シンタローと優しい彼女



※描写は弱いですがシンタロー君ヒロインに恋してます。






その日はちょうど、アジトに俺しかいなかった。要は留守番である。キドをはじめとして全員がどこかしらに外出してしまい、この秘密基地は今限定で俺が支配している状態。

しかし、そんな有意義なぼっちは決して長く続かなかった。

突然控えめにアジトの扉が開き、1人分の人影が見える。
仕方ない、とぼっち時間に別れを告げ、俺は誰が帰ってきたのだろうと首を伸ばした。

果たしてそこにいたのは―――

「ちょっと助けてくれないかな……」

両手を泥にまみれさせた、名前だった。





「……垣根と地面の間に猫が挟まってる?」

名前の話を聞きながら、つい素っ頓狂な声を上げてしまった。
アジトを出て、今まで彼女がいたという路地裏へ急ぐ俺達。歩きながら説明を聞けば、ここへ向かう途中で猫が挟まったのを見たんだそうだ。

「―――で、なんでお前はそんな手が泥だらけなんだよ」
「昨日雨が降ったでしょ? それで道がぬかるんでて…その場所舗装されてないから、助けようとした時に私までこんなどろっどろに」
「でもなぁ…垣根と地面の間に挟まってるってんなら、つまりそこはどっかの民家だろ? 家主に知らせりゃ良かったんじゃ…」
「もちろん訪ねたけど、留守にしてるみたいなの。誰も出て来なくて…インターホンも泥だらけにしちゃった手前、もうなんか…ねぇ」
「その手で人の家を訪ねたのか…」

茶色に染まった指先を見ながら呟く。これ、爪先にも泥が入っちゃってんじゃねーの?
猫なら一時的に挟まったとしてもすぐすり抜けられそうなものなのに、本当見過ごすって事ができない奴だよな。

…ま、そこがこいつの良い所なんだけど。

「まだか?」
「この辺だよ……っ、ほら、ここ!」

指差す名前の視線を追うと、…こんな路地裏かよ!
注視していないと見落とすような路地の間、暗く太陽の当たりづらい所に、確かに猫はいた。垣根と地面の間に挟まってまだ抜けないようだ。顔から腹までがこちらに出ており、腹から後ろ足までは民家の敷地内に。つまり、綺麗に両断されてい(るように見え)た。

「どうしたら良いのかな…。あ、ていうか待って、なんか勢いでシンタローの事連れて来ちゃってごめんなさい……」
「んなの今更だろ。まぁ、多少痛いだろうが力ずくで引っ張るっきゃねーかな」
「…やっぱり……? 痛いよね…」
「挟まってるよかマシだ」

おろおろと見守る彼女を後ろに下がらせ、俺は猫の前にしゃがみこんだ。猫はこちらを見留めて威嚇してくるが、やはり挟まっている為逃げる事も攻撃する事もできずにいる。

「ちょっと我慢してろよ」

そう声を掛けて、猫の前足を掴む。猫は一層声を荒げていたが、構う事ないと力を込める。
引っ張っている間に、俺の手にも泥がたくさんついた。こんな所で何してんだろーと思わない訳ではなかったが、後ろで心配そうに見守る優しい彼女の事を思い出し、その認識も改める。

こいつは、自分が汚れるのも、時間を浪費するのも全く考慮に入れず、ただ痛そうに鳴いている猫がいたから助けたがっているだけなんだ。

彼女といると心が洗われるようだ、とよく思う。何に対しても純真で等しい心を持って接し、利害など一切関係なく手を差し伸べる。お人好しだと笑う奴もいるが、少なくとも俺にとっては――――

「……っ、抜けた!!」
「よ……良かったぁ……」

俺の手から、すっかり衰弱した猫を受け取り、名前はそっと抱き上げる。2人して泥まみれなのが、なんとなくおかしくもあり、誇らしくもあった。

「やっぱり背中、擦りむけちゃった。私の家で洗わなきゃね」
「アジトじゃなくて良いのか?」
「だって勝手に動物なんて連れ込めないよ…。でも私の家なら、結構自由も利くから」
「…成程な」
「良かったらシンタローも来ない? 私の所為でそんな泥だらけになっちゃった訳だし、シャワーとか浴びて行った方が良いかも。シャツとか洗濯し終えるまでは、お父さんので我慢してもらわなきゃいけないけど…」
「い、いやっ、いいよそんなの…気にすんな」
「うーん……じゃあ、せめて手だけでも洗って行って?」

困ったように俺の汚れたシャツと指先を見る名前に、引く意志はないらしい。俺は逆に申し訳なく思いながらも、彼女の家にお邪魔する事にしたのだった。

「なんか悪いな」
「大きな事をしてもらったんだからそのくらいはさせてくれなきゃ」





「うにゃーう!!!」
「ああほらもう、じっとしてろ!」

格闘しながらシャワーを浴びてさっぱりして出ると、綺麗なバスタオルと新品の男物のシャツが置かれていた。ありがたくそれを借りながらリビングへ戻る。名前は立ったまま申し訳なさそうに両手を組んでいた。

「ごめん…何から何まで…」

俺はいつまでも謝る名前に苦笑しながら猫を渡してやった。

そう、こうして彼女が申し訳なさそうにしているのも、俺が格闘なんてしていたのも、この小さな生き物が原因だ。

―――つまり俺と同じように…もしくはそれ以上に汚れていた猫を、俺が一緒に風呂へ連れて行ってやっていたという訳だ。

最初「それくらいは 私が」と彼女は拒否したのだが、ならば俺と一緒に風呂に入るのかと訊いたら顔を真っ赤にして引き下がった。……正直言って、だいぶ可愛かった。

「傷口、しみて痛そうだったぞ」
「そっかぁ…。でも綺麗になったね」
「…そうだな」

優しく微笑みながら名前はソファに移動し、用意してあったガーゼでぽんぽんと猫の体を拭く。猫はやはり痛いのだろう、身を捩らせていたが、名前の手際は良かった。あっという間に体を拭き終え、床に解放してやる。

「怪我は大したことなさそうで良かったじゃねーか」
「うん、本当にシンタローのお陰だよ。ありが――――たっ、大変!」

礼を言いかけた名前の目がみるみるうちに見開かれる。そして言葉を失い俺を穴があく程見つめた。

「ど…どうした?」
「シンタローまで怪我しちゃった! どうしよう、猫を洗ってくれた時についちゃったんだよね。化膿したりしたら私…」

その言葉に自分の体を見下ろすと、確かに小さな切り傷がたくさん出来ており、そこから染み出した血がシャツを赤く染めていた。
…言われてみれば、地味に痛い。猫に引っ掻かれたのは言うまでもないが、ここまでたくさんの切り傷があったなんて思いもしなかった。

「…このくらい平気だろ。水気を含んで流れやすくなってるだけで、傷自体は全然―――」
「だめ。小さい傷もバカにできないから! 消毒するから、座って脱いで!」
「っはぁあああ!?」

つい大声を上げてしまったが、名前の顔はいたって真面目だ。さっき風呂でかました問答が嘘のように、毅然とした表情で脱げと言う。
これも優しさ故の事か…と半ば達観したような心持ちになりながら、そして残り半分は完全に自棄になって俺はソファへ移動する。そこで貧弱な己の上半身を晒すと、名前は痛そうに傷の1つひとつを確認していった。

な、なんか俺の方が恥ずかしいんだけど…

すると名前は救急箱の中からマギロンを取り出し、猫に使ったのとは別のガーゼにそれを垂らした。

「…しみるよ」

震える声で言うな、緊張するだろ―――

「―――…っ!」

――――本当にしみた。痛かった。

体のあちこちに冷たい消毒液をつけられ、声を出さないようにするのが精一杯(だってこんな所で声上げたら絶対気まずい空気になるだろ?)。暫くしてからやっと名前は顔を上げた。

「これで多分大丈夫だと思うけど…少しでもおかしいと思ったらすぐに病院行ってね」

心配そうに見上げてくる名前になんとかぎこちない笑顔を返す俺。頑張った。体中がマギロンの所為で強張ってやがる。

「洗った服が乾くまで、ゆっくりして行って」

しかしそんな俺の硬直も、彼女の笑顔にすぐさま癒される事となる。もちろんここまで来たらその好意に甘えるのが一番。冷蔵庫から出してもらった冷えた麦茶を遠慮なくいただき、傷と消毒液の所為で熱を持っている体を内側から冷やそうと試みた。

猫はうにゃうにゃと自由に部屋を駆けずりまわっていた。久々に自分の足で地面を踏みしめているのが嬉しいのだろうか、まるでその動きは犬である。

「ん、本当に元気そう」
「放っておいて良いのか? 家破壊されかねねえぞ」
「大丈夫大丈夫、うちそんな傷ばっかだし」

まさか彼女は傷ついている動物達を片っ端から介抱しているのだろうか。確かに言われてみれば、壁や柱にはひっかき傷が数えきれない程ついていた。

なーんというか…

「…お前って優しいを体現したような奴だよな………」

机に頬杖をつきながら何の前触れもなしに呟くと、名前は慌ててコップをひっくり返した。幸い中身は空だったので惨事にはならなかったものの、その音に驚いた猫がにゃう、と一声上げる。

「や…優しいとかじゃないんだけど…」
「優しいよ」
「ほ、本当に違うよ。優しいって言ってくれるけど、それ全部私の我儘なんだから」

猫を助けたのだって、頼まれた訳じゃない。
俺にシャワーを浴びて行けと言ったのも、彼女がそうして欲しかったから。

―――だそうだ。つまり優しいというのは受け手がそう思って初めて優しさになるのであって、主体側にとっては我儘でしかない…という、なんかもう…

「謙虚が度を過ぎて卑屈になってるな」
「んなっ…!!」

途中でもう聞くのも面倒になる理論だ。

「つーかそれなら、受け手側の俺が今ここでお前は優しいって思ったんだから、それでいいじゃねぇか」
「………そうかなぁ…そしたら、シンタローも優しいね」
「…そうか?」
「うん。なんか痛い優しさだけど」
「――――じゃあその痛みはきっとマギロン効果だな」
「えぇ、そこで!?」

ちょうどそんな彼女の言葉と同時に、遠くの方で夕方の時報を知らせる鐘が鳴った。時計を確認して、アジトを飛び出してから結構な時間が経っていた事に気付く。

―――あ、そういえば俺はアジトで留守番中だったんだっけ。

もしみんなの方が先に帰ってきて、俺が何の書置きもなしに消えていたらどうするだろう。心配してくれるだけなら良いが、なんか下手に捜されたりするのは困る。

…帰るか。

「…ちょっと突然で悪いけど、俺そろそろアジトに戻るな」
「あ、じゃあシャツ…良かった、乾いてる」

突然ばたばたと帰り支度を始めた俺に一瞬戸惑いを見せたものの、彼女はすぐにハンガーからシャツを取ってくれた。どこにでも売ってる安物のシャツなのに、わざわざ畳んで渡してくれる。

心底和やかな気持ちにさせられながら受け取り、ジャージだけを上から羽織った。シャツまで着替えても良かったのだが、今着てるシャツは血だらけにしちまったし、どっちにしろ返せなさそうだからな。今度何か別のもんでお詫びさせてもらおう。

「じゃ、色々ありがとな」
「ううん。こちらこそ助けてくれてありがとう。お礼代わりって訳じゃないけど、私にできる事があったらなんでも言ってね」

玄関先まで送ってくれた彼女の、この言葉。お詫びの中身を考えていた俺だったが、浅ましい事にそんな言葉で"ある事"を閃き――――

「そうか? それじゃあ1つだけ…」

そう呟いて、彼女を片手で抱き寄せ

「……えっ?」

彼女の額に、小さなキスをした。

唇を離し、したり顔で笑ってやる。名前は額を両手で押さえ、顔を真っ赤にして戸惑っていた。

「今のがお礼で良いから。何かあったらまた俺を呼べよ?」

何も言えずにいる彼女に背を向けて、悦に入った俺は足取り軽やかにアジトへ戻る。

自分には全く関係ない猫を助けたり、その猫を引っかかれながらも風呂に入れてやったり、まぁそういう一連の傷やら浪費やらに対する対価だ、このくらい良いよな――――…なんて考えてしまう俺は、まだまだ彼女の優しさの境地には程遠いのだった。









ちなみにその1週間後、俺はちゃんとシャツを1枚駄目にしてしまったお詫びと言って小さな菓子の詰め合わせを渡してやった。









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