返ってきたテストはほぼ満点。呪文学は200点で、変身術は100点の隣に"Relieved"とある。"安心した"────去年OWLでの成績が振るわなかったことをかなり気にしていたんだろう、と改めてマクゴナガル先生が私を本気で心配していたことが窺えた。
今年の授業は殊更に辛かったなあ、と改めて試験の日々を振り返る。去年OWLを突破して授業に残った生徒は、いわば先生の要求水準を満たした優秀な生徒だけなのだ。当然、授業内容は高度になるし(それで言えば変身術が一番エグかった)、それに応じてテストの難易度も上がる。それに加えて私達は今年、ホグワーツの安全を守るためにあちこち走ってばかりだったから────点を落とすことこそないだろうと踏んでいたものの、我ながらよく頑張った年だと思う。

そして今日は、今年度最終日の前日────そして最後のホグズミードデーだった。私は前もってシリウスと待ち合わせることになっていたのだが、リリーは本当にジェームズと一緒に行くことになったんだろうか────?

「リリー、今日は結局誰と行くの?」

昨晩まで、彼女は「まだ直接は誘われてないわ」としか言っていなかった。だから私はジェームズが何らかの理由でリリーとのデートを諦めたものだと思っていたのだが、彼女は私と一緒に外出の支度をしている。同室のメリーとシルヴィアはもういないし、そうなると彼女が一体誰と外に出るつもりなのか、いよいよ私にはわからなくなっていたのだ。

リリーは私に声を掛けられると、クスクス笑いながら1枚の紙を見せてきた。
飛行機型に折りたたまれていたその紙を開くと────『もし今日来てくれるなら、11時に談話室の出口で』と書かれている。

ジェームズの字だ。

「今朝、起きたらこの紙飛行機が私の頬をつついていたの。どういうつもりか知らないけど、当日に女性を誘うなんて随分失礼ね?」

そう言いながらも、彼女はまだ笑っている。

私にはなんとなく、ジェームズの考えていることがわかるような気がした。
つまりこれは、彼なりの精一杯の"駆け引き"だったのではないだろうか。
直前までリリーを放っておいて、「誘う気があるの? ないの?」とやきもきさせる。強情なリリーは絶対に自分からホグズミード行きを口にしないから────彼は当日の朝になって、自分の名前すら書かずにこうしてリリーにメッセージを飛ばしたのだ。

これが僕からの誘いだとわかった上で来てくれるのなら、待ってる…と。

「ジェームズらしいね」

彼女が最後に緑色のブレスレットを腕につけているのを見ながら、私は答えを求めるでもなく呟いた。
やっぱり、この2人って結構お似合いかも。










「────それでね、ポッターったら郵便屋のふくろうに1羽ずつ名前をつけていったのよ? しかも挙句の果てに名前をつけたふくろうを驚かせて、店員さんに怒られて追い出されたんだから! あとね────」

その夜、私はずっとリリーの弾丸トークをベッドの中でうつらうつらしながら聞いていた。
私とシリウスはいつも通り、村沿いのお店を一巡して、夏の気配が近づく景色を楽しんで、ゆっくり散歩しながら帰って来た。しかしリリーとジェームズは全く真逆の超アグレッシブデートをしてきたらしい。さっきのふくろうの話を合わせて、ジェームズは既にもう5回ものハプニングを起こしていたのだ。しかもまだその段階で1時間も経っていなかったらしい。

ジェームズは一体何がしたかったんだろう、と本気で彼のことがわからなくなる。
「初デートは紳士的に、スマートにエスコートするよ」なんて試験前には言っていたような気もするのだが、今のところリリーから聞く話では"大人の男性と女性のスマートなデート"ではなく"幼稚園児を追いかけるお母さん"しか想像できなかった。

それでもリリーはそんなアトラクションのようなデートをかなり気に入ったらしい。口調こそ怒ったようにまくし立てているが、この顔はよく知ってる。先生にやたらめったら褒められた後に「先生にああ仰っていただけるほど私はできた生徒じゃないわ」と言ってる時と同じ顔。つまり、照れているだけってこと。

それに彼女は恐ろしいほど細部まで今日のことを覚えていた。まるで一緒にその景色を見て、ジェームズの言葉を聞いているかのように一挙手一投足全部説明してくれるのだ。

「楽しかったみたいで何よりだよ」
「楽しくなかったわけじゃないけど、あんなコントみたいな1日、デートなんてとても言えないわよ! 次はもっと────」
「へえ、次があるの?」
「!!」

ちょっと揶揄うように言ってみたら、リリーの顔が一瞬で真っ赤になった。
それまでずっと喋り倒していたのを急に黙り込むものだから、寝室にずっと流れていたシューシューという彼女の囁きが消え、しんっと必要以上の沈黙が肌に降りかかる。

「────なんだかあなた、日に日にブラックに似ていってるわね」
「そう? 嬉しいな」
「言っておくけど褒めてないわよ」

悔し紛れにそんなことを言われたって、私は痛くも痒くもない。あのリリーに無意識レベルでジェームズとの"次のデート"を考えさせるなんて、ジェームズも頑張ったなあ、なんて思いながら、私は「喋り疲れたでしょ、水持ってくるね」と一旦階下に降りた。

すると、そこにはジェームズが火の消えた暖炉の前で、ひとりソファに座っていた。周りにはシリウスも、誰もいない。何か考え事でもしているのだろうか、それとも────ひとりで、今日のデートの反省会でもしているのだろうか。

「プロングズ?」

必要以上に彼を警戒させてしまわないよう、私は普段使わない"愛称"で彼を呼んでみた。するとジェームズはぴくりと肩を震わせ、そしてにっこり笑って私の方を見る。

「どうかした? 眠れないの?」
「ううん、リリーがずーっと喋り倒してるから危うく寝かけるところだったくらい。ちょっと目覚ましも兼ねて水を取りに来たんだ。プロングズは?」
「ちょっと考え事」
「ふうん…何か悩んでるなら、聞こうか?」

水をコップ3つ分注ぎ、要らないかもしれないとは思いつつその1つをジェームズの方に差し出してみた。「ありがと」と言って彼は受け取り、一口飲む。

「今日のリリー、なんだかんだで楽しそうだったよ」
「良かった。好きな子ができたのも、その子と出かけるのも初めてだったからつい気合いが入りすぎちゃってさ。普段の3倍くらい大人に怒られたよ」
「うん、全部聞いたよ。散々やらかしてたって」
「それなのにエバンズは楽しそうだったの?」
「ああ見えてリリーは冒険好きなんだよ」

なんとなく会話が続くので、私はジェームズが座っているソファの肘掛けに腰掛けた。お互いリリーとシリウスに気を遣って距離を取ったつもりだったのだが、彼にもその配慮は通じたらしく、少し端に寄って「こっちに座りなよ」と呼んでくれる。私は人ひとり分のスペースを空けて、彼と同じソファに座った。

こうしていると、クリスマスの深夜にシリウスと2人で語り明かした夜のことを思い出す。暖炉の前でもどこか肌寒い中、ちろちろと舐めるような炎の明かりに照らされた紅のブレスレット。今もそれは、私の右手首で消えないきらめきを放っている。

「────それ、綺麗だね」
「ずっと付けてるんだ。リリーも今日、プロングズが作ったアレキサンドライトのブレスレット、付けて行ってたでしょ?」
「うん。すぐに気づいたけどなんて言ったら良いかわからなくて、逆に何も言えないで感情だけ狂ったよ」
「付けてない日でも、リリーはあのブレスレットをちゃんとベッド脇にいつも置いてるよ」
「そうなの? 嬉しいな…誰かにあんな風に手間も時間もかけて何かを作って贈る、なんて、それさえもしたことがなかったから」

────せっかくデートがうまくいったというのに、ジェームズの声は淡々と落ち着いていた。ホグズミードから帰って来た時はもう少し浮かれていたような気もするのだが、時間が経つにつれて、望んでいたデートプランを遂行できなかったことが悲しくなってきたんだろうか?

「プロングズ」
「ん?」
「どうしたの?」
「何が?」
「なんか…今のプロングズ、おかしいくらいに静かだよ」

そう、まるで彼の姿は火の消えた暖炉のようだった。そこにあるだけ。何もせず、何ももたらさず、ただ大人しく暗いところで丸まって座っている。

「リリーとのデート、不満だった?」
「まさか! やっぱりエバンズって最高な女の子だったよ! どうしても僕を見るとガミガミ言いたくなる病気は治らないらしいんだけど、でもたまにすっごく可愛い笑顔を見せるんだ。ゾンコの新発売の商品を見た時とか、バタービールの一口目を飲んだ時とかね」
「じゃあ、どうしてそんな…暗い顔をしてるの?」

ジェームズは言葉を切った。私にその"考え事"を話すか話すまいか、考えているようだった。
言いたくないというのなら無理には聞かない。でも、私が下りてきた段階で彼がその場を離れなかった時点で、少なくとも私に"話したくない"わけではないのだろう、と思った。

「────楽しかったデートの後でこんなことを言うのもアレなんだけどさ」
「…うん?」
「────イースターまでの間にベビー死喰い人がホグワーツ内を嗅ぎ回ってたこと…あれについて考えてたんだ」

聞けば、今日はシリウスが「デートの余韻に浸ったまま寝たいから」と言って、食事を摂ってシャワーを浴びた後にさっさと寝てしまったんだそうだ。リーマスとピーターは最初から別行動だったので、珍しくジェームズが1人になる機会が訪れたんだとか。
久々に自分だけの時間が確保された彼は────冗談を言う相手もおらず、悪戯を見せる相手もいなかった彼は────"自分らしくなく"真面目な考え事に耽ってしまったらしい。

「何か新しいことがわかったの?」

ジェームズは首を振る。

「ううん。ただ────君も思ってるだろ、フォクシー。この話は、あれで終わってないって」
「────…」

校内を嗅ぎ回っている生徒は粗方わかった。
襲撃を受けた時も、なんとか返り討ちにできた。
生徒達の処遇は、先生に任せた。

その上で、まだ終わっていない────私達が直面していない問題といえば────。

敵のグループのリーダーが、誰だかわかってない…

「そ」とジェームズが短く答える。

「部下達が揃ってお縄についてるのに、不審な動きを見せた生徒は誰一人いない。スネイプの自白とダンブルドアの説明で"首謀者"自体がいることはわかったけど────それでも、学期末を控えて、僕らはそいつの影すら見ていない。みんなもう忘れたフリをしてるけど…これ、相当ヤバいことだと思うんだよ」

────そのことなら、私も考えていた。
今までの話の中で相当な実力者と思われている"首謀者"。
下っ端という"手足"をいくつもいだところで、"脳"に辿り着かない限り、その手足は何度も再生し、着実にホグワーツ内をまさぐり続けるのだろう。
首謀者が何年生なのかは知らないが────7年生でない限り、その者は来年以降もここでホグワーツの"ベビー死喰い人リーダー"として暗躍し続けることになる。

そして私は────その首謀者が7年生ではないことを、最悪の場合として想定していた。

「フォクシーになら、僕の話を聞いてもらっても良いかな」
「何を?」
「────僕は、首謀者に目星をつけてるんだ。でもこの話は、あまり他人にしたくない。僕ら2人の間で秘密を作るなんてこと、したことがないけど…それでも守ってくれる?」

躊躇いはなかった。

「もちろん」

────なんとなく、なんとなくなのだが────私がその答えに辿り着いたというのなら、ジェームズもきっと同じ答えを見つけたのではないだろうかと思ったのだ。

「僕は、あの一連の騒ぎを起こした奴らを率いていたのは、レギュラスなんじゃないかと思ってる」

ああ、やっぱり。
私の反応を数秒窺った後、彼は面白そうな顔をして私を覗き込んだ。

「……もしかして、君も同意見?」
「…まあね」

ジェームズはそこでようやく体の力を抜いたようだった。ソファに丸まっていた手足を伸ばし、「やっぱりそうだよなあ」と独り言のように呟く。

「いつ、気づいた?」
「気づいたっていうか…この間思ったんだよね。あの人達にとってこの作戦が成功すれば死喰い人に入れてもらえる大チャンスなわけでしょ? 私からすればスネイプなんかよりレギュラスの方がずっとヴォルデモートのことを愛してると思ってたのに、どうしてレギュラスはあのメンバーに加わってなかったんだろうって」
「なるほどね」
「プロングズは?」
「きっかけは────2年前、パッドフットがオーブリーにセクタムセンプラをかけられた時」
「…え?」

どこかで同じ結論に至るだろうとは思っていたが、まさかそんな────4年生の頃まで遡る話だなんてとても思っていなかったので、私はつい面食らってしまう。

「ほら、あったろ。"穢れた血に肩入れする名家の面汚しを撲滅したがってるグループ"がいて────スネイプが自分で考案した呪文をそいつらに教えて、それで僕らを攻撃しようとしてきた時期が。正直、"僕とパッドフット"あるいは"僕"が標的になってたら、もっと敵の数は増えていたと思うんだ。でも────そこであえて"パッドフット"に焦点が合った時点で、僕はレギュラスの関与を疑い始めた。あいつからすれば、確かに僕よりパッドフットの方が余程憎たらしい敵だろうからね」

いつだって、悪戯を思いつくアイデアマンはジェームズだった。
2人はいつも一緒で、まるで双子のように見えていたが、率先して先頭を走っていたのはジェームズだった。

そんな2人をまとめて狙うなら、あるいは物事の始まりを引き起こすジェームズを狙うなら、彼の言う通り敵の数はぐんと増えたことだろう。
でも敵は、そこであえて"シリウス"を狙った。

私もあの時はなぜ「シリウスだけが」と思っていたが────まさか、計画はそんなに早くから動いていたのか。

「そのきっかけがいよいよ怪しく思えたのは、メルボーンとシモンズがポリジュース薬を使った辺りだな。クィディッチ選手ばっかりを集めたそのグループを見て、僕はいよいよレギュラスがそのグループのメンバーどころか、司令塔みたいな役割を果たしてるんじゃないかって思い始めたんだ。…まあ、4年生の時のアレと今回のコレに関連性があるってまだ決まったわけじゃないし、ここまでは完全に僕の推測でしかないんだけどね。根拠はナシ」

確かに根拠はないが、"レギュラスがホグワーツ内の死喰い人候補のボス"という仮定から帰納的に考えてみると、それらは見事に辻褄が合う。最初は一家の汚名であるシリウスを、それから彼らと仲が良く、マグルを擁護するジェームズ達を。更にそんなシリウスと付き合い始めた穢れた血の私を。なるほど、レギュラスにとっては許しがたい存在の塊のようなものなのだ、私達は。
しかしジェームズは、約2年近くもこんな秘密を抱えてきたというのか。
───シリウスの、隣で。

「あいつらが従うのなんて、キャプテンのバナマンかシーカーのレギュラスしかいないんだよ。その時点で、バナマンには群れを率いる力なんてないから候補落ち。残るはレギュラスだけど────ああ、まあそこで僕も君と同じ考えに至ったってところかな。なんであいつが闇の魔術に貢献しようとしないんだ? ってさ」

そういえば────私がレイブンクローに突入した後、何があったか話していた時、ジェームズは"メルボーンとシモンズが従う相手"を思い出しながらやけに考える間をとっていたっけ。

「ああ。あいつらが従う相手なんてキャプテンのバナマンか……あー…そのくらいだろ。だから首謀者がスネイプ1人で、あとの2人は何も知らずに加担したって説はまずないな」

当然、親友の弟が仇敵になりうるという憶測を、根拠もなくシリウスの前で出すことは望ましくない。そう思って私も誰にも何も言わずにいたのだが────そうか、ジェームズはその時点でレギュラスの顔を思い浮かべて、それでもシリウスの手前、言葉を呑み込んでいたんだ。

「最初はあまりにもくだらない杜撰な作戦だからレギュラスは降りたのかな、って思ってたんだよ。でも────杜撰であることさえ計画の一部として、ホグワーツに闇の魔術が混ざり込んでいることをこちらに思い知らせる────あいつらの計画の"本当の意味"がわかった時、僕の意見はまた変わった」

話し相手ができたからだろうか、ジェームズの声に少しだけ元気が戻り、目にも光が宿ったかのように見えた。

「"成功する計画"を成功させることは簡単だけど、"失敗する計画"を成功させることは並大抵の頭じゃできない。────これはきっと、シリウスの弟にしかできないことだってね。そう考えれば、リーダーが一向に姿を現さないのも納得だ。だってこれはあくまで"頭が悪くて、ちょっとした興味本位で闇の魔術に関わってしまった哀れな生徒の行動"であるべきなんだから。あとメンバーの選び方も実にあいつらしいな。同学年からそこそこ魔法が使える奴3人、それから僕らに並々ならない憎しみを抱いているスネイプ、それから────卒業を間近に控え、言っちゃえば何かしくじって退学させられてもたいして影響のない7年生。まったく、いい加減なようでいてよく考えられてるね」

あそこまで狡猾で、周到で、本心からヴォルデモートに心酔してる人間がグループのトップにいるとわかってしまえば────先生方はどうにかしてその者をここから追い出し、最悪魔法省辺りの外部組織にでも一生監視させるかもしれない。
だから、"彼"は絶対に"表"には出てこない。その存在を決して知らせず、みんなが気づいた時にはもう事を全て終えられるよう、暗い湿地をぬるぬると這いまわるのだろう。蛇のように────そして、誰もが恐れるヴォルデモートその人のように。

「多分、君も気づいてると思ってたよ」

話し終えた後、ジェームズはさっきまでの気難しげな表情はどこへやら、すっかりリラックスしきったように四肢を伸ばした。

「どうして?」
「だって君はパッドフットの恋人だからね。レギュラスとの接点もあったとなれば尚更だ。君はきっと僕らの中で、シリウスを除けば誰よりも、ベビー死喰い人のトップに相応しい人間が誰であるかをよく理解している」

まあ、それはそうなのかもしれない。
クィディッチと紐づけたことで"レギュラス"という名に辿り着いたのはジェームズの方が早かったが、考えてみれば私はきっと真っ先にその仮説を立てるべきだった。

でも、待って。

「────シリウスを除けば、って…」

それじゃあ、まるで。

しかしジェームズはそれ以上何も言わなかった。黙って唇に人差し指を当て、立ち上がる。寝室へ行こうとしているようだ。

「あいつが気づいてないわけないだろ。でもそれで、あいつが弟とどう向き合うかはあいつ次第。それに思い出してよ、フォクシー。これはあくまで何の根拠もないただの推測なんだ。これについて、僕らがこれ以上語り合うべきじゃないよ。じゃあ、おやすみ」

そう言って彼は、私をひとり談話室に置いて消えてしまった。

「…何さ、秘密を共有しようって言ってきたのはそっちなのに」

────相当遅れて私が寝室に戻った時、リリーはもう眠っていた。

もう明日になったら、ホグワーツを離れなければならないというのに。私達の敵も、私達の戦いも、何一つ終わっていやしなかった。










「諸君、1年間の間本当にご苦労じゃった!」

翌日、今学期最後のランチの時間、生徒は全員集められてダンブルドア先生の話を聞いていた。

「この長いようでいて短い時間、君達は毎日食べ、遊び、そしてさぞ勉学に励んできたことじゃろうと思う。特にOWLを終えた5年生、初めての大きな試験で大変だったことじゃろう、お疲れ様。そして7年生の諸君には、ここを卒業するまでの間の7年間が楽しかったと思ってもらえるような生活が送れていることを切に願う。それ以外の在校生も、夏休み中は一旦ここでの日々を忘れ、外にいる家族や友人や、大切な人との時間を大切に過ごすと良い。さて────」

そこで一旦先生の言葉が途切れた。シン、と大広間が静まり、全員が先生に注目していることを確認すると、先生は再び口を開く。

「────外での自由を大いに満喫してほしい、と言いたいところなのは山々なのじゃが、ひとつ皆に警告しておかなければならないことがある。昨今、ヴォルデモート卿の脅威はますます猛威を奮っており、罪なき人の安全を脅かす存在としてその影響力を高めておる」

私やリリー、そして悪戯仕掛人は揃って目を見合わせた。先生はまさか、ホグワーツ内から死喰い人が出ようとしているという話をするつもりなのだろうか?

「闇の魔術に傾倒するものはもちろん、今の魔法界を良く思っていない魔法生物や外国の魔法使い、そして未成年にまでその手を掛けようとしていることを、わしは否定できぬ。ヴォルデモートは、ややもすると君達の隣にいるかもしれんのじゃ

その声に、さっきまで静かだったはずの大広間がガヤガヤと囁き声に満ち溢れた。ある者は隣にいる生徒が本物か疑い、ある者は見えない恐怖に手を掴まれたかのように体を震わせた。

「静粛に」

しかし、それもダンブルドア先生の一声で瞬時に止む。再び静寂を取り戻した大広間を見渡して、ダンブルドア先生はにっこりと笑った。

「皆、今のは何も隣にいる者を疑えと言いたいのではない。ヴォルデモートとは────」(さっきから、先生がヴォルデモートという名前を出す度に大広間中で小さな悲鳴が起きていた)「────それだけ今や、世界のどこにでもいて、誰彼構わずその魔の手を差し伸べようとしている、そのことをよく覚え、そして警戒してほしいだけなのじゃ。わしがしてほしいのは隣人を疑うことではない。わしは、友との結束を固め、抗うべきものを見極めてほしいのじゃ。忘れるでないぞ、ヴォルデモートは疑いと恐怖の隙間が生まれた時、姿を現すのじゃ。警戒だけは怠らず、それでも友を信じ、自分を信じ、豊かで幸福な生活を送っておくれ」

そうして、ダンブルドア先生は椅子に座った。大半の生徒が先生の言った言葉の本当の意味を理解しきれず、まだ動揺した様子で周りの生徒と喋っているのが見える。

────正直、その演説は諸刃の剣になりうると思った。

ヴォルデモートの脅威は確かに知らせなければならないことだ。何も知らず、何にも警戒せず、のほほんと日常を過ごしていたら、そこに付け入られて一瞬にして幸福から不幸へと転落させられる可能性は大いにある。

だからといって、怯えすぎるのも良くない。先生の言った通り、隣人を疑い、誰も信じられなくなってしまえば、ヴォルデモートはたちまちそんな心の闇に付け入ってくるだろう。

心に闇を生まないこと。闇を知覚しながら、常に光を宿すこと。

その、なんと難しいことだろうか。

「ダンブルドアもまだるっこしい言い方をするなあ。ホグワーツから死喰い────」
「ジェームズ!」

私が即座に窘めたが、ジェームズは肩をすくめるだけでたいした反応を見せなかった。

「はいはい、わかったって。それよりフォクシー、君、今年の夏はどうする? 母さんはぜひ来てほしいって言ってるけど」
「もう、すぐ話を逸らすんだから…。でも、ぜひそれは行きたいな。みんなはいつ行くの?」
「8月の初旬くらいだよ」
「じゃあ日取りが決まったら教えて。合わせて行くね」

それから、ジェームズの視線はリリーへ向いた。さっき私に怒られた時は全く表情を変えなかったくせに、その目を向ける相手が変わるだけで恐ろしいほど愛情深く、紳士的で、大人びた上品な眼差しに様変わりしたのだ。

「エバンズも良かったらどうだい? イリスもいるし、僕の両親も歓迎するよ」

リリーは少し迷っているようだった。行っても良い、くらいには思っているのだろう。ましてやこの間2人はデートをしてきたばかりだし、その距離は確実に縮まっている。

でも、まだ彼女の中で掘り下げられていた5年間の溝は、完全に埋まっていない。

彼女は困った顔で私を見た。まるで私に判断を委ねているかのようだ。

「────1日だけ遊びに来たら?」

だから私は────"クラスをまとめる優等生"よろしく、折衷案を出してみた。
何日も泊まって遊ぶのではなく、例えばダイアゴン横丁に買い物に行く日に、ついでにご飯だけ食べにくるとか。

「1日だなんて言わず────」
「プロングズ」

押せ押せの姿勢のジェームズを窘めたのはシリウスだった。私の言うことは聞かずとも、流石に親友の言葉は聞き入れるらしい。ぐぐっと黙り、リリーの返事を大人しく待つ。

「────ええ、そうね。じゃあ、8月…買い物リストが届いて、ダイアゴン横丁に行く日にでも、少しお邪魔しても良いかしら?」

彼女は結局、私の提案をそのまま呑んだ。控えめに、まるで触れれば壊れてしまうガラスにそっと手を近づけるように────彼女はジェームズの目を見て尋ねる。

そのガラスは、彼女自身の心だった。

5年間分の、嫌悪という汚れた泥を塗りたくられたガラス。それでもきっと、去年度の終わり頃から────そのガラスには、時折綺麗な夕立が降るようになったのだろう。一回の雨では流し切れない泥。それでも、空から優しく落ちてくる水滴に、少しずつ泥は現れていった。少しずつ、ガラスの向こう側が見えるようになった。

────その先にいたのが、ジェームズだった。

今のリリーには、ジェームズがどんな風に見えてるんだろう。
きっと、私がシリウスを見る時のその見え方とはまた違うんだろう。でも、きっと────。

「もちろんさ! 日にちが決まったら教えて、両親を紹介するよ」
「ありがとう、ポッ…ジェームズ」

────きっとその姿は、私にはわからない…リリーにだけにしか見えない、優しい笑顔でリリーを見つめているんだろう。

昼食後、私達は順次ホグワーツ特急へと押し込まれていった。監督生は例年通り、一度集まってから巡回作業。

「今年はやたらとお騒がせな1年だったわね…。リーマス、イリス、ヘンリー、レイブンクローの件ではありがとう」

と言うのはメイリア。

「イリス、キールを…ハッフルパフを助けてくれたことにもお礼を言うよ」

とアンナは笑ってくれた。

「うちの寮生が迷惑をかけて本当にすまなかった。来年は僕ももっと気合いを入れるから、また何かあった時には助けてもらえると嬉しい」

とヘンリーは何度も頭を下げている。隣にいるもう1人のスリザリンの監督生、ドイルはそっぽを向いたままだった。

「イリス」

今年の主な出来事を報告しあった後で最初の巡回に出ようと立ち上がった私を止めたのは、メイリア。リーマスは「外で待ってるよ」と先にコンパートメントを出た。

「────あなたのこと、自主性に欠けるとか、悪戯に甘いとか思っていたこと、お詫びするわ」
「えっ、そんなこと」

確かに(一部はハリエット伝いに)メイリアが私をそう評価していたことは聞いていた。でも別にそれは本当のことなので、私は全く気を悪くしていなかった────どころか、今ここで持ち出されるまで、そんなことなんてすっかり忘れていたのに。

「あなたの普段の行動がどうなのかまでは流石に知らないけど、有事を前にした時のあなたは誰よりも"監督生"らしかったわ。私達はもっと、"お節介"じゃなくて"真に自主的な決断をすること"と、"悪戯くらいでガミガミ叱ること"じゃなくて"邪悪なものと決然と立ち向かうこと"を分けて徹底するべきだったって、あなたから学ばされた。あなたはとても勇敢で、公平で、大胆な、グリフィンドールの誇るべき優等生よ」

合理的で、自分にも他人にも厳しいメイリア。
彼女はもしかしたら今まで、噛みつきフリスビーを取り上げるべきかどうかで迷っている私を見ては何度もやきもきしていたのかもしれない。自分では決してそうとは言わなかったが、「どうしてあんな子が監督生に」と思ったこともあったのかもしれない。

でも彼女は、友達にポロッと言うのとはわけが違う…今、こうして私に、わざわざそれを言葉にして伝えに来てくれたのだ。

私は、監督生として相応しいと。

「────ありがとう、メイリア」

私が笑ってみせると、メイリアも優しい微笑みを浮かべた。
それはどこか、ガーベラのような────優しい笑顔だった。

コンパートメントを出て、リーマスと合流する。

「何の話?」
「メイリアがね、私はグリフィンドール生らしいって褒めてくれた」
「流石イリス。まあ僕らはそんなこと、最初からわかってたけどね」

入学したばかりのオドオドした私を見ておきながら、よくもまあそんなことが言えたものだ、と私はリーマスの冗談につい笑ってしまった。
私はグリフィンドールなんかに入ってしまって良かったんだろうか、どの寮の素質にも相応しくないと言われ、ある日突然家に帰されてしまうのではないだろうか────そんな風に迷った時もあった。グリフィンドールに入ったからってそれを誇れるわけじゃない、グリフィンドールの名をかざして何かをするのは抵抗がある────そんな風に悩んだ時もあった。

でも、6年間を終えて────最後の1年を残して、ようやく私はこう思えるようになっていた。

グリフィンドールに入って、本当に良かったと。
私が"私"であるためには、グリフィンドールでなくてはならなかったのだと。

そして、6年前に初めて生まれた"私"は、最後の年を────グリフィンドールの稀代の優等生として、最後まで優等生らしく走りきろうと、そう決心したのだった。



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