苛立ち

『協力』の続き。


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「知り合いですか?」
「いえ、人違いかと」

 粟木に問われた質問に対し、理沙は視線を前から逸らさず淡々と白を切る。緑谷は声こそ出さないが、不満と驚きをその顔に映している。対して爆豪は、理沙の『人違い』という言葉を聞いた途端に表に出ていた感情を削ぎ落し、どかりと再び椅子へ腰かけた。
 局内でも厄介者として名が挙がる大・爆・殺・神ダイナマイトが、『昔と比べると丸くなっている』という噂は本当だったらしい。かつては動くもの全てに喰いついていたような男が、何を経験し、こうも大人しくなったのか。経歴こそ書面で確認しているが、本人たちしか知らない心情など理沙が知るところではない。それよりも今、この場で最も理沙が気掛かりとなっているのは、このヒーローたちが要らないことを口走らないか≠セった。
 裏≠よく知るハムの彼らがこの反応を見て何も感じないわけもなく、粟木が再び口を開きかけたとき、理沙は思いもよらない人物に助けられることになった。

「早く始めねぇと俺は帰るぞ。こっちが忙しいのを知って呼び出したんだろうが」

 真面目な仮面をとうとう剥ぎ取った爆豪は、各組織のキャリア相手に悪態をつく。しかし、言葉の影にある意図を公安の彼らが見逃すことはない。それ以上の口を挟むことはなかったが、この後は天敵の粗探しに精を尽くすのだろう。
 省庁の序列を見ると上位にある防衛だが、防衛省調査部や電波部など情報の主軸を担う部門の長は、警察庁からの出向組が務めるのが慣例。日本の憲政の歴史を見ると新参者の部類に入る防衛が警察に隠しごとをできるはずもなかった。
 無表情のまま、「そうですね、始めましょう」と爆豪に同意した上官は理沙に視線を寄越し、暗に座れ≠ニ促されるまま直江の隣に腰を据えた。正面に向かい合う緑谷の視線を避け、理沙は色味のない机に目を落とした。

 上層部が決定を下したプランを現場へ伝達するだけの会議≠ヘ、そう長くはかからなかった。内閣府管轄の警察庁、さらに国家公安委員会というパワーワードを出されては、正義感溢れる現場主義のヒーローといえど口を挟むべきではないと感じ取ったのか、鬱々とした表情を滲ませながらも緑谷と爆豪は下された任務を承諾した。
 すでに解散された会議室は塵一つ残されていない。この後の理沙はオブサーバーを務めるヒーローたちと行動を共にし、現場を這いずり回ることになる。理沙が成すべき任務はすでに頭に叩き込んである。敵の内情が何一つ分かっていない今、状況は理沙たちが知らない間に刻一刻と変化してゆく。早々に現場へ向かわなければならないところだが、筋骨隆々とした腕によって壁に叩きつけられているため、身動きしようにもできない状況だった。

「かっちゃん!落ち着いて!」
「落ち着いてられるか!」

 ただただ苛立ちを暴力で表す様は高校生だった少年のときと変わりない。落ち着いたと聞いていた噂は嘘だったのか、それともあのとき突然消えた理沙が再び目の前に現れ、当時の鬱憤がこのときになって爆発されたのか。襟を掴み上げられいよいよ苦しくなってきたとき、緑谷に引き離されようやく解放された理沙はしわになったジャケットを伸ばし、息を静かに整えながら前髪で陰る爆豪をじっと見つめた。

「……こうなってしまっては、サッチョウに私たちの接点を知られるのも不可抗力だと上は承知しています。しかし可能な限り私たちの関係は他言を、」
「ざけんじゃねえ!!てめぇはどの面下げて俺の前に現れやがった!」

 どんと机を拳で打ち付けた爆豪は、ぴくりとも変わらない理沙の顔を一瞥するとそれ以上何も言わず、足早に会議室を出て行ってしまった。「かっちゃん!」と再び爆豪の愛称を声を潜めながらも呼気を強める緑谷は、乱暴に閉ざされた扉と理沙を交互に見やると、苦渋の選択とばかりに顔を歪めてドアノブを握り締めた。
 そこで緑谷は一度動きを止め、詰るように理沙を流し見た。

「あのとき、結城さんには難しい事情があったんだろうね。君の言う通り、僕たちの関係は必要以上に話さない。…けど僕たちには、いや、かっちゃんだけには必ず、事情を説明してほしい」

 最後まで言い終えるのを待たずして扉を開けた緑谷は、理沙を振り返ることもなく爆豪を追い掛けて行った。
 一人残された理沙は怒りを向けられたにも関わらず、ただただ驚いていた。確かにあの事件はーー神野≠フ事件は規模が大きく、後の影響も多大だった。しかしそれは、当時の平和の象徴だったオールマイトが関係していたことが最たる要因。記録にはおまけのように学生の一人≠ニ明記された理沙の存在など、トップクラスのヒーローとなった彼らの記憶に怒りさえ抱かせるほど残っていたとは、露程も思わなかった。
 だからどうした。任務遂行開始を命じられた今、感情を揺らしている時間はない。上からの命令により、理沙はあのヒーローたちと行動を共にしなければならない。罵倒されようが、殴られようが、それが理沙の任務で最善の策だ。憎いほど素早く処理された情報が弾くように理沙を急かし、足を進めさせた。

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