ヒビヤと引っ込み思案彼女



これは、僕にとって人生最大の恥ずかしい話であると同時に、最高の日の話でもある。





その日、僕は都会に出ていた。
いや敢えて言う事じゃないのは解っている。でもこの喧騒、人ごみ、車、あと高層ビル。それにはどうしても慣れる事ができなかったのだ。

…酔う前に帰ろう。

わざわざ苦手な都会に出てきたのには理由があった。最近ちょっと興味を持ち始めていた某アーティストのCDが、都会にしかなかったのだ。
…当たり前じゃんと思うかもしれないけど、僕はもうちょっと、こう…都会(今いる所)と田舎(僕の実家)の間(例えばアジトがある所とか)にも売ってると思っていたのだ。都会と準都会の区別がつくくらいには準都会に慣れた今、アジト近辺の店だけで自分の買い物は全て済むと思っていた…のに…

いや、もうごちゃごちゃ言うのはやめよう。今の説明だって一体どのくらいの人に伝えられたか解ったものじゃない。

とにかく早く帰る事を念頭に置いて、信号が青になったのを確認し足を踏み出す。
しかし、やむなくその足は再び元の位置に戻ってくる羽目になってしまった。

「――――?」

今…そこの路地裏になんかすごい天使っぽいのが見えた気が……

僅かに後ずさって、今し方通った路地裏をよく見てみる。すると、そこには見慣れた天使、いやもとい人の姿があった――――。

「……名前?」





「あ、ありがとうヒビヤ君、見つけてくれて…」
「や…それは良いんだけど、なんであんな所にいたわけ?」

あそこにいたのは僕が認定した"天使と見紛う程に可愛い女子"名前だった。路地裏でひとり何かを探すようにきょろきょろと徘徊していたので、とりあえずどこぞの男に誘拐されないうちにと連れ出して近くの喫茶店に入り、今に至る。

僕が上の質問をすると、アイスココアを飲みながら名前は照れたように笑った。可愛いなぁ…じゃなくて。

「実は、新発売のCDを買いに来てたんだけど…こっちの方はあんまり来ないから、道に迷っちゃって」

CDを買いに来たなら目的が同じだな、なんて嬉しく思いつつも、隠せない溜息までがつい口をついてしまった。

「道くらい、誰かに聞けば良かったじゃん」
「だって知らない人に話しかけるのとか、ちょっと怖いし」

俯いて呟く名前を見て、そういえば彼女が引っ込み思案な性格だった事を思い出した。人に話しかけるのが苦手で、自ら人に立案するのも苦手な彼女は、もっぱらひとりでふらふらと行動してばかりいる。それが実は心配でもあったのだが…

「はぁ…まぁ、一緒に行く口実ができたと思えば安いもんだけど」
「は?」
「な、なんでもない!! …その、僕もCDショップに行く予定でここに来たから、どうせなら一緒に行こうかって…」
「ほ…本当?」
「うん。それにさっきの名前、うろうろきょろきょろと逆に目立ってたし。本意じゃないでしょ、ひとりで悪目立ちするの」

目立ってた、と言われた瞬間名前の顔に衝撃が走った。唇を引き結び、狼狽えて視線を彷徨わせる姿はなかなか可愛い。じゃない面白い。いややっぱり可愛い。

「本意じゃないです……」

掠れた声で言う名前に「じゃあ決まりだね」とだけ言って、僕は立ち上がった。後ろからてくてくついてくる名前。
…初めて都会に出てきて良かったと思った。





CDショップは予想以上に大きなビルの中に入っていた。見上げても見上げきれないくらいの高さに入る前から辟易する。

「なんか私…見ただけでお腹いっぱいになっちゃった」
「うん…僕も」

しかしこここそが目的地の為、負けてはいられない。さっきから僕を連れ回してしまっていると勘違いしているらしい名前の手をさりげなく引いてエスコート系男子を演じ、僕はビルの中に入った。

瞬間、BGMが耳を裂く。女子高生やらバンドマンらしき男性達で店内は賑わっていた。それにしてもみんなして派手派手ごてごてな格好だ。特に女子。似合っていない茶髪とか、目が見えないくらい重そうなまつげとか、下着が見えそうなくらい短いスカートから覗く太い脚とか…隣の名前と比べるのも失礼になる程下品に見えてしまうのは田舎者の僻みだろうか……って…

「だ、大丈夫? 名前…」

見れば名前は完全に怖じ気づいていた。

「大丈夫…ぎ、ギャルさんの迫力に圧されてました…」
「……うん、それは解る」

しかし引っ込み思案だからといってビビりな訳ではない名前。最初のショックを乗り越えると、果敢に中へと足を進めていった。

「誰のCD探してるの?」
「めちゃくちゃマイナーだから知らないかもしれないけど…あ、これこれ」

そう言って名前が指し示した先にあったのは、確かに僕の知らないバンドのシングルだった。

「へぇー…」
「全然有名じゃないけど、良い詞を書いてるんだ」

その時の名前は、見た事がないくらいイキイキとしていた。好きな事について話す時が人は一番良い顔してる、って言うのは決して間違いじゃないんだと思う。いつもより可愛さ150%増しくらいになっていて、つられて笑いそうになる口元を必死で抑えた。

「み、見つかって良かったじゃん。僕も自分の分探してくるから、先に買ってきなよ」
「うん! ありがとう」

余程見つかって嬉しかったのか、頬を紅潮させながら頷く名前。ドキドキとしながら逃げるように移動しようとした僕だったが、その瞬間、いつの間にか僕達の後ろにいたケバい女子高生がどんと名前を押しのけた。

「!?」
「あっ……」

当然、華奢な名前は後ろによろめき、あっさりと売り場からどかされてしまう。女子高生はそれで出来た隙間に体をねじこみ、たった今彼女が手に取ろうとしたCDをむんずと掴んだ。
マイナーバンドのCDなので1枚しかないのに、だ。

「ったく、いつまでもぐずぐず突っ立ってんなよなー」

しかもあろうことか、そんな罵声まで浴びせてくる始末。突然の事に名前は目を白黒させ、何も言えずにいた。

「えと……え?」
「名前、大丈夫?」
「う…うん……」

おろおろと戸惑っている名前と、今度は自分達がその場にたまってぎゃーぎゃー騒ぎ出した高校生。確かにまだ彼女はCDを手にしてはいなかったから、ここでそのCDは彼女のものだというのは常識的な行動じゃないかもしれない。

でも。

「ちょっとおばさん、今このCDはこの人が見てたんだけど」

なんだか凄く、イライラした。

「ひっ……ヒビヤくん!?」
「あ? なにこのガキ。つかおばさんとか誰の事言ってんの?」
「どう見ても若作りしてるって感じなあんた達でしょ。汚い化粧にだらしない服とか、なんかいかにも古いし。あとうるさいし」

女子高生…もうおばさんでいいや。おばさん達はそのケバい目をつり上げて、僕を高圧的に見下ろしてきた。

「ちょっとあんた、黙ってれば生意気な事ばっか言ってんじゃないよ。目上の人への口の利き方習わなかったの?」
「目線が高いだけで全然目上の人って感じじゃないから。日本語の使い方もおかしいし。そんな事より聞こえなかったの? そのCDはこの人が先に見てたんだってば。売り場を立ち去ったんならともかく、まだ目の前で見てて、しかも手にしようとした瞬間にそれを無理やり押しのけるとか、良い年こいて常識なさすぎ」

視界の端で名前がわたわたと僕を止めようとしてるのが見えたけど、そんなの無視。っていうか名前はもうちょっと怒るべきだと思う。

「はぁー!? 用もないのにぐだぐだたまってんのはそこのブスじゃん!! なんでウチらがこんなガキに説教されなきゃいけない訳!?」
「ブスって……名前は普通に可愛いからね」
「このガキ……っ、マジムカつく!」

だんだん頭の悪い反論しかしなくなったおばさん達。そろそろまずいかもなって考えていたら、騒ぎを聞きつけた店員が駆けつけた。

「お客様! どうされましたか!?」
「チッ……この店マジでクソだわ。行こう」

慌てた様子の店員に舌打ちをし、おばさん達は去っていった。一応自分達の方が常識外れだという事は解っていたようだとホッとする。

それからおばさん達が乱暴に棚に置いたCDを手に取り、「あ…あの…」と不安げな表情をしている店員に渡した。

「これ、買います」





「……ごめんね、ヒビヤくんにいっぱい喋らせて」

帰り道、マイナーバンドのCDを入れた袋を片手に名前がぽつりと言った。
正直、あの時なんであんなに攻撃的に出られたのか自分でもよく解らなかった。普段の自分を勇敢だと思った事はない僕が、だ(現に僕は歩きながら膝が笑いそうな状態になっている)。
まぁその理由をなんとなくで推測すれば、好きな子の笑顔を奪われたから…なんていうクサい上にのたうち回る程恥ずかしい理由かなとは思ったのだが、なんにせようまい事おばさんも追い出せたし、名前にCDも買わせてあげられたし、結論"僕もやればできるじゃん"、である。

だから目当てのCDが入っている袋を振り回しながら、わざと格好つけてぶっきらぼうに言った。

「まぁ、あのCDもあんな汚いおばさん達より名前に買われた方が幸せだと思っただけだから」
「…そこまでおばさんでも汚くもなかったけどなぁ…」
「………あのさぁ、名前はちょっとお人好しすぎだよ」

流石に呆れてそう言うと(もちろんそんな所も素敵だというのは言うまでもない)、名前は明らかに狼狽してしまった。

「で、でもっ、あんまり人に強く言うのとか苦手だし…」

うん、だからそこが可愛いんだけどね?

でも今回、このままじゃ名前はずっと損ばっかりして生きていく羽目になるんじゃないかと思った。やっぱり優しい名前には、たくさん得をしてほしいのだ。

あ、そうだ…じゃあさ、良い事考えた。

―――思えばそれは、いつもなら到底言えないような言葉だった。でも非常識なおばさんの駆逐に成功し、名前とのデート(もどき)がうまくいっている事ですっかり調子に乗っていた僕は、その危ない橋も躊躇なく渡ってしまったようで。

「解った。じゃあこれからずっと僕が名前の隣にいて、名前ができない主張は全部してあげるから」

後日、この発言を思い出す度に「ああああああああ!!!!」ともんどり打って羞恥心に殺されかけたというのは敢えて黙っておこう。とにかくこの時の僕は慣れない事続きで妙に高揚していて、「言ったゼ俺…」とばかりに得意になっていた。

当然、名前は驚く。

「め…迷惑じゃない? それ凄く…」
「んな訳ないじゃん。迷惑だと思ってたら提案しないし」

ちなみにここも後日の羞恥ポイントだ。そりゃあそうだよね、普段の僕からは想像もできないようなこの強気の発言。驚かない方がおかしい。

でも、今こうして僕はちゃんと生きている。両足で立って、生きていられている。

というのは何故かといえば、この次の名前の言葉が――――

「あ……ありがとう…! ヒビヤくんがいてくれたら私…頑張れる気がする!」

というとても前向きなものだったからだ。
さ……最強に可愛い……。

こうして僕は見事賭けに勝利し、名前の隣ポジションをキープする為の大義名分も獲得し、人生最大の羞恥心に代えて余るものを手にしたのだった。

うん、勇気って出してみるもんだね。









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