俺は古泉に馬鹿みたいに全力で愛されていたんだと気付いたのは社会人になって数年が経ってからだった。
その頃にはもうとっくに俺と古泉の関係は終わっていて、それも自然消滅っていう形だったから思い出すこともそんなになくて、だから本当に今更だった。

久々に2連休を取れて、それならと思って始めた少し大掛かりな片付け。
埃を被っていたアルバムや何やらの整理をしていたときに、SOS団で撮った写真が何枚か出てきたのだ。
俺とハルヒで写ってるもの、古泉と長門で写ってるもの、ハルヒと朝比奈さんで写ってるもの、五人全員で写ってるもの、そういったものの中に俺と古泉二人で写ってるものがあった。
俺と古泉のツーショット写真というのは恐らく、約3年の中でこれが唯一のものだろうと思う。

オセロをしていた。
俺は駒を持ったままいつものように眉間に皺を寄せてボードを眺めている。恐らく考えているんだろう。盤上では白が優勢で、何処に置いてもそう結果に影響を与えないであろうことが伺える。きっと、何処にでも置けることに困ってるんだろう。
一方の古泉はいつもの愛想笑いなんかじゃなく、二人きりのときに見せるような本物の笑顔を浮かべていた。微笑、と云うべきか。とても優しく愛情の篭った目でただ俺を見つめている。幸せそうだった。
そして俺は、その写真を見て唐突に理解したのだ。俺は古泉に馬鹿みたいに全力で愛されていたんだと。

写真を見つけてからはもう片付けなんて手に付かなかった。
俺たち何で別れたんだっけ、とか何年会ってねえんだっけ、とかもう結婚してんのかな、とか。
結婚。
その言葉は俺に重く圧し掛かる。
俺は古泉と別れたあと彼女なんて今に至るまでほぼ出来なかったし、だから結婚なんて自分には無縁な言葉で、だからあまり考えた事もなかった。
そういえば谷口のとこにはこないだ子供が生れたんだっけ。そうだ、俺たちはもう親になっててもおかしくない歳なんだ。
古泉もきっと結婚してるんだろう。あんなイケメンを女が放っておく筈がない。
高校でも大学でもアイツはモテモテだったし、社会に出てもそれはきっと変わらない。飛び切りの美女を捕まえて幸せに暮らしてるんじゃないか。
そう思ったら悲しかった。
俺はまだ、古泉が好きなんだ。

俺と古泉は高校の2年から大学の2年くらいまで付き合っていた。
2年の夏に下らないことで喧嘩して、その後から徐々に連絡を取らなくなって、今に至る訳で。どう考えたってとっくに終わってる。

ケータイにはまだアイツのアドレスと番号が入ってる。けど今更電話なんかしてどうしようっていうんだ。
会いたい。けど仮に会えたとしてどうする。
あの時はごめん、或いは元気にしてたか、どっちにしても白々しすぎる。謝罪なんか今更過ぎてあいつだって迷惑だろう。そもそも今謝るくらいならどうしてあのときに謝らなかったんだ。
いつもいつも喧嘩のあと謝るのは俺の役目で、それは俺が悪くないときだってそうだったけど、あの瞬間までそれを不満に思ったことなんか一度もなかった。謝らないという態度で古泉は俺に甘えているんだと思っていたし、それは実際本人も云っていて、それならそれでいいと思っていた筈なんだ。いつもいつも外で気を張っていつでも優しくて恰好いい「古泉一樹」を演じているから、俺といるときくらい少し我が儘でも厭じゃなかったし、寧ろそれだけ俺には心を許しているんだと思えば嬉しかった。だからあの喧嘩だって本当なら俺があやまってそれで済む筈だったんだ。古泉は謝れない。それくらい理解してたのに。

何もかもが今更だった。
写真をアルバムに挿んで本棚に戻して、深く溜息を吐く。

シャワーを浴びたら幾分すっきりした。
ケータイには1年ぶりにハルヒからのメールが来ていて、それが少しだけ俺の心を軽くさせる。
『久しぶりにみんなで会いましょう』
日にちと時間、場所とそれから近況報告があって、来れる来れないに関わらず返信すること、という文面で締められていた。
行く、とだけ打って返信する。
古泉は来るのだろうか。
去年もこの時期にハルヒが飲み会をしようとメールをくれたが、俺は仕事が忙しくて行けなかった。あの日の不参加者は俺だけだったとハルヒに怒られ、参加できなかったことを悔やんだのは覚えている。
直ぐにハルヒから返信が来た。
『じゃあ今回の不参加者は古泉君だけね』

古泉が来ない、と聞いて俺は思わず古泉に電話を掛けていた。
呼び出し音が3回ほど鳴ったところで我に返る。
そして、番号が変わっていなかったことにほっとした。
呼び出し音は10回ほどで留守電に切り替わる。ヤツが出なかったことを残念に思いながらも、それと同時に心の底では安堵していた。
今更掛ける言葉なんて見付からない。

夕飯を食べて食器を洗って、一息ついたとき、ケータイが鳴った。
見なくても分かる、古泉だ。付き合い始めてから一人だけ初期設定ではないものに変えた。それは別れたあともそのままで、だから見なくても分かるが。
出るか否か迷ってるうちにケータイは留守電に切り替わったようだった。
出ればよかった、と思いつつも、出たって話すことなんかないんだという寂しさや形容し難い後ろ向きななにかが俺の中で渦巻く。

酒でも買いに行こう、と思い立ってケータイと財布を持って家を出た。
今にも降りそうな、重くて暗い雲が立ち込めている。
天気予報では明日の午前中は雨らしい。洗濯物今日の内に洗っておけば良かったなんて思って、それも今更だと自嘲した。
今日は何だか考える事全てが今更な気がする。
入ったコンビニでは気だるそうな高校生店員のやる気が見られない「いらっしゃいませー」が響く。
雑誌を立ち読みしてる不良以外に客はいない。
取り敢えずカゴを持って菓子コーナーに行くと最近あまり見掛けなくなったスナック菓子。昔古泉が好きだったヤツで、そういえば俺んちにも古泉んちにも常備してたっけ、なんて懐かしくて思わず3つほどカゴに突っ込んだ。
酒コーナーでは大学一年の頃古泉んちで二人で飲んだ酒がずらっと並んでて、それは期間限定でも何でもなくいつも見ている物なのに何故だか今日は非常に懐かしくて思わず5本カゴに入れてしまった。
会計を済ませ、コンビニを出ると草臥れたサラリーマンが煙草を吸っていた。

「何を買われたんですか」

声を掛けられてぎょっとする。しかし、何処か聞き慣れた心地のいい声だった気が。
振り返るとサラリーマンが煙草を灰皿に押し付けて火を消している所だった。

「……こい、ずみ」
「お久しぶりです」

貴方のお家にお邪魔しても?と云われ、ああともいやとも返事が出来ないうちに古泉に腕を引っ張られ促されるままに鍵を開けて気付けば二人で向き合って然してアルコール度数の高くないチューハイを飲んでいた。
未だに呆然としている俺を見て古泉が小さく笑う。それは決して馬鹿にしたようなものではなく、昔のようにまるで俺を慈しむかのような、そんなものだった。

「貴方からの着信に気付いて直ぐに折り返し電話を掛けたんですけど出てくださらなかったので」

来ちゃいました、と何処か自嘲するように笑う古泉に俺は掛けるべき言葉が見付からなくて、そして目の前にいる古泉が本当に本物なのか信じられなくて、阿呆みたいに口を開けて眺めることしか出来ない。

「やっぱり迷惑でしたか?」
「そっ、そんなことは、ない……」

少しだけ、いや大分、声が裏返った。
テーブルの上に乗っている俺の左手に、古泉が右手を重ねてきたからだ。
よかった、と笑う顔に疲れが滲んでいることに今更気付いた。
もしかして、仕事途中だったりとか、するのだろうか。

「古泉、忙しいって、ハルヒが……」
「それなりに、ですね。涼宮さんが誘ってくださった飲み会の日は丁度接待が入ってまして」
「体は、大丈夫なのか」

大丈夫ですよ、と笑うその表情は俺の知らないもので、それがとてつもなく寂しく感じたと同時に、今にも倒れてしまうんじゃないかという不安もあった。
顔色があまり良くない。

「寝た方がいいぞ、明日起きる時間教えてくれれば起こしてやるから」
「ありがとうございます、でも明日明後日と休みを頂いてますから大丈夫です」

俺の指を、特に薬指の付け根を撫でさすりながら古泉が笑う。
手を撫でてくるのは、上機嫌なときだ。変わってないな、と思う。嬉しかった。
古泉は暫くそうして俺の手を撫でたり握ったりしていたが、ふと思い出したようにあ、と声をあげた。

「キョン君、」
「なんだよ」
「ごめんなさい」

それは古泉からの初めての謝罪だった。知り合って既に長い年月が経っているにも関わらず、直接はおろか電話やメールですら俺に謝った事のない古泉の初めての、謝罪だった。

「ずっと後悔していました。意地を張らずに、甘えたりせずに、謝ればよかった。僕は貴方を失って初めて、どれだけ貴方を必要としていたか気付いたんです」

本当にすいませんでした、と頭を下げて謝る古泉に、またぽかんと口を開けてしまう。
これは、一体どういうことだ。
あのときの、大学二年の夏にしたあの喧嘩に対する謝罪だということは辛うじて分かったが、しかしどうして古泉が謝るんだ。そんなキャラじゃなかっただろう、それにあの喧嘩に関してはほぼ全面的に俺が悪かったんだ。なのに、何故。
呆然としている俺に気付いた古泉が苦笑した。

「今更、ですかね」
「……そんなことは、ない」

嬉しそうに古泉が目を細める。

「俺も、謝ろうと、思って」
「……え?あぁ、先ほどの電話ですね?」
「あぁ……」

そうですか、と安心したように頷く古泉に、もう一つ云いたいことがあったのを思い出す。

「好きだ、古泉」

まだ、好きなんだ。
古泉は目を見開いて、それから俺の横に来ると思い切り抱き締めてきた。
くるしい。

「さっきから手を握っても振り払われなかったので少し期待はしていたんです。でも、どうでもいいから何も云われないのかとも思って」
「……好きだ」
「僕も好きです」

やっと仲直りできましたね、と心底嬉しそうに古泉が笑う。
仲直り、その単語に胸が甘く窪んだ。





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