何が欲しいんだ、という問いに思わず考え込む僕を見て、彼は苦く笑う。
今の僕はとても満たされていて、ぱっと思い浮かぶようなものは何もない。それを無欲なんだなと彼は言うけれど、きっとそうではないと思う。僕はごくごく普通の人間なので、それなりに欲深いのだ。
だけれど、彼からもらいたいものはきっと概ね手に入れている。愛しているという言葉も、それを分かりやすく表した態度も、確かに僕が彼にとって特別なのだという証も、もう既に僕は貰っている。それ以上を望むのは罰当たりと言うものだ。
「お前を喜ばすのは難易度が高いな」
「そうでしょうか」
毎年恒例の旅行と、宿で出してもらうケーキ、少しお高めのお酒。そういうものだけで十二分に嬉しいし、何年か前にもうすでに左手薬指にお揃いの指輪をつけてもらっている。これ以上望むものなんてあるだろうか。
僕も彼も社会人で、たとえば読みたかった本や食べたかった珍味、あるいは少し贅沢かなと思った乾燥機能付きの洗濯機だって、欲しいと思えば手に入る。だけど彼から貰いたいものはそんなものではなくて、それにやはり、もうすでに貰っている。
今年も、彼が選んで昨年のうちから予約してくれていた温泉宿はとても素晴らしいところだった。
料理はお肉も海鮮もどちらも美味しくて、それに合わせたお酒だって文句なしだ。もちろん温泉も、部屋に露天風呂がついた豪華な部屋で、ふたりでふやけるほど湯に浸かって星空を眺めた。
「毎年こうして旅行に連れてきてもらって、僕は十分に嬉しいですよ」
何年か前、彼が昇進した年、これで漸くお前と肩を並べることができそうだ、と指輪を貰った。
「お前が本当に欲しいものを渡したいと思う俺の気持ちくらいは理解してくれていると思うが」
「もちろんです」
僕も愛されている自信はあって、だから彼が僕のために僕の誕生日というものを素晴らしい一日にしたいと思ってくれていることは理解している。
「欲しいもの、本当にないのか。もしくは、あれだな。お前のことだ、形のないものとか」
「……おや」
形のないもの、僕が本当に欲しいもの。
さすがに望みすぎではないか、と微かに思っているそれは。
「外れてたら指差して笑ってくれ。俺の人生とか」
「……驚きました」
大正解です、と言えば彼は苦虫を噛み潰したような表情だ。
入籍、という形はとれない。僕たちは同性だし住んでいる自治体にはパートナー制度なども導入されていない。それでも、彼のご両親には僕がそういう相手なのだと紹介されているし、とても大事にしてもらっている。
彼は会社でも指輪をつけたままだし、聞かれれば相手が同性であることも話している。僕だって、親と疎遠ではあるけれど彼のことは人生の伴侶として紹介をしている。
だから、まあ概ね現時点でもらえているようなものだ。
ただ、やはり、男女間ならごく当たり前に取れる籍を入れるという選択肢が我々にはないことだけが、少しだけ寂しい。
彼はきっと、形にこだわったところで、と言うのだろうけれど。
たかだか紙切れ一枚が、お互いを縛り付ける契約になるのだ。法的に婚姻関係にあると認められているのといないのとでは全く違う。もし彼の身の上に何かあっても僕はただ同居しているだけの赤の他人だから手術の同意書にサインをすることすらできない。
だけれどそういったあれこれに目を瞑れば、関係性としては事実婚のようなものなので、文句はない。もしどうしても書類上で家族になりたければ養子縁組という方法だってあるのだし。
「もうすでにくれてやったつもりだったんだがな、それは」
「えぇ、はい。頂いておりますよ」
少しふざけつつも肯定すれば、益々不愉快そうな顔。いや、何か思いついたものが非常に彼の中で納得できないものだった時の表情か。
「……結婚式でもするか」
当たりはつけてるんだ、と深いため息とともにそんな言葉を吐き出す彼は、鞄の中からファイルを取り出す。
その中から出てきたのは婚姻届と、いくつかの式場のパンフレット。
「あの……?」
「区切りっつーか、要はさ、二人で生きていきますってのを神様に誓ってこれからもよろしくお願いしますって意味合いで親なり友達なりに見てもらうのは、俺の本気度くらいは伝わるだろ」
おまえにも、まわりにも、とお酒を呷ってまた深いため息を吐く。
「……はい」
「それが俺なりに考えた、俺の人生をお前に捧げるっていう意思表示だ」
あとこれ、と差し出された婚姻届は、僕が書く欄以外埋まっている。証人の欄には涼宮さんと彼の妹さん。
「これ……」
「出せないけど、まぁなんだ。改めての決意みたいなもんだよ」
彼はいつだって僕の予想の上を行く。結婚という形をとれる一般的なカップルへの羨ましさを抱えていることに、彼はとっくに気づいていて、その上であれこれと考えてくれたのだろう。
「母さんにもハルヒにも、指輪と一緒に渡せばよかったのにって言われたよ」
「ふふ、でも、とてもうれしいです」
彼が僕のために考えてくれていること、彼のお母さんや涼宮さんがこうしたことに助力してくださること、僕は間違いなく彼に愛されていて、そして彼の周りの人々にこうして温かく迎え入れられていること。それで十分なのだと分かっている。
「僕はとてもわがままですね。結婚に拘るなんて」
「そうか?俺だって生きてるうちに同性婚ができるようになれば、籍は入れたいけどな。お前の手術の同意書にサインできる」
考えていることは、もしかしたら同じだったのかもしれない。
「結婚式はまぁ、母さんの希望でもあるんだ」
「お母様の?」
「俺たちの晴れ姿が見たいとさ」
「……なら、見せないとですね」
彼の、ではなく彼と僕の、という表現は、ややもすれば気づかずにスルーしてしまいそうな些細なものだけれど、間違いなく僕を受け入れてくれていると分かるもので、いつだってそういう物言いをする彼と彼のお母さんに僕は感謝してもしきれない。
「僕は貴方に何をあげられるのでしょうか」
「ばーか」
彼は自分のお猪口にお酒を注ぎながら笑う。
「それ、ちゃんとお前も書けよ。結婚式だって、お前も動くんだぞ」
「もちろんです」
「……それが、お前がお前のこの先の人生も俺にくれるっていう証明になるんだ」
目尻に皺を寄せ目を細めて屈託なく笑う様は、確かに僕たちが重ねてきた年齢が見えるのに、出会った頃と変わらない。
あの頃の僕に教えてやりたいものだ。
僕の人生はこんなにも幸せと喜びに満ちている。
「……貴方で良かった」
のそりと立ち上がった彼が、座椅子ごと僕の隣に移動してくる。そっと僕の手を握る彼の指先は冷え切っていた。
「お前だから、何だってしてやりたいんだ」
それだけは忘れてくれるなよ、と言いながら抱きしめられた。
不思議だ。
彼を好きになってからもう10年以上が経つのに、どうしてだろう。いつだって今日が一番彼を愛していると思える。際限なく大きくなっていく気持ちを、彼はいつだって今日のように受け止めてくれる。正直なところ抱えている不安がゼロになることはないのだけれど、それでもこうして抱きしめられるだけで絶対に大丈夫だという根拠のない自信がわいてくるのだ。
「なぁ、一樹。誕生日おめでとう。これからの一年もお前が幸せでいれるように努力するから、お前も何かあればきちんと言ってくれよ」
「……はい」
すっかり馴染んだ左手薬指の、僕と彼の関係性を証明するそれに、彼がそっと口づけた。





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