セトときづいてヒロイン
※「きづいて、」の続き
今日もいつもの通り、バイトが入っていた。例の、先輩店員が名前を口説いて玉砕した花屋。
あの告白劇以来、なんとなく先輩には元気がないような気がしていた。いや…多分気のせいじゃないんだろう。
理由が理由だけに申し訳なさこそ感じなかったものの、やはり気まずいものがある。
だからせめてもの気遣いではないが、名前には花屋に来ないよう言い含めていた。自分も相当気にしていたらしい彼女は、俺との時間が減るなぁなんて笑いながらもすぐに了承してくれた。
今の時間は開店1時間前。店の裏口から入り、エプロンを手に掃除をしようと店内へ足を進める。
驚くべき事に、そこにいたのは先輩1人ではなかった。
「………あれ?」
先輩と楽しそうに喋っている女の人。俺はもちろん名前が一番だと思っているけど、大人っぽい美人だった。先輩と並んでいるのが不思議なくらい絵になる。
先輩は俺の戸惑った声で気がつき、ちょっと照れたように片手を挙げた。
「よう、来たな瀬戸」
「彼がその後輩さん?」
先輩の横でこちらに優しい笑顔を向けてくる美人。どうやら俺の話題も出ていたらしいという事で、遠慮なく彼女の素性を尋ねてみる事にした。
「先輩、この方は?」
「あぁ…最初に瀬戸に紹介しようと思って連れて来たんだ。――――俺の彼女」
はじめまして、と言って名乗る彼女さん。やっぱり彼女さんだったのかと思いながら、俺に最初に紹介してくれた先輩の気遣いを嬉しく思った。
「はじめまして、瀬戸幸助っす」
「いつも彼がお世話になっています。よろしくね」
先輩は幸せそうに笑いながら、「という訳で、俺は今絶賛幸せ満喫中だ…今まで気ィ遣わせまくってごめんな。もう俺の事は気にせず、お前も名前さんといちゃこらラブこらしてくれ」と彼女さんには聞こえないよう俺に耳打ちした。
*
「ただいまー」
帰ってみると、アジトには誰もいなかった。珍しいなと思いながら部屋に入り、電気をつける。
「わっ、」
誰もいない、は間違いだった。明るくなった室内、俺のベッドの家でぐっすり眠る人が1人―――もとい、名前。
「もー、自分の部屋だってあるでしょうに…」
溜息をつきながらも、可愛い寝顔につい笑んでしまう。鞄だけ無造作に置くと、そっとベッドの端に腰掛けた。名前の頬に人差し指の背を滑らせ、柔らかな肌を感じる。
あー…やっぱこの人が一番っすよねー…
俺はゆっくりと彼女の寝顔に唇を寄せた。そのまま規則正しい寝息を立てる、小さく赤い唇に触れようとすると――――
「ん………?」
まるで漫画のようなタイミングで、名前が目を開けた。驚いて勢い良く後ずさり、情けなくも床に尻もちをついてしまう。
「って…!」
「あ…あれ、私いつの間に寝ちゃって………………セト?」
俺、苦笑い。
名前はすぐに姿勢を直してベッドに座り、「おかえりなさい」と緩く微笑む。
付き合う前から親密だった俺達にとって(それこそカノとかには「恋人通り越して夫婦みたい」と言わしめるくらいに)、その頃から彼女が部屋で勝手に寝ている事などしょっちゅうだった訳だが、やはりこう関係が大きく変わった後だと、感じる心のふれ幅も変わってくるようだ。愛おしさを強く感じながら彼女の寝乱れた髪をとかしてやると、彼女も心地良さそうに目を伏せた。
「……今日、店に行ったらね…先輩に彼女ができてたんす」
落ち着いた所ですかさず今日の報告をする。名前は驚いたように俺を見上げた。
「ほんと?」
「ほんと。名前程じゃないっすけど、美人さんだった」
すると名前はおかしくも嬉しそうに笑い出した。
「それは絶対私なんかより美人さんだね」
「いや俺は…」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私には解るよ」
女の勘は鋭いんだよ、と言って微笑む彼女の表情はやっぱり誰よりも美人なのに。納得がいかない俺だったけれど、彼女は実に満足げだった。
「でも良かった。素敵な彼女さんができたんだ…」
「ちゃっかり気遣ってもらっちゃったっす。俺も気にせず幸せになってくれって」
「良い先輩だね。…今となっては自惚れた話に聞こえちゃうかもしれないけど、私、ちゃんとした告白をしてもらったのが初めてだったから…失礼な事を言って、必要以上に嫌な思いをさせてしまってたらどうしようって思ってたの」
"ちゃんとした告白"の中に、すれ違いまくっていた俺の告白が入っていない事は明白だった。当然だ、お互い妙に空振っていたのだから、その所為で俺達はここまで遠回りしてしまった訳だし。
だから、その言葉は今はもう気にしない。
ただ……ただね、どうしてもスルーできない言葉があったんすけど……
「初めて?」
「………え? うん、そうだけど…?」
そう、俺の心に引っかかった1つの言葉――――"初めてだったから"。
そりゃあだって、俺の告白は少なくとも先輩より後だった訳だし、下手すれば先輩より先に彼女に告白した人だっていたかもしれない。なんてったって彼女は世界一可愛いから。
だから、普通に考えて俺が初めて彼女に告白したというのはありえない話だ。そんな事、解ってた。
でも、でもなんか…………
「………ムカつく」
「はい?」
俺はせっかく起き上がったばかりの彼女の肩を押し倒した。腕を彼女の耳元につき、馬乗りになって見下ろす。
「……解ってるけど、」
「セ……」
「…初めてを取られるの、悔しい」
なんて子供っぽい理屈だろうか。彼女には彼女の人生があるのに、俺の関与できない所でそれが進んでいくのが、悔しかった。
看過しようとしてたけど、言葉にされたから尚更深く突き刺さる。
「こんな事言って…自分勝手にも程があるのは解ってる…。でも……」
でも、なんだろう。
君の全てが俺に関わっていなきゃ嫌だ?
……違う。いくらなんでも、そこまで独占しようなんて思っちゃいない。
じゃあ何だ?
俺は何を求めてるんだ――――?
圧力をかけたのは良いが、そこで俺は戸惑ってしまった。おろおろと彼女の表情を窺うと、同じように驚いた顔をした後…何故か、笑った。
「……名前?」
「ふふ…嬉しいなぁ…って思って」
「うれ……しい?」
「…セトが物凄く嫉妬してくれる人なのは知ってた」
それからその細い腕を伸ばし、俺の首にそっと回す。彼女の目元はほんのりと紅く染まっていた。
「まさか告白まで気にするとは思ってなかったけど…でもそれなら、ちゃんとはしてないかもしれないけどセトが最初ね」
「え、あの、」
「前にも言ったと思うけど…私は嬉しいんだって、セトが嫉妬してくれるの。なんか愛されてるって感じするじゃん」
俺は呆気に取られて彼女を見ていた。嘘をついているようには見えない。本当に―――楽しそうだ。
「だから、ぜひ私の初めては全て独占してくださいな」
あまつさえそんな事まで言われる始末。
「…なんか、俺の立つ瀬がないっすね」
情けないのを誤魔化すように笑って起き上がった。首に巻き付かせたまま腰に手を添え彼女も引き上げると、大人しく身を起こして俺にもたれてくる。
「ごめん、勝手な事言って」
落ち着いた頭で、改めて謝罪。
名前はにこにこ笑ったまま首を振った。
「いいよ。……でも、独占するなら最後まで放り出さないでね?」
私だって独占欲がない訳じゃないんだから――――そう言い足して、目を伏せる。
「そんな…そんなの、当たり前っすよ。易しすぎて拍子抜けっす…」
さっきまでの嫉妬が嘘のようだ、と彼女を抱き寄せる手に力を込めながら思った。あんな小さな一言でうだうだと醜さを隠せなくなってしまったのに、同じように彼女の発した一言で……そんな俺でも良いと言ってくれた事で、今はこんなにも幸せな気分になれている。自分の単純さに苦笑してしまうけれど、今はそれより"これから"の事を考えるので精一杯だ。
まずは明日にでも、初めてのデートをしてみようか。初めて手を繋いで、初めての……ああ、一緒に積み重ねたい初めてが山ほどある。
でもやっぱり最初は……
「じゃあまずは、"初めての名前のオンナの顔"……見せてくれないっすか?」
そう言って挑発的に覗き込んでやれば、彼女はこれ以上ない程に顔を真っ赤にしながら、俺の唇への小さなキスで応えてくれたのだった―――。
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