもなく叫ぶ。
しかし"何かしらの呪い"はかけてくるだろうと踏んでいた私は、即座に盾の呪文で緑の閃光を跳ね返す。

「今ここでお前達が本物の守人に忠誠の術を破らせる手伝いをするというのなら、命だけは助けてやっても良いんだぞ!」

耳障りな声でヤックスリーが楽しくもなさそうに笑う。

「何を勘違いしてるんだか知らないが、僕とイリスが無二の親友の命を他人に預けると思うか?」
「まあ、私達のどちらが守人かまではわからないでしょうけどね。"その他の人"にそんな大事な使命を任せるなんてこと、私ならやらないな」

戦闘中にでも"なんとなく仄めかせば良い"と思っていた程度のことだったが、相手が既に"守人は私達のどちらでもない"という情報を掴んでいる以上、私達も直接的に挑発するしかない。

私こそが、僕こそが、守人だ。
どうか敵が、それを信じますようにと。

「バカめ。痒い友情ごっこをしているお前達の考えることが俺達にわからないとでも思ったか? 俺達が簡単にそれを想像できる以上、お前達がその裏をかいてくるのは当たり前だ。お前達はただの囮、本命の守人は別にいるだろう!」
「友情ごっこの考えなんて、友達がひとりもいないお前にわかるのか?」

シリウスがわざととぼけた声でヤックスリーを挑発した。その間に、彼の隣にいた死喰い人を3人まとめて拘束、失神、石化と見事に別々の呪文で動けなくした。ヤックスリーと私達が話していることで油断していたのだろう、倒された死喰い人は杖すら持っていなかった。ヤックスリーが「バカ」と言っていたのはあながち間違っていなかったのかもしれない…。

ヤックスリーは何も答えず、今度はシリウスに死の呪いを放とうとする。しかし杖を上げたその瞬間、私がヤックスリーに向かって「エクスペリアームス!」と唱えた。
私の武装解除呪文はヤックスリーの手元に見事命中し、彼の杖は村の暗闇の中に飛んでいく。しかし彼も熟練の魔法使い。躊躇うことなく隣にいた死喰い人の杖をひったくり、再びシリウスに死の呪いを放った。今度は彼も自力で盾の呪文をかけ、それを防ぐ。
私はその間に、杖を奪われた死喰い人に失神呪いをかけた。地面に倒れようとする死喰い人を避けようとした別の死喰い人には、石化呪文を。シリウスが高速で別の呪文を三連続放ったことに感動した私は、それを真似してみたくなったのだ。スピード感ではどうしてもシリウスに劣ってしまうので、私はまずひとりを倒したところで、そのひとりに気を取られた別のひとりに別の呪いを、そしてその人が倒れた周りにいる死喰い人に別の呪いを────という、ドミノ倒し方式で6人の死喰い人を倒した。

シリウスがヤックスリーを相手にしてくれているお陰で、雑魚の相手がかなりしやすい。更にシリウスの呪いで3人は動けなくなっていたので、こちらはものの20秒で片付いてしまった。直接命を奪ってしまうことにはまだ抵抗があったのと、シリウスがヤックスリーの気を完全に引いてくれているお陰で余裕があったのとで、私は彼らに"死の呪い"ではなく"強力な忘却魔法"をかけることにした。

闇の魔術に加担した記憶を全て消す。人によっては幼少期の記憶から消えてしまう者もいるかもしれないが────脅されて死喰い人に加わっていたり、離反したいのにできずにいる者がこの中にいれば、新たな人生を歩むことができるようになるだろう。

…もしかすると、ヤックスリーが後で全員殺してしまうかもしれない、と思うと、そんな数秒の延命など意味がないだろうと心が痛むのだが…。どちらにしろ、私が直接手を下すことはできなかった。

「オブリビエイト!」

さて、これで倒した人数は9人。残るはヤックスリーのみだ。

ここで戦いを継続して情報を探るという方法もあったが────。

「アバダケダブラ!」
「プロテゴ!」

迸る死の呪いと、それを防ぐ盾。膠着状態に陥ってしまったシリウスに加担すれば、多少は有利になるかもしれない。しかし、だからといってヤックスリーが素直にペラペラと自陣の情報を喋るとは思えないし、ヴォルデモートを呼ばれてしまっては厄介だ。

こちらとしては、"私達が秘密の守人でないことはバレており、しかも本物の守人がそれを自白するのも時間の問題と捉えている"ことがわかっただけで十分だ。
守人がピーターであることを敵が知っているかどうかまではわからないが、少なからず相手が誰であろうと自白させるための手段ないし作戦は立てられていると思った方が良い。
その場合、私達は自分達の命を危険に晒して戦いを続行するより、安全を優先してダンブルドア先生にこのことを報告し、ピーターの防御を強化しなければならないだろう。

「シリウス!」

私は鋭くシリウスの名前を呼ぶと、彼の手を取って一瞬で姿くらましした。

────行き先は、ホグズミード。
自分の家に戻って万一位置探知をされてしまったら困るのと、一刻も早くダンブルドア先生に報告するためホグワーツに行かなければならないと思ったからだ。それにホグワーツであれば、死喰い人も容易に手出しはできまい。

「助かった、ありがとう」
「こちらこそ。ヤックスリーを引き付けてくれてたお陰で残りは全員浄化できた」
「浄化?」
「闇の魔術に関わった記憶を全て忘れさせたの」
「ヤックスリーが後で全部始末しそうだな、それ」
「…やっぱり? なんだか人殺しを他人にやらせてるみたいでそれはそれで後味が悪いな」
「普通はそこで仲間を殺したりしないだろ。君は悪くない」

シリウスになんとか励まされながら、私達はホグワーツの門の前で呼び鈴を鳴らした。

出てきたのはマクゴナガル先生。深夜の訪問だったせいか、先生は私服を着ていた。そのことを申し訳なく思ったものの、先生は全く嫌そうな顔をせず、むしろ心配するような口調で私達を中に招き入れた。

「どうしたんですか、2人揃って来るようなこととは────。ダンブルドアは今いませんが、私が代わりに話を聞きましょうか?」

ダンブルドア先生がいない。
どうする。今リリーとジェームズが命の危険に晒されているという事実なら、騎士団の全員が知っていることだ。しかし、その対策として忠誠の術を使っていることや、その守人が誰と見せかけて本当は誰になっているのか────その辺りの詳細は、私達以外の誰も知らない。

いくら急を要するからといって、私達だけの判断でその秘密を漏らすことはできない。

マクゴナガル先生を信じたい気持ちは山々だったが、私はその場で話を続けることにした。

「ええ…伝言をお願いできますでしょうか」
「わかりました。内容は何と?」
「私とシリウスはもはや安全です、敵は"時間の問題だ"と言っていた…と、それだけ伝えていただければ全てわかっていただけるはずです。ダンブルドア先生のお戻りはいつでしょうか」
「明日の夕方になります。聞くまでもないのでしょうが────これは、"極秘"の話なのですね?」
「はい、すみません」

マクゴナガル先生は小さく溜息をついた。おそらく、長くダンブルドア先生の隣にいる身として、しょっちゅう"自分にさえ明かせない秘密"を歯痒い思いで見送ってきていたのだろう。

「わかりました。では私も深く詮索はせず、あなたの言葉をそのまま伝えます。…ところどころに怪我がありますね。こちらで治療していきますか?」
「いえ、この程度なら家で治せるので問題ありません。お気遣いありがとうございます」
「リヴィア、ブラック、あなた達は"自分は安全だ"と先程言いましたが、今後ともくれぐれも気をつけてください。特にブラック、無鉄砲は程々にするように」
「はい」

シリウスはまるで学生時代に怒られている時のようにいい加減な態度で返事をした。私が代わりに「すみません」ときちんと謝り、彼と共にホグワーツを出る。
改めて家に帰り、それぞれ戦闘中に作ってしまった擦り傷や切り傷を魔法で治す。

「ピーターの家にはすぐ行った方が良いと思う?」
「いや、もし敵が守人の正体を知らない場合、焦った僕達が本物の守人の安否を確認しに行くことを想定して追跡してくる可能性がある。迂闊に動くより、ダンブルドアが戻るのを待とう」
「…そうだね」

本当は心配で仕方ないのだが、彼の安全を確認したところで私達にできることなどたかが知れている。ピーターが守人だとまだバレていないのなら、シリウスの言う通りここで動くことが却って仇となってしまうし────あまり考えたくはないが、もしピーターが守人だと既に知られていたら、私達が彼の隠れ家を訪ねたところで彼の安全な姿を見ることは決してできないだろう。

私達はそのまま眠れない夜を過ごした。シャワーを浴び、ベッドには入ったのだが、全く眠気が来ないのだ。かといって話すような内容も気力もなかったので、私達は互いに黙りこくったまま朝が来るのを待っていた。

────誰もが笑えない状況の中で、いつもひとりだけケタケタと楽しそうに笑っていたシリウスが、同じように重い沈黙を貫いているのは珍しい、と思った。



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