「なぁ、古泉。この世界はお前が思ってるよりずっと、優しくできてるんだぞ」

大学を卒業して5年。
この歳になって思い出すのは、高校時代に彼がよく口にしていた言葉だ。
あの頃の僕は世界や神様を心底憎んでいて、世界の冷たさに絶望していたのだけれど。なるほど確かに、この世界は僕が思っているよりずっと優しいものなのかも知れないなと、最近漸く思い始めている。
不変性と可変性が同居するその矛盾を受け入れるのが怖くて怯えていただけで、いざ受け入れてしまえばどうということもない。良くある表現だが誰かの大事な人が亡くなっても僕達はこうして何の変化もなく過ごしている訳で、誰かからしてみれば冷たく絶望的に感じるかも知れないこの世界も、誰にでも同じ態度で在り続けているのだから結局は受け取る側の気持ち次第なのだ。
子供たちがこの世界は素晴らしいと理解しているのは、子供達にとって過去も現在も未来も光や希望に満ち溢れたものだからだ。しかし残念な事に成長するにつれ周囲の大人や環境に振り回され少しずつ希望を失ってゆくと、僕のように世界は冷たく絶望的なものだと思い込んでしまう。そしてネガティヴな思考で未来に背を向け、無意識にただ世の不合理だけを取捨選択しているのだ。
けれどどうだろう、世の中そう上手くはいかないとか、現実は大人には厳しいとか、そう思い込んでいるだけで、その不条理さが実は何よりも平等なのではないか。
彼は感覚的にその平等さを理解し、僕にその事実を伝えようとしてくれたのだろう。
10年近く経って、彼が感覚的に掴んでいたことを馬鹿みたいに長い時間をかけて思考して漸く理解しつつある。
有り触れたチープな大衆小説の主人公のように「世界はこんなにも優しいんだ!」なんて声を大にして喧伝するつもりは更々無いし彼らのようにノータリンではいられないが、有るがままを受け入れ前を向く事の大切さというのは案外彼らのような思考の海に沈みこむことなど一切無いであろう能天気な性質の人間の方が感覚で掴んでいるのかもしれない。
考えが深みに嵌ってしまえばそのままズブズブとネガティブな感情に飲み込まれてまた絶望するしかないのだから、考えないというのは有効な防御手段だ。
僕のようなタイプの人間は直ぐに深みに嵌まり込む。
彼が傍にいてくれた高校時代のみならず、連絡すら滅多に取らなくなった今でも、彼にとても助けられている。彼がいなければ僕はきっとこの世界を憎み幸せそうな他人を妬み、廃人にでもなっていただろう。
そう思うと、無性に彼に会いたかった。





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