ソファの向こうへ放り投げられた可哀想なケータイが自分の居所を伝えるように引っ切り無しに鳴っている。
しかし持ち主は苛立たしげに一度舌打ちをしたきり、まるで何も聞こえないようにただ無声映画を眺めている。本当に耳が聞こえなくなったのか、古泉よ。そんな馬鹿げた質問を投げかけたって何も返ってくることはない。
俺は大人しく腕を縛られ足をベッドに括りつけられたままで古泉と同じように映画を眺める。
どうしてこうなったんだっけ、なんて。古泉に監禁されてからもう数えるのも面倒なほど繰り返した回想を脳内で飽きもせずに再生する。
「あなたが見たいとおっしゃっていた映画のDVDを見つけたので見に来ませんか」
「おお、まじか。行くわ」
そんな会話をして古泉の部屋に行き、出された紅茶を疑いもせずに飲んで、気づけばこの状況だった。
両手足をおそらくSMプレイで使うのだろう、ファーのついた柔らかな枷で拘束され、更に足の方は鎖でベッドに繋がれ、完全に抵抗の出来ない状況で目覚めた俺の心情を誰が理解してくれるだろうか。いや誰も理解できまい。
戸惑う俺を見て古泉はただ一言、「お目覚めですか」と言った。それに何と返したのかもう覚えちゃいない。ああだかううだか、まあそんな返事にもなっていない返事だったのは確かだ。
あれから既に2週間。古泉が発したのはそのお目覚めですかの一言だけで、それ以降全く声を聴いていない。俺の問いかけにも答えず電話にも出ず、ただ俺の世話を焼く以外はこうして無声映画を眺めている。
「こいずみ」
もちろん返事はない。
「古泉、」
俺も殆ど声を出さずに過ごしてきたから声がカッスカスだ。
「なあ、」
水飲みてえかも。
「古泉、聞こえてるか」
男同士で、絶対大っぴらになんかできないけど、それでもそれなりに普通に普通の、恋人同士だった俺と古泉。それがどうしてこうなったのかなんて、まあ分かり切ってる。
「一樹、なあ」
微かに古泉の肩が震える。
「おまえ、どうしようもない馬鹿だよな」
視線は相も変わらずテレビに向けられているが、意識がこちらに向いたのは分かる。そりゃあ付き合ってもう2年経ちますし?大体のことは分かりますよ。大体のことは、な。
「ハルヒの奴カンカンだろーな」
「……また、涼宮さんですか」
久しぶりに聞いた古泉の声は、俺よりはるかに掠れていて、随分と聞き取りづらい。
「やーっとこっち向いたか」
段々喉の調子が戻ってきた。やっぱり会話しねえとダメだな。
「これ以上俺を監禁してると、俺たち会えなくなっちまうぞ」
「もう既に手遅れですよ」
貴方を監禁して涼宮さんからも機関からも連絡を無視して、無理に僕の部屋に入ってきたら彼は殺しますなんてあちこちにメールばらまいて、僕はもう手遅れなんです。
古泉は能面のような顔でそう言う。
「いいから俺の顔を見ろ」
監禁されて3日が経った頃長門が介入してきたのをコイツは知らない。まあ真夜中だったしな。確か3時くらいか。
帰ろうと促す長門を説き伏せて、ハルヒと俺の親と世間を、どうにか誤魔化してくれと頼み込んだ。機関も朝比奈さんも無理でも、世間なら誤魔化せるだろうと言い募る俺を長門は理解できないと困ったように見つめていたが、しかし最後には分かったと頷いてくれた。
「俺はどんなお前だって好きだよ。歪んでたって壊れてたって俺はお前を愛してる」
古泉は困惑したように俺を見つめる。
「ケータイ拾って、長門からのメールを確認しろ」
「……分かりました」
古泉は緩慢な動作でケータイを拾い、メールを読んでどこか驚いた顔をした。
「……え、」
「何て書いてあった」
「誤魔化せるのは1か月の間だけ、と……。どういうことですか」
「そういうことだろ。第一、おかしいとは思わんのか」
一人息子が2週間も連絡取れずにいて、警察が介入しない筈がない。そして介入すれば真っ先にこの古泉宅にたどり着くわけで、それが来ないのは、長門が上手く誤魔化してくれているということだ。こういうとき、その情報改ざん能力が俺はうらやましいよ。
「あなた、」
「古泉、あと一週間ある」
長門は俺が頼み込んだより長く猶予をくれたらしい。
「お前が俺を監禁した理由なんか知らないしどうでもいい」
「キョン君?」
「言ったろ、俺はお前が壊れてたって狂ってたって愛してるって」
どこにも行き場のない負の感情を持て余した古泉が俺を監禁するなんて思っちゃいなかったが、それは俺にとって嬉しい誤算だった。古泉がそんなに思い詰めて行動するほど俺を愛してるなんて、そんなの嬉しいに決まってる。
「お前に監禁されて世話焼かれる生活、気に入ってるんだ」
壊れてるのも狂ってるのも俺の方だ。だけどそんなことはどうでもいい。
「困るのは機関に介入されてお前と二度と会えなくなることだけだよ」
「キョン君……」
古泉が、ほんの少し怯えの混じった顔で俺を見る。
「俺が喜んで監禁されてるなんて思わなかったのか?だから俺の顔見ようとしなかったのか」
分かりやすくてかわいいな、と言えば顔を歪める古泉。
「ぼく、僕は……」
「俺が不気味か?気持ち悪いか?」
「っ、いいえ」
2週間ぶりに、古泉が俺を抱きしめる。
ああ、全く監禁しといて一切触れてこないんだからコイツはどうかしている。
「貴方が、壊れていても狂っていても、貴方を愛しています」
「よかった」
俺の手足の枷を外した古泉は随分久しぶりの笑顔で俺にキスをした。





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