1/27 求婚の日(遅刻)



今日は求婚の日らしい、と知ったのは会社で女性陣が姦しくケータイ片手に盛り上がっていたのが漏れ聞こえてきたからだ。
古泉が好きそうだな、なんて思いながらついつい自分のケータイで調べてしまった。
1883年の今日、伊勢新聞および三重日報に、中尾勝三郎という人が「先頃女房を離縁して不自由勝ゆえ、貧富を論ぜず、十七歳以上二十五歳にて嫁にならうと思ふ物は照会あれ」という求婚の広告を出したのが由来となっているそうだ。
何ともはや、新聞に嫁募集の広告を出すなど今では到底考えられないが、中々どうして面白い発想じゃないか。真似はしたくないが。
終業まであと2時間半、古泉に今日お前んち行っていいかと連絡を入れると間髪入れず喜んでと返事がきた。人のことは言えないが暇なんだろうか。
集中してやれば1時間かからず終わる仕事をだらだらとコーヒーを飲んだり菓子を摘んだりしながら進めつつ、脳内で考えるのは渡すタイミングを失って鞄の底に長いこと眠っている指輪のことだ。
去年古泉の誕生日に合わせて買ったにも関わらず、いざ渡そうと思った途端に怖気付き、記念日にもクリスマスにもどうにもタイミングを見出せず結局そのままになっている。
こんなイベントに乗じて渡すのもいかがなものかとは思うが、しかしこんなイベントに乗じなければ次の誕生日か記念日かクリスマスか、いや去年渡すことができなかったのだからこのままずっと渡せずに終わってしまいそうだ。
高々指輪ひとつ。
けれどその、左手の薬指にあわせて買ったボーナス一回分の、俺からすればかなり大きな買い物は、婚姻届という言ってしまえばただの紙切れを役所に提出し契約を結ぶということができない俺たちにとって、やはり一つの区切りとして大きな意味合いを持つだろう。
終業のチャイムがなるのとほぼ同時にパソコンの電源を落とし、今日は早いねデート?なんていう上司に適当な返事をしてフロアを飛び出す。エレベーターを待っている時間すら惜しい。
階段を駆け降りてゲートを走り抜け、小走りで駅へ向かいタイミングよく滑り込んできた満員電車に無理矢理乗り込む。いやまあ、急げばこの電車に乗れることは業務中に確認済みなのだが。
古泉へ電車に乗ったことを報告すると、今日は早上がりだったので買い物がてら駅に行きますなどという浮かれた返事。夕飯は何がいいですかなんて可愛らしい質問に、何でもいいと返そうとして、以前その回答から喧嘩になったことを思い出した。俺としては古泉の作るものは何でも美味いから何でもいいという意味だったのだが、女性陣に聞くとそんな曖昧な回答は求めてないらしい。献立に困ってるのだから協力しろと言われればなるほど確かに、作ってもらう立場なのだから和洋中どの気分なのかくらいはリクエストが必要なのかもしれない。
イヤホンから流れる曲が終わり次に切り替わるそのほんの少しの切れ間に隣のサラリーマンたちの会話が飛び込んできた。この前の飲み会で行った中華料理屋が美味かったとかそんな話だ。それを聞いてふと、餃子が食べたくなった。
嫌がられるだろうかと思いながら餃子をリクエストしてケータイを閉じると、ちょうど乗換の駅に着いたところだった。
流されるように降り、そのまま流されるように快速に乗り込んで、胸ポケで震えるケータイを取り出すこともできないほどギチギチな状態でどうすることも出来ずただ窓の外を眺める。古泉からの返事は一体なんだろうか。
次の駅が目的地だ。着くまで内容は確認できない。
指輪を渡すとき、一体何と言えばいいんだろうか。去年の春手元に届いた時から未だにずっと考えているが、どうにもしっくりくるものがない。結婚してくれとは言えないし、毎日ご飯を作ってくれなんてのも違うし、かと言って一生一緒にいてくれというのも、どうにも恥ずかしい。そういえば、それを考えすぎてクリスマスにすら渡せなかったのだ。
いいから渡して仕舞えばよかったものを、と今更後悔したところでしょうがない。まだ手元にあって、いい加減渡そうと決意したのだから、あとは可能な限り早急に渡してしまうしかない。
電車がやや乱暴にスピードを落として、緩やかにホームへ滑り込む。押し出されるように電車を降りて、人混みから離れてようやくケータイを取り出せた。
メッセージは春雨スープとレンチンした茄子を付け合わせに、という内容だった。味のリクエストはできるんだろうか。俺としては春雨スープは酸辣湯がいいのだが。
そんなことを思いながら行列に混じり改札へ向かう。人混みの中で見つけられるだろうかと思ったが、案外簡単に見つかった。
「悪い、待たせた」
「あ、いえ、お疲れ様でした」
ぼんやり足元を眺めていた時も腹が立つほど様になっていたが、顔を上げた途端ふにゃりと笑うその顔もまた腹が立つほどに可愛らしい。
「春雨スープは酸辣湯がいいんだが」
「……あぁ、いいですね。そうしましょうか」
道中餃子の皮とお酢、それから結構な量の酒を買い込んだ。腕が抜けそうなほどに重い。この歳になると筋力が衰えてしまってダメだ。鍛えた方がいいのだろうと分かってはいるが、体を動かすのも面倒で何も行動に移せていない。
「今日何かありました?」
「ん?いや、何もねえけど」
そうですか、とどうにも腑に落ちないような表情の古泉に、思い返せば俺が古泉の家に押し掛ける時は大体仕事ででかいミスをしたとか理不尽に怒られたとかそんな時が多かったなと思い至る。飯を食いに行こうとかそういうちょっとしたデートの提案は俺だって割合するが、家に行きたいと思うのは良くないことがあったときばかりだ。
「早く飯作ろうぜ」
「そうですね。終電何時でしたっけ」
「お前が嫌じゃなきゃ明日お前んちから行きたいんだが……」
目をぱちくりさせて、いかにも驚きましたという顔をした後、古泉は深く考え込む。
「……嫌なら帰るって」
「いえ、本当に何かあったわけじゃないんですか、嫌なこととか……」
俺があまりにも不審で困惑していたらしい。確かに、翌日も出勤なら今までは必ず家に帰っていた。スーツの替えは古泉の家には置いてないからな。
今日は至って平和だったよ、と答えると納得はしてないようだが、とりあえずは頷いてくれた。
古泉の自宅に着くと既に風呂が沸いていて、古泉はニコニコ笑いながらお風呂をどうぞ、と勧めてくる。どうせならご飯かお風呂かそれとも、という例のアレをリクエストしたいところだが飯は今から作るのだし作るのは古泉となれば、大人しく風呂に入るのがいいだろう。
「すみませんが、シャツと下着洗濯機に入れたらそのまま回しちゃってもらえますか」
「おお、分かった」
スーツを渡されたハンガーに掛けて浴室に向かい、全裸になって洗濯機を回す。はたから見たら中々シュールな光景だろう。
飯を食ったら絶対指輪を渡そう、なんてことを考えていたらついつい長風呂になってしまった。ダイニングに入ると既に餃子もスープも茄子も出来上がっている。
「悪い、何も手伝わなかった」
「平気ですよ」
食べましょうか、とビールを手渡されて大人しく席に着く。
BGM代わりにつけていたらしいテレビから、またもや今日は求婚の日ですなんて声が聞こえて、思わず咳き込んだ。
「どうしました?」
「いや……、唾が気管に……」
適当な誤魔化しに古泉は気付くことなく苦笑している。気をつけてくださいね、なんて柔らかく言われてしまってなんだが罪悪感すら湧いてきた。
「求婚の日なんてあるんですねえ」
「……何でも記念日だな」
ビールを飲んだらまた渡し忘れるだろうか。或いは、変に緊張して悪酔いするか。どちらも避けたいところだ。
視界の隅で鞄を探すとソファーに立てかけるように置いたあった。腕を伸ばして鞄を掴み引き寄せると、向いで古泉が不思議そうな顔をしている。底にずっと眠っていた小さな箱を取り出すと、中で色々なものと擦れてしまったのだろう、少し汚れている。
「……古泉、」
「はい」
考えたってしょうがない。受け取ってくれるかどうかすら自信がなくなってきたが、今日ここに来たのはこれを渡すためだ。
箱を開けて中身を見せると、古泉は固まってしまった。
「今日、これを渡しにきたんだが、受け取ってもらえるか」
「あの……」
「いわゆる、結婚指輪だ」
大きな目をさらに大きく見開いて、2つ並んだ指輪と俺を交互に見ていた古泉は、へらりと笑って左手を差し出してきた。つけろ、という意味だろう。箱から1つ指輪を取り出して、そっと薬指に嵌める。正直サイズが違ったらどうしようかと考えてそれもずっと不安だったのだが、どうやらぴったりなようだ。
「それは、あなたの分ですか」
「……まあ、そうなるな」
古泉は残った指輪を徐に手に取ると、俺に何か期待の眼差しを向けてくる。流れ的に同じようにつけてくれるということだろうと踏んで左手を差し出すと、嬉しそうな表情でおずおずと薬指に指輪を嵌めてくれた。
「嬉しいです、でもどうしてこんな急に」
「……その話は食いながらにしよう」
折角作ってくれた飯が冷める、と言えば複雑な表情で頷いて、古泉はビールを開ける。飲み食いしながらも古泉は全く納得してくれず、テーブルの上がすっかり片付きソファーに移動して4本目のビールを開ける頃には、いつ買ってなぜ今日渡したのかまで洗いざらい吐かされていた。
「……なるほど。でも僕まだ求婚はされてませんね」
古泉も酔っているらしい。頬がやや上気し表情はいつもより幼い。
「お前と会って、付き合うようになって、もう随分経つな」
「ええ、はい、そうですね」
急に何だ、という顔をされたが無視だ。もうここまで来たら俺も腹が決まった。
「腹が立つこともあるし憎たらしい時もあるよ。付き合い始めた時の新鮮味というか、そういうのももう殆どない」
「……まあ、そうですね」
少し落ち込んだ顔をされて、言葉選びをミスったと後悔したが口から飛び出した言葉は取り消せない。そっと抱き寄せると大人しく背に腕が回される。
「……それでも、今でもお前が1番可愛いと思うし、お前がいないのは考えられない。だから、お前の人生俺にくれないか」
「……あなたの人生を僕にくれるのなら」
消え入りそうな声でそんなことを言う古泉にキスをすると、もう、と額を肩口に擦り付けられる。
「俺の全部くれてやるよ、めちゃくちゃ重いぞ」
「僕も相当重いですよ、覚悟してください」
「ばーか」
男同士だとか、血の繋がった子供が欲しかっただとか、そんな悩みがなかったわけじゃない。それはきっと古泉もそうだろう。けれど、俺の脳内からはそんなことはとっくに消え去っている。何を捨てても、どんなことがあっても、絶対に手放したくないものが古泉なのだと気づいた時に、全て吹っ切れた。
「お前がいればそれでいいよ」
「……はい」
よろしくお願いします、と言う声は、震えていた。
俺の人生において、きっとこの男以上に愛おしいと思う人間は現れないに違いない。
身長は結局追い抜けなかったし、顔面偏差値は釣り合ってないし、頭の良さだって負けたままで、悔しくないと言えば嘘になる。俺の勝手な劣等感で喧嘩したこともある。けれど、それも乗り越えてここまできた。この先だって、きっと平穏無事とはいかないだろうが、2人でいれば乗り越えていける自信がある。
いつどこで目にしたのかも忘れたが、この人となら不幸になってもいいと思うのが愛だそうだ。不幸になってもいいとは思わないがしかし、俺は古泉がいてくれるのであれば不幸もどうにかできるのではないかと思う。だからきっと、これが愛なのだろう。
「愛してるよ、古泉」
「……ええ、僕も。愛しています」
古泉が瞬きをするたびに雫が頬を伝う。それが余りにも綺麗で神聖なものに見えて、俺の言葉ひとつで涙をこぼすこいつを、何があっても幸せだと思ってもらえるように努力しなくてはならないなどと、そんな柄にもないことを思った。





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