日報 ブログ ::8月はいつか思い出になるから 8月。 ペティットの夏祭りは、いかなる起源にもとづくのでしょう? たぶん桜花文化の流入ぽいですが。または流出かも。 西世界から桜花へ取り入れられられた要素もあるでしょう。習合の経緯として、影響が双方向であることは考えられるというか。 たとえば、現在の日本のいわゆる夏祭りの表層形態は、まだこの数十年のもの。 メリケン粉や、ソースや、チョコやバナナは、もともとの日本にあった産物ではないわけでしょう。 しかしあるいは、ペティットの夏祭りを、本場の桜花風だと勝手に思い込んでいたら、そうでもないのかもしれない。 あくまでこちらで独自の進化を遂げたもので、当の桜花人からみたら実に変な、桜花「風」である可能性も。寿司のカリフォルニア巻きのようなことで。 また、素材だけあっても、時と場所を得ねば特定の形にならないこともあるでしょう。 リアルな西欧の8月後半のお祭りといえば、たとえばスペインのトマト祭など。 トマトというあれもアンデス原産の食べ物ですが、じゃあ本場のインカ帝国民がトマト投げ合って、遥かなるマチュピチュを朱に染めたりしたのでしょうか? たぶんそうではなく、トマトが西欧に渡り、近代農法による改良と増産を経て、はじめてああいうことになったのではないでしょうか。 だから影響は双方向というか、いろいろな要素、物と時と場所の条件が相まっての反応のようなことで。 小麦粉もタコも西洋にあった。しかし素材だけあっても、数千年の文化的持続のなかで、西欧にたこ焼きは発生してこなかったのです。 米と味噌を食べてたからといって、それをもってすなわちパンツでなくフンドシを締めるような国民性が発達してきたことの説明とはならないのです。 あるいは西欧にも、どうかするとたこ焼きを開発してしまうような、過激な思想の持ち主もいたかもしれません。 しかし一代限りで、根付かなかったのかも。土壌のないところに種だけ撒いても定着しない。 進化生物学、集団遺伝学の構造も思わせます。 進化というのが個体の単位で起こるようなイメージを持たれることも多いようにも思いますが、群や集合で考える、あるいは遺伝子プールの単位で考えるべき問題であるとも言われます。 尖った奴が一人いても、以後がただちに塗り変わるようなことではないよう。 (ここのところを、一人〜数人の感情だけで塗り替えたいならセカイ系とかで、「魔法」と同じく直感的に世界を把握したい志向かなと思いますが、実際の方法としては往々にして世界の矮小化になってしまう?) 西欧では、すでにニッチが埋まっていたとも考えられます。 西洋風で粉もの料理は、パンは別としても、キッシュ、パイ、タルト、クレープ、プディング、ダンプリングなど、その中に入れる具材も、肉に野菜に内臓に、出揃っており、魚介だってあったでしょう。たこ焼きに類似するものもあったかもしれません。 日本にはそのニッチががら空きだったというのは、ありそうなこと。その空隙にさっそうと現れたハイカラなものだった。 ただし地下水流のように粉もの料理はあったはず。もんじゃは明治以前にあったそう。 球状に焼くのも、もとはラジオ焼きとかで、醤油味の肉やこんにゃくを入れていたそう。それが関西では明石のたこと結び付き、ソース文化と結び付いた。かくして「たこやきの時」を得た諸要素が受肉、降臨、顕現したわけです。 その諸概念のうちのいくつかのものは、ハイカラなものとか、ちょっとだけ非日常な、お祭りのハレの感じ。 日常的というのは、つまりカツ丼や盛りそばをお祭りで食わんだろう。ということ。 反対に、りんご飴は非日常なお祭りでしか食わんだろう。 たこ焼きはその境界をわりと横断していますが、やはりどこかにロマンと、シャーマニズムと、間抜けさが宿る食品なわけです。 もっと昔は、そこの魔力はなんの食べ物が体現していたか。 落語の「初天神」なら、あれは200年前には成立したそうですが、縁日の屋台のラインナップは、飴玉屋、くだもの屋、だんご屋、凧屋。 こうして見ると、丸いものがシャーマニック? 今のお祭りのメニューとはかなり違うように見えますが、ハレの感じはあるのでしょうね。甘いものが並んだりして、子供の目にはわくわくするものだったろう点は変わらないのかも。 そういう子供の気持ちこそが地下水流、通低音のようにいつの世にも流れるもので、時につれガジェットが変わるというだけのことなのかもしれません。 ネージュさんと夏の終わり、お祭りの日は何を話したのだったか。不安は暴走へのブレーキ、みたいなことを言いました。 なにか不安というか、寂しさ、過ぎ去っていく時間への愛惜のようなものを抱かれるような様子を、たぶんネージュさんの中に、時折ホフマンは感じていたのでは。 楽しいさなかにこそそうした感覚が顔を出すことは、あります。 「思い出づくり」というのは妙な言葉だと、なんか時々思いませんか? 体験したことが後に思い出になるわけですが、それを見越した上での体験をデザインしようとすること。 いや別に妙でもないのかもしれませんけれど。 時間への愛惜から、その欠片を大切にとどめおこうとすることは、何もおかしくないとも思うのですが、デザインなどを気にせず夢中に真剣にやったことが結果的にデザインに残る、のが普通の順番かなあ?と。 だから先から気にすることはないのかもね、ということを少し思ったのと。 また自分が変化していくことへの不安と、過ぎようとしていく少女時代への愛惜もあるかもしれません。 ホフマンとしては、そりゃあ不安や寂しさはとりのぞいてあげたい。 けれど、それは理屈でさとすものでもなかろうし。むしろ正論調でさとされたら「この人には解らない」と断絶を感じるだけのように思います。 なら彼はどうするか。解消せず、不安ごとそのまま寄り添いたいのではないかな。 それに変化への不安は、振り返り確認すること。あるいは暴走へのブレーキみたいなこと。なんらの不安も、後顧の憂いもなくイケイケで行って、気がついたらわけわからん地点におる、というよりよほど誠実とも思えます。 だからそのままで構わない気がするのです。ただ時にはつらくないかなあとは思うので、なにがしか言葉はかけたいのでしょう。 でもホフマンがそういう気を回さなくても、もともとから日常と思い出は、「作る」とか「なる」とかの別を抜いて、居ながらに二重写しのような感覚ってあります。 それは不思議な切なさを伴うのですが、けっして悪い、嫌なものではない気がするのです。 ハセガワミヤコさんの「はなうた」という歌がよいのです。 ♪きみが暮らす町の駅に降り 自動改札をぬける 駅前の景色 いつか思い出になるかな? ぼくが年をとったならきっと ぜんぶ忘れてしまう だから逢いにゆく きみに逢いにゆく きみが暮らす部屋の前に立ち インターホンをならす 聞きなれた返事 いつか思い出になるかな? ぼくが大事なこと忘れて 部屋を出てゆかぬように きみを抱きしめる 突然抱きしめる というの。 「駅前の景色」「聞きなれた返事」という、親密で、何気なく、いとおしいものの中にこそ「いつか」を感じてしまう感じ。 これはメメントテンポスで誠実のように思えます。 で、この歌はそこから「だから」まで進む。このへんがホフマンも同じなのかもしれません。 突然抱き締める。そこにはきっと、やけくそなアクションでもって不安を誤魔化すような気持ちばかりでなく、その小さな痛みの感じを肯定的に捉えていける、ということでもある気がするのです。 だからホフマンが突然抱き締めるとしたら、受けとめてくれたネージュさんの耳元にはやがて、ちょっとホフマンがくすくす笑う時の声が聞こえてくるのかもしれません。 back ×
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