Clap
Clap story
いわいずみはじめ
明日は待ちに待った文化祭。
準備も大詰めで、外が暗くなってきた今私たちはクラス全員必死になって教室に装飾を施していた。
あちこちで様々な声が飛び交う中、自分の役割を一通り終えた私は手が足りていないと頼まれた教室の隅に腰を下ろす。
一緒に来た友人がお手洗いと言って席を外したところで、無造作に積まれた袋の中から赤いそれをひとつ取り出した。
ゴムでできたそれを軽く四方に引っ張り伸ばして、丸く縁取られたところに口をつける。
そして鼻から大きく息を吸って、空気を口から風船へと送り出した。
赤・青・黄…カラフルな風船(になる予定)の数はどれくらいあるのだろう。
教室内にたくさん風船をつけたらオシャレになると提案したお調子者は誰だ。
少し膨らませただけで、すでに頭の中では自分が風船を膨らませる手伝いに向いていなかったと後悔をしていた。
吸った空気を風船の中に送り出すだけの作業のはずが、なぜか風船は思ったより膨らまないし、頭がくらくらする。
そういえば、風船作るのって何年ぶりだろう…。
小さい頃は親にやってもらってたし、実際数える程度しか経験がなかった気がする。
指先で揺れる小さな赤い風船よりも先に、自分の脳がふわふわしていることに気づき笑いそうになる。
それにしても私の友人はどこのトイレに行っているのだ。
そしてだらだらと笑いながらダンボールにペンキを塗るそこの男子、私と代われ。
思うように膨らまない風船への苛立ちが他の生徒へと向かい始めた時、真上から降り注いでいた蛍光灯の光が少し陰った。
「ん?」
「お前、全然膨らませてねーじゃん」
呆れたように私を見下ろす男、岩泉は部活が終わったところで手伝いに駆り出されたらしく、水色の半袖Tシャツをなぜか肩まで捲り上げた格好で、さらになぜか材木のようなものを担いでいた。
「意外と膨らまないもんだね、風船って」
「気合が足りねーんだよ。もっと腹筋使え」
「腹筋なんてねぇ…普通に生活してたらそうそう使わないの。こんな時期に袖まくってる部活バカ以外は」
「毎日腹からでけぇ声出してバカ笑いしてるくせに」
ムッとして言い返そうと口を開きかけた私の隣へ、岩泉はよっこらせとしゃがみ込む。
肩に担いでいた材木は傍に置いたらしい。
「ほら貸せ」
「え」
そして私の指に挟まれていた赤い風船(空気はもう抜けている)をするりと抜き取ると、口に咥えて数回息を送った。
あっという間にパンパンに膨らんだ風船の口を縛り、軽く手のひらの上でバウンドさせる。
「ほらよ」
私の苦戦していた時間が嘘のように一瞬で形になった風船を受け取り、しばらく真っ赤なそれを眺めた。
しかし黙っている私が風船を膨らませられなかったことに拗ねていると勘違いしたのか、岩泉は少し困ったように私の顔を覗き込む。
「おい、んな落ち込むなって。コツ教えてやっから」
「私が口つけたけど」
「あ?」
「だから、この風船私が口つけてたよ」
「あ…あぁ!?」
岩泉が急に真っ赤になるから、私まで頬に熱が集まった。
気付いてなかったのか、脳筋め。
「鈍感」
「ッ…」
岩泉は私から赤い風船を奪い取り、それを私の顔に押し付けた。
視界から岩泉は消え、風船特有のゴムの匂いが鼻腔に広がる。
「なにすんのっ」
「嫌なのかよ」
「え?」
「だから、嫌だったかよ?」
聞こえてきた声は、さっきまで私に腹筋を使えだの言っていた自信のあるそれとまるで違って弱々しく、少し可愛く思えた。
「別に嫌じゃない、よ」
「別に?」
「全然嫌じゃない!」
押し付けられた風船を退けながら声を張ると、少しびっくりした顔の岩泉がいた。
「そ、そうか」
「うん」
「ならいいわ」
バツが悪そうに頭を触っている岩泉に、ほんの少しだけ勇気を出してみる。
「明日、及川くん達と回るの?」
「あ?あー、まぁ多分な」
「私…行きたいお店あるんだよね」
「…ん?」
「い、一緒にどう?」
「!!」
上目遣いで様子を窺いつつ訊ねれば、しばらく思考停止した岩泉がロボットのように辿々しい動きで頷いたので胸を撫で下ろす。
「とりあえず、残りの風船もお願いしていい?」
「は?これ全部かよ」
「お願い風船職人」
「なんだそれ」
少し笑った岩泉は、袋の中から今度は黄色の風船を取り出した。
そしてそれを私に渡すと、自分は青色を咥える。
どんどん大きくなっていく風船を横目に、私はまた手助けしてもらえないかななんて狡いことを考えながら黄色いそれを口につけた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ありがとうございます!
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