カノとバースデー彼女
※夢主さん16歳、カノ18歳
時計を確認すると、23時45分…ちょうど待ち合わせの15分前だった。
なんとなく、なんとなくだけど、期待している自分がいる。待ち合わせに指定されたいつもの公園のブランコに乗りながら、照れ隠しに漕いでみた。
月は上機嫌に、そして街灯と競り合うように、辺りを照らし出している。
明日、つまり15分後は、私の16歳の誕生日だった。カノさんのお誘いはいつだって急だけど、今日に限って日付変更線を跨ぐ瞬間に誘われたのは、なんとなく、やっぱりなんとなくだけど、
……もしかしたら、私のお誕生日をお祝いしてくれるのかな、って。
そうだったら良いなあ。
「あ、やっぱ先に来てた」
あんまり期待しないようにしようと思いつつも、しまりがなくなっていく口元。それと格闘していたら、前方から大好きな人の声が聞こえてきた。
ぽんとブランコから降り、手をひらひらと振って歩いて来るカノさんの元へ駆け寄る。私の口元は、もう格闘するとかそれ以前に、止められないくらい緩んでしまっていた。
「カノさん!」
「ごめんね、こんな夜遅くに呼んだりして。怖かった?」
「大丈夫です。カノさんに会うんだって思ったら、怖さより嬉しさの方が強くなっちゃって…」
思ったままを言うと、カノさんはにっこり笑って、「そっかそっか」なんて言いながら私の頭を撫でてくれる。
人はよくカノさんの事を、よく解らない人間だ、とか、人を騙す怪しい奴だ、とか言うけど…私には、そんな風には見えない。
だって、触れる手はこんなに温かいんだもの。
確かにカノさんは冗談ばっかり言うし、私はそれによく引っ掛かっちゃう。でもそんなの、カノさんの本当の心がとっても優しくて、ちょっと寂しがり屋さんで、実は傷つきやすかったりする…って事を解ってる私にとってみれば、全然問題じゃない。
「――――誘ってから思ったんだけど、名前の年だとこの時間に出歩いてたら補導されるよね」
「あっ…そ、そうでした! でもそうしたらカノさんだって…まだ未成年ですし、」
「僕はほら、成人に見せかけられるからさ」
「あぁ…そうでした……」
"チカラ"の所為でカノさんが背負った苦労は知っているつもり。だから、それを羨ましいとは思えない。…でも、ちょっぴり不安になった。
「ま、警察なんてそうそう来ないから良いけどさ。いざとなったら保護者同伴に見せておくから」
「カノさんが私の保護者ですか?」
「そーだよ?」
カノさんが私の保護者…想像したのは、学校の保護者参観や父母会。数々のお母様方に紛れてカノさんが"どーもどーもー"なんて言っているのを想像したら、面白くなってきてしまった。
「ふふ、それは楽しそう」
「……うん、やっぱりやめとくよ」
そんな四方山話をして、2人でブランコに乗りながら、私達は存分に時間を無駄にした。
この、何をするでもない時間は好き。隣にカノさんがいてくれると、時間を無駄にしてるなぁっていうちょっと残念な感覚が、たちまち幸せになってしまうのだ。
「名前っていつも楽しそうだよね」
するとそんな気持ちが伝わったのか、カノさんが面白がるようにこっちを向いた。
「カノさんと居ると、嫌な事も疲れも退屈さもぜーんぶ忘れて、幸せだけが残るんですよ」
「へぇー。僕ってすごいなぁ」
「はい、本当に!」
「いやあの、そこそんな手放しに肯定する所じゃ……」
カノさんは困ったようにそう言うけど、私は首を振って一生懸命気持ちを伝える。
「いいえ、カノさんは本当に、魔法使いみたいな人なんです。どんなに苦しくても…どんなに辛くても、カノさんが私の名前を呼んでくれるだけで、隣に座っていてくれるだけで、もうなんでも出来るような、また明日も頑張ろうって思えるような…そんな気がするんです」
「買い被りだよ」
「とんでもない!」
私ばっかり、幸せを貰ってる。私ばっかりが、カノさんに幸せにしてもらってる。
何か、私だってカノさんにしてあげたい。たくさんの幸せをあげたいし、欲を言えばカノさんの幸せの理由が私だったら良いな、なんて自惚れた事も願っちゃう。
――――ねぇカノさん、あなたはどうしたら幸せになってくれるの?
カノさんは少しこっちを見つめたまま、何かを考えていた。私も一緒に黙っていると、不意ににゅっとカノさんの手が伸びる。
「名前」
「? はい」
「おいで」
「……?」
言われるがままにブランコを降り、カノさんの前に立つ。するとカノさんは座ったまま、目の前に立つ私の腰に腕を回した。
「………!!!?」
何の前触れもなく抱きしめられてしまった私は、とりあえずどうしたら良いのか解らなくて、ちょうど手の届く所にあったカノさんの髪を撫でてみた。柔らかい猫っ毛が、指先をくすぐる。
「あのさ」
カノさんはそのまま喋り出した。いつもみたいな軽やかさがない口調に、つられて私の顔も引き締まる。
「………………あんまりこういうの、キャラじゃないんだけど」
そしてこれまた珍しい、カノさんにしては重たい切り口。私はひたすら待っていた。
「…それ、僕も思ってた」
「……はい?」
「名前の優しさって、僕の唯一の居場所なんだよね。あぁもちろん…メカクシ団のみんなも大事だよ、でもそれとは違う、別の意味」
静かに耳を傾けながらも、驚きが隠せなかった。出会ってからもう何年も経っているけど、こんな素直な言葉をくれた事は一度だってなかったから。
「名前って、何言っても笑ってくれんじゃん。僕の事解ろうとして、いつもまっすぐ向き合ってくれんじゃん。…実は、嬉しかった」
「カノさん……」
「なんかこんな事ばっか言うのって格好悪いし、それこそ嘘だって疑われそーだけどね、まぁそれもそれで」
「信じますよ!」
カノさんがだんだん自己防衛に走ってる事に気づき、慌てて口を挟む。
「信じます…。そんな嬉しい言葉、疑えませんよ…」
「はは……怖いくらい素直だね、僕の名前は」
やっぱりその笑顔はどこか弱々しくて、心臓がきゅうと締め付けられるようだった。
――――何か、おかしい。
こんな時間に呼び出されたのも、もしかしたら私の誕生日なんかじゃなくて、嫌な事とかがあったからなのかもしれない。自分の誕生日を忘れられてた、っていうのは少しだけ寂しいけど、カノさんが辛い顔をしてる方がずっとずっと嫌だから。
私は胸の痛みに対抗するように、カノさんの事を抱きしめた。
「―――カノさん、何かあったんですか?」
私の腕の中で、カノさんが息を呑む音が聞こえる。当たり、かな。
「私に話せる事ならなんでも言ってください。せっかく今、会ってるんだから…」
あれ、なんだか私の方が震えてきた。
いつも笑ってて、強情なカノさんが思いがけず切なそうな顔をするからだ。もう、どうしてそうやって、ひとりで溜め込むの?
たくさんの悲しみを押し殺しながらカノさんの言葉を待つ。すると彼の唇を最初に震わせたのは―――
「くくくっ………」
そんな奇妙な声で…っていうか、
「………え?」
なんだろう、この喉を鳴らすような声(音?)。まるで笑ってるみたいな………わ、笑ってる!?
「カノさん!?」
少し声を大きくして腕を離すと、カノさんは顔を真っ赤にして低く笑っていた。
あれ、今までなんだか凄く辛そうな感じだったのに、どうして笑っ……て………あぁ、そっか…。
「だ…騙しましたね……?」
カノさんは余程ツボにはまったんだろう、答えられないくらい笑っている。
「も、もう! ちょっと、笑いすぎです!!」
恥ずかしさでいっぱいになった私は、とりあえずそれを発散させようと大きな声を出した。
でも、恥ずかしさと一緒に、どこかホッとした気持ちも感じている。カノさんが本当に辛くてどうしようもなくなってたんじゃないなら、良かったって。
笑いながら怒る私を暫く見つめた後、漸く落ち着いたらしいカノさんはブランコから立ち上がった。私の髪を優しく撫でて、「ごめんごめん」と謝る。
「ちょっと気になってる事があってね、つい表情が消えかかっちゃったんだけど…あんまりにも名前が心配してくれるからさ、もー可愛くって」
「か、可愛くなんか……ってそれより、気になってる事ってなんですか?」
もう今となってはどこまでが本音だったのか解らないさっきの会話。反芻しながら私は、何かカノさんにとって気になる事でもあっただろうかと考えを巡らせた。
「うん、それ今日呼び出した理由でもあるんだけど」
右ポケットに手を突っ込み、中から出したのは携帯。待ち受けで時間を確認すると、大きく頷いた。
「そうこうしてる間にちゃんと日付変わったね。―――名前、誕生日おめでとう」
瞬間、ふわり、と締め付けられていた心が一気に軽くなった。
やっぱり覚えててくれたんだ。わざわざ日付が変わる時に呼んで、メールでもなく電話でもなく、直接お祝いしてくれた。
「ありがとう…ございます!」
「うん。…で、これで名前は16歳になった訳だ」
「はい、そうですね」
この喜びをどう伝えようなんて考えている私を横目に、カノさんは今度は左ポケットに手を突っ込んだ。
中から出したのは、小さな正方形のケース。ちょうど指輪を入れるような――――って、え? 今度は何?
「この日をずっと待ってたんだ。はいこれ」
得意げなカノさんから、ゆっくりとケースを受け取る。心を占めていたのはひとつの予感。まさか…いやいや、でも…。
震える手で開くと、中に入っていたのは…
「っ、綺麗……」
小さなダイヤモンドのついた、可愛い指輪だった。
「16の誕生日にはこれって決めてたんだ。僕も晴れて今年で18だし―――もうこの意味、解るよね?」
もちろん、解らない訳じゃない。私が16でカノさんが18、これがどういう事を意味するかなんて。
でも、信じられなかった。お誕生日を祝ってもらえるだけで充分幸せだったのに、こんなプレゼント…幸せがキャパシティオーバーしてしまっている。
気がついたら私の頬に一筋の涙が伝っていた。言葉の代わりにこれが現実だと示してくれた涙を、カノさんはそっと指先で拭ってくれる。それから一度私の手にあるケースを取り、中の指輪を取り出した。
「手、出して」
どうしよう、涙が止まらないよ。
左手を差し出した私。その薬指に、カノさんは綺麗な指輪をつけてくれた。
指輪は薬指のサイズにぴったりだった。
「いつも名前は僕に幸せをくれた。もう何も世界に面白い事なんて期待しないと決めてた僕を、変えてくれた。だからこれからは、僕が名前を幸せにしてあげる。たくさん笑わせてあげるし、いつも隣にいて抱きしめてあげる。…一生を、かけて」
私の顔、きっと涙でぐしゃぐしゃだ。
カノさんのらしくない告白の言葉は、恐ろしいほど私の胸にすとんと降りてくる。
―――ずっと願っていた。カノさんを幸せにしたいって。幸せの理由が私だったら良いって。
まさかそれがもう、叶っていたなんて。
あぁ、でもやっぱり…
「私も、ずっとずっと…カノさん、幸せに、します…っ!」
それから思わず夢みたいと呟いた私を、カノさんは痛いくらいに抱きしめてくれた。現実だって教えるように。薬指の輝きも眩しくて、まるで明るい未来を示しているかのよう。
こうして私達の幸せは、小さな公園の月明かりの下、ひとつの特別な日から永遠に向かって始まったのだった。
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