好きな女が京の女、と知ってテンションの上がらない男はいないと思う。そういえば、この子は綺麗なことばを遣うはずだ。しかし大阪という強い色に長く浸かってるっちゅーのに、染まらないのは主義やろか。人格やろか。
「蔵ちゃん、知っとらひんかったん?」 「今さっき知ったわ」 「けんど、謙也知っとった」
ニコっと笑うのは、悪気があるのかないのか。一枚上手なところは、京の女の特色らしい。男の扱い方上手いっちゅーか。あの財前でさえも、この子の前だとデレデレしよる。可愛い後輩だ、なんて言いよるけど俺にとっちゃライバルでしかあらへん。
「はい、そこ。イチャつくんやめー」 「オサムちゃん、あんな…」 「なあに?先生もうちとイチャつきたいんどすか?ほな、こっち来なはれ」 「やめとき、あいつオッサンやで?」 「オッサンちゃうわ!先生まだまだ若いんやで?」
まだまだ元気やでー?!なんて言うオサムちゃんにまで、この子は優しい。遠くで金ちゃんがマネージャー!と叫べば、彼女はクスと笑って去ってしまった。長い真っ黒な髪は、糸よりも細く、シルクよりも艶やかだ。なびく度に、いい香りがした。
「おはよう」 「お、おはようさん」 「待った?」 「いや、こっちも今来たことやねん」
彼女をデートにこじつけたんは、その日のことだ。ナンパするような人は苦手だが、俺は思い立ったら行動せんと気が済まんタイプらしい。京都に行きたいと言ったら、彼女はすんなり案内してあげる、と返してくれた。私服の彼女なんていつぶりだろうか。
「どこぞ行きたい?」 「せやなぁ、やっぱ神社とかお寺は廻りたいわ」 「わかった」
フワリ、笑うとほのかに甘い香り。今まで嗅いだことのない香り。この子はきっと流行りとか気にせんタイプやから、本当に自分のお気に入りしか召さない。高鳴る胸を押さえ、俺らは京都駅周辺の神社やお寺から廻ることにした。昨日の夜、パソコンでちょっとは調べてはきたが、やっぱり現地の人の方が詳しい。五重塔では空海、清明神社では安倍晴明やらの話もしてくれた。よほど京都が好きなんやろな。ハキハキ話す横顔がとても嬉しそうだ。
「そろそろお昼さかいに、お茶でもしぃひん?」 「ええな、土産も買うたし」
学業の神様がおる北野天満宮でお参りして、部活の3年の分だけお守りも買うた。もう受験生やからな。ところでこの子は進路を決めとるんやろか?頭がいいっちゅー話も聞いたことあるし、まあこの子ならどこに行っても上手くできそうだが。京都に戻ることもありえるだろう。そうすると、離れてしまうのが寂しいと思った。
「かわいい」
祇園に着けば、あちらこちらに舞妓さんがおって、彼女は見つける度に目で追ってはこう言った。憧れているのだろうか。それとも、本気で目指しているのだろうか。フワリ、また香った。時間が経ってまた色を変えた香りは、俺の興味をかなりそそった。
「なりたいん?」 「舞妓さんのこと?」 「せや」 「素敵やんなぁって思う」 「似合うとるよ」 「ほんま…?」 「ああ」 「おおきに」
もう遅いん?そう聞くと彼女はすぐに答えてくれた。昔は9歳から座敷に上がっていたらしい。現在では労働基準法やら児童福祉法やらで中学校を卒業してからでないとなれない。じゃあまだ遅ないんやな、そう言うと彼女は困った顔になった。
「うちな、」 「ん?」 「母親が京で芸妓さんしてはって」 「芸妓さん?」 「舞妓って芸妓の見習いのこと言うんの」 「へぇ、そうなん」 「せやから、うち舞妓になるんが道理かなって思う」 「せやなぁ…」
途端にシュンとする彼女の頭を撫でてやると、蔵ちゃん…と呼んで見上げてきた。また笑ってくれる、そう思ったのに彼女の顔は真っ赤で、泣きそうな顔をしていて、それが可愛くて俺も熱くなる。それを見た舞妓さんが、かいらしいなぁと通って行く。もう舞妓なんて目じゃなかった。そりゃ彼女が舞妓なんてしてくれはったら、俺は毎日でも京に通うたろう。一見さんはお断りだろうか、自由恋愛は禁止だろうか。だったらその口で、俺の名前を紡いでくれさえしてくれればいい。
「蔵ちゃん」 「ん〜?」 「蔵ちゃんは、お父様が薬剤師だから、それを目指しはります?」 「それは…ちゃうかな」 「なりとうひんの?」 「なりたい。やけど、親父ちゃうくて、俺がなりたいからなるんやで」 「…蔵ちゃん、強いんなぁ」 「強い?」 「うちは、道理をはずれんのが、怖いんの」 「なんでなん?」 「わかりまへん、でも…」
足を止めてしまった彼女は、下を向いている。長い髪が列を乱すことなく垂れ下がり、カーテンのように彼女の顔を隠した。白い太陽の光がどんなに照らしても、それは色を変えない。それは彼女と一緒だ。決して弱いだなんて思わないし、俺自身強いなんて思ったことない。だけど、俺がそう思ったところで彼女の未来への不安は拭われないだろう。振り返って、一緒に立ち止まってあげよう。そう思ったら、裾をキュッと掴まれた。
「あんなぁ?」 「…ん?」 「うち、大阪出とうひん」 「大阪なん?」 「だって大阪は、蔵ちゃんおりはるから…」 「え…?」 「もうちょい、蔵ちゃんの傍におりとうの」
京の、さわやかな風が吹き抜けた。彼女の潤んだ瞳に、俺が、俺だけが映る。さぁ、これからどないしようか。清水寺を中止して、地主神社に行くか。縁結びならぬ、縁結ばれました守り買うて、謙也に自慢したろ。うざかる謙也の顔が目に浮かぶけど、もうそんなん気にしてられへんな。差し出した手を、躊躇いなく握ってくれた彼女からは、バニラの香りがした。
vanilla
甘過ぎるチョコレートは飽きるし、苦い抹茶は濃すぎてしまうけど、君のまた帰ってきたくなるような優しさが好き。
090214 企画Maybe様に提出
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