見えた。
「あーあ、今年の夏も彼女できなかったなー」
夏休みも終盤。
蝉の声はまだ激しく外から聞こえてくる中、海常高校バスケ部は朝からいつもと変わらず部活がある。
朝と言ってももう外は蒸し蒸しと暑い。
登校するだけで汗が噴き出るが、どうせこの後は嫌でも汗だくになるのだ…部員たちは誰しもが汗まみれのまま着替えをしている。
そんな中で、一足先に着替えを終えた森山由孝は、部室に置かれた長椅子に座りつまらなさそうに天井を仰いでいた。
そんな彼の様子に対するその他男子の反応は様々で、苦笑いしたり、ため息をついたり。
「いいよなー黄瀬は。毎日女の子に囲まれてさ」
「毎日だといい加減に疲れるっスよ〜」
「調子乗んな」
「笠松先輩!痛い!」
バシッと背中を蹴られる音が響く中で、森山はまた大きなため息をついた。
「オレ、一番女子と関われてたのって小学生かもしれない」
「なんだよ急に」
「黄瀬見てて思ったんだよ。オレの全盛期は小学生だったって…」
「まぁ、確かにオレも今より小学生の頃の方がモテてたかもな〜」
そう言って同意するのは小堀だ。
「オ(レ)蝉捕まえてク(ラ)スの女子追いかけて泣かせてました!」
自慢げに胸を張った早川も会話に交じる。
そんな彼らを横目に、主将の笠松は再び大きなため息をついた。
「あぁー、そういえば小学生の頃ってやたら女子いじめたよな」
「え、森山でもそんなことしてたのか?」
「おう。スカートめくり、流行ったよな…」
「や(り)ました!」
「実はオレもやったことあるっス…」
「んー、オレもやったなぁ」
森山、早川、黄瀬、小堀は自身の小学生時代を懐かしんでいる。
「まぁさすがに今やったら犯罪だけど」
「お前はやりそうでこえーよ」
「おい笠松!失礼だな。オレは彼女以外の子のパンツは見ない!」
「彼女いないけどな」
「彼女のは見るんだ…」
「彼女いないっスけど」
「うるさーい!!」
森山は長椅子から立ち上がると、ぷんぷんと怒り出す。
「余裕だよなー笠松は!その気になればいつでも名字の見せてもらえるんだろ!」
「なんでだよ!見るわけねーだろ!」
「いい加減に告白しろよー。いつまでオレたちにやきもきさせる気なんだよ」
「べっ別にオレはそういう気ねーよ!!」
「名字だって満更じゃないぜ。いつも教室から一緒に部活来るくせに」
「同じクラスなだけだ!」
顔を赤くした笠松がギャンギャンと吠える様子を、森山以外のメンバーは微笑ましく眺めている。
先ほどから話題になっているのは、笠松と同じクラスでバスケ部のマネージャーの名字名前である。
真面目だが少しおっちょこちょいで、笠松は何かと彼女の面倒を見てきた。
そして、彼女に対して特別な感情を抱いている。
名前の方も、笠松には特に心を開いていて、側から見ればカップルだが、あと一歩がお互いに踏み出せずここまで来た。
「大体、名字だって満更でもないとは言ったけど、他の奴に取られないとも言えないぞ?」
「えっそうなんスか!?」
「ああいうちょっとドジなところがある女子は、男の庇護欲をくすぐるだろ?」
「さあ…オレにはよく分からないけど…」
「小堀はしっかり者がタイプだからな」
「そういうわけでもないけど…」
「何の話してたんですっけ?」
「あ、えーと、だから名字が」
「私が何?」
びくっ。
その場にいた全員が肩を震わす。
誰も気づかなかったが、いつの間にか部室内に名前が立っているのだ。
不思議そうに首を傾けている名前は、どうやら今入ってきたところらしく、まさか自分の話題が上っていたとは夢にも思わない。
「いや!何でもない!」
「そそそそれより、名字お前なんでまだ制服なんだ?」
「つい今まで監督に呼び止められてて、着替えに行けなかったの」
日誌置いたら更衣室行くから〜とバッグの中から部活動日誌を取り出し、机に乗せる。
「で、私が何なの?」
「いやあ…」
「はは…」
森山や小堀は気まずそうに笠松に視線をやる。
つられた名前も、不思議そうに笠松の方に目線をずらした。
「な!なんでもねーよ!!いちいち話に入ってくんな!」
笠松は赤くなりながらきつい口調で怒鳴る。
その手は動物を追いやるときのように、シッシと動いていた。
それが照れだとか、羞恥心だとか、そういった彼の可愛い感情からくるのだということは明らかだ。
しかし、それは今までの会話をしっかりと聞いていた者たちだけにしか分からない。
突然怒鳴られた名前は、一瞬肩を震わせて目をぱちくりと動かしたが、すぐにその目をきつく吊り上げる。
「なに急に。ちょっと聞いただけじゃん。けち笠松!」
そう言うとぷいっと笠松から視線を逸らした。
「う…」
笠松は笠松で、彼女の怒りはもっともだと分かっている。
気まずそうに、謝ろうかと彼女の名前を呼びかけたとき、部室の扉が開いた。
「名字先輩います?」
「中村。どうしたの?」
扉の向こうにいたのは2年の中村で、お目当の名字がすぐに見つかったことにほっとしたような顔をして口を開く。
「さっき職員室行ったら監督が、伝え忘れたことがあるからすぐ来るようにって」
「えぇー。二度手間だなぁ」
「急ぎみたいですよ」
「なんだろ、もう!自分で来たらいいのに!」
仕方ない。
監督はもうすぐ職員会議なのだ。
職員室を抜けて体育館まで足を運び、また職員室へ戻るという時間は得られないため、生徒を呼びつけるしかない。
それは全員わかっているので、名前は時計をちらりと見て、走れば間に合うか…と思案する。
「ちょっと行ってくる!先に始めててね」
「おー」
森山がひらりと手を振ったのを見て、名前は回れ右をして扉の方に小走りで向かった。
慌てていた。
職員会議が始まってしまったら、職員室には入ることができない。
まだかとイライラしている監督の姿を思い浮かべながら、扉から出ようとしたそのとき。
がつん、と音がした。
反射的に、その場にいた者たちは音の出所に顔を向ける。
音の出所は、扉。
音を発したのは、名前。
率直に言えば、躓いた。
扉のレールに足を取られたようだ。
そしてそのまま、真正面へ向かってダイブした。
ちなみに、真正面にはまだ中村が立っていて
「ひゃ」
「ぉわ!」
名前と中村の声はほぼ同時に聞こえた。
まさか自分に突っ込んでくるとは夢にも思わない中村が、いくら女子とはいえ勢いをつけている人間を突発的に支えることは出来ず、名前に押し倒される形で尻餅をつく。
一方で名前は反射的に中村のシャツを両手で掴み、来たる衝撃に耐えた。
「ご、ごめん!中村!大丈夫?」
「大丈夫です。先輩こそ怪我ないですか?」
「平気!どこも打ってない?ごめんね、ごめんね」
名前はそのまま中村に縋り付くように顔を覗き込み、大丈夫だと答える彼が無理をしていないか確かめようとしていた。
そして、そんな2人を部室内から見ていた男たちは…
頬を赤く染めていた。
「み、見えた」
「見えた…な」
「見えたっス」
「見えました」
「……。」
上から、森山・小堀・黄瀬・早川・笠松だ。
そう、彼らは先ほどまで話していたことが突然現実になり衝撃を受けていたのだ。
転んだ拍子、運悪く制服姿だった名前の、長すぎず短すぎないスカートの裾がひら、と宙を舞った。
そして、そのスカートで覆われていた部分が、彼女の後ろにいた男たちにしっかりと顔を出してしまった。
さすがの黄瀬でも、予想だにしなかった突然のサービスショットに照れずにいられない。
他の男子なんてもってのほかだ。
何せ、かつて彼らが自らの意思でめくりあげていたスカートの中身とはちがうのだから。
スカートの持ち主は、小学生ではなく女子高生。
囃し立てるほど子どもでもなく、ポーカーフェイスでいられるほど大人でもない彼らは、黙って頬を染めるという行動しかできなかった。
そんな静かな部員たちの様子を不思議に感じ、名前は首から上だけをくるりと後方へ向ける。
その視線の先には、顔を赤く染めた男子らが自分のスカートのあたりをちらちらと見ている。
そして名前は気付いた。
多分、見られた。
彼らと同様の顔色になり、反射的に自分のお尻のあたりに手をやり、スカートを押さえる。
「、見た!?」
…こくん。
正直者の小堀と早川が頷き、森山と黄瀬はサッと視線を逸らした。
彼らの行動はどちらも、自分の質問への肯定だと理解した名前は涙目になり、慌てて立ち上がる。
「ば、ばか!見ないでよ!」
「そんなこと言ったって…」
申し訳なさそうにする森山に、自分でも八つ当たりだということは分かるので名前はふるふると震えることしかできない。
そして先ほどから何も発しないし身動きもしない笠松に目をやると、彼は最も赤い顔をして名前を凝視するように固まっていた。
「か、かさまつ?」
少し心配になった名前が声をかけると、ハッと意識を取り戻したかのように笠松は身体を揺らす。
「だ、大丈夫?」
「…ああ」
「あ、昔の笠松に戻った」
森山の小さな呟きに、笠松は瞬時に反応して蹴りを入れる。
「笠松も…見た…よね?」
両頬を押さえながら名前が問うと、笠松は勢いよく顔を逸らした。
「み、見るか!」
「嘘だな」
「嘘っスね」
「うるせー!!」
「1人だけ罪から逃れようったって許さないからな笠松!」
「何が罪だ!勝手にこいつが見せてきたんだろーが!」
「何その言い方!事故だもん!見せたわけじゃない!」
「こっちだって見たくて見たわけじゃねーよ!」
「ちょ、落ち着こうぜ」
「そうっス!冷静に…」
「「うるさい!」」
「おぉ…」
同じように赤い顔をして怒る2人の息ぴったりと言える姿に、つい森山は半笑いになってしまった。
それを見た名前はさらに顔を赤くさせると、
「ばか!もう知らない!」
捨て台詞を吐き、ズンズンと足音をたてながら出て行った。
そんな名前を扉の外で見送った中村は、無表情で笠松らを見つめると、静かに扉を閉めたのだった。
翌日は運の悪いことに登校日で、午前中は教室に集められていた。
名前と同じクラスの笠松は、自分の斜め前に座っている彼女を見ては昨日のことを思い出して頭を抱えた。
とにかく謝らねば。
でもなんと言ったらいいのだろう。
昨日の部活中もずっと名前は不機嫌だった。
そして、今日は一度も会話をしていない。
普段なら挨拶くらいは向こうからしてくれるのに…。
一方で名前も頭を悩ませていた。
昨日の件は、ほぼ自分の八つ当たりである。
笠松の言葉はもちろん腹が立ったが、その原因を作ったのは、慌てて走った自分だと思っている。
謝るか?でもなんだか納得はいかない。
もやもやしたまま笠松と話すこともできず、放課後を迎えてしまった。
「あ、笠松と名字。これから部活だな?」
「はい」「そうですけど」
挨拶を終えたところで担任が2人に近寄ってきた。
バッグを肩にかけ、さっさと部活へ行こうと思っていた名前は仕方なく足を止める。
笠松も自分の席から立ち上がっていた。
「さっき武内先生に頼まれたんだが、2人とも部活に行く前に職員室に来るようにとのことだ」
「え…」「あ、はい…」
なぜ今日に限って。
2人とも全く同じことを考え、担任が教室から出ていくのを見届けると、お互いにちらりと視線を合わせた。
「、行くか」
「う、うん」
笠松もバッグを持ち上げて肩にかけると、さっさと教室を出ていくので、名前もその後を追った。
「失礼しました」
武内から部員1人ずつへのプリントを持たされ、笠松と名前は職員室を出た。
少し用があるから遅くなるので、これだけ先に配っておくように…と渡されたプリントは部員全員分あるのでなかなかの重量である。
マネージャーの名前 1人に持たせるのは酷だと珍しく気の利いた監督は、ついでに同じクラスの笠松に手伝わせることにしたのだった。
プリントの束を抱えた2人は黙って体育館へ向かう。
多めに持つと提案した笠松に対し、本来は自分の仕事だからと名前は頑なに拒み、その重さを半分に分けることになった。
体育館が近づいてくる。
「おい」
ふいに、笠松が名前に声をかけた。
「?」
「昨日、きつい言い方して悪かった」
突然笠松は謝罪をした。
もちろん、ずっと頭の中で考えてはいたが、本人も驚くほど滑らかに謝罪の言葉は口を出てきた。
先に言われてしまった名前は、気まずそうに下を向き、両手に抱えていた紙の束を胸に抱き寄せた。
「私こそ、八つ当たりしてごめんね」
「いや」
「自分の不注意だったのに、その、は…恥ずかしくってつい」
名前は赤くなった顔を隠したくて、プリントの束に顔を埋めるようにする。
そんな姿を横目で見た笠松は、不覚にもその可愛さにときめいていた。
普段、バスケ部男子達の中にまざって走り回っている姿からは想像できない、女子の名前。
そんな一面を見たことが、なぜだか悪いことをしたようで…昨日スカートの中身を覗いてしまったことと同じように、罪悪感と羞恥心が笠松の心をいっぱいにした。
「これからは気をつけるね、あの、迷惑かけてごめん」
黙っている笠松に少し不安になったのか、プリントに隠していた目を覗かせて彼を見上げる。
許しを乞うような視線が、そして恥ずかしさから紅潮した下瞼が、色気を醸し出している。
笠松は無意識に喉を鳴らした。
「め、迷惑とかじゃねーけど…」
「け、けど?」
「その、他の奴らに見せんなよ」
スカートの中も、そして、今の甘い表情も。
「えっ…」
ずるり、と名前の手から何枚もの紙が滑り落ちて廊下に散らばる。
しかし彼女はそれに気付いていないのか、呆然と立ち尽くしていた。
笠松は自分の言葉に、湯気が出るほど顔を赤らめて早足で体育館へと向かう。
「え、ちょ、笠松…待って。今の」
そんな彼に追いつこうとして、やっと名前は自分が散らかしてしまった床の様子に気づいた。
慌ててしゃがみ込み、プリントたちを集めて顔を上げるとすでにそこに笠松の姿は無く…。
「き、期待しちゃうじゃん、ばか」
火照る顔を横に振って、体育館へ小走りで向かう。
次に彼と顔を合わせたら、何と声をかけよう…
そんなことに頭を悩ませながら。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
200823
くだらない上に中途半端な終わり方。
連載の息抜きに時間かけすぎました。
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