古キョンだけどキョンは事故死、古泉は自殺。
そういう話です。





僕の世界は彼で出来ている。中心に彼がいるのではない。彼は世界そのものだ。
彼の言葉、彼の表情で僕の意思は左右し決定づけられて、けれど彼という人間に再構築されたこの世界は、驚く程に心地が良かった。
それが失われるまでは。

『古泉君……あのね……』
それはなんの変哲も無い土曜の夜。団活は休みで、彼は家族と買い物に出掛けると金曜に言っていて、僕は彼と会えない休みにやることなどなくて、ぼんやりベッドでケータイをいじって過ごしていた。
涼宮さんからの突然の着信に驚きながら通話ボタンを押して、いつものように古泉ですと名乗ると、彼女は今までに聞いたことがないほどに静かな声で僕を呼んだ。
それは絶望や悲しみ、或いは怒り、或いは憎しみ、或いは、或いは何だろう。兎に角、マイナスの感情を孕みつつ、全てを抑え込むような、とても静かな声で、僕に世界の終わりを告げた。
『キョンが……キョンが死んだって』
そんなこと有り得るもんかと全く信じることが出来なかったのは当然のことだと思う。突然に恋人が死にましたと伝えられてすぐに信じる人間が一体どこにいるのか。けれど彼女がそんなタチの悪い嘘を吐くわけがないことは知っていて、ならば自然導き出される結論は、彼女の言葉が真実であるという答え。
「……あの、」
『信じられないのは私も同じよ。でも、でもね、』
そこから先、彼女が何を言っていたのか覚えていない。いつの間にか電話は切れていて、僕はどうしたら良いのかもわからずに家を飛び出た。気付いたら彼の家に来ていて、無意識のうちに呼び鈴を鳴らしていた。おばさんや妹さん、或いは彼本人が出てきて、こんな時間に非常識だと僕を叱ってくれないかとそんな淡い期待を抱いていたが、何度鳴らしたところでぴんぽーんというチャイムが間抜けに響くだけだ。
ポケットからケータイを取り出して、毎日掛けていた番号に電話をかける。きっと彼が出てうるさい迷惑だと僕を叱ってくれるに違いないと思いながらも心の底では誰も出るわけなどないのだと諦めがつき始めていた。
けれど不意に、誰かが電話に出る。
「……っ、あの、古泉です」
『あぁ、古泉君、』
疲れ果てたように僕を呼んだのは、もう何度も会った彼の御母堂だった。
『……今から連れて帰るから、会ってあげて欲しいの』
誰を、誰に、なんて、一瞬そんな無意味な疑問が思い浮かぶ。
『今日のお夕飯はステーキにしようって良いお肉を買ったのにね、お父さんが急に出張に行くことになって、なら古泉君にお父さんの分のお肉は食べてもらいましょうって、話してたのよ』
電話の向こうで、妹さんが泣きじゃくっている。
『それで、帰り道信号待ちをしている間あの子は貴方にメールを打ってて、そしたら信号無視をした車が』
猛スピードで信号無視をした車が、ハンドル操作を誤って、信号待ちをしている彼に突っ込んだ。それは、多分よくある、不幸な事故なのだ。
彼は、跳ね飛ばされて頭を打って、殆ど即死だったろうと医師は言っていたそうだ。
痛みを感じなかったであろうことは救いなのだろうか。彼は死ぬ直前僕のことを考えていて、きっとメールを打つことに夢中で、それで。
それで何だというのだろう。
やがて彼は家族に連れられて帰宅し、部屋に寝かされた。
僕はそれをぼんやりと見つめる。綺麗な顔をしているのに、いつも僕の部屋僕のベッドで抱きしめながら見つめていた寝顔と変わらないのに、彼はもう二度と目覚めないのだ。
「……キョン君、」
呼ぶと嫌がるあだ名を呼んでも、二度と彼は僕を怒らない。
いつも僕より冷たくてけれど柔らかな掌は、今はもう僕の頬に触れてくれることも手を握ってくれることも頭を撫でてくれることもない。
「愛してるんですよ、貴方のこと」
口付けた唇はとても冷たくて、僕は彼の死を実感する。
記憶の中の彼が、僕に笑いかける。
『お前のこと置いて逝けるかよ、一人で生きていけんのか?』
無理ですよ、キョン君。僕は貴方がいなければ上手く呼吸も出来ない。
お前より先には死なねえ、といつも言っていたのに。嘘つきだ。
憔悴しきった彼のご両親に無理を言って、お葬式までの手伝いをさせてもらった。今までに誰に連絡を取り、今後どこに連絡をする必要があるのかをリスト化し、合間に機関や朝比奈さん、長門さんにも連絡を取った。
驚いたことに、朝比奈さんは彼の死を知らなかった。彼女の時代ではこんな顛末にはならなかったのだそうだ。未来が変わって彼女にどんな影響があるのか不明だが、彼女はただ友人の死を悼んでいた。長門さんは、どうだったのだろう。声から読み取れることは殆どなかった。けれどきっと悲しんでいたのだろう。
「涼宮さんの力で、どうにかならないのでしょうか」
藁にもすがるような僕の願いを、長門さんはいつもよりやや低い声で否定する。
『……涼宮ハルヒの力は消失した。原因は不明。ただ、この結末を変えることは不可能』
なぜこんなタイミングで普通の少女に戻ったのか。彼女から力が消えたから彼は死んだのか、それとも逆なのか。そんなことは知らないが、希望はないということだけは確かなようだった。
週明けにお葬式を終えて、彼は小さな小さな壺に仕舞われた。ご好意で遺灰の入ったペンダントを頂いて、僕は久しぶりに自室に戻った。
こんなに細かな灰が、もう二度と愛してくれることのない僕の世界なのだ。
僕の世界は、突然終わってしまった。あれ程までに心地よく、キラキラと輝き鮮やかに色付いていた世界が。
それならば、と思う。
マンションの最上階に上がり、上へ続く階段を封鎖する扉をよじ登る。上の隙間から侵入してしまえば、屋上に出るのはとても簡単だった。
去年の夏、何度か彼とこうしてこっそり屋上に来て、天体観測をした。
僕以外の世界は、今この瞬間も営みが続いている。
子供の泣き声が、夫婦の喧嘩する声が、犬の鳴き声が、誰かが誰かを呼ぶ声が、絶えず響いて。なぜ、僕の世界だけが奪われたのだろうか。
「嫌われても怒られてもいいんです、貴方に会えるなら」
だから、会いに行こうと思った。
手すりもない屋上、僕はただ一歩踏み出す。
目を閉じて彼を思い出す。初めて彼の写真を見た日、初めて会った日、恋をしていると自覚をした日、決死の覚悟で告白をした日、初めてデートをした日、付き合って1ヶ月の記念日、初めてキスをした日、初めて彼と一つになった日、大ゲンカをした日、将来について真剣に語り合った日。あらゆる初めてを彼に捧げて、あらゆる初めてを彼から貰った。僕の全てを、受け取って欲しかった人。
ああ、こんな終わり方になるなんて。
大きな衝撃と音、それが、僕のさいごだった。





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