ベランダに立つ古泉が紫煙を吐き出す。 開け放った窓から吹き込む風と共に流れてきて霧散する。 それでも匂いは残る。少し甘ったるい、古泉がいつも使っているトワレとキャスターマイルドの混じった香り。俺はこの香りが余り好きじゃない。普段と全く違う匂いは、まるで古泉に良く似た別人といるかのような錯覚を引き起こし、俺を落ち着かなくさせる。 だが、それと同時に学校の奴ら――谷口や国木田、古泉ファンの女子は勿論、ハルヒや長門ですら、知り得ない古泉の素を俺だけが知っているという優越感を抱いているのも事実だ。 学校でのいつも爽やかで優しいみんなの「古泉一樹」と、実際の――ストレスを喫煙や飲酒と云った違法行為で発散する素の「古泉一樹」。 そのギャップを受け入れるのに時間が掛からなかった訳じゃない。 最初は驚いたし、正直な話飲酒喫煙に対して嫌悪感もあったが、誰に対しても壁を作っているようなヤツが俺にだけ心を許してくれているのだと思えば拒絶する事はできなかった。 古泉が、吸っていた煙草を灰皿に押し付け火を消すと次の一本に火を付けた。 「吸いすぎだろ」 「そうでしょうか」 ふ、と少し表情を緩ませて古泉は小さく笑う。 先程まで眉間に皺を寄せて煙草を燻らせていた人間と同一人物だとは思えない。連日の“バイト”とそれによる睡眠不足で余程ストレスが溜まっていたんだろう。 「貴方も吸いますか」 「美味いのか」 「いいえ、ちっとも」 思わず不味いもんを俺に勧めるのか、と返すと、古泉はほんの一瞬驚いたように目を見開いて、それからさも可笑しそうに笑い出した。 ついついつられて俺も笑ってしまう。 「一本貰うかな」 「どうぞ」 差し出された箱から一本抜き取り、古泉が吸っている煙草の先に押し付けた。古泉はソレを咥えたまま俺に火の点け方、煙草の吸い方を指導する。 「一度煙を吸い込んで、それが肺に入るようにもう一度息を吸うんです」 云われた通りに吸い込んで思わず咽るとヤツは苦笑した。 喉が痛い。しかし何だか悔しいのでもう一度挑戦する。 「無理しないで下さい」 「うるせ」 しかし矢張りというべきか案の定というべきか半分もいかないうちに軽いめまいを起こしてしまった。 「ほら、無理するから」 古泉は先程よりも遥かに苦味の濃い笑みを浮かべ、俺から煙草を取り上げた。そしてそれを咥えると俺を抱えて室内に入る。 「……すまん」 「いえ、構いません」 これは5mmですから、少し重すぎたんですよ。 そう云われても俺にはイマイチ分からんが、もう二度と吸うまいと決心した。 「美味しくなかったでしょう」 「あぁ、最高に不味かった」 歩き煙草をしているようなヤツと擦れ違うとふわっと甘い匂いがするから吸っても甘いのかと思ったんだが、そんなこともなかった。 俺の吸い方が下手だったのかも知れないが、もう一度チャンレジしようなどとはとても思えないし、そもそも古泉が喫煙していると知るまでは――というか今でも、煙草は基本嫌いなのだから態々吸う必要もないだろう。 「それにしても」 「ん?」 「嫌煙家の貴方がコレを吸うとは思いませんでした」 「あぁ……」 古泉が吸っているから少し興味を持ったのだ。 いつもいつも顔を顰めてさも不味そうに、けれど癖のように何本も消費しているから、一体どんなものだろうと。味はまぁ凡そ予想通りだった訳だがそんなことはどうでもよくて、俺にとっては古泉と同じ行為をすることに意味があった。 同じことをしたって古泉の考えや気持ちは一切分からないし一向に推測の域を出ないが。 「お前がいつも吸ってるから興味が湧いたんだよ」 「それはそれは……」 すっかり短くなった煙草の火を消して、古泉が灰皿・ライター・煙草の3点セットを片付ける。 そして俺の横に座り直すと、笑いながらキスを仕掛けてきた。 「僕は随分愛されてるんですね」 「アホか」 自惚れんな、と小突いた俺の顔も笑ってただろう。少なくとも、声には多分に笑いが含まれていた。 こういうことをしていると、何だか馬鹿っぽいなぁと思う。 だが悪い気はしない。寧ろ幸せなんてものを感じてしまっているのだから末期だ。けどきっと、古泉も同じことを考えているはずだ。 恋ってヤツは (全く厄介だと思いながらもやめる気にはなれない) |