梅雨はとっくの昔に明けたというのに、苛々するほど晴れが少なく雨ばかりの今日この頃。
湿度の上昇と共に不快指数は鰻上り。
折角の夏休み(と云う名の3日程の短期休暇)に一人家に籠っていても苛々は募るばかりで発散されず、俺は気分を変えようと携帯と財布を持つと傘を差して家を出た。
雨のお陰か外の気温は然して高くなく、その癖汗はダラダラと流れてくる。ソレもコレも余りにも高すぎる湿度の所為だ。
矢張りクーラーの除湿機能で湿度を下げている自宅に居た方が良かったかも知れないなと今更後悔をしつつ、一番最初に視界に入ったコンビニに入った。
中で軽く漫画雑誌を立ち読み、カップラーメンと牛乳、それからスナック菓子を買ってコンビニを出た。
正直これ以上出歩いたら俺は苛々の余りそこらのガキに喧嘩を売りかねない。
それだけは当然大人として避けたい。
はぁ、と溜息を吐きゆっくりと歩いていると、アパートの近くの公園で小学3年ぐらいのガキが雨の中一人でブランコに乗ってるのが目に入った。
何だか気になって近付いてみる。ガキが俺に気付く様子は無い。
「おい」
「…え?」
考えるより先に話しかけていた。
「お前親は?」
「…居ません」
不審者を見るような目で俺を睨みつけながらそう言った。今気付いたが、頭に耳がついてる。犬の。
「ボクに何か用ですか?」
「別に」
「なら近付かないで下さい。貴方が嫌いです」
会ったばかりで好きも嫌いも無いんじゃないかと思うが、それは俺の勘違いなのか?
「そんなに警戒しなくても良いだろ。アイス食うか?」
「要りません。何なんですか?」
「いや、別に」
「不愉快です」
そう言いつつも不愉快と云うよりは不安?否違うな何か説明出来んが泣きそうな顔をしている。
「どうしたよ」
「人間なんて信用できません」
きっぱりと言いやがったな…。
「理由は?」
「貴方に説明する義務は有りません」
「まぁな。でも聞く位良いだろ?」
暫く俺を睨んで考え込んでいたが、やがて溜息を吐いて短く
「捨てられたからです」
と言った。
「捨てられた?」
「この耳、どう思います?」
犬の方の耳を指して俺にそう問い掛ける。
「…カチューシャとかか?」
「本物です」
…それは何と云うか。コメントがし難いな。
この子供の話を纏めると、人間共は最初可愛いだの何だのと珍しがり面白がって「飼う」んだそうだ。見世物にしたりな。見世物にされた時は逃げたらしい。例えされなかったとしても、最終的には気持ち悪がられ、或いは邪魔者扱いされ捨てられる。
んで、一週間ほど前に捨てられ、路地裏など余り目立たない場所に隠れていたらしいが今日は何と無く公園に来てみたところ俺に捕まったらしい。
これだけの話を聞き出すのに一時間以上掛かった…。
「じゃあ行く所無いのか?」
「今の話を聞いていて僕に帰る場所が有る様に聞こえましたか?」
「いや」
何言ってるんだお前、と云う目で見られた。当然か。
いや、そうじゃなくて。行く所が無いなら俺の家に来れば良いんじゃないかと思ったんだが…。
俺だって人並みに給料貰ってるし一人位は養えるぞ、多分。てことで。
「お前俺の家に来い」
「は?」
「嫌か」
「嫌です。貴方だってどうせすぐに僕の事捨てるに決まってますから」
「俺は絶対捨てない」
「信用できません」
そりゃそうか。
捨てられたのだって一度や二度じゃないみたいだしな。
でも声を掛けたからにはこのままハイ、そうですか。と云う訳にも、況してや、じゃ、さようなら。と云う訳にもいかない。
それに、泣きそうな顔をしている小さな子供を放置出来るほど俺は冷たい人間じゃない。
「捨てたりしない。約束する」
もう一度そう言ってみると、嬉しそうな、でも何処と無く不安そうな顔をして。
「…じゃあ、暫くの間お世話になる事にします」
「あぁ、じゃあ行くか」
傘に入れてやると、もうびしょ濡れですから大丈夫です、と言って俺の前をスタスタ歩いていく。
俺の家分かるんのか?
不思議に思ってると行き成り止まり、クルリと振り向いた。
「?どうかしたか?」
「貴方の家なんて知りません」
偉そうに言う割にちょっと不安そうなのが案外可愛いかも知れない、などと思いながら隣に並ぶ。
「コレだ」
「コレですか?」
「あぁ」
階段を上がりながらポケットから鍵を取り出す。
傘を畳み鍵を開け中に入ると、何故かちっこいのは中に入ろうとはせず玄関に立ったままの状態で静止している。
「どうかしたか?」
「…本当に良いんですか?」
「何が」
「僕みたいな得体の知れない子供を家に招き入れて本当に良いんですか?」
相変わらず泣きそうなままそう聞くガキに思わず溜息を吐く。
「良いんだよ。おら、入れ」
無理矢理抱き上げ風呂まで運ぶ。
「あ、あの?」
「ちょっと待ってろ」
牛乳を冷蔵庫に突っ込み、箪笥から二人分のバスタオルと着替えを出し風呂場に戻ると困ったような顔で固まっていた。
「ほら、脱げ」
「え、」
驚いているのを無視し服を脱がせ、自分も脱いで入る。幼稚園児はまだしも流石に小学生はと二人ってのは無理があったかも知れんな。
兎に角頭を洗い体も洗わせ、湯船に沈める。
自分の体を洗っているとやっと我に返ったらしいちっこいのが口を開いた。
「あのっ!」
「んー?」
「何で僕はお風呂に入れられているのでしょうか」
「さっぱりしたろ?」
「それは、そうですが…」
「んなことより、お前名前は?」
何で最初に俺は名前を聞かなかったんだろうな。まぁ良いけどいつまでも名前知らないってのは不便だな。
「…古泉、一樹です」
「一樹、ね。おら、暖まったら退け。俺が入れん」
「貴方の名前は何ですか」
「キョン、で良いよ。渾名だけどな」
どうせみんなそう呼んでんだ。もうそれで良いだろ、嫌だけど。
つかコイツなんでこんな態度と表情が合ってねぇんだ?
偉そうなくせにいつまでも泣きそうな顔で。
取り敢えず俺も湯に浸かり、序でに一樹の頭を撫でる。
「なっ、何するんですか!」
ペシっと手を振り払われたがもう一度頭を撫でると今度は抵抗されずにすんだ。
「泣くか威張るかどっちかにしろ」
そう云うと、暫しの間なっ、とかうぅ、とか意味不明な声を発していたがその内我慢出来なくなったのか泣き出した。
暫くはそのまま頭を撫でていたが、いつまでもそのままと云う訳にもいかず、取り敢えずのぼせる前に風呂から出て服を着せベッドまで運んだ。
自分も服を着て一樹の横に座ると抱き着かれてしまった。
「…ひっ…く…ふぇ……」
「あぁもう…よしよし」
抱き締めて頭を撫でるとぎゅうっと音が聞こえそうなほど強く抱き締め返され、
「あっ、あなたもっ…僕を捨てるんですか…っ…」
と消えそうなほど小さな声で聞かれた。
本当は寂しかったって事か。当たり前だな。寂しくないほうがどうかしてる。
「俺は捨てない。さっきそう言ったろ」
「…で、も…ひっく……そんなの…分かんないじゃないですかっ…!」
まぁ確かに嘘かもしれないし心変わりする事が無いとも限らない。少なくとも今までがそうだったのだろうし、そうなればきっと今度も同じ結果が待ってると思って当然か。
俺はそんな事を考えながらもう一度、
「本当に捨てない」
と言った。
まあ俺も人間だ。心変わりしないとは限らない。
だがしかし、少なくとも今の俺はコイツが少なからず可愛く思えてだな、だから面倒を見てやりたいとも思っている。
今日ほんの数時間前にあった奴相手に何言ってんだか、って感じだが、何だか放ってはおけないんだよ、何故か。
「アイス食うか?チョコ味で良かったら冷蔵庫にあるぞ」
「…バニラは無いんですか?」
涙声で偉そうに言った一樹は、もう泣いてはいなかった。だが残念だな。
「バニラは無い」
「じゃあチョコで我慢します」
何だコイツ、本当に偉そうだな。ちょっと早まったか、俺。
そんな事を思いつつ二人分の棒アイスを冷蔵庫から出し一個を一樹に投げた。
「ぅわっ…、と」
驚きつつも確りとキャッチしたのを横目で見つつそろそろ夕飯の仕度でもするか、と適当に野菜を冷蔵庫から出す。
「一樹」
「はい」
ゴミ箱を探しているのかきょろきょろしていた一樹は返事をしながら此方を向いた。
何か、犬、だな。うん。
「今日冷やし中華で良いか?つかゴミ箱はテレビの横にあるだろ」
「あ、はい。所でひやしちゅーかって何ですか?」
「冷やし中華って何って何?」
素直にゴミ箱に袋を捨てつつ不思議そうにそう聞かれ、思わず聞き返してしまった。
「どんな食べ物ですか?」
「食べた事ないのか?」
「はい」
食った事ないのか。普通夏は最低一回は食わないか?そうでもないのか?
否、でも、何回も飼い主変わってるんだったら一回ぐらい食った事ありそうだがな。
「んじゃあ、何食ってたんだ?」
「ドックフードです」
…健康体なのが不思議だな。それともコイツは外見が人間なだけで内臓とかは犬とかと一緒なのか?
俺は少し考え、隣に住んでいる同い年の長門に聞いてみる事にした。

「悪いな、態々来てもらって」
「良い」
長門は一樹を見ても全く動じず、俺の心を読んだのかただ一言、
「ドッグフードは良くない」
と教えてくれた。
今はそのお礼に俺お手製冷やし中華を長門にも食って貰ってる所だ。
そして一樹だがすっかり長門に懐き、楽しそうに会話をしている。
それにしても、長門の奴本当に人間なのだろうか。俺が判り易いだけなのか何なのか、長門に相談しに行った時、大抵長門は俺が何か言う前に答えをくれる。まぁ一々説明せずに済むのは有り難いがな。
否、でも流石に一樹の事はそれだけじゃ説明出来ないな。
一目見てそんなの分からんだろう、普通。
何でだろうな…、何て考えていると、一樹が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「どうかしましたか?」
「いや、何でも」
頭を撫で、食い終わった皿を流しに持って行き、洗う。
「僕がやります」
と一樹が来てくれたが残念ながら身長が微妙に足りてない。
「んじゃ明日なんか台になる様なの見付けっから、そしたら頼む」
「…はい」
落ち込む一樹を長門が慰めている間に洗い物を終え、長門と自分にコーヒーを、一樹にココアを淹れテーブルに運ぶ。
「ホレ」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
暫く三人でテレビを見てくつろいでいたが、一樹が床に丸まって寝てしまった頃、長門は帰った。
まだ8時で寝るには早いが、取り敢えず電気を消し一樹をベッドに寝かせる。
同じベッドに寝ても大丈夫だろうか…。否、こんな年下の子供に手を出す気は更々無いからその点は心配無いんだが、コイツは嫌がらないだろうか。と思ったんだが、今までの態度から考えて問題ないだろう、と云う結論に落ち着いた俺は、取り敢えずベッドに入った。