五条先生に予約される1年生
先輩術師についていく形の任務があった。
同級生たちは授業を受けている時間に、先輩と一緒に車で現地へ向かったのだが結果は散々…。
想定されていた呪いに私の術式が合うだろうと抜擢されたのに全くそんなことはなく。
結局何も出来ぬままお荷物になっただけで終わってしまった。
小さな怪我や土埃で汚れた身体を見下ろして、肩を落とした帰りの車内。
先輩は気にすんな〜と言ってくれたけど、気にしないでいられるわけもなく。
日が暮れかけた頃やっと到着した高専で先輩と別れた後、ふらりと足が向かったのはなぜかいつも使う教室だった。
こんな時間だから授業はもう終わっていて、虎杖も伏黒も野薔薇ももう寮の方へ戻っているだろう…歩いてきた廊下は誰の声も気配もしなくて、私の重苦しい足音だけが響いていた。
3人に会えるわけでもないのに、私の足はどうして教室を目指したのだろうか。
自分でもよくわからないけれど、どうしてもまっすぐ自室に戻る気にはなれなかった。
「…えっ?」
「あ、お疲れ〜」
我ながらなんとも間抜けな声を出してしまった。
扉を開いた瞬間、思わず一歩後退してしまう。
まさか教室に人がいるなんて想像もしていなかった。
「五条先生…なんで?」
「居残りだよ。仕事が結構溜まっててさぁ」
薄暗くなった教室には何故か五条先生がいた。
先生は教卓で何やら作業をしていたのか、荷物を片付けているところだった。
誰もいないと思い込んでいたから、先生がいて嬉しい。
反面、こんな落ち込んだ顔を誰かに見られてしまうのは予定外だったので焦る。
ただすぐに退去するわけにもいかないので、表情に気付かれないように少し俯き加減でゆっくりと教室内に足を踏み入れた。
五条先生はその行動を特に気にした素振りもなく、重ねた紙類をトントンと教卓で揃えていたので、別に用事があるわけでもないがとりあえず自身の席に座った。
「遠かった?」
「へ?」
少し気まずい沈黙があって、どうしようかと悩みながら自分の机を睨みつけているところで声がかかり思わず顔を上げる。
問いかけてきた五条先生は、目隠しをしたままその顔は今度は本に向けていた。
急な質問に首を傾げた私に、先生はもう一度口を開く。
「今日の任務、結構時間かかったみたいだけど遠かった?」
「あ…そうですね。帰りは道が混んじゃったから余計に時間かかって…」
そうかそうかと頷いた先生は、やっと顔を上げて私の方を向いた。
無論、先生の目は黒い布で覆われているから視線が直接交わることはないのだけれど。
「悠仁達、まだ帰ってこないのかな〜って授業終わるまで気にしてたよ」
「そうなんですか」
「コンビニでお前の好きそうなお菓子買ったからみんなで食べようと思ってたんだってさ」
虎杖あたりが見つけたんだろうか…
たまに4人でお菓子交換をしているので今日もそのつもりだったのだろう。
残念そうにする虎杖や、どうでもよさそうに溜息をつく伏黒、先に食べちゃわない?と悪い顔で笑う野薔薇の姿が頭に浮かんで、重くなっていた心が少しだけ温かくなった。
あーあ、私が活躍していたらもっと早くに任務を終えてみんなに会えていただろうに。悔しい。
なんてことを考え固く握り込んでいた拳に気付き、またぼんやりと自己嫌悪に陥る。
少し泣きたくなる気持ちを必死に抑えていると、五条先生はその長い脚を窓の方へ向けた。
自然と私の視線も先生に釣られて窓に向かう。
「戸締りしとけって言ったのにアイツら…」
先生はぶつぶつ文句を言いつつ、窓の施錠をしていく。
その大きな背中と、向こうにある綺麗な夕焼けが私の胸の中にあるカチカチになっていた鎖を外したようで…。
今日の悔しさや緊張、自分への嫌悪感などが一気に溢れ出たみたいだ。
ぐちゃぐちゃになったそれら…自身の弱さに押し潰されそうで、私は無意識に立ち上がって先生の後ろに向かい、気付けばその背中に顔を押し付けていた。
「んん?」
「ごめんなさい先生…ちょっと…」
先生の真っ黒な服を両手で掴み、額をぐり…と擦り付ける。
色々と言い訳をしたくても、口を開けば嗚咽が漏れてしまいそうで言葉が出ない。
小さく鼻を啜ったとき、五条先生の腕が動いて私の手首を掴んだ。
「よいしょ」
「えっ」
そして私の腕は先生によって、彼のお腹に巻きつけられた。
ぎゅう、と先生を後ろから抱き締める形になって顔が熱くなる。
驚きで冷静になり自身の行動の大胆さに気付いたものの、巻きついた私の腕は先生の手によって固定されてしまって解くことができない。
「あ、あの…五条先生…!?」
「手、怪我してるね?」
「へ?あぁ、ちょっと任務で」
するりと先生の指が私の手の甲をなぞった。
ヘマばかりした今日、身体のあちこちに小さな擦り傷が作られてチクチクと痛むのだ。
心も同じように痛いから、身体の方はあまり気にはしていなかったけれど。
「そっか。お疲れ様」
先生の温かい手が私のそれを包んだ。
大きくて優しくて、一度引っ込んだはずの涙が今度こそ決壊を崩して溢れ出てくる。
「…全然、役に立てませんでした…」
「うん」
「せっかく期待してもらったのに…迷惑ばっかりかけちゃって…」
「そっか」
「悔しい…せんせい、私…弱くて悔しいんです」
ぎゅっと腕に力を込めれば、五条先生の硬い腹筋や脇腹の感触が伝わってくる。
「名前」
不意に呼ばれた自分の名前に、先生の背中に押し付けていた顔を少し上げた。
先生は私の手を自分のそれで覆ったまま、優しい声でもう一度私の名前を呼び、そして続けた。
「息、吐いて」
「へ?」
「フゥーって、長く」
「ふ、ふぅーーー」
言われた通りに長めに息を吐く。すると肩の力がフッと抜け、自分がどれだけ力んでいたのかに気づいた。
五条先生は私が息を吐いたことを確認すると、今度は吸うように指示し、それに従う。
こうして、吐いて吸ってを何度か繰り返した頃には、私のザワザワとした気持ちは少し落ち着いていて、涙も収まっていた。
「うん、名前の手も柔らかくなったね」
「ぅひゃ」
先生が私の手の甲をくすぐるように撫でたので、びくりと肩を震わせる。
そして私はそのままゆっくりと、先生に巻きつけていた腕を解いて一歩後ろに下がった。
「あれ、もうお終い?役得だったのに」
「す、すみません!私、先生に…」
そして自分の恥ずかしい行動を思い返し、熱くなった顔を覆うとケラケラと笑う声が聞こえた。
「いいのいいの。これも先生の役割ですから」
それはなんか違うと思うけど、きっと五条先生は気を遣ってそう言ってくれているのだろう…もう一度小さく謝ってさらに後退すると、先生がくるりと振り返った。
見上げるほどの高さにある顔がゆっくりと近付いてくる。
腰をかがめた五条先生の顔が目の前にやってきて、熱くなっていた頬はさらに熱を帯びた。
「悔しかった?」
「え?…あ、はい」
「いいね、名前の目。奥が燃えてる」
「?」
「強くなりますって、言ってるよ」
「私の、目が?」
「うん。その為に何をすべきか一緒に考えていこ」
「…はい」
「はい、イイコ」
そう言った五条先生の唇が弧を描く。
ぽうっと惚けていれば、先生は私の頭を優しく撫でてくれた。
「さて、これ以上その潤んだ目を見てると腰にクるから、解散しようか」
「!?」
先生の親指が私の目尻に一瞬触れ、そして離れていく。
溜まっていた涙が少し頬を伝ったので、慌てて拭いながらも今の台詞に赤面してしまった。
「今日は…今は先生として名前を導くけど、数年後も同じように泣いてたら、真っ正面から抱き締めちゃうからそのつもりでね」
「ふ、え…」
さらに爆弾を落とした先生が、教卓に戻って荷物を抱えてスタスタと扉に向かうのをぼうっと眺める。
五条先生、それってどういう…?
教室を出て行った先生に、何も言うことができずに固まっていると、ひょこっと顔だけが扉の向こうから覗いてきて私は小さく飛び跳ねた。
「あと、その時には多分ちゅーしちゃうから覚悟しておいてね!」
五条先生は目隠しを下ろしていて、綺麗な青い瞳が剥き出しになっている。
そして意地悪に笑って、じゃーねーと手を振って今度こそ教室を出て行った。
「な、え?」
私はと言えば、その場で腰が砕けるようにして床に座り込み、先程までの五条先生の言葉を頭で何度も反芻していた。
ど、どういうことなの…。
とっくに涙は引っ込んで、さっきまでカチカチに凍っていた身体は茹で蛸のように熱くふにゃふにゃで立ち上がることができない。
ぐるぐると先生の顔や言葉が頭の中を巡り、しばらくその場から動けそうにないのだった。
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