衝撃だった。
そのトマトは舌を殴ってきた。
それほどの衝撃だった。
甘味、酸味、その味が鋭く舌に刺さる。口に入れた途端、圧倒的な存在感を示してくる。
「――このトマト、すごいですね」
おれは近所の大きなスーパーで、左手に買い物カゴ、右手に爪楊枝を持って呟いた。試食販売の女性は嬉しそうに笑う。その笑顔にまた衝撃を受けた。この野菜をとても愛しているのが伝わってくるような、そんな笑顔だった。
「分かりますか? 濃い味がしますでしょう。少し値は張りますが、それだけの価値があると思います。サラダなどにどうぞ」
思わず、その衝撃のまま、おれは買い物カゴに五個セットにパックされたトマトを手に取った。
友達は笑い転げた。
「それで、トマト買わされたのか?」
「そう言うなって……」
買ったものの、実家を出て一人暮らししている自分に五個のトマトは余る。歩いて五分のところに住む友達の家に、買い物袋を下げたまま向かった。
「でも本当に、旨いトマトなんだ。食べてみろよ」
台所借りるぞ、とパックを手に立ち上がった。包丁で四等分に割る。
「おい、皿はどこだ」
「そんな上品なものがあると思うのか」
「ないのかよ」
軽口を叩きながら、近づいてきた彼は頭上の扉を開けた。そこから一枚の皿を出す。、こに乗せた否や、友達はそれを摘み上げた。
「なるほど」
口を動かせながら、呟いている。おれはそいつの顔を覗き込んだ。
「な? 旨いだろ?」
「確かに。でもお前が受けた衝撃はそれだけじゃなかったんだろ?」
にやにやとしながら、返してくる。
「うるせぇ」
そう言って、顔をしかめつつ、思い出す。彼女の顔を。
あの美しい笑顔を。
あの後、何度も例のスーパーを訪れたが、彼女に会うことはなかった。もっともトマトには出会えたが。
あの時は生産者と消費者が触れ合うなどというフェアをやっていたらしく、このトマトの生産者だったようだ。トマトのブースに写真入りで紹介されている。
それを傍目で見ながら、トマトを手に取った。祖母が昔のトマトは味が濃くて美味しかったと度々言っていたのを思い出したのだ。
「里帰りがてら、持って行ってやるか……」
このトマトの衝撃は、すばらしいものだ。祖母も喜ぶだろう。
レジを通して、エコバックに入れる。それを乗ってきていた自転車のかごに入れて、いつものアパートではなく、実家の方向へ漕ぎ出した。
店が並ぶアスファルトの道から、右も左も青い稲の見える田んぼのあぜ道へと変わった頃、目の前に昔ながらの家が見えてきた。その敷地内に乗り込み、自転車を止める。
「ばーちゃん! いるー?」
田舎ながらの習慣で開け放してある玄関から声をかけつつ、中に入る。奥からごそごそと物音がする。
「おや、お前。久しぶりに来たねぇ」
足を畳で擦った音がして、祖母が出迎える。それを待ってから上がった。
「前さあ、昔のトマトって今よりもっと美味しかったって言ってたじゃん」
「……言ったかねぇ」
最近のトマトも美味しいよ、とのんびり言う祖母に、買ってきたトマトを差し出す。
「これ、食べてみてよ。めちゃくちゃ美味しいんだ」
差し出したものを、祖母はゆっくりとした動きで、八等分してきた。ひとつ、口に運んだ。
「んー……、美味しいねぇ」
思わず身を乗り出す。
「そうだろ? 美味しいだろ?」
「うんうん、あの子のトマトみたいだねぇ」
祖母の台詞に、乗り出した身が固まった。……あの子?
「おばあちゃん、来たよー……ってあれ?」
おれは振り返った、その先にいたのは、あのトマトの女性だった。あの時とは違い、タオルを首に巻いて麦藁帽子を被っているまさに農家スタイルだ。
「ああ、いらっしゃい。今ねぇ、うちの孫があなたのトマトを持ってきてくれたんよぉ」
「そうなの!?」
彼女が嬉しそうに笑う。
「トマト、こだわってるの。美味しいって思ってくれたなら、うれしいわ!」
「は、はい!」
美味しかったです、また出会いたくて、スーパー通ったりして。そう思いながらも、言えなかった。彼女が目の前に現れたことに驚いていて、口が開いたままだ。
「トマトって、水をあまりやらないでストレスを与えた方が、濃くて甘いのが出来るのよ」
おれにもストレスでした、あなたに会えなくて、とは口が裂けても言えまい。
代わりに告げた。
「お願いします、おれにも美味しいトマトを作るのを手伝わせてください」
彼女はおれに衝撃を与えたあの笑顔で応えた。
「嬉しいわ」
この後、おれは実家に戻り、家業であった農家を手伝いつつ、彼女の家にも出入りすることになる。
それでもトマトに与えられるストレスと同じように、彼女はいつまで経っても想いに気付いてくれないのがストレスとなるのだが、それはまた別の話。
執筆野菜:トマト
『そのトマトは舌を殴ってきた』 ―藤原 湾 様
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