物音に目が覚めた。
やけにベッドが広いなと古泉がいたはずの左側を見る。
静かな部屋に衣擦れの音。服を着込んだ古泉がふと此方を向いて驚いた顔をした。

「起こしてしまいましたか」
「…いや。バイト、か?」

俺の問いに少しだけやつは苦笑した。

「えぇ、直ぐ戻りますから」

寝てて良いですよ、と云われたが玄関まで見送る。
廊下は寒くて、何ともいえない不快な気分になった。
それは恐らく寒さだけの所為ではないのだが。

「では行ってまいります」

おどけたような態度に少しだけ苛立つ。
が、それをバカ素直に表に出すほどガキではないので出来るだけいつも通りに返事をする。

「あぁ、いってらっしゃい」

早く布団に戻るんですよ、とまるで母親か何かのように云われ少しだけイライラが治まる。
ドアノブに掛けられた奴の手に自分の手を重ねると驚いたような反応をされた。
当たり前か。

「怪我、するなよ」

云いながら顔を近づけると、古泉は俺がしようとしたこをとすぐに理解したらしく背中に手を回される。そのまま軽く触れるだけのキスを何度かすると、古泉は少しだけ笑って、出掛けていった。
静かな部屋に俺の立てる衣擦れや足音、その他様々な音が響く。不快な寒さに、俺は布団に戻るとすぐさまエアコンを起動した。ピ、という間抜けな音がリモコンから発され、低い音を立てて送風口から風が送られる。
枕元で光るケータイに気付いて開くと母親からのメールだった。
内容は「たまには古泉君をうちに呼びなさい」というもので、そう云えば昨日は古泉の家に泊まるとメールしたきりケータイには触っていなかったことを思い出した。
画面右上の時刻を確認すると4時37分、いつもなら二度寝するような時間だが生憎とすっかり目覚めてしまっている。
これくらいの時間に発生する閉鎖空間は大抵小規模で古泉も大抵一時間もすれば戻ってくるため、普段は大人しくベッドで待っているのだが、今日は何となくそんな気分にもなれなかった。
ホームセンターで古泉が選んだ黒猫の、毛足の長い冬用のスリッパに素足を突っ込んだ。ぱふぱふと何とも云えない足音や、大の男には似合わないような実に女性向のそれを、俺は案外気に入っている。つま先部分には大きな目と愛らしい鼻がついていてご丁寧に耳まであるその黒猫のスリッパは、古泉のきれいな薄紫色のものとお揃いだ。
俺の黒猫スリッパは大きいがきりっとした目がオスのように見えるが、古泉のはおっとりとした目元や俺のものより更に毛が長くピンクにも見えるような薄紫がメスらしさを出している。
詳しくは知らないがこの黒猫と薄紫の猫は夫婦という設定らしく、スリッパも新婚向けの元々が対になっているグッズなのだそうだ。
それを履いてキッチンに向かう。
ダイニングキッチンは廊下や寝室以上に寒く、吐く息が真っ白だ。
冷蔵庫を開けると灯りが漏れ、部屋を照らす。高々冷蔵庫の蛍光灯とはいえ真っ暗な室内に慣れた目には異様に眩しくて、直ぐに閉めた。常夜灯だけを点け、オレンジの光に目が慣れた頃にもう一度冷蔵庫を開ける。
そろそろ使い切らないとまずいキャベツや人参、じゃがいも、それからベーコンとウインナーを冷蔵庫から取り出す。
ウインナー以外全部適当な大きさに切って軽く炒め、水とコンソメを投入し蓋をして、ダイニングから椅子を引っ張ってきて座り込んだ。
因みに椅子に敷いてあるクッションはスリッパと同じシリーズのもので、猫の顔が四角くデフォルメされている。
野菜が煮えるのを待つ間テレビをつけるかそれとも本を読むかで迷って、結局ローテーブルに置きっぱなしにしていた本を取るついでにテレビもつけた。
小さなボリュウムでも静かな室内では十分に内容も聞き取れるのですぐにキッチンに戻り、テレビの音をBGMに読書を始める。
後半に行けば行くほどに盛り上がるタイプの推理小説は、俺ではなく古泉の趣味だ。元々小説などは余り読まない俺だったが、最近は古泉の影響で幾らか読むようになった。とはいえ作家読みなのでそこまでの冊数は読んでいないが。
推理に入る手前で栞を挟んで、放置していた野菜の煮込み具合を確かめる。
煮るのに一番時間の掛かるキャベツもいい具合に柔らかくなっていたので塩と胡椒で味を調えて火を止めた。
ポトフというのは失敗しない料理と云われるほどに製作過程が単純な料理だが、アレンジなどは無限だし飽きずに野菜を食べれるのでこの季節に良く作る。
一番初めに覚えた料理というのもあるし、古泉に初めて振舞った手料理というのもあるだろうが、いずれにせよこれが一番古泉に喜ばれるのだ。
一先ずポトフは完成したのでベッドにでも戻るか、と電気を消して廊下に出たときにがちゃりとドアが開いて古泉が忙しなく入ってきた。

「おかえり」
「……只今戻りました」

俺が起きているとは思わなかったんだろう、鳩が豆鉄砲でも食らったようなアホ面を晒していたが直ぐにいつもの甘い笑顔になる。

「腹、減ってないか」
「そういえば少し」
「たった今ポトフが出来た所だ」

テレビからはどうでもよさげなニュースが流れている。
それをぼんやり眺めている古泉の前にポトフとコーヒーを置くと嬉しそうに笑い、手を合わせてから食べ始めた。
俺も自分の分をつつきながらテレビを眺めていると、古泉が今日の閉鎖空間でのことを語り始める。昔は閉鎖空間でのことなどあまり喋りたがらなかったが、いつも俺が今日はどうだった、などと聞いているからか、気付けば報告が習慣になっていた。
その習慣ができてから、古泉は少し明るくなった。俺に話すことで多少なりとも気分を晴らすことができているのなら、それはとても良いことだ。
精神的な部分で少しでも助けられているのなら、嬉しいことだとも思う。どれだけ古泉が傷付いていても、俺にできることなど殆ど何もないのだから。

「キョン君」

古泉に呼ばれて、顔をそちらに向けるとキスをされた。
不意打ちなのはいつものことだから余り驚きはない。

「僕はあなたに愛されて、とても幸せです」
「……そうか」

いきなり何を、と思わんでもなかったが、本当に幸せそうに笑う古泉を見たら俺も嬉しくなった。





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