「ねえ、南。俺どんな顔してる?俺はさ、何時までもね、ふらふらしてたんじゃイケナイと思って。ああ、こういう時には昔の俺ならアンラッキーって言ってさ、よくわからないって目つきをして笑うんだよ。そうでしょ。なんやかんやで、このザマだ。駄目だよね、本当に。もう何も、わからないよ」


憐れな男だと思った。
時代が違えば、とんでもない独裁政治を成し得たやもしれぬこの男は、今や破裂し踏み躙られた風船のように落魄れている。

頬がこけ痩せたものの、渇いた眼と通った鼻筋は変わらなかった。しかし結局まともに話など出来る筈も無く、面会時間が終わる前に所員に連れられ、彼は出て行ってしまった。


あの日は確か八月赤口、真夏日の午後であった。是ほど身近に政治犯が、と驚愕した反面、千石清純という男の、底知れぬ力を垣間見た気がした。サイレンが未だ耳の奥に残っている。

千石とは同じ中学校で、同じ部活動に励んでいた。思えばあの頃から彼は相当な変わり者で、同時にずば抜けた天才脳の持ち主でもあった。派手な外見と明るい性格で、どこにいても目を惹くような少年であるが、その影は色濃く深い。それを肌で感じる度に寒気がしたものである。きっと誰もが、彼の暗い眼に気付いていた。


この世で何よりおそろしいのは、奇怪でも殺人でもなく、反旗を翻し暴君と成り果てることである。日本をひっくり返すような破天荒は、反逆者とされる時代。千石はワールドエンドを望んでいた。おそらく今も、精神状態が正常に戻れば、何かしらやらかしてしまうに違いない。意味合いは違えど、情熱に溢れた男である。



「おい」


落ち葉積る並木道で、そう声をかけられ振り返ると、見慣れた姿があった。


「亜久津」

「あいつは」


何度面会に行かないかと誘っても、頑なだった癖に。と苦笑しつつ、溜息を吐いた。


「駄目だよ、話にならない」


亜久津は眉間の皺をさらに寄せ、小さく舌打ちをした後に背を向ける。
ザクザクと木の葉を踏み鳴らし、遠くなる背中をぼうっと見送りながら、南はある情景を思い出した。もう何年ほど前になるだろうか。青春時代はテニスに没頭した。亜久津も、千石も、仲間なのだ。貴重な月日を共に過した、かけがえのない友である。


「亜久津!」


ゆらりと振り返る。
震える声。


「なんで、こんな事になっちまったんだろうな」


南は情けなくも、涙を流した。
急に襲われた不安は、表し難い感情の積み重ねだろうか。懐かしき日々を思い返し、もう戻らない輝きが切なかった。

亜久津は次第に表情を歪ませる。彼自身もまた、何を憎めばいいやらで混乱していた。

初秋の風が吹く。音を立てて木の葉が舞う。ポケットに突っ込まれた左手は煙草を弄るが、南の目前まで歩きそれを止めた。肩を震わす彼にかける言葉など見当たらない。


「・・・ごめん。いや、久ぶりにあいつの顔見たら、なんか込み上げてきちまったよ。昔の事とか、思い出してさ。それに俺、あいつが捕まった時、一緒にいたから。なんていうかさ、はは」


二人は、すべてを、何かのせいにしてしまいたかった。時代が悪いのか、日本が悪いのか。
ブラックホールのような落とし穴にはまったのは、アンラッキーな千石だった。何故彼でなければならなかったのか。

もう何も、わからないよ。
先ほどの千石の言葉の重みが、渇きかけた涙のあとを更に濡らした。






そして再び、同じ季節がめぐる時

千石が社会復帰をしたとの連絡が入り、驚いた南は亜久津と共に彼が身を寄せているという会館を訪れた。

『救援会』と書かれた看板に、亜久津は怪訝そうな顔つきで南に目をやる。南もまた、何とも言われぬ複雑な感情が入り混じっていた。

建ったばかりであろう白い建物は物言わぬが、妙な貫禄がある。意を決しインターフォンを押す。

すると重厚な扉が大袈裟に開き、中から男がカツカツと靴音を鳴らしやって来た。

その顔には、南も亜久津も、よく見覚えがある。


「・・・跡、部」


跡部景吾は口角を上げて笑った。その背後から、駆け足で現われたのは、すっかり顔色の良くなった千石である。


「南!亜久津も来てくれたんだね!」


妙な展開についていけず、南はしばし呆然としていた。
口を開いたのは、亜久津の方である。


「随分と、時代錯誤なことをやってるんだな」


救援会、跡部景吾、そして千石清純。
これらの要素が重なり合う時、大きなものが動き出す。亜久津は得体の知れぬ不気味さを感じ取った。

歴史は繰り返す。
戦後の日本が、ここに復活を遂げようとしている。


「日本は、変わらなければならないんだよ」


千石はそう言うと、二人を建物内に促した。

千石清純は役者として演じきったのだ。誰が予想できたろうか、誰がそのような考えをしただろうか。千石は捕らえられ、跡部が救い出す。このシナリオはまだ始まったばかりである。いや、まだ余興に過ぎない。

国民の真実と尊厳をかけた大舞台が、誰も知らないこの場所で、いま静かに幕を開けた。

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