悲しい出来事や、感情の処理ができないような出来事が起きたとしても、必ずそれを上回る喜びの日もある。

────それから3ヶ月後、リリーとジェームズの結婚式が無事予定通り行われることとなり、私も前日からこの時ばかりは騎士団の任務を忘れ、美容室へ行ったりドレスを買ったりと、忙しなく準備を進めていた。

結局私は、リリーから若返り薬を少しだけもらうことになってしまった。日々の生活習慣の乱れと、とにかく目が回るほどの忙しさのせいで、シリウスに評価を求めたところ「格好は年相応なのに顔だけ10歳老けて見える」とあまりにもド直球に刺さるお言葉をいただいたためだ。

「別にどんな顔だろうがそれは日々君が頑張ってる証なんだから隠すことないじゃないか」
「い、や、だ。明日だけはちゃんと綺麗にしたい」
「君はいつだって綺麗さ。それに僕だって、結構顔が疲れてると思うんだけど」
「シリウスは元の顔が良いんだから、ちょっとくらい疲れてるくらいの方がよっぽど大人っぽく見えて素敵なんだよ」
「それは普段が幼いって言いたいのか?」
「そんなつもりはないんですけどね、見てるとなぜだか幼稚園児を見ているような気持ちになるもので」

ギャーギャー喧嘩をしながらも、彼は前日の晩に私の家に来てくれていた。
────シリウスには、レギュラスの話をしなかった。

おそらく彼には、理解してもらえないだろう。
レギュラスが何を言ったところで、彼はレギュラスの裏切りの決意も、自分の死を以てヴォルデモートを滅ぼしたという事実も、受け入れないはずだ。何をどう伝えたところで────きっと彼は、「どうせヴォルデモートに恐れをなして逃げ出そうとでもしたんだろ」とお坊ちゃんだったレギュラスの幼少期を嘲笑って終わりだ。

そのことを思うと悲しくないわけではないが────こればかりは、家の問題だから仕方ないとも思う。シリウスにとってのレギュラスとは、生まれた時から大嫌いなブラック家の血を引く"最高の子供"なのであり、そうである以上、ブラック家史上でも上位を争える"最低な子供"である自分とは絶対に相容れないと思っている。
それについて、今更私がどうこう言えるようなことはない。

だから、この時だけは彼のことを忘れることにした。あの日以来ずっと胸に灯っている小さな怒りの炎を、この時だけは鎮めることにした。

「ねえ、ドレスの色、やっぱりライラック色にしておいた方が良かったかな」
「僕はそっちの方が似合うと思うけどな。赤でも良いが、君にはブルーがよく似合う」
「本当? あと髪型は────」
「レディ、お忘れかと思うが、明日はどう足掻いてもリリーが主役であることに変わりはないぞ。君が下手に視線を集め出したら、それこそ僕の余計な仕事が増えることになる」
「なーに言ってるの! 私は花嫁介添人なのよ! リリーの隣に並んでも恥ずかしくないような格好を一番しなきゃいけないのはなんだから!」

────リリーは、最初花嫁介添人をお姉さんに頼んでいたようだった。
家族がもう一度仲良くなれるようにと、彼女なりに願ってのことだった。

しかし、結婚前にお姉さんが付き合っているという男性とジェームズも合わせて4人で食事会をした時、お姉さんからまた何か酷いことを言われ、リリーは食事の席を途中で立ってしまったのだそうだ。もちろん、その後に介添人をお願いしたところで受け入れてもらえるわけもなく。

手紙ででしか語られなかったが、お姉さんの恨みは相当長く続いてしまい、歩み寄れるだけの時間も確保できなかったのだそうだ。離れている間、どんどんお姉さんの中でその複雑な感情は拗れる一方だったのだろう。

代わりのようになってしまって申し訳ないんだけど、と言って私に介添人を頼めないか訊かれた時には、私は大喜びで飛び上がってしまった。お姉さんの件があった手前、返事はリリーを傷つけないよう最大限に配慮して書いたが、内心はそんなリリーの本当の魅力をわかろうともしない頑固なお姉さんより、私の方が余程ジェームズにリリーを預ける役として相応しいと自信を持っていたのだ。

「明日、髪を結ったら花を飾ってね。私、自分の後頭部がよく見えないから」
「なんなら髪も僕が結ぼうか?」
「嫌だ。シリウス絶対私の頭に獅子の形とか作るじゃん。明日はそういうの絶対ダメだから」
「わかった、わかったからなりふり構わず喚くのをやめてくれ」

初めての結婚式、しかも親友の花嫁介添人を務められるという喜びで、私はすっかり興奮しきっていた。状況は同じはずなのにどこまでも冷静なシリウスが笑って私を何度も宥めすかし、徹夜で髪を結う練習をすると言い出した私を彼はなんとかシャワー室まで連れて行き、髪も乾かしてベッドに寝かしつけてくれた。

「どうしよう…緊張と興奮で全然眠れない…」
「まあ、待ちに待った結婚式だからな。必要とあらば簡単な眠り薬くらいは持ってるけど、要るか?」
「いる。これ絶対いる。鎮静薬も欲しい」
「はいはい」

そうして私は、彼の持っていた沈静薬と睡眠薬の混合液を飲み干し、やっと気持ちが落ち着くとともに、この先二度と来ないんじゃないかとすら思っていた眠気が徐々にやってくることをようやく感じられるようになった。

「明日はちゃんと6時に起こしてね。準備をしてから9時きっかりには行かなきゃいけないんだから…」
「準備に3時間もかけるのか? なんでも良いけど、僕はその間二度寝するからな」
「花を飾ってもらう時になったら…容赦なく…起こす…から…」

喋りながら、だんだん意識が遠のいていく。即効性の薬が、私を無理やり夢の中へ引きずりこもうとしていた。

「────僕も、君に結婚しようと言えたら良かったのにな」

シリウスが抱きしめた私の背中をとんとんと叩きながら、頭上でそんなことを言ったような気もしたが────その言葉の意味を考えるより早く、私は眠りの底に沈んでいった。










朝、6時。けたたましいベルの音で私は目を覚ます。

ばさっとブランケットを剥いで飛び起きると、私はさっさと顔を洗って歯を磨き、まずドレスから着ることにした。いつもの3倍やかましい私の物音に起こされたシリウスが、「もう少し静かにやってくれ…野生のトロールが出てきたのかと思った…」と半分眠りながら悪態をついているのが聞こえるが、私にそんな嫌味は通用しない。

だって今日、リリーは結婚式を挙げるのだから!

籍は既に入れ、リリーは数ヶ月前に会社を辞めてジェームズと一緒にポッター家のすぐ近くの空き家に住み始めたと聞いた。彼女達にとってはもうとっくに"夫婦としての生活"が始まっているようだったが、私にとってみれば、年末に会って以来顔を見せられていない2人と再会できる機会がそんな晴れ舞台の日になることが、何よりも嬉しかった。

「それに花嫁介添人を頼んでくれるってことは、私は家族の次に大事にされてるってことだよね。嬉しいなあ」
「そんなこと…8年前からわかってただろ…」

むにゃむにゃ言いながらも律義に返事をしてくれるシリウスの背中に、見えないとわかっていてもにっこり笑いかけると、私は昨日買ったばかりの、夏の空を思わせるブルーのドレスを着た。
そして、リリーから数日前に届けてもらった若返り薬を規定量飲む。疲れ切って40代と言っても納得されてしまいそうな18歳の私は、みるみるうちに年相応の姿を取り戻していく。目の下の隈は綺麗に消え、眉根にすっかり寄ってしまっていた皺もなくなり、ぼろぼろだった肌もみずみずしく、朝日に照り返されて輝くように見えた。

櫛を通して、オイルをつけてまっすぐ綺麗なツヤのある髪に。
昨日ちょっとやってみただけでは満足のいく出来にならなかった髪も、今日はちゃんと綺麗に結えた。ひとつに結んだお団子の周りに、編み込んだ髪を巻き付けて華やかなパーティースタイルにする。ちょこっとだけ杖で髪に魔法をかけ、後れ毛を巻き髪に仕立て上げると、前髪も自然なカールを描くように整えた。

最後はメイク。仕事に行く時より、少しだけ派手なものを。
目がくっきり見えるように濃い色を乗せ、唇にもいつもより鮮やかな赤いラインを引く。

そうして出来上がった私は、今までで一番のお洒落をしていた。
学生の頃はメイクをしたり髪をいじったりすることはなかったし、仕事の日は簡単に髪をひっ詰めて、邪魔にも失礼にもならない程度の化粧をするだけだったから────こんな風に、自分のために、そして友人のために着飾ることなんて初めてだった。

「シリウス、ほら、お花つけて!」

ただ、初めてということはつまり慣れていないともいうことになる。
私はたったこれだけの自分を作るために、2時間半も費やしてしまっていた。

あと30分もしたらここを出て、ポッター家に集まらないといけない。
式場はポッター家の広大な庭で行われることになっている。親戚の方やリリーの両親、それに騎士団のメンバーやリリーの親しかった友人も呼ばれるのだそうだ。

「もう9時か?」
「もう8時半だよ! ていうか、シリウスは自分の準備もあるでしょ、ほら顔洗って」

無理やりシリウスをベッドから引きずり下ろし、洗面台の前に立たせて水をばしゃりとかける。ようやくそこで目を開くことに成功したらしいシリウスは、私の顔を見て「ほーう」と感心したような声を上げた。

「すごいな。世界一の美女がいる」
「お世辞は良いから、ほら、服そこに掛かってるよ、着て」
「せっかくとびきりの美人を連れて歩けるっていうのに、中身がすっかり世話焼きおばさんなんだもんなあ…」
「あなたがいつまでたっても11歳から年を取れないのが悪いんでしょう」

まるで昨夜の延長戦のような応酬が続くが、2人とも顔は笑ったままだった。
シリウスもモタモタしながらタキシードを着て、髪をワックスで撫でつけている。髭を剃り、曲がらないようネクタイをくっと締める頃には、8時50分になっていた(それでも20分で仕上げられるのだからすごい)。

私はシリウスが着飾っているのを見ながら、シリウス以上に感心の溜息をついてしまった。
ボサボサの頭で猫背になった時ですら、"どこか憂いを帯びていて素敵"と言われるような人なのだ。そんな人が真っ当なお洒落をしてしゃんと立っているところで、その輝きを増さないことなど、あるわけがなかった。

濃紺のタキシードが、シリウスの艶のある黒髪によく映えていた。つんと立った鼻に、薄い唇。少しばかり痩せたその顔が、余計に彼の色気を引き立たせている。
私は普段の、髪が目にはらりとかかるあの瞬間が好きなのだが────ぴっちりと前髪を分けて露わになった彼のおでこでさえ、なんだか愛おしく思えてしまった。こうして見ると、普段影になりやすい灰色の瞳がよく見えるようになり、いつもよりずっと深いところまで吸い込まれてしまいそうだ。

「ほら、じゃあ座って。花はどんなものがお好みで?」
「なんだって良いよ。小さめで、ドレスに合うような青や白、紫を中心にしたやつが良いな」
「はいはい」

シリウスが器用に杖を振って、私の後頭部に魔法をかけた。

「これでどうでしょうか、お姫様」

手鏡を持って、私の前にある鏡と合わせて後頭部が見えやすいように見せてくれるシリウス。髪束がバラバラの太さになっていたはずなのだが、どうやら彼は魔法でその辺も修正してくれていたらしい。まるで美容のプロの人に仕上げてもらったような髪型と、そこに添えられた花が私の後ろ姿を華やかに彩ってくれていた。

「シリウスってなんでもできるんだねえ」
「そりゃ、伊達に今日の主役の相棒務めてないからな」

私達が互いの姿を褒め合っているうちに、時間が来た。

「じゃあ行こうか」

そう言うと、シリウスが腕を腰に当て、肘をこちらに出してくれた。

「付き添い姿くらまし? 私、ひとりでもできるけど」
「こういうのは様式が大事なんじゃなかったのか? せっかくなんだ、エスコートするよ」

そういうことなら、と私は少し照れながら笑ってシリウスの腕に自分の手をかけた。
彼は私を連れたまま回転し、瞬時にポッター家へと移動する。

当日は直接庭に来てほしい、と言われていたので、私達は邪魔にならないようできるだけテラスに近いところに着地した。

────そこは、いつもの何もない草原とは様変わりした景色になっていた。
いくつもの長椅子が同じ方向を向いて並んでいる。その椅子が向いている先にはテントが張られており、小さな台が乗せられていた。家の出口からは椅子の間を遮るようにまっすぐ赤いバージンロードも敷かれている。
雑誌やテレビでしか見たことのない"結婚式場"が、そこにはあった。

「あら、シリウスとイリス?」

びっくりしたような声が聞こえたので振り返ると、そこにはユーフェミアさんが口調通り驚いた顔をして立っている。

「まあ、まあ…見違えたわね! そうして見るともう1組結婚するカップルがいるみたいだわ! どうしたのイリス、あなたなんて…年末に見た時はそのまま痩せ細って病気になっちゃうんじゃないかって心配してたのに…」

若返り薬を飲んでいるからだと素直に言っても良かったのだが、ユーフェミアさんがあまりにも嬉しそうに私とシリウスの肩を叩くものだから、私は夢を壊さないようにいい加減なことを言っておくことにした。

「大事なリリーとジェームズの晴れの日ですから。私、今日は一番気合いを入れてきたんです」
「こいつ、昨日の夜から狂ったように今日のことばっかり喋ってたんですよ」
「ふふ、リリーとおんなじね。明日の服は似合うだろうかとか、このアクセサリーは髪に合うだろうかとか、私を捕まえてずーっとそんなことばかり話していたのよ」
「僕もジェームズとよく双子だって言われるけど、君達も十分双子みたいにそっくりだな」

シリウスが堪え切れずに吹き出すと、ユーフェミアさんは目を細めて私達を家の中に案内してくれた。

「今ジェームズとリリーはいつものお部屋で支度をしているわ。早くに呼んでごめんなさいね。1時間後の式までに列席者の皆さんもいらっしゃると思うから、お話しててあげて」

そう言われ、私達は2階にあるジェームズの部屋とリリーがいつも滞在している客間の前で別れた。

「じゃあ、1時間後に」
「うん。楽しみにしてるね」
「なんで君が楽しみにすることがあるんだよ」

そんなことを言われても、ワクワクするものは止められないのだから仕方ない。
深呼吸をして、ドアをノックする。

「イリス?」

リリーの声だ。

「うん。お待たせ、今シリウスと来たところだよ。入っても良い?」
「ええ、もちろんよ」

緊張しながらドアを開けると────そこには、どんな妖精や女神様よりも美しい人が立っていた。

リリーは、真っ白なウエディングドレスに身を包み、キラキラと輝くティアラを頭に乗せてふかふかのソファに腰掛けていた。オフショルダーのドレスで、腰には大きなリボンが巻かれており、そこからふんわりと、リリーが5人くらいその中に隠れられそうなほどの大きな裾が広がっていた。長い長いトレーンは今、皺にならないようソファの背もたれにかけられている。
白いドレスは、彼女の赤い髪にも、緑の瞳にもよく似合っていた。むしろ彼女の持って生まれた色が鮮やかなものばかりだからこそ、白というどんな色も吸収するそれが彼女自身の魅力を最大限に引き出している。ティアラも、首元を覆う大きなネックレスも、ダイアモンドだろうか────とても綺麗な宝石が散りばめられたアクセサリーが、まるで彼女の全てが輝いているかと思わせるようにキラキラと輝いていた。

「わあ────…っ、すっごく綺麗! お姫様みたい! 可愛い!」

ぐーんと一気に体温が上がる。思いつくままにリリーを褒めそやし、自分もお淑やかな格好をしていることなど忘れて彼女の周りを(ドレスを踏みつけないように気をつけながら)回ると、リリーが困ったように「ちょっと、やめてよ」と笑った。

「あなたもとっても素敵だわ。そのドレス、私が前にあげたワンピースの色とそっくり」
「そうだよ。同じ色のものを探すの、とっても迷ったんだから」

そう、私がライラック色のドレスを選ばなかったのは、以前リリーが監督生就任祝いと言って買ってくれた青色のワンピースとできるだけ似たようなものを着たかったからなのだ。
今日は、リリーのお祝いの日。できるだけ、私達の楽しい思い出が蘇るような私でいたい。

「リリーも、そのティアラとネックレス、似合ってるね。わあ、ダイヤモンドかとも思ったけど────ティアラの一番大きな宝石、これだけルビーなんだ?」
「そうなの。これはお義母さんが結婚された時に使っていたポッター家のアクセサリーなんですって。ブレスレットは私の母が使っていたものを貸してもらったの」
「へえ、すごいなあ…。とっても綺麗」
「ありがとう」

髪をすっきりとまとめ、お化粧をしているリリーはどこか別人のようにも見えた。それでも彼女が笑うその屈託のない表情は、どう見てもあの頃────学生時代の頃からずっと変わらない、リリーのまま。

「結婚するんだね。いや、してはいたんだけど…なんだか、こうして節目としてお祝いすると、改めて実感が湧いてくるね…」
「ええ、私もそう思うわ」
「リリー ────…大丈夫?」

それは、いつかジェームズからプロポーズを受けた時に迷っていたリリーを思い出してつい訊いてしまったことだった。もっと遡れば、付き合う前に彼の好意を受け入れて良いのかどうかというところでも、彼女は迷っていた。

事実としては数か月前にはもう結婚している彼女。今更何か迷うようなことなどないのだろうが────もし、まだ何か考えていることがあるのなら────きっと私がそれを訊けるのは、これが最後だろう。

しかしリリーは、にっこりと笑った。
何の曇りもない、お日様みたいな笑顔だった。

「────大丈夫。ありがとう、イリス。私、ジェームズとなら幸せになれるし、たとえ不幸なことが起きても一緒に笑っていられると思うわ」

────それが、リリーの最後の、そして全ての"答え"だった。

「────そっか。良かった」
「あ、でも、何か喧嘩したりした時は私、すぐに家出するからその時は匿ってね」
「良いけど、ジェームズは真っ先にうちを訪ねてくると思うな…」
「関係ないわ。イリスのいるところはいつだって、私の一番大事な逃げ場所なんだもの」

そういえば、何度も寝室で夜通しおしゃべりをしたもんね。
OWLが終わった後には、泣きじゃくる彼女を連れて必要の部屋に行ったこともあったなあ。

傍にあった小さな椅子に腰かけて、リリーと学生時代の話をする。
あんな秘密を共有したねとか、悪戯仕掛人に翻弄されて困ったねとか、そんな小さな話ばかり。

「今だから言うけど、ジェームズがリリーのチョコを欲しいって言い出した時、もうほんっとに大変だったんだよ…。全く関係ない話してる間にでも、語尾に"エバンズのチョコ欲しい"って…そればっかりなんだから」
「ふふ、それであなたはあくまで私達のお互いのチョコを作るって名目で私を厨房に連れて行ったのよね」
「そうなんだ。まったく、どうしたらジェームズにあげられる分のチョコまで作れるかすっごい必死に考えて、ハニーデュークスで大量にチョコを…あっ! あの時に強請ろうと思ってたお礼、まだもらってない!」
「ハニーデュークスの新作でも可愛いお洋服でも、なんでも言ったら良いわ。私だって、私なんかのためにあなたをそこまで悩ませたジェームズには一言言わなきゃって思ってたの、今思い出したもの」
「じゃあ2人でジェームズにアイスパーラーのパフェでも奢ってもらおうよ」
「それ、良いわね」

そうやって昔話に花を咲かせていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「お嬢さん達、そろそろ時間だけど、良いかしら?」

ユーフェミアさんの声が聞こえたので、私はリリーの許可を取ってからドアを開けた。

「先にジェームズがバージンロードを歩いて待つことになるから、あなた達はその後で腕を組んで歩いて来てね」

そう言う彼女の後ろには、真っ白なタキシードを着たジェームズとシリウスが立っている。
ジェームズの髪は、こんな時だというのにいつも通りくしゃくしゃのままだった。きっとユーフェミアさんがどこまで言い聞かせても、彼はがんとして「いつも通りでいたい」と主張したんだろうな、と元々頑固だった彼がどんどんリリーに影響されてその頭を固くしていった経緯を思う。

「リリー……」

どうやら、ジェームズがリリーの今日の姿を見たのはこれが初めてだったらしい。まるで世界の全てが色褪せて、彼の目にはリリーしか映らなくなってしまったようだった。呆然と彼女の名前を呼び、頭から爪先までその美しい姿を眺めると────なんと驚いた、目尻にうるうると涙を滲ませたのだ。

「おい、泣いてるのか、プロングズ?」
「僕…女神様と結婚するんだ…」

言いたいことはわかるのだが、あまりにもストレートな物言いにジェームズ以外の皆が笑う。

「こんなに…こんなに綺麗なお嫁さんをもらえて…僕は幸せだ…」
「はいはい、わかったから。向こうに行くぞ。最初に入場するお前が泣いてたら皆に心配かけるだろ」
「まあまあシリウス、せっかくのご対面なんだから少し待ってあげようよ」

さっさとジェームズを連れて行こうとするシリウスを窘めると、その時初めて私がいることに気づいたらしいジェームズがケロリとして私に片手を上げた。

「あ、いたのイリス。すごく綺麗だね」
「……シリウス。もうその人、連れてって」

シリウスは大笑いしながらジェームズを引きずって階下まで降りて行った。まるで今生の別れと言わんばかりにリリーの名前を呼ぶジェームズの声は、下に降りてもまだしばらく聞こえていた。

「────ジェームズ、本当に失礼だと思うわ」
「いやいや、私もああは言ったけど、あれくらいでちょうど良いと思うな。元々ジェームズはリリーのことを好きになってから、"リリー"か"それ以外"って風にしか女の子を見てなかったし」
「何を言うのよ、私よりあなたの方がずっと前からあの人と友達だったじゃない」
「だからこそ余計に霞むんだよ。わかる? 今日のリリー、いつもよりずっとずっと綺麗なんだよ」
「ほらほら、お嬢さん達も喧嘩しないで。ジェームズが行ったらすぐあなた達の出番なのよ?」

今度止めてくれたのはユーフェミアさんだった。リリーが足を躓かせないよう、私が先に降りながら彼女の手を引いてゆっくり階段を降りる。
庭には、緑の草原を照らす明るい太陽が昇っていた。私とシリウスが来た時よりずっと多くの人が、楽しそうに隣の人と何か囁き合いながら、ジェームズ達の登場を待ち侘びている。

ユーフェミアさんと、階下にいたフリーモントさんがそれぞれジェームズとリリーを抱きしめた。

「しっかりね」
「私達は一番前の席で君達が愛を誓いあうところを見ているよ」

そう言って、一足先に外へ出て行った。

「リリー…ああ、君が綺麗なことは初めからわかっていたけど、まさかほんのちょっと衣装の力を借りるだけでこんなに神々しくなるなんて」
「もう、わかったから泣かないでジェームズ。あなたも立派な新郎なのよ、そのタキシードに着られないよう、堂々としてなきゃ」

泣きそうな顔をしているジェームズの目元を、リリーが優しく擦る。
その姿は、学生時代の時と何も変わらない────いつも暴走するジェームズを止めるリリーと全く同じようで、私もなぜだか心に熱いものがこみ上げてきた。

「こっちの場合は君が心配だな。歩きながら泣くなよ」
「な、泣かないよ。…多分」

シリウスに笑われても、私はあまり自信を持って答えられなかった。

だって。

「それでは新郎の入場です」

この出口から庭を突っ切った先、テントの中で立っている神父がジェームズを呼ぶ。

シリウスがジェームズに「行くぞ」と声をかけてリリーから引き剥がし、彼と並んでバージンロードを歩き始めた。

だって、毎日変わって行ってしまう世の中で、ただひとつ────この人達が、いつだって何も変わらない唯一の私の安息地なのだから。

この人達と一緒にいると、楽しいことばかりだった学生時代を思い出してしまう。シリウスとジェームズの後ろ姿を見ていると、また何か、どこか誰も知らないような場所に案内されるのではないかとワクワクしてしまう。

「続いて、新婦の入場です」

リリーが呼ばれた。彼女は私に上品に手を差し出し、はにかんだ顔を見せる。

「手を取ってくれる? ────私の一番大好きな、イリス」

私は黙って笑い、彼女の手を取った。腕に手を回してもらい、ポッター家から明るい陽射しの降り注ぐ庭へと一歩踏み出す。

あ、眩しい。

空からの祝福の光が、私とリリーに燦燦と降り注ぐ。加えて参列者の顔が一気にリリーに注目され、彼女自身からも光が放たれたような錯覚に陥る。

私達は赤い道を、一歩一歩踏み出した。

「おはよう、あの…」
「リリー・エバンズって言うの。昨日はごめんなさい、わたしたちのせいで雰囲気を悪くしちゃって…」
「あ、えっと、イリス・リヴィアって言います。こちらこそ、なんか…何もわからなくて、わたし…何も言えなくて…ごめんね」
「あなたが謝る事は何もないわ。あの2人は友達?」
「うーん…そうかな。でも昨日初めて会ったんだ」


リリーと初めて話したのは、ホグワーツに入学した翌日のことだった。入学式の前、ホグワーツ特急の剣呑な雰囲気にすっかり巻き込まれてしまった私は、彼女と話すことにさえ微かに怯えていた。

「やったわね、イリス!」
「うん、リリーのお陰だね」
「何を言ってるの、わたしだけじゃ加点はいただけなかったわ」
「まぁ一応先生はああ言ってたけど…4人ともが"100点"の出来だったらきっと加点はなかったよ。リリーの150点祝い、後でしよっか」
「あぁイリス、大袈裟よそんな……でも、ありがとう」


それでもなんとなく私達は仲良くなって、一緒に授業を受けるようになって。初めてスラグホーン先生の授業で加点をもらえた日の夜は、自分を甘やかしてデザートばかり食べていたっけ。

「私がもしあなたに向かって怒る時があるとするなら────」
「…私まで一緒になって、スネイプを攻撃する時、とか?」
「そう。それさえなければ、あなたがどこで何をしてようと、私の友情は揺らがないわ。まあ…セブを庇う私の、ポッターに対する態度がムカつくって言われちゃうと、ちょっと悲しいけど…」
「ううん…私もあれはやりすぎだって思うから…」
「だったら、あなたはちゃんとそれを言って。ポッターにでもセブにでも良いわ。あなたは思ったことを、素直に言って。その結果誰がどう拗れるかなんて、あなたには関係ない、くらいの気持ちで良いのよ」


ホグワーツに来てみて1年経って、少しは自分の意見を言えるようになった頃。それでもまだ人付き合いがうまくできなくて、スネイプと衝突したこともあった。
でもリリーはいつだって、"私とスネイプが仲良くできないこと"にも、"悪戯仕掛人と私が仲良くしていること"にも、文句を言ったことがなかった。あなたはあなたの好きな人とだけ付き合えば良い、無理に私に合わせて友人関係を築こうとしなくて良い────私とあなたの友情は、そんな周りからの弱っちい圧力では揺らがないからと、断言してくれた。

「…ちょっと、寂しかったの。いつも試験前に一緒に勉強してたあなたがどこにもいなくて、こうして話す機会も最近減っちゃったし…。どこか、遠くに行っちゃいそうで」
「遠くになんて行かないよ! 確かに、これからも"誰かの尊厳を守るために"リリーに秘密を作ることはあるかもしれない。"誰かを助けるために"リリーに黙ってどこかへ行くことも、あるかもしれない。でも私が一番大事な友達だと思ってるのはリリーだよ! 私、まだずっと忘れてない。初めて会話した時に、リリーが優柔不断な私のことを"優しい"って言ってくれたことも、去年誰が正しいのかわからなくて困ってた私に、"自分の思ったことをそのまま言って良いんだよ"って言ってくれたことも。リリーは私の恩人で、一番の友達で、ずっと一緒にいたい大好きな人なんだよ!」


3年生の時は、ひとりでリーマスの秘密を嗅ぎ回って、リリーに疑われたこともあった。でも彼女は、私が"何をしていたか"には興味を示さなかった。私がどんどんリリーと過ごす時間が減っていくことを寂しく思い、そして私が何か危険なことをしようとしているのではないかと心から心配してくれていた。

今でもあの時はクサいことを言い過ぎたと思っているけど、あの言葉に嘘はひとつもなかった。

「やっぱりリリーが一番私のことわかってくれてるなあ…」
「あら、ブラックに負けるつもりなんて最初からないわ」


4年生、シリウスと大喧嘩をしてリリーに相談した時、彼女が当たり前のようにフンと鼻を鳴らして珍しく高慢ちきな態度を取った時にはつい笑ってしまったなあ。
結局シリウスとは仲直りできたけど、「お似合いね」なんて言われた時には戸惑ってしまったばかりだったっけ。

そうだ。リリーには、恋の相談もたくさんしてきた。
5年生になってシリウスから告白された時、混乱しきっていた私にリリーは懇々と私達が"どう見えていたか"という話をしてくれた。シリウスを受け入れて良いのか迷う私に「好きになる時はなっちゃうんだから」なんていい加減なことを言っていたのに、結局リリーの言う通りになってしまったんだから恐ろしい。

ああ、でもあの年には痛ましいこともたくさん起きたものだった。
スネイプがリーマスの秘密を暴こうと暴れ柳に何度も接触しようとした時、リリーは事情も聞かずに彼の足止めを買って出てくれていた。でもやっぱりスネイプとはどんどん距離が離れていくばかりで、あの時は苦しい思いをさせてばかりいたっけ。

その後の、OWLでのあの事件だ。スネイプがリリーを"穢れた血"だなんて呼んで(隣を歩く女神を見て、誰がそんな卑しいワードを思いつくのだろう)、ずっと守り続けていたスネイプの手を初めてリリーが離した日。あの日は珍しくリリーも取り乱していて、私は彼女を必要の部屋で思い切り泣かせたのだった。

「でも…ダメね。私、甘かったみたい。彼が陰で何をしてるのか知ってたはずなのに…いざ目の前にすると、昔のセブに戻ってくれるんじゃないかって、期待しちゃって…。何も言えずに5年も過ぎちゃって……私、驕ってたわ。嫌な奴だった。まさかセブが私にまでそう言うなんて、思ってなかった。自分が特別だって思ってたの。差別用語を平気で口にする人を軽蔑していながら、いざセブからその言葉が自分に向けられるまで、私は結局希望を捨てきれなかった」
「それが当然だよ、リリー。私はリリーのこと、甘いとも傲慢だとも思ってない。私にとってリリーは、友達を大事にして、どんな時だって希望を失わない明るい女の子だよ。迷うことも、感情的になることもあったかもしれないけど、そんなところも含めて全部好きだよ。それ全部が、"リリー"だと思ってるよ」
「イリス…私も大好きよ」
「うん、ありがとう。ずっとそう言ってくれるよね、リリーは」
「だって、ずっとそうなんだもの。初めて会った時から、あなたは絶対にその場で見たものだけで物事を決めつけたりしなかった。あなたは平等だったの。昔から、ずっと」


たったそれだけのことで、私が5年間受けてきた恩を返し切れたなどとはとても思えない。でも、私はいつだってリリーが安心できる場所でありたかった。いつだってリリーが泣いたり笑ったり怒ったり、素直な言葉を言える相手でありたかった。

6年生になってからは、私とリリーの2人きりの時間は少しずつ減って行った。
彼女が悪戯仕掛人を受け入れるようになり、私達は6人で過ごすようになったからだ。

そんな中でも、私はリリーとたくさん秘密を共有してきた。
夏休み、私がみんなには内緒でシリウスと夜の星空デートをしてきたこと。
リリーがジェームズと初めてホグズミードに行った時のこと。
2人でバレンタインのお菓子を作ったこと。

私達は、自分達の交流の輪がどれだけ増えようとも、最後にはいつだって2人でお互いの話をシェアしてきていた。
でも────確かに思い返してみれば、高学年に上がる頃にはもう、互いの"愛する人"の話をする機会が増えたような気がする。

隣を歩くリリーは、まっすぐ前を向いていた。その先で待っている、ジェームズを見つめていた。

プロポーズされて、あんなに迷っていたリリー。
ヴォルデモートと戦いながら、負傷したジェームズの手を握って自分の無力さに怒りを露わにしていたリリー。

でも彼女は今、キラキラとした明るいグリーンの瞳で眩しそうにジェームズを見ている。
きっと今の彼女には、"この先ジェームズと歩む"未来が見えているのだろう。

────私の存在がリリーの中から消えることは多分ない。

でも────。

私は、リリーを連れてジェームズの前に立った。彼は学生の時からずっと変わらない、優しい何もかもを包み込むような笑顔でまっすぐリリーを見つめている。
2人の視線は、交差して絡み合っていた。そこに、他の人間が入り込む隙間はない。

リリー。
私、あなたと友達になれて本当に良かったよ。
初対面の時は最悪な印象だったかもしれないけど、でもあなたは今でも変わらないその公平さで、私を受け入れてくれた。
いつだって物を客観的に見て、私がどれだけ泣いていても、怒っていても、常に冷静な意見を聞かせてくれた。冷静なことを言っておきながら、ものすごく私のことを贔屓して、いつだって私の言うことならって笑ってそれを肯定してくれた。

ねえ、リリー。
私、あなたのことが本当に大好きだよ。
優しくて、友達思いで、正義感に溢れてて、でもちょっとだけ涙もろいの。

色んなあなたの顔を見てきた。笑ったり、怒ったり、泣いたり…多分あなたは私以上に多くのことに迷って、その度に素直に感情に出して、私を頼ってくれてたんだよね。
フラフラしてるばかりの私なんかじゃ、とても頼りになんてならなかったかもしれないけど、それでも何かあった時には真っ先に私の名前を呼んでくれたことが、とても嬉しかった。

だから、リリー。
私、あなたがジェームズと結ばれることが本当に嬉しいんだ。
ジェームズは、私にとっても大事な友達。楽しいことが大好きで、どんなに辛い状況の中でも笑顔を忘れないすごい人。頭も良くて、ユーモアがあって、皆から憧れられるヒーロー。
最初の頃はそんなジェームズのことを嫌っていたあなただけど、私、あなたがいつかああ言っていたことを忘れない。

「あの人の魅力にもっと早く気づけば良かった、とまでは言わないわ。私は確かに前まではあの人のことが心から嫌いだった。でも────きっとみんな、この7年の中で少しずつ変わっていったのね。私、あの人の魅力に"このタイミング"で気づけて良かった、となら思ってるの」

その時私は、「リリーが幸せならそれが一番だよ」と言った。
今でもそれは、変わらない。

あなたが幸せでいてくれるなら、私も幸せだよ。
そしてあなたを幸せにしてするのは、きっとジェームズを置いて他の誰にもできないことだよ。

だから────。

私はリリーに掴んでもらっていた手を優しく包み、手を差し出しているジェームズの掌にそっと乗せた。

「ジェームズ」

彼の視線が、私に移る。

「リリーのことを、よろしくね。必ず、2人で幸せになって」

ジェームズは、私の大好きな────どんなに心が重くてもそれを吹き飛ばしてくれる、魔法の笑顔で応えた。

「もちろんだよ。君達の友情に懸けて、今度は僕が────絶対にこの子を幸せにする」

じわりと、涙が滲んだ。

リリーとの7年間を思い出して、ジェームズ達との7年間がそこに重なって────。

いつも私の隣にいてくれたリリー・エバンズがいなくなってしまう。それはとても寂しいことなのに────私は、彼女がこんなに素晴らしい人の手を取る選択をしたことを、心から嬉しいとも思っていた。

リリーの選んだ人がこの人で良かった。
リリーとジェームズならきっと大丈夫。きっと、世界中の誰よりも幸せな家族になれる。

私は安心して、リリーの手を離した。

「リリー」
「イリス、ありがとう」
「うん。ずっと大好きだよ」
「私も、あなたのことがとっても大好き」

11歳の少女のように、私達は恥も外聞も捨ててそんな告白をし合った。
そして最後にジェームズともう一度目を合わせて互いに頷くと、私はシリウスが待つ2列目の席の端に座る。

「泣かなかったか?」
「必死で堪えてます」

神父さんの言葉を聞きながら、私はぐっと顔に力を入れていた。
今までで一番綺麗なリリーの後ろ姿を見ていると、どうしてもホグワーツで過ごした7年間を思い出してしまう。寂しいのに嬉しいなんて、なんだかとても変な気持ちだ。

「あいつらなら大丈夫だよ。何もかも」

シリウスがそう言った瞬間、抱き合う2人の前で神父さんが杖を大きく掲げた。

「────されば、ここに2人を夫婦と見なす」

掲げられた杖からは、無数の銀の星が降り注いだ。星は螺旋状になってリリーとジェームズの周りをキラキラ、クルクルと舞い踊り、テントの上に飾られていた数えきれないほどの風船と共に一気に空へと舞い上がる。

シリウスが最初に拍手を始めると、それは瞬く間に全員分の音となって、彼女達を包み込んだ。空の上から、飛んで行った風船が割れた中に入っていたのであろう鳥達が歌い出す。口笛、拍手、鳥の歌、口々に浴びせられる「おめでとう」の声────。

今この時だけは、世界中の全ての人が彼女達を祝福しているようだった。
私の友人達は、こんなにも近くにいるのに────遠い遠い、どこかとても遠くへ行ってしまったかのようだった。

挙式が終わった後、私達は庭を少し移動し、既に用意されていた披露宴会場へと向かった。
私達がそれぞれのテーブルにつくと、魔法で一瞬にしてユーフェミアさんの料理が全てのテーブルに現れる。

「さ、行くぞ」

シリウスに連れられて、私達は一番最初にリリーとジェームズのところへ行った。同じことを考えていたのだろう、真っ先に駆け出した何人かの中には、リーマスとピーターの姿もあった。

「イリスがジェームズにリリーはあげない! って叫び出すんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
「いやあ、僕もあれはビビッたね。リリーを一度でも泣かせたら殺すって目をしてた」
「そ、こまでは…」
「えっ、じゃあそれに近いことなら考えてたの!?」
「そりゃあそうだろ、こいつは良い子ちゃんな面して心の底では誰よりも過激なんだぞ」
「もう、よしてよ。イリスがもしそんなこと考えてたら、昨日の晩のうちにジェームズの寝首をかいてるはずだわ」
「リリーまで…!」

おめでとうと言いに来る何人もの客を相手取りながら、彼女達はずっと傍にいる私達とも会話を続けていた。

「まさかリリーとジェームズが結婚するなんて…」
「ムーニー、それお前何回目だ?」
「いや、だって本当に信じられないんだ。今となってはリリーがジェームズに"傲慢だ"って悪態ついてた頃も懐かしいね」
「知ってるか? それが今でもしょっちゅう言われてるんだな」

おどけた様子のジェームズに、私達皆が笑った。

「お祝いのプレゼントは後で全部終わって落ち着いたら渡すね」
「わあ、そんなのいただけるの? 嬉しい!」
「リリーのプレゼントは私がしっかり監修して、皆と作ったから楽しみにしてて」
「プロングズの分は僕が選んだ」
「と、いうことは…やれやれ、また家が粉砕されないか気をつけないといけないってわけか」
「おい」

それから、彼女達と話したくてたまらない様子の列席者達にそろそろ順番を譲らなければならなくなったので、私達は「また後で」と言って空いているテーブルについた。

シリウスとピーターが「何か食い物取ってくる」と言ったので、私はリーマスと2人、テーブルを確保しながら待つ。

「リーマスと2人だと、監督生の時のことを思い出すね。私達、なーんにも監督なんてしたことなんてなかった」
「本当にね。僕らほど監督生らしくない監督生はそういなかったよ、きっと」
「あれから誰かと連絡取ってる? 私、この間マチルダも結婚するっていう話を聞いたんだ。ほら、覚えてる? メイリアのお姉さんで、クィディッチの実況をしてた…」
「レイブンクローの元主席だろ? 覚えてるよ。そうか、皆どんどん結婚していくんだね」

まだ恋人がいないらしいリーマスは、微笑ましそうにジェームズとリリーを見ていた。

「────正直言うと、僕、一番最初に結婚するのは君達だと思ってたよ」

そんな彼の何気ない言葉に、そういえばシリウスと一度もそんな話をしたことがなかったことを思い出す。

「自分で言うことじゃないけど…確かに、もし結婚しようって言ってくれたら、まずオーケーって間髪入れずに言うのにな」
「イリスらしいね。シリウスとそういう話はしないの?」
「うん、したことない。私から言った方が良いのかな?」
「いや……」

冗談で言ったつもりだったのだが、リーマスは思いの外神妙な顔をして視線を私に戻した。

「多分、シリウスは君と結婚することを望んでないと思う」
「え────」

思いがけない言葉に、思わず私は声を失う。

シリウスが、私と結婚することを────望んでない?

確かに、最初から将来を約束して付き合い始めたわけではない。あの時はただ互いのことが好きだったから付き合っただけで────でも、今だって互いに好きでいるからこそ、一緒にいると思ってた。

シリウスは、違うの?

今は好きだから良いけど、一生を共に過ごす価値はないって────そう、思われてるの?

「あ、違うよ。シリウスが君と一生一緒にいたいわけじゃないとか、そういうことを考えてることはない。これは僕が保証する」
「でも…じゃあ、なんで」
「うーん。…これは君達の問題っていうより、社会が────」

しかしそこでリーマスは言葉を切らざるを得なくなってしまった。早速ひとつめの大皿を素早く持ってきたシリウスとピーターが戻ってきてしまったからだ。

「どうかしたか?」

私とリーマスの重い空気に目敏く気づいたシリウスが、私達に声をかける。

「ううん。学生時代は大変だったねって話をしたら、つい色々本当に大変だったことを思い出しちゃって」
「なんだ、またそんな辛気臭いことを考えてたのか。君達は頭であれこれ考えすぎなんだよ」

咄嗟に出た言い訳がシリウスを疑わせることはなかったようだ。

────私達の問題っていうより、社会が────。

リーマスの言葉の続きが気になるものの、こんなお祝いの場でこのことをこれ以上考えても仕方ないと思い、私はただリリーの綺麗な花嫁姿を見ることで気持ちを上げることに集中した。

「ピーターは本当に久しぶりだね。年末ぶり? 忙しかったんでしょ、職場」
「あっ…う、うん…そうなんだ。ごめんよ、行けなくて…」

ピーターに最後に会ったのは、まだ10月そこらのことだったような気がする。あの頃はまだ友人達が定期的に遊びに来てくれていたので、彼もリーマスと一緒に休日のお昼に私とご飯を一緒に食べていたのだ。

あの時から、彼も随分と顔色が悪くなってしまったようだった。常に何かに怯えた様子で、きょろきょろとしきりに辺りを見回しては大きな物音が鳴る度に「ヒィッ!」と身を縮ませていた。

「なんだかビビりに拍車がかかったな、ワームテール。なんか体も一回り縮んでる気がするし。社会の荒波に揉まれて削がれたか?」
「そっ、そんなことないと思う…んだけどな…」

私達には一生懸命昔と同じように接しようとしているみたいだったが、"みたい"と思ってしまう時点で彼の違和感は浮き彫りになっていた。
私達皆が、今日だけは日々のピリついた殺気を忘れて和やかなお祝いを楽しんでいるというのに、まるで彼だけがまだ戦場の只中に立たされているようだ。

「ピーター、今日は何も怖いことなんて起きないよ。ほら、周り見て。騎士団の人だってこんなにたくさんいる。たとえ誰かが乗り込んできたって、だーれもリリー達の邪魔なんてできないから」
「イリスの言う通りだよ。今日だけは安心して…ほら、おばさんの料理、とってもおいしいよ」

私とリーマスが優しく彼を宥めると、彼はようやく「そうだよね。ごめん、僕すっかり毎日怖くなっちゃって…」と本音を漏らす。ただ私達の言葉にも一理あると思ったのか、それからは少しだけ笑顔が増えるようになった。

年末の時には彼の安否を本気で心配したものだったが、元々小さなことでも怯えるこの子に"今日だけは"なんて簡単に言ったところでやはりなかなか身に馴染まなかったんだろう。ひとまず(顔は疲れ切っているものの)大した怪我も病気もなく元気にこの場で集まれたことが、私は何より嬉しかった。

しばらくすると、バンドの演奏が始まった。優雅なワルツを少しだけ現代風にアレンジした曲。ジェームズがリリーの手を取って、会場のぽっかり空いた真ん中に躍り出た。
2人は拍手に迎えられて登場すると、手を取って踊り出す。

まるでその姿は、宮廷にいるお姫様と王子様を見ているようだった。
きっと私が聞かされてきたお伽噺に出てくるダンスシーンは、まさにこんな風だったんだろう。がっしりとした体格のジェームズが、華奢なリリーをリードする。ドレスの裾は彼女が回るたびにふわりふわりと広がって、それが太陽の光に反射してとても眩しかった。

次いで、ポッター夫妻とリリーのご両親が出てきた。
リリーのご両親を見るのはこれが初めてだった。どこかリリーに似ているお母さんと、キビキビとした表情のお父さん。性格はお父さん譲りかな、なんて思いながら、両家の両親が風格のあるダンスを披露してくれるのを感動しながら見守る。

「さ、僕らも行こう」

シリウスに手を引かれて、私もダンスフロアに出る。周りには、夫婦や恋人、あるいはこの場をきっかけに仲良くなったらしい何組かの男女もいた。

シリウスに手を取ってもらいながら、私は彼の腰に手を回す。リードされながら、爪先でステップを踏む。1、2、3、1、2、3……。

「こんな風に踊ったことなんてなかったな、そういえば」
「そうだね。シリウス、どこでこういうの練習したの?」
「こういうのはホグワーツの入学前に全て叩きこまれてきてたんだよ。親愛なるお母様の教育の賜物さ。君は?」

彼の手を支点にくるりと一回転し、再び足並みを揃えてゆっくりと体を揺らす。

「私も同じ。9歳の時に、お母様が家庭教師を呼んでダンスの練習をさせられたの。でもそれ以来1回もやったことがないから、合ってるかは自信ない」
「はは、僕もさ。ちょっと違うくらいでちょうど良いんだよ、きっと。だって僕達、初めてとは思えないくらい息ぴったりだ」
「そりゃ、シリウスとはいつも一緒にいるからね」

そう、ダンスそのものには自信がなかったのに、シリウスと手を取り合うだけで彼が何をしたいのかわかってしまうのだ。ステップ、ステップ、ターン。抱きしめ合うよりは少し距離が離れているはずなのに、音楽と一体化して地面を軽やかに蹴る私を見つめるシリウスの熱い視線を感じてしまい、なんだかとても気恥ずかしくなる。

今までは、星空の下で見るシリウスの表情が、いつもどんな景色よりロマンチックに見えていた。
でも、もしかしたら今日、その記録を更新しても良いかもしれない────なんて、子供じみたことを思う。

柔らかな夏の日差しの中、キラキラと照り返される黒い髪と、光を集めて輝く灰色の瞳。言葉にされなくても、繋いだ手から伝わってくる愛。
足を踏み出す度、ぎゅっと腰を持ち上げられる度、彼の聞こえないはずの声が聞こえてくるようだった。

君が好きだ、愛している────と。

まるでそんな声なき言葉まで音楽に乗せられているように、私の心を心地良く揺らす。
ねえ、そんなに私のことを愛してくれているなら、どうして結婚したくないなんてそんなことを思うの?
リーマスが言っていたあれは、どこまで本当なの?

私は別に、結婚しようがしまいが、お互いを好きであり続けられる限り傍にいられたら良いなって思ってるよ。だからわざわざ結婚の話を考えるなんて、そんなこと、それまで一度もしたことがなかったのに────。
結婚を望んでないって、どういう意味?

シリウスの愛が眩しく映る度、交わした体温が心を温める度、私の頭には切ない疑問がいくつも浮かび上がる。

シリウス、私はあなたのことが好きだよ。
ねえ、あなたは私のことを、どう思ってるの────?

ワルツが終わり、演奏家達がロック調のノリの良い曲を奏で始めたところで、私達はテーブルに戻った。

「なんだか君達、すごく目立ってたよ。もちろん主役達には敵わないけど、なんだか独特のテンポなのに王家の人みたいに優雅なものだからすっかり周りの視線をかっさらってたな。あれ、どこで練習してたんだい?」

リーマスに言われた私達は、案の定自分達の記憶の彼方にすっ飛んでいたダンスは教科書通りのものではなかったんだと思い知り、目を見合わせて笑ってしまった。

「そりゃもう、8年間ずっとさ」

チグハグなダンスを私達2人だけでもぴったり寄り添って完走できたというのなら、シリウスの言う通り、それはもうこの8年で培ってきた私達の"関係"が為せたものと言うしかない。
シリウスの答えの意味を汲みかねて首を傾げているリーマスを横目に、私とシリウスはユーフェミアさんのご馳走をお腹がいっぱいになるまで食べた。

────披露宴が終わった後は、参列した全員が名残惜しそうにもう一度リリーとジェームズに挨拶をして、それぞれの家に戻って行った。最後にリリーの両親がジェームズと熱い握手を交わして去って行った後、残ったのは私達6人とポッター夫妻だけ。

夫妻が片づけのためにお皿やテーブル、椅子などを動かし始めたので、私達もそれを手伝おうとした。するとユーフェミアさんが、私とシリウスに声をかける。

「イリス、シリウス。あなた達はリリーとジェームズの様子を見て来てもらえる? あの子達、多分とても疲れてるから、着替えとかを手伝ってやってほしいの」
「わかりました」

そう言われて、私とシリウスはそれぞれリリーとジェームズの部屋に行く。
ノックをした時の返事は「どうぞ!」と元気そうだったので、安心して私はドアを開けた。

リリーはすっかり頬を紅潮させて、キラキラと潤んだ眼差しで私を見ていた。

「私、こんなに誰かからいっぱいお祝いしてもらったのって初めて! なんだか夢を見てるみたいだったわ…たくさんの宝物で飾られた、今までで一番綺麗な自分にしてもらって…周りには、笑顔を浮かべてる人しかいなくって!」
「良かったね。"リリーとジェームズ"っていう"幸せ"が、きっとみんなに届いたんだよ」

リリーのドレスのファスナーを下ろしながら、私はしみじみと呟く。

「ねえ、イリス?」

重たかったであろうドレスを脱いで、その前に着ていた普段着に着替えるリリー。どれだけボロボロの服を着ても(リリーに限ってそんなことはないだろうが)、きっと今日のリリーは誰より美人に見えることだろう。首から上のおめかしが残っていることもそうだし────何より、浮かべている表情が世界で一番幸せそうなものだからだ。

「なに?」
「結婚しても、住む場所が離れても、子供ができたりしても────ずっと私の友達でいてね」

一瞬、手を止めてしまった。ドレスを一緒に運びながら急いでリリーの顔を見上げると、彼女は世界一幸せそうな顔をしていながら────なぜか、その目に涙を浮かべていたのだ。

「ど、どうしたの? もちろん私はそのつもりだよ。リリーがどれだけおばあちゃんになっても、なんなら死んだ後だって私は友達だって思ってるよ、ずっと」

何を今更、そんなことを言うんだろう。
しかしリリーは、涙を一筋頬に流しながら「うん、ありがとう」と言った。

────寂しいと思っていたのは、私だけじゃなかったのかもしれない。
彼女もまた、この節目に自分の立ち位置が少しだけ変わり────そしてその些細な変化によって、私から遠く離れた場所へ行ってしまうような、そんな錯覚に陥ったのかもしれない。

なんとかドレスをカーテンにかけたところで、私はリリーのことをそっと抱きしめた。

「なんにも変わらないよ、私達、8年前からずっと一緒。これからも6人でたくさん遊んで、2人の秘密をたくさん作って、それで────本当に平和になった世界で、また学生の時みたいに楽しく遊ぼう」
「うん、約束よ」
「約束する。私は今までもこれからも、リリーの一番の友達だよ」

リリーは「ありがとう」と言って私の背中に手を回した。
それからしばらく互いの友情を確かめ合って、私は「下へ行こうか」とリリーを促した。

ご飯は既にたくさんいただいていたので、私達はそのままの足でそれぞれの家へと帰ることになる。最後に6人とポッター夫妻で集まった時、私達はリリーとジェームズにそれぞれのプレゼントを渡した。
ジェームズには、魔法で写真が何枚でも収められるフォトフレームを。杖を向ける度、写真立てに移る写真が変わっていく仕様になっている。
リリーには、玄関に飾れる花のリースを。決して枯れないよう魔法をかけておいたそれは、7年生の時に開通させた秘密の花園にかけたアーチと同じ花で編んだものだ。
2人はそれを、とても喜んでくれた。

「また年末には皆ぜひ来てね」
「今度はピーターも、休みを無理やり取り付けてくるんだぞ」

そうして一通り別れを済ませると、寂しそうなユーフェミアさんと、冗談を言うフリーモントさんに見送られ、暖炉の前へ。

「新居が片付いたら招待するよ。6人だけの二次会をやろう」

そう言うのはジェームズ。もうリリーの肩を抱いて私達と対峙するのも、すっかり様になっている。

「9月から10月の間とかだと嬉しいな。その時期なら比較的落ち着いてるから」
「僕は基本的に休めると思うから、いつでも呼んで」
「右に同じ」
「ぼ、僕は繁忙期じゃなければ…」
「宿なんていつも繁忙期だろ。だから休みをもぎ取れって言ってるんだよ」
「そ、そんなぁ…」

いつまでも同じような会話をしている彼らを見て私達は笑いながら、ひとりずつエメラルドグリーンの炎に呑まれて消えて行った。

「僕も一旦自分の家に帰るよ。また週末辺りで君のところには顔を出すから」

そう言って、シリウスは暖炉の中に入って行った。

「うん…」

私は生まれて初めて、その方が良いと思った。
今日というおめでたい日に、あまり彼の顔を見て自分達の今後のことなんて考えたくなかった。

少しだけ────自分の時間が、欲しかった。



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