ヒビヤとお姉さん彼女



今日は珍しくヒビヤ君がアジトでなく私の家に泊まりたいというので、夕方頃あっちへ迎えに行って連れてきてやった。
小さなマンションの一部屋。正直いって幼い彼がエンジョイエキサイティングできるような環境ではないが、先方たっての希望なので、断る理由のない私は二つ返事で承諾したのである。

そうして2人でもそもそと昼ご飯の作り置きを夕飯にして食べ、早めにお風呂をわかし、現在は先に風呂に入ったヒビヤ君にテレビのリモコンだけを渡し、私が入浴中。

温かい湯船につかりながら、この数時間でいくつ挙げたか知れない後悔の数々を反省し始めた。

ヒビヤ君が来るのは一向に構わないのだが、そんな事ならオムライスの作り方とかキャラクターの入浴剤とかもっと準備しておけば良かったと思う。だって私は、ヒビヤ君を最高に甘やかしたいお年頃なのだ。どんな年頃だ。
ヒビヤ君は生意気で妄想過多気味で結構な問題児だけど、私にとっちゃ大切な弟のような存在。本当は礼儀正しいし、感受性も豊かだし、何より詳しい話は聞いていないけど――――何か、心の奥底に悲しいものをたくさん秘めている事には気づいていた。
だから、せめて私と一緒にいる時だけは辛い思いを全部忘れてほしい。めちゃくちゃに甘やかしてやりたい。…と、いう訳だった。

そんな彼にとりあえずリモコンだけを投げてきちゃった訳だけど、果たしてこの時間小学生向けの番組なんてやっていただろうか。既に22時、ませてる子供なら好きであろうドラマ群ももう終わり、そろそろ深夜番組へ移行する時間帯だ。

「…………」

急いで私は湯船から上がり、水滴を拭いて脱衣所に出た。Tシャツと短パンだけを身に着け、リビングに戻る。
そういえば静かだけど、何見てるのか……な…―――――

テレビ画面は真っ暗だった。ああいや、電源が切れていたとかではなく、背景が真っ暗だっただけ。そのうち画面の一点にぽう、と光が灯り、みるみるうちにそれは大きくなった。そしてそれはだんだん人のような形を為し、ずるずると這い回りながら―――…

『きゃあああああああああ!!!!!』
「うわぁぁあっ!!!」

「…………」

画面とヒビヤ君の叫び声が、狭い私の家に共鳴して響き渡った。思わず呆れ返る思いでそれを見ている私。

…まさかのホラー映画でした。

恐怖を助長させるのであろう効果音が鳴り出し、だんだんと音量を増していく。素直なヒビヤ君はかたかたと震えながらソファの上で膝を抱えて座り、それでも目線は画面に釘付けだった。

…んー、ここは深夜番組よりかはマシだったと思うべきかな。

私が長い事立ち尽くしていたから、いい加減その気配に気づいたのだろう。ヒビヤ君はテレビがCMになったと同時にこっちを振り返った。

「! わ、ちょ、名前!?」
「ご近所さんいるからねー」
「ご…ごめん、あの、い、いつからそこに?」
「きゃあああ、わあああ、が聞こえた時くらい」
「………」

気まずそうな顔をして俯くヒビヤ君。そりゃあ普段あんだけ強情な態度を取ってるのに、ホラー映画で簡単にオちるなんて知られたら、恥ずかしいわなぁ。

「……私、先に寝てようか?」

だから、それは善意と思って出た言葉だった。見始めた以上最後まで見届けたいのであろう彼に対して、無理にその痴態を晒させるなんて真似はしたくない。

しかしヒビヤ君はまるで今世界の終わりを実感したような、絶望的な顔になってぶんぶんと首を振った。その間にCMは終わってまたホラーチックなBGMが流れ出し、せわしなくヒビヤ君は「ひッ…」と息を呑む。

「……大丈夫?」

ばしんという音を立てて、ヒビヤ君はリモコンの電源ボタンを押す。画面はすぐさまブラックアウトし、静寂だけがその場に残る。

「………こ、これはただ…一応客として来てる僕が名前より先に眠るのも失礼かなって思って、待ってるつもりで見てたんだけど、内容も陳腐だしシナリオも不十分だし全然良いとはいえない作品だよねって思って、後で叩いてやろっかなって思っただけで、別に」
「ヒ、ヒビヤ君」

慌ててまくし立て始めるヒビヤ君をとりあえず遮る私。

「とりあえず落ち着こう。映画は消したからもう大丈夫。ね?」
「うっ…うん」
「よし、じゃあ…もう寝ようか。大丈夫、ヒビヤ君がビビりだってのは黙っててあげるから、今夜の事は」
「…………名前」

取り繕うように喋り出した私を今度はヒビヤ君が遮った。そして、言いづらそうに指先を絡ませながらこう言い添えた。

「……一緒に、寝てほしいんだけど」
「………………はぁ?」





当初の予定では、ヒビヤ君に私のベッドを貸してあげ、私の方は床にマットレスだけを敷いて眠るつもりだった。

それが、今。同じベッドで私、ヒビヤ君を腕枕中です。なんというか、私の気分は赤ん坊をあやす母親のようなものだった。母親じゃないから解んないけど。

「…別に腕枕は頼んでないし」
「だーからー、"はぁ?"とか言っちゃったのはごめんってば」
「いやそうじゃないから」

そして何故か、私達は喧嘩中でもありました。

「もう、いつまでも拗ねてるとヒビヤ君がホラーでビビって女の子に添い寝してもらったって言いふらしちゃうよ?」
「っ、す、拗ねてないし、ビビってないし!」
「添い寝してもらったのを否定しないくらいには冷静なんだね」
「っ………」

私が意地悪くにやにや笑うと、ヒビヤ君の顔は真っ赤になる。

「だ、だいたい名前、今夜の事は何も言わないって約束したじゃん!」
「うん、でもヒビヤ君可愛いから」

わざと視線を逸らし、追い討ちをかける。ヒビヤ君は今度は真っ赤にはならなかった。赤さの名残だけをとどめて、むっとしたように顔をしかめる。

「可愛いとか言われても全然嬉しくないんだけど」
「なに、やっぱり格好良いって言われたい?」
「そりゃあ…僕だって男だし…」
「女の子に添い寝してもらったけど」
「あーもう、うるさいなあ!! 別に普段はちゃんと1人で寝てるから!!」

勢い良く飛び出したヒビヤ君の言葉。もちろん笑ってあしらう事だってできたけど、予想以上に響いてきたそれに、私はついにやにや笑いのまま止まってしまった。

「? ……名前?」

――――そうだ、ヒビヤ君はいつも独りで寝て、起きて、生きているんだ。

理由は解らないけど、こんな小さな年のうちから親元を離れているヒビヤ君。きっと…いや絶対に、心細い夜だってあったはず。なのに、頼れる友達も泣きつける親もいない空間で、ただ朝を待つだけで。

そうだよ、だから今日は甘やかしてあげたいって思っていたんじゃないか。彼が弟のような存在だというのなら、もっと私だって姉のようになれる筈でしょ。

雰囲気を明るくするだけじゃ、だめだ。

…でも、でも……………一体、どうすれば?

唇をきゅっと引き結び、私はヒビヤ君を優しい力で抱きしめた。突然の抱擁に当然ヒビヤ君は戸惑い、弱くはあるが抵抗を試みてもがく。

「ちょ、いきなり何――――」
「ヒビヤ君、ごめん」
「……え?」
「ヒビヤ君がいつも頑張ってるの、解ってた筈なのに。独りでも強く生きているのに。……私、なんか全然ヒビヤ君の支えになれてないや…」
「名前……」

ヒビヤ君が私を呼ぶ声は、少しだけ震えていた。迷うように彼の手が私の背中に伸び、Tシャツの裾がくいっと引かれる。

反応があった事に少し驚きながら、ヒビヤ君の顔を覗き込む。彼はいつもの仏頂面をいつの間にか崩し、泣きそうな顔をして、目を伏せていた。

「こんな事言ったら笑われるかもしれないんだけど…」
「………」
「……本当の事言うとさ…最近、寝付きが悪いんだ」
「…うん」
「ろくに眠れなくて…夢見も悪くて。……寝不足とストレスで、体調も良くなくて」
「…………」

彼の手のひらの力が、強くなる。抱きしめる私の腕の中で、ヒビヤ君はそっと私の肩に自分の額をあてた。

「……だから、泊まりたいってお願いしたんだ」
「………え?」

続いた言葉を噛み砕けなくて、つい聞き返す。ヒビヤ君はまっすぐこっちを見て、心の中を打ち明けてくれた。

「名前は…僕と同じ目線でいてくれるから。いつも楽しそうに笑って、楽しい話をしてくれるから。辛い時は名前と一緒にいたくなるんだ。全部忘れられて、楽しい気分だけが残るから」

それは、初めて聞いたヒビヤ君の本音。目の覚めるような思いで、私は彼を見つめていた。

「……ごめん、なんか避難所みたいに言っちゃって…」
「………ありがとう」

微笑みを隠せない私に、今度はヒビヤ君が意外そうな顔をする。

「私……ヒビヤ君には…何も話さなくて良いから、辛い時に私の所で泣いてほしかった。怖い時にはこうして…縋ってほしかった」

そっと片手を伸ばし、ヒビヤ君の髪を撫でる。ヒビヤ君は目尻に涙を溜めながら、小さく頷いた。

「だから、避難してきてくれて嬉しい」

何度も何度も頷いて、それからすっかり安心したように、私の事を抱きしめる。

「…………今晩の事、黙っててくれるんだよね?」
「…うん。黙ってる」

だから、いっぱい弱音を吐いて良いよ。
いっぱい私のTシャツを引っ張って良いよ。

そんな心を込めて、私はヒビヤ君をずっと撫でていた。

ヒビヤ君はいつの間にか眠ったようで、そのうちに規則正しい寝息が聞こえるようになった。天使みたいな寝顔の奥に隠された傷をいっぱい垣間見て、私の心までが痛みを訴える。

ヒビヤ君が私をそんな風に思ってくれているなんて、知らなかった。なりたいと思った、彼の頼れる場所。そこに私を置いてくれるなら、これからも私はそこに居続けたいと思う。

ヒビヤ君の柔らかい頬を人差し指の背で撫でながら、私はただ時計の針がちくたくと時を刻むのを遠くに聞いていた。いつか時間が彼の傷を癒やしてくれると信じて――――





朝。

目が覚めたので立ち上がり、台所へ向かう。朝食を作っているとヒビヤ君が目をこすりながら起きてきた。

「あ、起きた? おはよう」
「おはよう…」
「どう、あれから起きないでちゃんと眠れた?」
「ん………あの、昨日は」
「え? あぁ、泣きべそかきながら私の事大好きってしがみついてきたのはもちろん他言しないから安心してね。はい朝ご飯」

目玉焼きと小さなサラダをテーブルに並べ、ヒビヤ君に素敵なお姉さんスマイルを向けた。しかし目が合った時のヒビヤ君の顔ったら、おおいに強張っていて。

「微妙に違うし、言葉にされるとなんかムカつくんだけど…」
「そんな事より、あれから寝るまでの間にちょっと考えたんだけどね」

そこで強引に話を逸らしたのは、これから口にする予定の"提案"が、いくら私といえどちょっと恥ずかしい内容のものだから。
私はわざとコンロの傍に立ちながら、さりげない体を装って口を開いた。

「私達、一緒に暮らさない?」

一瞬の沈黙。そして、その後に、

「えぇえええ!?」

というヒビヤ君の絶叫。

「だって私はヒビヤ君といるの楽しいし、ヒビヤ君は私と一緒にいたら辛い事を忘れられるんでしょ? もちろんヒビヤ君の過去は掘り返さないし、親元に帰れるようになるまでの期間だけで良いよ。養ってあげられる保証もないから、楽はさせてあげられないけど…まぁ、だからお互い自立した生活をするのが前提でルームシェア、って感じになるかな」
「で、でもそんなの、名前に迷惑しかかけないし…」

ふむふむ、その反論が第一に出るという事は、少なくともその提案を嫌がっている訳じゃないんだな。お姉さんはそれが聞ければ充分だ。

「いいの。言ったでしょ、ヒビヤ君はもっと私を頼ってよ!!」

本当に一番言いたかったのは、この言葉だから。
にっと笑って、今度は誤魔化さずにヒビヤ君の方を向く。頼ってよ、と言ったと同時にヒビヤ君は頬を赤くし、狼狽えた様子で迷っていた。

「……僕、何の役にも立たないけど偉そうにするかもよ?」
「その時はちゃんと叱ります。それで代わりに、ヒビヤ君も私の冗談が度を越してる時は怒ってね」
「頼って良いって言われたら、本当にべったりになるかもよ?」
「むしろ本望」

ヒビヤ君はぎゅっと拳を握りしめた。付き合いは短いけど、いつも見てたからちゃんと解るよ。

「よろしく、お願いします」
「よしきた!」

―――それが、大きな決意をした時の君の癖だって事は。




こちらこそよろしくね、ヒビヤ君!









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