年が明けてから、3ヶ月程が経つ。
世間はいよいよ"ヴォルデモート"という名を恐れ出した。魔法使いの家には日中から分厚いカーテンが掛けられ、街にも前ほどの活気が見られなくなってしまった。マグルの人々でさえ毎日のように出る死者や行方不明者、そして「突然見えない紐で逆さ吊りにされた」と言ったような(マグルにとっては)要領を得ない発言に怯える日々を過ごしているようだ。

この間、私は毎日更新されていく騎士団の情報にかじりついて、仲間の安全を確認しては安心していた。そして同時に敵の動向を確認しては自分の担当任務領域と重なっていないかどうか、あるいは何か手助けできるようなことがないかと頭を回してもいた。

これに関しては、年末にジェームズが言っていた「役所の人間がいると違う」という言葉がそのまま私に当てはまっていると思う。リーマスに狼人間登録簿の情報を流した時のように、他の危険視されている魔法生物の生息地や管理状況などの情報は、魔法使いのみならず他の生き物まで使役しようとしているヴォルデモートを阻止すべく動いているメンバーに大きく貢献してくれた。
そして意外なことに、煙突飛行粉ネットワークの情報も役に立っている。死喰い人はそんな真っ当な手段で移動したりなんてしないだろう、と偏見を持っていたのだが、決してそんなことはなかった。非道なニュースを見ていると忘れがちなのだが、死喰い人も人間であり、それぞれの生活があるのだ。
例えば、エドガーが追っている死喰い人が連れていたと言っていた連中の名が、試しに暖炉使用履歴を調べてみた時に"リンキン法律事務所"から挙がってきたことがあった。それを伝えた直後に彼は周辺のホテルを改め、芋づる式にその死喰い人まで辿り着いたのだそうだ。「例のあの人までは辿り着けなかったけど、スタージスと協力してなんとか死喰い人2人とその取り巻き3人は倒せたよ」と私に手紙でお礼を伝えてくれたエドガー達の、その激しい戦いぶりを想像して身震いがした。2人で5人も取り締まってしまうなんて、どれだけの猛者なのだろう。

昼には善良な魔法使いとして普通に働き、夜は死喰い人として人々の安全を脅かす。
それは完全に、怯える一般市民に紛れながらそんな死喰い人を狩る私達騎士団の存在と対をなしていた。

────やはり、考えることは敵も同じなのだろう。

そうである以上、情報の宝庫である魔法省ももはや安全とは言えまい。私は先月から魔法ゲーム・スポーツ部の人間と神秘部の人間の素行調査を続けており、決定的な証拠は掴めなかったものの、内心では彼らがほぼ死喰い人であることは間違いない、と結論づけていた。

もちろん、この3ヶ月間で動いていたのは死喰い人だけではない。

ロングボトム夫妻とリリーとジェームズの4人がかりでヴォルデモート本人と戦ったというニュースは、2月の半ば、ことが起きた翌日にリリーから知らされた。

この時は爪が光らなかったので気づけなかった。ジェームズのふくろうが持って来てくれたリリーの手紙には『私達は全員無事よ』とあったが、手紙を途中で強奪されることを恐れてか、詳細までは語られていない。去年、初めてヴォルデモートと対峙した時から、私達はその敵意をよりいっそう明確に確認し合ってきたが、どうやらリリーの書きぶりから察するに再び撤退を余儀なくされたようだ。あまり自分を責めていないと良いのだが。
予言者新聞にヴォルデモート自身が手を下した事件の報道は載せられていなかったが(あったところで載るかもわからないが)、ヴォルデモートはどちらかというと、何も知らないマグルをいたぶって遊ぶことに楽しみを見出すというよりは、私達反対勢力の粛清や新たな賛同者の受け入れに動いた方がまだ建設的だと考えているようだ。

ヴォルデモートの二つ名を聞かない日こそなかったものの、確実にその影を捉えているのは、今のところ騎士団しかいない。
しかし敵は確実に、私達を、そして世間を覆い隠そうとその広い両腕を伸ばしていた。

そんな3月の終わりの金曜日、ホグワーツにいた頃はイースター休暇を楽しんでいた時期のことだ。

仕事から帰って、私もいよいよ休日の時間を目一杯使ってレギュラス捜索に乗り出そうとその順路を確認していた夜遅い時分に、家のドアをノックする音が聞こえた。

コン、コン、コン。

狭い部屋の壁に、固い拳の音が反響する。

────反射的に、杖を掴んだ。

誰だろう。こんな時間に、こんな小さなアパートを用もなく訪ねてくる人間などまずいない。
リリー達だろうか? いや、でも友人達とは定期的に連絡を取って、なかなか会えないことを寂しがりながらもその無事を直接確認し合っている。そう、私達は次に会えるのは結婚式になるだろうとお互いに言っていたのだ。

可能性があるなら、騎士団の他の誰かか、死喰い人か、あるいは────そうだな、忙しい合間を縫って、シリウスが通りがかったついでに無理を言って立ち寄るくらいなら…ありえるかもしれない。

どれであれ用心は必要だ。
私は暫く沈黙を保ったが、再び扉がノックされる音が聞こえたところで「誰ですか?」と冷ややかに尋ねた。

「僕だ」

────シリウスの声だ。

ほっと一瞬安心した直後、「偽物かもしれない」という不安が私の心を再び現実に引き戻す。

本当なら、彼のことを疑いたくはない…と言ったら、彼にはまた鼻で笑われるんだろう。
私達は仲間を疑わない。しかしそれは決して"仲間の姿かたちをしていれば不用心に家に招き入れる"という意味ではない。私達だって、"それが本当に信ずるべき仲間かどうか"というところにおいては、互いをこれ以上ないほどに疑い合っていた。そうしなければならないと、きっと世間の誰よりも実感していた。

ホグワーツにいた頃だったら、こうまでして隣人を疑うようなことはしなかったはずだ。自分が当たり前のようにシリウスの声の真偽を確かめようとしていることに悲しい時の流れを感じながら、それでも私は毅然とした態度を保ち続ける。

「本物だっていう証拠はある?」
「僕は仲間からパッドフットと呼ばれている。そういう君の渾名はフォクシーだ。そして6年生になったばかりの頃、僕は君に告白をして付き合うことになった。さあどうだい、これで良いか? 今日はちょっと通りがかったから寄っただけなんだ」
「────…」

────私は、一旦杖を降ろした。

そして黙って玄関まで行き、部屋の明かりを消してから玄関を開けた。

「ああ、ありがと」

街灯や他の建物から漏れる明かりに透けて、シリウスの────他人にはとても真似しきれない、あの皮肉と慈愛がうまく溶け合った笑顔が私の前に現れる。

「早めに入って。私とあなたが一緒にいるところを死喰い人に見られたらまずいから」
「わかったよ。まったく、大手を振って歩けないこんな世の中じゃ、彼女に会いに行くのもやっとだな」

疲れたような口調も、そしてこれだけ悲壮感に溢れる毎日をも軽んじてみせるような言葉も、シリウスと同じ。

────そう、同じ、なのだ。

彼が中に入り、玄関のドアを閉めたことで、部屋は再び暗闇に包まれた。
カーテンも下ろしているので、窓からの明かりは入ってこない。

「なあ、どうしたんだ? なんで部屋の電気なんか消して────」

シリウスがそう言った瞬間、私は彼より先に杖を上げ、その喉元に突き付けた。

「────どういうつもり、レギュラス
「────…」

シリウスは、暫く沈黙した後────。

「っははは!」

────大笑いした。まるでジェームズが授業中の居眠りを怒られた話をしている時のように、心から楽しそうに笑った。

「レギュラス? なんでそこで弟の名が出る。見損なったぞ、イリス。いくら顔の造りが似てるからって、あんな出来損ないと間違われるなんて────」
「私がシリウスと付き合い始めたのは、5年生の6月、OWLが終わったその日のことだよ。ホグワーツでその話が流れるまでに夏休みを挟んだから、勘違いしたんだろうけど。それにそもそもあなたが"本物のシリウス"なら、合鍵を持ってるからわざわざ私の許可を取って部屋に入ろうとなんてしない

そう、目の前にいるのはシリウスの"姿"だ。
しかし、その情報には過ちがあり────そうである以上、私は彼を決して本人とは呼べなかった。

なるほど、仲間内だけのニックネームや、私達のなれそめを知っている者ならばそれなりに限られてくるだろう。言わずもがな私達本人、あるいは────ホグワーツに在籍していた、私達と年の近い者だ。

そして、ここにいるのがシリウスでない以上、彼と合鍵を使って入れる友人達を除くと、そんな中でわざわざシリウスの姿を模してここを訪ねてくる相手は、ホグワーツ出身の同世代の死喰い人────つまり、スネイプかレギュラスに絞られる。

もちろんこれが複数人がかりで行われている計画だとして、その2人からさっきの情報を聞き出したということもありえるだろう。
しかし、私の本能が告げていた。

気持ち悪い────…。
この人は、"シリウスのクローン"のようだ、と。

そう、敵はシリウスの真似をしているだけなのに、あまりにも本人に似すぎていた。
表情、声音、仕草、私との距離の取り方。どれを取ってもシリウス本人のものと全く同じと言っても良かった。
そんな芸当、余程シリウスのことを知っていなければとてもできまい。
その時点で、私の選択肢から名前を知らない死喰い人の存在が一気に消えた。

ここにいるのは、シリウスの真似をここまで完璧にできるほどの観察眼と頭脳を持っている、シリウスと"敵として近かった"人間だ。
つまり、スネイプかレギュラスか────私の中に、2つの名が残る。

そこでもう一つの違和感を取り上げよう。
シリウスの"シリウスらしさ"は確かに完璧だった。私でさえ本物かと思ってしまうほど、佇まいからして彼らしさを丸ごとコピーできている。
それなのにその感覚を"気持ち悪い"と評したのは、雰囲気まで本物と同じだというのに、発言が妙にチグハグだったからだ。

シリウスは、今の世の中を「大手を振って歩けない」なんて言わない。
彼はどんな世の中になろうが、どれだけ背後からつけ狙われようが、絶対に人目を忍んで隅を歩くような真似はしない。それが任務遂行において最も効率的だと考えたのでない限り、彼はどれだけ呪いが飛び交っていようが────いやむしろそんな場所があれば、喜んで自ら飛び込みに行くだろう。

それにシリウスは、レギュラスを決して「出来損ない」なんて言わない。
それはレギュラスが本当に出来損ないだと思っていないからなのか────はたまた、行き過ぎた嫌悪感からなのかは知らないが、彼は弟の話をする時、必ず慇懃無礼な態度で「よく出来た、ブラック家の子供らしい優秀な子」と言うのだ。もちろん簡単な言葉で「愚弟」と(その時でさえ本来なら謙遜に使われる言葉を交えて)言うこともある。しかし基本的に言葉のひとつひとつに皮肉が効きすぎていつも胡散臭い最大の賛辞になってしまう彼の口から、レギュラスを指して「出来損ない」なんてあまりにストレート過ぎる言葉が出てきたことなど一度もなかった。

シリウスだったら絶対に出ない発言がある。私の聴覚は必死に脳に「こいつは敵だ」と訴えかけていた。
なのに、姿だけでは表せないシリウスの全てが今目の前にいる。私の視覚も自信を持って「この人はシリウスだよ」と脳に告げていた。

そこで私は、敵の正体を1人に絞った。

ここにいるのは、レギュラスだと。

スネイプだったら────シリウスのあの態度をよく知っているスネイプだったら、もう少し世間評やレギュラスへの言葉を選べただろう。
そしてやはりスネイプだったら────彼の、あの扉を開けた瞬間の複雑な表情は決してコピーできないはず。

あの顔は、誰にも真似できない。
これ以上ないほどに厭世的なのに、私という"身内"に対する深い愛情が手に取るようにわかる表情。皮肉気で、不遜で、それなのにどこか幼く見える表情。
それは、シリウスに聞いたら嫌がられるだろうが────"ブラック家"の2人に共通している、他の誰にも模倣できない彼らだけの独特な表情だった。

学生時代は単に顔つきが似ているから浮かべる表情や雰囲気も似通うものだとばかり思っていたが、こうして目の前に"本人ではない本人"を突き出されるとよくわかる。
ブラック家で育った11年は、シリウスにしっかりとその名を刻みつけていた。これはシリウスの形をした人間が誰でもできるような顔じゃない。これは、間違いなく"彼と同じ環境で育ってきた弟"だけが、唯一自然に繕える顔だ。

「────どうして"僕"だとわかったんだ。"僕"が兄さんでないことを突き止めたところで、それが"僕"であることの証拠にはならないだろう」

シリウス────いやレギュラスは、早々に演技をやめたようだった。ポリジュース薬の効き目はまだ切れていないが、彼の口調にはハッキリとした敵意が現れ、私をまるで汚いものを見るような目で傲岸に見降ろしてくる。

「表情がよく似てたからね。ずっと見てたし、わかるよ」

対して私は、"シリウスの声"でいくら敵意を向けられても、"シリウスの顔"でいくら見下されても、全く傷ついていなかった。それどころか、ここまで半年近く探し求めていながら影の一つも踏めずにいた"標的"が、こんなタイミングでのこのこと私の前に丸腰で現れたことに、暗い高揚感さえ覚えていた。

ぐっと、杖を握る手に力がこもる。私の言葉は学生時代の時のようにリラックスした口調で喉から滑り出てきたが、私の感情はレギュラスに対する敵対心でみなぎっていた。

「イリス、リリーが相手の時にすぐ手加減するのをやめなきゃ。どうするんだい、死喰い人がリリーの姿になってイリスの前に現れたら」
「でも、ここにいるのは本物だよ!」
「それじゃ練習にならないじゃない」


リーマス、リリー。私、大丈夫だったみたい。

「…私、まだ日和見なのかなあ…」
「どうだかな。実際死喰い人が僕の姿で君に愛を嘯いたが最後、"シリウスはそんな下品なこと言わない!"とか烈火のごとく怒って一瞬で相手を灰にしちまいそうだけど」


シリウスの言っていたことは流石に極端すぎたけど、言いたいことならよくわかった。
誰が誰の姿になって私の前に姿を現そうが、その顔が私の好きな人であればあるほど、その違和感は私の頭に警鐘を鳴らしてくる。

私の大切な人をその汚い本性で汚すな、と。

「表情…か。皮肉なものだな。兄さんは家を捨て、僕らと早々に敵対していたというのに」

レギュラスは両腕を挙げ、私に杖を突き付けられたまま白旗を上げた。
それを見ても私は杖を持った腕を下ろしたりしなかったが、あまりに早い投降にここでまた少しばかりの違和感を抱いた。

「それで? わざわざシリウスなんて"一番見抜かれやすい人"の姿になりきって、こんな時間に何の用?」
「今日は別に戦いに来たわけじゃない。お前が僕を尾行していたのは知ってるが────いや、知っているからこそ、今日は…"話"をしに来たんだ」
「…話?」

今更、私とこの子で何の話をすることがあるというのか。
話なら、学生時代に嫌というほどしたはずじゃないか。その上で、卒業間際にはわざわざ宣戦布告までされたはずじゃないか。

「杖は下ろさなくて良い。必要なら、僕の杖も差し出そうか?」
「そんな見え透いたしおらしさは演じなくて結構。それより話って何? この期に及んでまだ話し足りないことなんて、あった?」

レギュラスはふっと笑った。その顔は────ああ、やっぱりシリウスの顔で浮かべられると尚更、"彼"らしい笑顔だ、と思った。

「────僕がホグワーツを退学したことはどうせ知っているんだろう?」
「知ってるよ。だからあなたを尾行してたんだって…気づいてたんでしょ?」
「ああ。僕は夏休みを終える前にホグワーツを退学し、学校より安全な実家に拠点を移していた。…僕の家のことは知ってるか?」
「お父様が知りうる限りの安全対策を施して、探知不可能な場所に設置した…とは聞いてる」
「仰る通り。僕はお前が僕の家の前を何度も通り過ぎるのを、窓から見ていた」

わかっていたとはいえ、私が悠然と彼の鼻先を、振り返ることもせずに歩き去っていたのかと思うと少しばかり悔しい。
この世界はとにかく"見ようと思わなければ見えない"ものが多すぎる。魔法界に来て少しは目も良くなったと思っていたのだが────どうやらまだ、それは私の驕りだったようだ。

「僕は家の中でせせら笑って、いつお前に復讐をしようかとその機会をずっと窺っていた。わかるか? リヴィア、僕はお前にいつだって死角から攻撃することができたのに、そうはせず、こうして両手を挙げるなんて無様な真似を晒して、わざわざお前の拠点まで出向いたんだ」

────何が言いたいのか、わからない。
そうだ。レギュラスが私に何か用があるというのなら、そして私が彼を尾行していることに気づいていたのなら、彼の方からこんな風に私を警戒させる真似などせずに、さっさと不意打ちをしていれば良かったのだ。

それを、なぜ────?

「僕はこれまで、"闇の帝王の考えこそがこの世に必要なもので、これからの未来を創るべき正しいものだ"と言ってきた」
「そんなこと、あなたが3年生だった時から知ってるよ」
「そうだ。僕は僕の思想を信じ、その思想に反するお前を明確に敵と断じてきた────これまでは

これまで、は…?

戸惑いを隠せなかった私を見て、レギュラスが諦めたような笑みを見せた。
その時唐突に、"シリウス"の背が少しずつ縮み、程良く伸びていた黒髪も短くなっていき、顔が僅かに変化していった。まるでスロー再生中に生じた間違いを探すかのような微妙な感覚に目を凝らしていると、20秒も数える頃に"シリウス"の姿は"レギュラス"の姿へと戻っていた。

彼と最後に会ったのは、9ヶ月程前のNEWT終わりが最後だ。その頃からまだ1年と経っていないのに、レギュラスの顔はすっかり疲れてやつれてしまったように見える。私達卒業生組も日々互いが憔悴していく様を指摘し合っていたが、彼の疲れようは私達を遥かに超えていた。疲れているというより…これではまるで病人のようだ。骨格や顔のパーツがシリウスとそう変わらない中、それまでとまるきり違っていたのは、頬の異常なまでのこけ方と目の下にできた濃い隈。学生の頃はもう少し健康的だったのに…と、彼の死喰い人としての人生の過酷さを想ってしまう。

「────僕は、闇の帝王に失望した」

そして、彼は────驚きの言葉を口にした。

「えっ…?」

闇の帝王に失望した。

それは、これまで見てきた"レギュラス"が最も言わないであろう一言であり────そしてその瞬間、私は今日彼がここを回りくどいやり方で訪ねて来たことへの"違和感"とは、このことを指していたのではないのだろうかと────唐突に悟る。

「ど…どうしたの? まだ誰か変装してる? 悪い冗談なら────」
「まあ、在学中にあれだけ突っかかれば誰だって冗談だって思うだろうな」

レギュラスはシリウスによく似た高慢な表情でフンと鼻を鳴らした。
間違いない、この仕草はシリウスが自分の言葉を失言だったと(嫌々ながら)認める時と同じだ。わかっているのに────私はまだ、彼の言っていることを信じられなかった。

「だって、あなたは5年生の時点でホグワーツにおける闇の魔法使いを完全に統率していたんでしょう?」
「もう隠し立てする必要もないな。その通りだよ」
「それに、ヴォルデモートとも直接連絡を取り合って────」
「ああ。お前達が想像しているよりずっと早くから、僕はあの学校の闇に魅入られた者達を掌握していた
「っ…それって────あなたが3年生だった頃から動いてた、って意味で合ってる?」

私達が想像しているよりずっと前から、という言葉に、私はとある別の人の発言を思い出していた。

「気づいたっていうか…この間思ったんだよね。あの人達にとってこの作戦が成功すれば死喰い人に入れてもらえる大チャンスなわけでしょ? 私からすればスネイプなんかよりレギュラスの方がずっとヴォルデモートのことを愛してると思ってたのに、どうしてレギュラスはあのメンバーに加わってなかったんだろうって」
「なるほどね」
「プロングズは?」
「きっかけは────2年前、パッドフットがオーブリーにセクタムセンプラをかけられた時」


それは、私達が6年生だった頃────学期末、ホグワーツで小さな戦争を起こした後に、ジェームズから聞いたこと。
その年の一連の事件にレギュラスが関わっているのではないかと話した時、彼はその兆候には"2年前"から気づいていたと言った。

もちろん、彼はそう言った上で「根拠はナシ」と自分の意見を切り捨てていたが────レギュラスの言う「お前達が想像しているよりずっと早く」が、「私達が疑いを明確に持った"6年生"の時より早く」という意味だったのなら、彼の根拠のない推測も正当化されてくるのではないだろうか。

そう思い、自信の持てないままに訊いてみると────レギュラスは僅かに目を見開き、「気づいていたのか」と言った。

ああ、やっぱりジェームズの言う通りだったのか。
そんなに早くから────彼は、既に自分のいるべき場所を定めていたのか。

「僕はどうやら、お前達のことを侮っていたようだ」

しかしそうすると、どうしても今の殊勝な態度にも、そして「闇の帝王に失望した」という言葉にも納得がいかなくなる。
もう遡れば4年も前のことになる。そこまで昔の段階で、まだ14歳という若さで自分の道を決めていた彼が、どうして今更────寝返るようなことを言い出したのだろう。

「詳しくは話せないし、話す気もない。ただ僕は、闇の帝王を美化しすぎていた。いや────というより、僕もまた闇の帝王の甘言に惑わされた"愚かな人間"の1人だったんだろうな」
「ちょ、ちょっと待って」

結論だけ言われたところで、そう簡単に信じられるわけがない。

「正直、理解に苦しむ。あなたはいつだって一貫して、"歴史に裏付けられた強い力を持った魔法使いこそが魔法界を支配すべきだ"って、そして"その魔法使いこそがヴォルデモート卿だ"って…そう言ってなかった?」
「ああ。だが僕はこうも言わなかったか? "僕だって、何も魔法が使えない者全てに生きる権利がないと言いたいわけじゃない"と」
「そういえば…」

彼とそんな話をした時、私達はなぜか厨房にいた。普通生徒が立ち入らないところでの偶然の出会い。逃したくないと思った私はあからさまに嫌がっている彼を無理やり引き留めて、その思想の中身を引きずりだしたのだ。

「僕が嫌うのは、立場を弁えずに厚い面の皮を被って歩く穢れた血、血を裏切る者、そしてそれらを支持する愚かな魔法使いだけだ。そしてそういった傲慢な者達を正しく導いてくださる方は、闇の帝王の外にいない」

マグルや彼らと手を取り合おうとする魔法使い全てを蔑視しておきながら、"己の仕えるべき主をわかっている"しもべ妖精とは対等に接していたレギュラス。彼はただ、"歴史"を軽視する者や、本来なら支配によるべき"統治"を人望や優しさといった"脆い感情"で行おうとする者達の規律を正したいだけだった。それはとても私には共感できない思想だったが────彼はまた、彼なりに正しい"社会の在り方"を描いていたのだ。

ただ刹那的に人を殺め、人々を恐怖に陥れるのではなく。快楽を求めて罪のない人を弄ぶのではなく。
彼は、確かに"その先"にある未来まで明確に見ていた。"闇の帝王"によって支配された世界を、今まで出会ってきた死喰い人やヴォルデモートの賛同者の中では誰よりも具体的にビジョン化していた。

「それがどうだ、現実を見れば────」

確かに、そんな彼の理想から考えると、今の世界は些か混沌としすぎている気がする。
でも、それはまだヴォルデモートの"支配体制"が整っていないからではないのだろうか。彼が完全に魔法界を掌握し、マグルの世界も支配した時、世界は悪の秩序によって新たな目覚めの日を迎えるのではないだろうか。

もちろんそれを防ぐために私達は戦っているのだが────どうにも、レギュラスが詳しく語ってくれないことには「見限るには時期尚早なのではないか」と敵ながらに思わざるを得ない。

「理想を語れば語るほど、現実と乖離していた時の失望感は大きいんだ。リヴィア、お前ならわかるんじゃないか? "理想論だけで生きていけるほど、現実は優しくない"ということが」
「……」

4年生の時、レギュラスの話を聞いて「その思想を否定しない」と言った私に嫌悪感を隠そうともしなかった彼。彼はずっと、私の思想は「綺麗事」だと言ってきた。そして私自身────多くのことを経験した中で、それこそ自分の理想を"語る"だけで生きていけるほど世界が優しくないことを、身を以て知った。

言葉を交わすだけでは理解できないことがある。
許されるべき"思想"が、許されない"行動"へ転じることがある。

だから私は、私の中で"許せないライン"を引き…たまに引き直して…そうして、"自分の秩序"を保ちながら生きてきた。
その結果がこれだ。誰とでも共存できるはずだと言っていたあの頃の私は、もういない。全てを疑い、敵とわかれば二の句を継がせる前に杖を抜く。

その変化を、きっとレギュラスは敵の立場からよく理解していたのだろう。話し合いの場を持とうとしていた4年生の時の私が、7年生になる頃には彼を騙して大切な学校の宝を盗み取る真似をしでかすまでに成長したことを、思った以上に彼は神妙に受け止めていた。

「…心当たりなら、あるね」
「だと思った。お前のことを散々理想論主義者だと罵って来たが、僕も結局は同じだったんだよ。僕の抱いた理想に、闇の帝王は相応しくなかった。僕が仕えるべき主は、闇の帝王ではないことに、あの学校を出てからようやく気づいたんだ」
「────じゃあ、もしかしてここに来たのって」

ヴォルデモートを裏切る、とでも言うためだったのだろうか。
彼を裏切るから、騎士団に入れてくれと────。

そう思った瞬間、私は緩みかけていた自分の警戒レベルが瞬時に上がったことを感じた。
そんな、まるで安いスパイのやるようなことを許すとでも思っているのだろうか。

理由は詳しく話せないがヴォルデモートに失望した?
要領を得ないそんな事情をどう汲めと?

しかし私の杖を握る手に力が入ったのを見てか、「言っておくが、ここに来たのはお前達に取り入るためじゃない」とレギュラスが先に牽制した。

「そんな安いスパイみたいなことを僕がするわけないだろう。だいたい、闇の帝王のやり方に賛同できないからと言って、僕はお前達を許容したわけじゃない。目的が一致しているだけで、手段も、目的の先に得られる成果も、お前達の綺麗事とは根本的に違うんだ」

決して私に媚びる様子を見せないレギュラスに、私の不信感は募る。

「じゃあ、何をしに来たの? よくわからないおしゃべりはやめて、そろそろちゃんと話して」

レギュラスは値踏みするように私を見て、ひとつ息を吸うと、こう言った。

「────僕は、闇の帝王の一部を滅ぼしに行く
「闇の帝王、の────」

一部?

ヴォルデモートを殺しに行くんじゃなくて? 一部?

「…一部って何?」

もったいぶって言ってもらったのは良かったが、私は彼の言葉のそれこそ一部がどうにも引っかかってしまい、うまくそれを消化できずにいた。

「言葉の通りだよ。あの方はおそらく────僕の推測でしかないが────もはや一度殺したところで完全には潰えないはずだ」
「何それ────そんなの、人間の域を超えてるじゃない」
「そうだ、リヴィア。お前達が対峙している相手は、もはや人間じゃないと思った方が良い」

レギュラスは私の言葉を当然のように真に受けて頷いた。

「今日ここに来たのは、僕を追う任務を受けていた"優等生"に最後のお別れくらいは言っておいてやろうという親切心と、それから"警告"をするためだ」
「警告…」
「そうだ。あの方は恐ろしく強大だ。まずもって今、現時点で想像しているより遥かに打ち倒すのが困難だと考えを改めろ」
「さっき言ってた──── 一度殺したところで死なない、っていう理由で?」
「それはまだ推測でしかないと言っただろう。一度殺して死ぬ相手だったとしても、闇の帝王はその前にお前達に決して癒えない傷を遺すはずだ。あの方は、自身が人として持つべき心を失っている代わりに、どうすれば人の心が折れていくかということをなぜか熟知している。これは"予想"じゃなくて"予告"だ、リヴィア。闇の帝王は必ず、お前達の語る愛も友情も希望も全て、簡単に笑って踏み潰す」

これからヴォルデモートを滅ぼす人間の言うこととはとても思えなかった。まるで自分がどんな行動を取ろうとも────普通に考えれば人は一度死ねばこの世からいなくなるはずなのだが────ヴォルデモートの"全て"を殺すことはできない、と確信しているかのようだ。

「でも、あなたがこれからヴォルデモートを滅ぼしに行くっていうのは、それじゃあ────…」
「もし僕が戻ってきたら、闇の帝王にかすり傷ひとつつけられなかったと嘲笑ってくれ。そしてもし僕が戻らなければ────闇の帝王の"死"に、一歩近づいたと喜んでくれ

そんなの、どちらも喜べないではないか。

「生死に関わらず、僕ごときの一撃であの方を完全に殺すことはできない。リヴィア、お前達が思っている以上にこれは長期戦になる。そして、僕は今では、その長く不毛な戦いが一刻も早く終わり、そして新たなる支配者が生まれることを望んでいる」
「────レギュラス…」

相変わらず、彼の言っていることのほとんどが理解できなかった。
どうしてあそこまでヴォルデモートに心酔していたレギュラスがここで掌を返そうとしたのかも、そして彼の言う「闇の帝王の一部」の意味も、全くわからない。

ただ、彼が死にに行こうとしていることだけはその言葉から明確に読み取れてしまい────私はなぜだか、それが心苦しかった。
なぜだろう。敵ならば容赦はしないと決めていたはずなのに。レギュラスを追う任務を受けた時、次に相対した時は互いの命を賭して戦うと覚悟していたはずなのに。

その彼と、利害が合致してしまったからだろうか?
彼が未だ防戦一方の私達を飛び越えて────彼の推測によればそれでもヴォルデモートは死なないらしいが、それでも確かな"加害行為"を初めて行おうとしているからだろうか?

「ひとつ頼みがある」

理解しがたい事情と、理解しがたい感情に挟まれて、すっかり言葉を失ってしまった私にレギュラスがなおも続けた。私はいつの間にか俯いてしまっていた視線を上げ、彼のげっそりと痩せた顔にピントを合わせる。

「ダンブルドアには、今日僕と会った話をしないでほしい。もし何か言わなければならないのなら、"今晩僕の姿を偶然家の前で見つけた"と、それだけ伝えておいてくれ。僕が何か言っていたか訊かれたら、"闇の帝王に恐れをなして逃げようとした"とかなんとか、好きに答えれば良い。ただ、僕がこれから闇の帝王を滅ぼしに行こうとしたと────たとえ推測でしかないとしても、その手口を僕が掴んだということだけは、秘密にしておいてほしいんだ」
「どうして? あなたのしようとしていることがヴォルデモートを倒す手掛かりになるなら、私達全員も同じ手を使えば────」
「これは"死喰い人から騎士団の団員へ"持ち掛けた話じゃない。あくまでホグワーツで互いの輝かしい理想を戦わせた"愚かなレギュラス・ブラックが日和見なイリス・リヴィアへ"最後に伝えたかった、ただの戯言だからだよ」

レギュラスは、泣きそうな顔で笑いながら私を見下ろしていた。彼のそんな顔は見たことがなかったはずなのに、私はどうしてもそこに兄の影を見てしまい、ぐっと言葉に詰まる。

「それに、この計画が露呈したら僕の家族や友人まで危険に晒すことになる。この計画は、あくまで僕ひとりが考え、僕ひとりが遂行しなければならないんだ。大丈夫、どうせダンブルドアならすぐ同じ答えに辿り着くだろうさ」
「でも…」
「拷問されようとも、なんならここで殺されようとも、僕は自分が何をするつもりなのか具体的には語らないつもりだ。それでもお前は、その要領を得ない話をダンブルドアにただグダグダと流すつもりか?」

それは、そうかもしれないけど。

でも、これじゃただレギュラスは無駄死にをするようなものじゃないか。
しかもその死の真相すら誰にも知られず────確かに知れてしまえば彼の家族や友人にまで危害が及ぶことは間違いないだろうが────しかしそれでは、彼には"自分の主君に殺された哀れな臆病者"という…高潔な彼が最も望まないであろう卑劣な最期が、彼の亡き後もずっとつきまとうことになってしまう。

「…レギュラスはそれで良いの?」
「良いも何も、そうしてほしいと最初から頼んでいるじゃないか」

教科書の1ページ目に書いてある大前提をわざわざ尋ねられたような顔をして────その程度の顔で、レギュラスは当然のように言い放った。

「さて、そろそろ僕は行く。────お前は、自分が本当に刃を向ける相手を間違えるなよ」
「待って、レギュラス」

その場で回転しようとしたレギュラスを、私は次ぐべき言葉を見失ったまま引き留めた。

「まだ何か?」

何かも何も、こんなに一方的に意味のわからない話を聞かされて、勝手に秘密を共有させられて、そしてひとりで死んでいこうとする子を、どうして簡単に行かせられようか。

「────どうして、私にそれを話したの? 本当にひとりきりで死ぬつもりだったなら、それが最善だと思っているなら、何も今や敵になってる私に危険を冒してまで会いに来なくたって────」

だいたい私はまだ、レギュラスが「闇の帝王に失望した」と言ったその段階から理解が及んでいないのだ。それとももしかして、こうやって私を攪乱させるのが目的? すっかりレギュラスは死んだものだと信じ込ませて、未だ彼の家を特定できていない私や────あるいは、少しはその報せで感情を乱されるかもしれないシリウス達を、こっそり隠れて攻撃しようとでも言うの?

頭では────騎士団に媚びる態度を一切見せなかった彼の様子から、そんな気などもはや彼にないことはわかっていた。そもそもレギュラスほどの聡明さを持っている魔法使いであれば、最初からもっとうまい手を使って私達の懐に入ってくるはずだ。それこそ学生の頃は鳴りを潜め、シリウスの弟という立場をうまく使ってその時からスパイとしてもっと密偵に徹していたって良かったはず。

────こんな何もないタイミングで、それまでホグワーツの死喰い人候補筆頭として暗躍してきた彼が簡単に「闇の帝王を滅ぼしに行く」と言った時点で、そこに下手な策略などないことは、わかっているのだ。

事情は知らないが、彼は本当にヴォルデモートに愛想を尽かしたのだろう。
手段は知らないが、彼は本当にヴォルデモートを死に一歩近づけようとしているのだろう。

そして────理由は知らないが、彼は────その前に、私にだけそんな"秘密だらけの秘密"の一部を語って聞かせた。

まるでその姿は────。

「────"ちょっとした冒険"をする時、それを共有してくれる人がひとりもいなかったら…つまらないだろう」

────これから"誰にも知られてはならない秘密の道具"を隠しに行く時の、悪戯仕掛人を思い起こさせるようで。

「お前なら、多少危険に晒したって自分の身くらいは守れるだろう? お前なら、兄さん達のグループの中で唯一"理想に絶望した気持ち"をわかってくれるだろう? 感情に任せて激昂するのでもなく、理性的に追い詰めてくるのでもなく────お前なら、僕のこんな要領を得ない話だって、黙って受け入れられるだろう?」

まるで学生時代の、まだ互いをろくに知らなかった頃のようだ。彼はあの時と全く真逆の思想を、あの時と全く同じように堂々とした態度で、理解に苦しんでいる私に簡単に押し付けてくる。

「内容が闇の帝王の滅亡に手を貸すものである限り、お前に害がある話にもならないはずだ。沈黙はそう難しくない。それにさっきも言ったじゃないか…これはただ、レギュラス・ブラックがイリス・リヴィアというただひとりの人間に明かしたかった最後の"思想"なのだと」

レギュラスは、そう言うと今度こそ笑って────絶対に私に向けられるはずがないと思っていた、彼がスリザリンの仲間にしか見せたことのない笑顔でこちらを見て、そして────姿くらましをし、この部屋から消えた。

突然に現れた訪問者は、来た時よりもずっと突然にここから去った。
どこへ行ったのだろう。どこか、とても遠いところだろうか。

彼は、ヴォルデモートと直接会うのだろうか。それとも、"一部"というからには、何か間接的な攻撃を仕掛けるつもりなのだろうか。

わからない。もう、きっと彼には何も訊けない。
レギュラス・アークタルス・ブラックという人間は────初めて会話をした時からずっと、私に疑問を一方的に残して消える人間だった。そして私に最期まで────敵意だけでは表しきれない"探求心"を植え付けてくる人間だった。



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