インヨウ島 85

二種の目

 この時期は本当に散々だったとキアーラは後に言う。

 島に滞在を始めて二日が経過。トウキンに案内された製造所は、故郷にあった"機械鎧の聖地"と名高いラッシュバレーに負けず劣らず製鉄するのに十分な設備の整った魅力ある施設だった。そこのある一室には、ソウウンが招集した鍛冶師や絡繰り技師が総勢四名が集っていた。
 おそらく全員が妙工なのだろう。中年の男性やキアーラやトウキンより幾らか年上の男性など、隆起した上腕や皮膚の厚い手などから彼らの優れたキャリアが窺える。職業柄四名共男性であるが、キアーラに性別年齢を重要視する気はさらさらなかった。最重要観点は、自らの知識とそれに応えられる技術、そして好奇心だ。この三つが備われば機械鎧を製造するのに十分な素質があると言えるだろう。
 しかし、問題はそれ以前にあった。

「そんなに落ち込むなよ〜。ソウウン様が最初に警告してただろ?」
「落ち込んでない。ショックが大きかっただけ」

 時刻は酉の刻。日照時間の短いインヨウ島では一刻前には既に日は沈んでいる。そんな中、キアーラはトウキン監視のもと海岸警備の任務中だった。
 ちなみに二日という短期間でキアーラはトウキンとサイウンのみとは随分と打ち解けていた。

「ソウウンさんの命令だからちゃんと講義は聞いてくださってるけど、あれ程憎しみが圧縮されたオーラを向けられたらやり難いったらありゃしないよ。外海の人間でそれも若造の私がベテランのおじ様方に講義って…、気持ちは分かるけど、それでも工具も投げるってさぁ…」
「お前そんな事されたのか…。けどしゃーねェよ、この島じゃ外海の奴らは蛮族しかいねーって話なんだから」
「そうそれ!この島の人たちには外海の知識が少なすぎる。だから誤解してるんだよ。それに並行する問題として情報源の無さ!ニュース・クーが来ないってどういう事!?」
「いや、一応購読はしてるし稀に来るぜ。月に一回程度」
「それ絶対忘れられてる」

 世界政府非加盟国である腹いせなのか、出版社にも忘れ去られそうなほど鎖国体制にあるインヨウ島。新しい情報が入ってこないという事は、悪しき情報に左右されずに済むというメリットもあると言えるが、同時に良い情報も入って来られず外海への認識を改められずずっと悪い印象の儘にあるというデメリットがある。
 インヨウ島では後者の効果が大きかった。言い伝えられてきた外海への悪い印象をこの数百年間ずっと改められずにいる。

 そこでふと思うのは、おじさんは何故蛮族しかいないと言われ続けた外海へ出たのだろうという疑問。海が本当に好きなのだというのは以前から知っている。しかし、それだけなのだろうか。一つの島で一生を過ごすという事に耐えきれなかったのかもしれない。何か、事情があって外へ出なければならなかったのかもしれない。本当に外海への好奇心のみでの出航だったのかもしれない。
 詳しい理由はおじさんが死んだ今では分からないけれど、おじさんの性格ではここに留まるには多少なりとも息苦しい環境なのだとこの二日で察していた。
 インヨウ島は綺麗な川も町も、鉱物の豊富な鉱山も、高度な製鉄技術もある素晴らしい島だ。けれど、キアーラにとってここは息苦しかった。それは蟠りのない本当の自由を知ってしまっているから。

 トウキンはこの島の事はどう思っているのだろうか。インヨウ島の常識に沿えば、キアーラに対して普通に接しているトウキンやサイウンは異端だと言える。時代は違えどおじさんと同じインヨウ島で生まれ育った人間だ。もしかしたら彼の答えがおじさんが島を出た理由に直結するかもしれない。

「…おい、何か落ちてね?」
「どこ?」

 日が完全に沈んだ暗いこの時間帯では遠くのものを把握するのも難しい。そんな中でよく分かったなと、トウキンの目の良さというか勘の良さに感嘆する。トウキンが先導して落ちてるという何かに近寄って行くとキアーラも何となくそれの正体に勘付き始めた。
 何かは生きている。蠢く影が可視できる距離になり、大まかなサイズも図る事ができた。

「鳥…?」
「あ!ニュース・クー!」

 噂をすれば何とやら、波打ち際に見慣れた海鳥が力無く項垂れており、ぴくぴくと小刻みに震えている事から生存は確認できるが自由に身動きが取れないようだった。もし見慣れない野鳥なら感染症を最も懸念しなければならないところだが、ニュース・クーは人間に管理された鳥。予防ワクチンを接種する事は義務となっているから感染症ではおそらくないだろう。
 天候の変動が厳しい偉大なる航路の空を飛び回る逞しい海鳥がどうしたのだろうという疑問を抱きながら、キアーラはトウキンと駆け寄りニュース・クーの傍に膝を付いた。ニュース・クーが運んでいる新聞を入れているらしい鞄がボロボロになってニュース・クーの傍に落ちており、中にはまだ新聞が入っているようだ。トウキンが抱きかかえ、キアーラが外傷の有無を調べるためにニュース・クーの体を調べる。すると、暗くて見えなかった小さな引っ掻き傷が多数体にある事が発覚した。

「…傷は浅いけど、数が多いね。これは地味に痛い。トウキンくん、どうする?」
「どうするってお前…!どうにかして手当てしてやらねーと!!」
「今の私は判断してすぐ行動できる立場じゃないし、皆が私の判断を受け入れてくれるわけじゃない。でもトウキンくんの判断なら私は動ける。…私はどうしたらいい?」
「…ッ、ニュース・クーは鳥だからキカさんじゃ駄目だ。コウ老師のところに行くぞ!お前は荷物持って来い!」
「了解!」

 駆け出すトウキンの後をキアーラは追った。自分の身を守るためにも島の者のためにも、今はこうしてトウキンやコウ老師などの島の者に従った方が得策だとキアーラは考えた。この二日間の島の者の反応を見れば一目瞭然で、その様子を今しがた話したトウキンも認知しているはず。だからキアーラへ指示する時、トウキンは心が冷めたように哀しくなった。
 この二日間でキアーラが島の者を見定めていたように、トウキンもキアーラを見定めていた。世間的には首に懸賞金を掛けられた悪人であり島の者が忌み嫌う外海の人間であるけれど、その外聞だけでキアーラを判断するべきではないと、トウキンはこの二日間で気付いた。人柄を口にできるほどキアーラの事を理解しているつもりはない。だけど、このまま忌み嫌うのは間違っているのだと、それだけは確信している。

 そしてコウウンの自宅兼キアーラの居候先に辿り着いた二人は、急いで家の中に駆け込んだ。無礼にも許可を得る前に入って来た二人を怒る事はしなかったが、面倒くさそうに顔を歪めて迎えたコウ老師へトウキンはニュース・クーを手当てさせてくれと頼む。
 キアーラに引き続き鳥。ここは診療所じゃないんだぞと言いながらも何だかんだで受け入れてくれるコウウンの親切心に感謝し、キアーラは最近慣れてきた礼をした。



* * *


「数は多いが大した傷じゃない。数日休めばまた飛べるだろう」
「そうか…。ありがとうございます、コウ老師」

 消毒した傷口に緩く包帯を巻き終えたコウウンと待機していたトウキンへキアーラは淹れたてのお茶を配った。火の熾し方は問題なかったのだが独特の苦みのあるお茶をキアーラが淹れた事があるわけもなく、コウウンが直々にお茶の煎じ方を教えた。その甲斐があって二日で形にはなった。だが、

「ブフッ!にっが!」
「見た目は様になってるが…。お前のお茶不味いな」
「す、すみませんね!淹れ方が下手くそで!」

 キアーラが淹れるコーヒー同様に、お茶も不味かった。並の料理ならできるのにと、屈辱に燃えるキアーラだった。それでも毒を気にせず飲んでくれただけましだとポジティブに考えるが、自分が淹れたお茶を口に含めばトウキンが言った通り非常に苦いお茶だったと今認識し落ち込んだ。こんな苦いお茶飲ませてすみません…、と。

「そうだコウ老師。ニュース・クーが運んでいた新聞なんですけど、まだその鞄に入っているみたいなんです。見ても構いませんか?」
「ああ、いいぞ。外海の新聞なんぞ儂かソウウンしか読まん」
「え、いいんですか?私が先に読んでも」
「お前が持って来たんだ。構わん」
「ありがとうございます」

 気を取り直し、先ほどからずっと気になっていた新聞の内容を確認するためにコウウンに許可を取る。こうして逐一報告行動の報告をしなければならないのは面倒だが、それを怠った方がさらに面倒だと分かっているためキアーラはこれを欠かさない。
 ニュース・クーの鞄から多少折曲がった新聞を取り出し、丁寧に広げる。あまり外海の新聞を目にしないらしいトウキンが横から覗き込んでおり、一緒になって一番大きな文字へ目を移す。

「ッ!?」

 この新聞は丁度キアーラがシャボンディ諸島から飛ばされた日のものだった。決して関係ないとは言えない記事に、一瞬キアーラの呼吸は止まった。



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