パンクハザード 9

開始

「お前の能力便利だなー、ワープか!?今の!」

 巾着袋から顔を出すチョッパーは興奮気味に声を上げた。シーザーの部下と海軍の戦闘や吹雪のおかげでチョッパーの声くらいは掻き消されているが、そろそろ人の目が増える研究所の裏口まで来ているため、「黙って袋に入ってろ」と刀を揺らしたローはすでに警戒態勢だった。
 一方キアーラは、敵が見聞色の覇気使いであることを前提に、可能な限り気配を消してローの後ろにぴったりと張り付いていた。移動のためでもあるが、ローにカモフラージュする目的もある。
 キアーラは見聞色と武装色の覇気を会得している。数百年は完全に鎖国体制だったインヨウ島ではこれらの能力を気功術≠ニ呼び、体内に内包された生命エネルギーをコントロールするこの技術を武官の他に医術者も会得していた。気配を消す技術も気功術の一種だ。詳しくは気配を消す≠フではなく、周囲の自然や人物などのエネルギーに同調することで、自らの気配を隠す≠ニ表現する方が正しい。気配に敏感な野生動物を狩るときには特に役立つ技術だとトウキンに聞いたし、実際に武官の仕事の一つとして狩りに繰り出したときには相当役に立った。
 今回も同じことをする。チョッパーが潜りやすいようにと巾着袋の口を広げながら、さらに続くローの言葉に耳を傾けた。

「メイン研究室にはおそらくシーザーともう一人女がいる。おれは二人を何とか部屋から連れ出す。お前はその間に薬のことを調べろ」
「でもお前、そんなに簡単にMマスター≠ノ会えるなら、強ェんだし…、マスター≠捕まえたらいいじゃねェか。そしたら薬もゆっくり調べられるし…」

 効率を考えるとチョッパーの言う通りだとキアーラも思った。チョッパーの毛並みに張り付いた雪を払っていると、好奇心旺盛な様子とは裏腹に、普段膝に乗せて日向ぼっこしているときよりわずかに緊張した筋肉から不安が伝わってくる。一緒に薬について調べてあげたい気持ちもあるが、勝手に付いて来たとはいえキアーラにも役割があるし、「こっちの問題でな」と苦々しい様子のローにも事情があるらしい。

「…それができねェからお前らの力が必要なんだ」
「?」
「とにかくお前らは速やかにシーザーだけ攫ってくりゃいい。鴉屋、お前はおれに付いて必要な情報ものを掻っ攫ってからモネの始末をつけろ。奴は自然系ロギアだ。雪に関する能力らしいが目にしたことはない。終わったらトニー屋を手伝うなりしろしたらいい。後はおれがやる」
「了解」

 同盟とはいえ他船の船長の事情を深く追求するつもりはない。敵の能力まで提供してくれるのだから彼の要求に従わない道理もなかった。雪道を難なく歩くローの背中を追いながら、ローに破壊されたダサいヘルメットをどのように調達しようか思考を巡らせたそのときだ。先に勃発している戦闘とは毛色の違う悲鳴を聞いた。
 「何か飛んでくる!」とイレギュラーに混乱した様子の声の直後、「どーーん!!」とよく知った声に三人が一斉に振り向いた。

「マスター出て来ーーい!!お前をブッ飛ばして誘拐してやるぞォ〜〜!!」

 艦船に衝突したにも関わらず元気に笑い声を上げて現れた我らが船長と船大工、考古学者。突然現れた第三勢力に敵対していたはずの戦力が彼らに一極集中するが、蟻を蹴散らすような所作には余裕さえ感じられる。

「…!あのバカ誰が全軍相手にしろと言った!!」
「アッハッハッハ!もう作戦バレた!」
「ルフィたちだ!」
「笑いごとか!」

 暢気な麦わらの一味に頭を抱えるローは今頃、第一・第二研究所でのウソップとキアーラの言葉を噛み締めているに違いない。麦わらの一味を常識の範囲内で捉えることは如何に無駄な労力なのかを。

「心配いりませんよ」

 再び半笑いでローの肩に手を乗せるキアーラに説得力はないが、実際に誘拐チームの行動はローの計画にさして支障はなく、むしろ敵兵力を一身に集め、研究所内外の警備を手薄にする効果が期待できる。深くため息を吐いてキアーラの手を振り払い、「行くぞ」と歩みを進めるローの表情には、『もう諦めた』と文字が浮かんで見えた気がした。
 キアーラは一度チョッパーと目を合わせ、頷き合う。声には出さずとも、『頑張ろうね』と念を送り、チョッパーが身を捩りながら巾着袋へ潜ったことを確認すると、キアーラは紐を軽めに締めて蝶々結びにした。
 そしてついに研究所内部へ足を踏み入れる。運よくローが斬り倒していた警備兵が当時のまま転がっていたため、同じく転がっていたヘルメットも失敬する。ヘルメットさえ手に入れることができれば、以降のキアーラはシーザーの兵としての行動が可能となる。見聞色の覇気を使えば周囲への警戒も用意だが、盗聴用の電伝虫という存在があるためどこで誰が聞き耳を立てているかわからない。ローはあたかもシーザーの部下に薬剤庫の場所確認している風を装いながらチョッパーへ道順を教えた。
 シーザーの研究室へ続く扉が見えて来ると、ローはキアーラに顔を寄せ、「奴らをこの通路に連れ出す」と囁いた。『隠れていろ』と解釈したキアーラは無言で来た道をすぐさま引き返し、小さな通路に身を潜めた。
 ローを待っている間、キアーラはこの作戦が終わった後のことを考えた。モネの始末、シーザーの誘拐を終え、薬物中毒の子どもたちを連れた自分たちは一体どこへ向かったらいいのか。船長や仲間の意向とはいえ、すべてを遂行するには今考えても到底不可能に思えた。改めてローの器の大きさに関心する。
 しかし、シーザーは子どもたちを島外から連れて来ているため、もしかすると島のどこかに船を隠し持っているかもしれない。これもモネから聞き出す必要があるな。脳内で必要な情報を一つ一つ上げるキアーラは、数少ない武器を取り出し、掌で感触を確かめた。
 すると、ようやく先の部屋から二人分の気配が現れた。足跡は一人分。しかしその傍には風を切る羽音が聞こえた。羽音の特徴からして昆虫ではなく鳥のようだが、ローが翼を有しているようには見えなかったため、もしかしてこれはモネか?聞いてないぞと悪態を付きながら、ナイフを一本握り締めるとさらに壁に体を張り付け、息を殺す。

「っ!?」

 途端、全身の毛が逆立つほどの悪寒を感じた。ローたちとは逆の方向から、余裕さえ感じ取れる緩慢な足取りで近づいてくる強烈な気配に、心臓が激しく拍動する。距離と歩みの速さからしてローたちの方が早くキアーラとすれ違う。しかし今飛び出すべきではないと瞬時に判断したキアーラは小さな通路のさらに奥へ体を滑り込ませ、ローたちが通り過ぎるのを覗き見た。
 モネの四肢は鳥のようだった。ローへの文句が思い浮かぶより前に、不安定な足取りのローの姿を目にしていよいよ作戦に支障が生じたことを理解し、次に自分はどうすべきかに思考を転じる。チョッパーが無事ならば、彼との合流、さらにルフィたちとも合流してローの異常を伝達し、子どもは諦めゾロたちを探し出し早々にパンクハザードからの脱出を進言すべきか。
 キアーラの中でローの優先順位は低く、鼻から見捨てるつもりだった。同盟とはいえ海賊同士。ローとて覚悟しているはず。しかし、例えキアーラがローを見捨てて戻って来たとしても、ルフィなら『じゃあオレが助けに行ってくる』と単身でもローの元へ行ってしまうことは想像に難くない。

「うわッ、うちの船長ってホントに面倒…」

 自分の想像に頭を抱えた。しかし、キアーラがルフィに付いていくと決めた理由はこういうところにある。頂上決戦での恩もあると理由を後付けし、キアーラはローを助ける方向で決意を固めた。



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