呆れるほどどこまでも青い空に、綿菓子のようにふわふわとした雲。何の予定がなくとも気持ちが上向くような晴れに、彼もどことなく機嫌がいい。布団と久しぶりに洗ったシーツを干して、そのままベランダで頬杖をついて空を眺めている。
「散歩かピクニックかそれとも最近できたカフェのテラス席か、悩ましいな」
「僕としてはカフェのテラス席でブランチを推したいですね」
よし行くか、と伸びを一つして部屋に戻ってきた彼は、僕をぐいぐい押しながら寝室へ向かう。
「デートだ古泉!」
いつもより幼い笑顔でそんなことを言って、部屋着を脱ぐと先日買ったばかりの服に着替え始めた。お前も早く着替えろと視線で訴えられてクロゼットを開け、どれを着たものかと考える。見ているだけで暑苦しい、とよく文句を言われた高校生の頃のようなシャツとジャケットを取り出すと、彼は隣に来てタグがついたままハンガーにかけられたパーカーを僕に押し付けた。
「あの頃みたいな服も悪くはないんだが、俺としてはこっちの方が好きだ」
そんなことを言われれば断れるはずもなく。
色違いのパーカーとスニーカーを履いて家を出ると、足取りも軽やかに先日オープンしたばかりのカフェへ向かう。歩けば少し汗ばむような気温でも風は涼やかで、ただ歩いているだけなのにとても楽しい気持ちにすらなってくるのだから不思議だ。天気がいいというだけで、単純な僕たちはこんなに機嫌がいい。
「アイスレモンティーとあとサーモンのサンドイッチ、チーズケーキもつけるか」
「豪華ですねえ」
「デートだぞデート」
それも久しぶりの、と言われて振り返れば確かに、ここ数か月は彼の繁忙期や僕の異動で休日はベッドに沈み込んだまま過ごすことが多かった。出かけるとしても食料品の買い出しくらいなもので、こうして二人目的もなく出かけるのは本当に久しぶりかもしれない。
にやりと笑う彼に思わず照れるとわき腹を小突かれた。
「今更照れるなよ、こっちまで恥ずかしいだろうが」
「すみません……、いえなんだか久しぶりのデートと思うとちょっと……照れますね……」
周りに誰もいないことを確認して手を握ると、高校時代によくしていたような、眉間にしわを寄せて、けれど少し口角の上がっているとても器用な照れ顔で僕を睨みつける。この表情が見たくてよく彼を困らせていたのを思い出して笑うと、彼にまたわき腹を小突かれた。
「痛いですよ」
「にやけるな気持ち悪い」
全く忌々しい、なんて久しく聞いていなかった言葉をつぶやくと彼は短い前髪を指で弄る。
握った手の指先に少し力を籠めれば、同じように握り返してくれるのだから、照れていたって可愛い。
飲食店の立ち並ぶ大通りの一本手前で、手はそっと離されてしまった。最後に触れるか触れないか分からないほどやさしく手の甲を指の背で撫でられたのは、昔から変わらない手をつなぐのはもうおしまい、の合図だ。最初は彼の照れた顔が見たくて外で手をつないでいたが、気づけばもう習慣のようなものになっている。誰もいない場所では必ず手をつなぐ、それは余り言葉にしてくれない彼の愛情表現の一つでもある。受け入れてくれるのは彼が僕を好いてくれているからに他ならない。
「お前は何食べるか決まってるのか」
「アイスミルクティーと、そうですねえ……」
店の前の立て看板に貼られた写真のメニューはどれも美味しそうだ。彼はサーモンのサンドイッチと言っていたから、エビのグラタンかあるいはクリームパスタだろうか。
「ん−、パスタもうまそうだな、きのこと生ハムのやつ」
「じゃあそれにします」
半分こしましょうね、と言えばまた幼い笑顔で上機嫌に頷いて、彼は店の中に入っていく。
テラスに陣取って食事を頼み出てくるのを待っている間、アイスレモンティーを飲みながら空を眺めては時折思い出したように僕の顔を見て、ぽつりぽつりと会社の愚痴などを零す。そんな彼に相槌を打ちながら同じように空を見上げると、少し変わった形の雲を見つけた。
「くじらみたいですねえ」
「あの雲なー」
あっちは猫、そっちは金魚、こっちはソフトクリームと分かるような分からないようなものになぞらえている間に、彼の頼んだサンドイッチが運ばれてくる。ランチだからサラダとスープもついているようだ。大き目のサンドイッチは食べやすいようにだろうか、半分に切られていた。それを二人で食べていると遅れてパスタも取り皿とともに運ばれてくる。先に届いたものをシェアしていたからだろうか。さり気ない気遣いは嬉しい。
ん、とサンドイッチを食べながら彼はこちらに皿を押す。半分に分けろ、という意味だ。
取り分けて彼に渡すと上機嫌でパスタに手を付ける。
「サンドイッチも美味かったがこれも美味いな」
コーンスープを飲みながら適当に頷くと脛を蹴られてしまった。食べてもいないくせに頷くなという彼の抗議だ。
「ふ……、ソースついてますよ」
口の端を指さすとナプキンで拭きながら睨まれてしまった。
「早く食ってみろって」
「はいはい」
二人でそうやって食事を済ませてデザートメニューを眺めていると、彼が頬杖をつきながらケータイを取り出して何か調べ始める。
「俺チーズケーキ、お前はチョコケーキ」
なぜかちゃっかり僕の分まで指定して、早く頼めと言わんばかりにつま先を蹴られる。仕方ないので店員さんを呼び、ホットコーヒーを二つとチーズケーキチョコケーキを注文した。
頼んだものが運ばれて来るまで何やら真剣な表情で調べていたが、ケーキとコーヒーが届くと彼は顔を上げ、上機嫌にカップに口を付ける。
「海行こうぜ海」
「海、ですか」
ここ、と見せられたのはやや距離の離れた海岸だった。少し距離があるが、移動手段はバイクだろうか。何があるわけでもない場所のはずだが、彼が行きたいというのなら断る理由など何もない。
「行きは俺帰りはお前な」
「仰せのままに」
予想通りバイクでの移動を想定していたようで、運転する順番まで指定されてしまった。
買ったはいいもののお互い出不精でほぼほぼ一人で買い物に行くときにしか使っていないバイクを、もったいないと思っていたのは恐らく僕だけではないだろう。元々はデートのために買ったものなのだから、デートで使いたい。
行先がなぜ海なのかは不明だが、彼が嬉しそうに笑うものだから、行先なんてどこだって構わないという気持ちになってきてしまう。実際、二人で出かけるというその行為そのものが重要なのであって、目的地なんて近所のファミレスだったとしても満足だ。
ケーキを食べ終わり会計を済ませると、彼は来た時よりもさらに弾んだ足取りで家へと向かう。
もちろん誰もいないところではこっそりと手をつないで、時折その腕を大きく振ったりもしながらのんびりと家に帰り、玄関先で軽く抱きしめてキスをして、彼は相変わらず上機嫌に笑ったまま僕の頭をぐしゃぐしゃと撫で回す。
「なんか、今日やたらと機嫌いいな」
「そうですか?」
「そうだろ、普段こんなにベタベタしねえって」
言われてみれば付き合いももう随分長いものだから、何となく前ほどくっついたりはしなくなっていたかもしれない。
「嫌ですか、こういうの」
「今更逆に恥ずかしいってのはあるけど」
嫌じゃねえよ、と笑いながら彼は触れるだけのキスをしてくる。
「早く行こうぜ、海」
ジャンパーを羽織り、ヘルメットとグローブを持って駐輪場に戻ると、彼は大きく伸びを一つ。長く長く伸びた影を見て笑いながらヘルメットを被り、グローブを装着しながらベランダを見上げた。
「早く帰ってこないとシーツが湿気るな」
余り気にしてなさそうな口調でそんなことを言ってバイクにまたがり、早く乗れと僕を急かす。もうすでにエンジンをかけているところが少しせっかちな彼らしい。慌てて後ろに乗ると、彼はすぐにバイクを走らせ始める。低速とはいえ少し乱暴ではあるが、僕なら対応するという信頼もあるのだろう。
バーを握って彼の肩越しに道路を見れば、先ほど二人で歩いた道をあっという間に過ぎてすぐに大通りへ出た。幹線道路をそれなりのスピードで時折車の合間を縫いながら飛ばすのは、風が冷たくとも気持ちがいい。安全運転とは言い難い部分も多少あるのだけれども。
どこまでもこうして走っていたいと思うほど、彼とのツーリングは心が浮足立つ。
信号待ちで止まったタイミングで手をバーから彼の腰に回すと、軽く頭突きをされた。ヘルメット同士がぶつかる鈍い音と少し重たい衝撃に思わず笑うと、手の甲をつねられたあと、ほんの一瞬手を握られる。それは、恥ずかしいみっともないという抗議と、でもやめなくてもいいという許可のようなもの、と僕は受け取った。それが正しいのかはあとで聞いてみないと分からないが、当たらずとも遠からずだろうと思う。
海まではあと少しだ。帰り、彼は同じように腰に手を回してくれるだろうかなどと、気が早いことを考えてまた一人笑う。久しぶりのデートに、自分でもどうかと思うほど浮かれているようだ。
彼の手を握って海辺を歩きたくて、季節外れの海に誰もいないことをそっと願った。





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