シンタローと幼なじみ彼女



「シンタロー、シンタローっ!!」

耳元で聞こえた大声に、夢の中にあった俺の意識は現へと引き戻された。焦点の合わない目を開くと、眼前に見知った顔があって――――

「うわぁっ!!」

驚いて跳ね起きた。するとベッドに肘をついて座り込んでいる名前がにやりと笑って寝起きの俺の肩をはたく。

「おはよう寝ぼすけ!!」

時計を見ると朝の8時である。まだ寝ぼすけって時間じゃねーだろと言いかけて、それよりも切迫した問題に気がついた。

「おま、なんでここに…っ!」

名前は、生まれた時から隣の家に住んでいる同い年の幼なじみだ。小、中と同じ学校へ通っていたが、高校はやりたい事があるからと言って俺とは別の所へ行った為最近は疎遠になっている。いや、なって"いた"。

それが何故突然こんな朝に起こしに来たのか。一瞬で目が覚めてしまった俺に再び「にひひ」と笑うと、名前は窓の方を指差した。

――――開いている。

「…………は!?」
「ベランダ伝いに隣の幼なじみを訪問するじゃじゃ馬娘、っていうギャルゲお馴染みのシチュエーションを実践してみた!」
「いや実践してみた、じゃねーよ! なに、こじ開けたのか!?」

いくらなんでも非常識な暴挙だと思って尋ねると、名前は心外だといった表情で首を振る。

「ベランダを渡った所で鍵がかかってたから諦めようとしたんだけど、ちょっと物は試しと思って話し掛けたんだよ。覚えてない?」

話し掛けた?
もちろんそんな記憶はない。だいたい自分から開けてたんならまた寝るなんて事は……ん?

「おかしいな…。窓をノックして"開けてー"って言ったら、シンタロー出てきて開けてくれたんだよ。まぁすぐまた寝ちゃったから会話はしてないけど」

人差し指を立てて言う名前はまるで確信犯だ。怒鳴りたい気持ちをなんとか抑え、代わりに溜息をついた。

「寝ぼけてたのか…俺」
「その通りみたいですね」
「じゃねぇだろさっきから!!」

しかしすぐ後の言葉に耐えきれなくなり、名前の頭をはたく。「ぎゃーっ、家庭内暴力!!」なんて言って大袈裟に痛がる名前だったが、俺は気にする事なくベッドに座り直した。

ったく、なんつー再会だよ…。

「で? そんなじゃじゃ馬娘が何の用だ」
「シンタロー不足だったから」

案の定痛がっていたのは演技。名前もすぐに床に座り直し、けろりとして答える。

「はぁ?」
「15年間毎日一緒にいたのに、高校入ってから全然会わなくなっちゃったから寂しくて」

それであんなインパクトのある登場をかましたのかよ…。相変わらずの破天荒さに頭を抱えながら、俺はじとりと名前を見下ろした。

「だったらメールとかすりゃいいだろ、そんな暴挙に打って出なくても」
「いや…だってシカトされたら嫌じゃん」
「じゃあ電話」
「着拒されてたらヘコむ」
「意外とネガティブだな!!」

思いつめた人間は怖いというが、メールも電話もできなかった結果がベランダからの直撃訪問とは、こいつも相当思いつめていたのだろうか。

……何故?

「…なんかあったのか?」

少し声を和らげて聞くと、名前はこちらを窺うように見つめ、言葉を選びながら話し始めた。

「……シンタローさ、こないだ可愛い女の子と一緒にいたでしょ」

可愛い女の子…

可愛いかどうかは解らないが、最近一緒にいた女の子といえばあいつしか思いつかない。言われてみれば家の近くまでは来た事もあったし、カーテンを閉めようとした時にでも名前が偶然見た可能性は大いにあり得る。

「…アヤノの事か?」
「名前なんて知らないけどさぁ…」

不満げに頬を膨らませて言う名前。その顔は昔よく見た拗ねている時のものだった。

「………シンタローはずっとモテないまんまで一生童貞で可哀想な子だって思ってたのに」
「お前本当何が言いたいんだよ…」

一方的に貶され出したので論点を戻すと、「まだ気づかないの?」とでも言いたげに名前は溜息をついた。そんな仕草をされる理由が解らなくて戸惑っていると、

「ずっとシンタローに会えなくて寂しかったんだよ。でもなんか楽しそうなシンタローを見てたら…私、忘れられちゃったのかもと思って」

と、観念したように締めくくった。

寂しかった。
忘れられちゃったのかもと思った。

それが彼女の本音。
思いつめて、ネガティブになって、最終的にギャルゲの真似事だなんて嘯きながら俺を訪ねてきた理由。

物憂げな表情は俺の知らない所で悩んだ顔だったんだ。意外とネガティブだ、と思ったらそれは俺に忘れられたんじゃないかと不安になった結果だったんだ。

――――つまりこいつは離れていても変わらず、昔のようにこいつは俺の事ばっか気にかけてる奴だった訳で。

「……お前、変わんないな」
「は?」
「俺の事ずっと…好きなんだろ」
「………そーだよ、好きだよ」

恥ずかしげもなく好きとかぬかしてくる所も。冗談のつもりで聞いたそんな気持ちが、本気で返ってくる辺りも。

…安心した。

「俺も変わってないよ」
「………え、」
「俺もお前の事だけを可愛いって思ってる。昔も今も」

だから他の女子が可愛いかどうかなんて解らない。俺にとっての女の子は、ずっと前から彼女だけって決まっているから。

長い事会えなかったから、変わってしまっているんじゃないかと少し心配だった。でも目の前にいる彼女の表情は、作りこそ大人っぽくなっても俺がよく知る名前のもの。

「…さて、それが解って安心した所で…俺は寝るわ」

久々に会えて良かった。大切な所は何も変わっていなくて良かった。

これからは頻繁に連絡してやろうと思いながら、俺は再びベッドに横になる。しかし名前が何やらぎゃーぎゃー言いながらベッドを叩くので、やむなく起き上がらせられた。

「こら、シンタロー! 何の為に私がベランダを乗り越えてきたと思ってんの!!」
「何の為にって…寂しかったんだろ?」
「それは幼なじみの領域!! 違うでしょ、最後までちゃんと聞いて!」

頭を掻きながら名前の言葉に耳を傾ける。幼なじみの領域ってなんだよ、じゃあ他に何の領域があるんだよ――――と言いかけて、思い当たる事がひとつ。

――――シンタロー不足だったから、寂しくて。
――――そーだよ、好きだよ。

彼女の言葉を反芻し、にやりと笑ってしまった。
…そういう領域、ね。

突然俺が笑い出すものだから、名前は不審そうに口を噤んだ。そのしかめ面がまた可愛くて、俺の笑みは深まる。

「名前」
「?」

ちょいちょい、とジェスチャーで手を振り、彼女を立たせる。
そして次の瞬間―――――

「わぁっ!?」

―――彼女の手を引きベッドの上に横倒しにすると、その細い体を後ろから両腕で抱きしめた。

「え、あの、ちょ、シンタロー!?」

僅かに覗く首筋までを真っ赤にしてじたばたと暴れる名前。それを拘束したまま、俺は彼女の耳元でそっと囁いた。

「最後まで聞いてやるから、言ってみろよ」

その瞬間ぴたりと動きが止まり、後には彼女の戸惑ったような呟きだけが残る。

「………だ、だから…」
「うん」
「私、シンタローの事が好き……だから…。これからも…隣にいたいから……」
「うん」

解っている。

――――要はこれは、女性としての領域って訳だ。

「あの……だから、うまく言えないけど…」
「……幼なじみの領域、脱却しようか」
「えっ……」

言いながら、自分でも驚く程に唯一の"変化"を受け入れられている事に気がついた。すなわち、俺達の関係性という変化を。
多分それは俺も無意識のうちに彼女を女性として見ていたからだろうというのはまた容易に推測できる事な訳で……としたら、今俺がやる事は1つだ。

その、領域脱却とやらを手助けしてやらなきゃいけない。

そんな事を考えつつ、手始めというには性急かもとも思いつつ、俺は片手で彼女の髪をかきわけた。綺麗なうなじを空気に晒し、そこに優しく唇を押し当てる。

「シ、……」

驚いて俺の名を呼ぼうとした彼女の唇を、手探りで塞ぐ。人差し指を彼女の柔らかな唇に触れさせると、簡単に彼女は言葉を止めた。

「こんな所も昔のままだな。破天荒なくせに押しには弱い…」
「…シンタロー限定だよ。押されて逆らえないのなんて」
「………あんま一気に可愛い事ばっか言うな。辛い」

照れたようにくすくす笑う声が聞こえたので、なんだか悔しくなって腕を放した。そうしてすぐに彼女の肩を掴むと寝返りをうたせ、至近距離で向き合う形になる。

そういえば、忘れていた言葉があったな…なんて思いながら、まだ戸惑いが残っている彼女にその"言葉"を呟いた。

「俺も、好きだ」

彼女は嬉しそうに目を伏せた。

新しい領域に、2人手を繋いで足を踏み入れる―――今の俺は、そんな感覚の中にいた。









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