遺志
膝を付いて、動かない身体を無理やり動かそうとしている"彼"。そしてキアーラはそれをじっと見据えていた。
勝負はあった。明らかに、キアーラの勝ちだ。
師匠に勝ったのに全く勝ち特有の高揚感が湧いてこないのは、本質が師匠である"おじさん"ではないからなのか、それともキアーラの性格が冷めているからなのか…、おそらく両方なのだろうとキアーラに自傷の笑みが見える。
先ほどから建物が崩れそうなくらいグラグラと揺れる屋根を見上げて、そろそろこの場を去らなければいけないなと上の階で暴れているはずのゾロを思い浮かべた。
早く、"彼"を浄化して逃げないと。そう思って、キアーラは懐に入れておいた塩袋を取り出した。
「くそっ!動かねェ!!おいこのアマおれに何しやがった!!!」
「……だから言ったじゃないですか。ただの出血多量ですって。筋肉に酸素が足りてないんですよ。多分今のままでは貴方は死ぬ事はないんでしょうけど、傷が塞がって血がある程度できるまで動けないはずです。……まぁ、その前に身体が腐って使い物にならなくなってるんでしょうけどね」
「ハァ!?シャレになんねェ!てめェ何とかしやがれこらぁ!!」
「…………」
『敵に命乞いをするようなみっともないマネだけはするんじゃないぞ。…最後まで気高い戦士で在りたいのならのう』
かつての"おじさん"の言葉を思い出し、一瞬ピタリとキアーラの身体が止まった。そして、懐から取り出したばかりの塩をゆっくりともとに場所に戻す。
"彼"はキアーラが懇願を受け入れたと思ったのか、ほっと安心したような顔を向けてきた。
それを見たキアーラは、なんて愚かなことなのだろうと絶望したような目で喚く"おじさん"を見下ろす。
「………やっぱり、貴方はおじさんじゃない」
「あァ!?んな事言ってねェでさァ、早よ血ィ止めろや!!」
「…あの人は誰よりも自由で、気高くて…、誰よりも海賊だった…」
そして本当の親じゃなくても、立派な親だった。
キアーラは一歩、また一歩と退き"彼"から距離を取る。
「…おじさんの姿で、その醜い行為を許すわけにはいきません」
「ま、まてまてまて!!おれが悪かったマジで!!」
『例え床に伏せておっても、生き恥を晒すのだけはごめんじゃ。
……キアーラよ、もしワシが情けない姿を晒した曉には…』
発火布をはめた手を前にし、"彼"へ標準を定める。
「……おじさん。おじさんをこんなのにしたのは、私の責任だ。だから、あの約束はきっちり守らせてもらいますよ。―――今がその時です」
「ま、まてっ!!」
パチン
ドゴォォオオン!!
自らが放った轟々と燃え上がる炎の熱を受けながら、キアーラは一年ほど前に交わした"おじさん"との約束を思い出す。当時はそれ程深く考えていなかった"おじさん"の言葉は、今になれば十分に理解できた。
海賊として、そして戦士としての矜恃を守るための発言だったのだということは分かる。
弟子としては耐えられた。しかし子としてはそれを受け入れるのはとても辛かった。それは約束を実行した現在も同じである。
だが"おじさん"と同じ舞台にたった今、弟子と子のどちらの立場でいるかは明白だった。
『キアーラの錬金術で、ワシを消し炭にしてくれんか。骨まで、全てを』
キアーラは弟子として、師匠の矜恃を守ることを決めた。
これ以上、"おじさん"の道を踏み外させるわけにはいかない、と。