零はしばらく怒っていた。


「お前は今は体と子供のことだけ考えろ」

真面目な顔をして優姫にそう言い聞かせてきた。


「玖蘭枢は俺が見つける」

そう言って優姫には無理をさせないように、
自分は協会長の仕事と並行して枢を
探し続けてきた。ーーーずっと。


それを優姫のそばで、
二人を見守ってきた英や理事長たちは
ずっと幸せを願い続けてきた。

英や理事長たちは、枢の生存について
正直否定的にならざるを得なかった。

炉の主となるのは枢の希望であったし、
あの優姫をもして止められなかった枢の意思は
ひどく強いもののように思われた。

あの場にいて行方不明の純血種たちも
協会は足取りを追っているが、
元々気まぐれで世情には我関せずな
純血種なのである。

そばに控える僕に主は眠っております、
と言われればそれ以上は追求できない。
まさか棺の中を見してください、など言えない。

そういう意味であれば依砂也もそうだった。

理事長が依砂也を訪ねた時、
対応してくれたのは古い顔見知りの僕だった。

巻き髪を束ねメイドとしても
彼に尽くしていた彼女は、主は睡眠中であると
いう旨を理事長に告げるしかしなかった。

どれくらい眠る予定か?と聞くと
数ヶ月かもしれないし数十年かもしれません。
ですが貴方が灰となるまでにはきっと、
と微笑み下がってしまったのだった。


つまりどういうことかと言うとーーー、

口には出さないが優姫と零以外は枢生存を
可能性は極めて低いと、考えているのだった。




「生きているなら、優姫ちゃんの前に
あらわれないっておかしいよね。」

ティースプーンで砂糖を入れたカップの中を
ゆるゆると回す拓磨は神妙な顔つきで言葉を零す


ーーーー結局、
寝る準備をしていたところあの騒ぎで、
中途半端に起きてしまい、また再集合...
というような流れになってしまったのだ。

生憎理事長と零は優姫の様子を見るため欠席、
若干一人もうつらうつらとしているが。



そして話題はやはりこのことで。

「もしかして枢ったら、優姫ちゃんと錐生くんの
幸せを願ってる...とか?」

「いや、それは...ないかと...」
「枢様がいやそんな...」
「枢様に限ってない...でしょうね...」
「ないね...」


一同みんなが微妙な顔つきで端切れの悪さを
発揮する中、支葵はゆらりゆらりと船をこぐ。


「でも、ほら。
何処かで眠ってるとかはどうですかね?
他の純血種にやられて再生中...みたいな。」

「それはないでしょう暁。私たちはずっと
校門の辺りで戦ってたし...
あそこから先にいった純血種はいなかったわ」

「いや、一人いる。」


一条がキラリ、と瞳を輝かせて
どこから出したのかわからない
伊達眼鏡をクイッとあげる。

「一人って...依砂也様のことか一条」

ソファにもたれて眠そうに俯せていた英が答える

「そうだよ。あの方は枢側で戦っていたし」

一番のキーパーソンだよね、と再び瞳を
輝かせる一条をスルーしながらも、
英は確かに...と思わざるを得ない気もして、
微妙な心持ちになる。



「確かに依砂也様は枢様の見方だった。
黒主優姫を枢様の代わりに
人間にしようともしていたが...」

「だからと言って依砂也様が炉の主だとも
断言は出来かねますね...」



渋い顔をした暁の隣でソファに腰掛けていた
瑠佳は、目を閉じ頭を暁にもたれる。

それに気づいた暁はちらりと視線を向け、
彼女の想像していることを思いながら、
拓磨に視線を投げ返した。


「とりあえず...
希望的観測にすぎないことですから。
無闇に期待するのはよしましょう。」

「架院の言う通りだね。
じゃあ、とりあえずこの話は終わり!
もう夜明け頃だ。みんな部屋に帰ろうか。」


パンパン、とその場の空気を払拭するように
拓磨が手を叩くと、全員ゆったりと
立ち上がり、部屋へ戻っていく。

その中で一人、佇んだまま。


「おい英?」

隣に瑠佳をつれた暁がソファから
動こうとしない自身の従兄弟に声をかける。


「僕はまだいい。
あいつの様子が気になるから、
錐生と理事長を待つ。」

ちら、と向けられたアイスブルーの瞳に
そうか、と暁は応え部屋へ歩き出す。

残されたその瞳に、
宿る気持ちを生まれてからほぼずっと
共にいた従兄弟に、
彼の知らない心情が含まれているのも知らず。





「...枢様...」


ぼんやりと宙に浮かんだ
いつかの枢とその人の姿に
複雑な思いを抱えながら瞳を閉じた。


「藍堂先輩?」

だが不審そうにかけられた声に
その瞳はまたすぐに開いた。

「なんだ錐生」

「...寝るなら部屋で寝てください」

「寝てなんかいない。勘違いするなバカめ。」

憎まれ口を叩く藍堂を尻目に、
零はテーブルに置かれたティーセットから
新しいものを取り出していく。

「.......おい、あいつは」

「いま寝たところです。
理事長がついてます。」

「...そうか。」

零はいつもの雰囲気と変わり、
何か考えているような雰囲気を纏う英を
ティーセットの置かれたテーブル越しに眺める。

そんな視線に気づいたのか、
英は視線を彼に向けた。


「おい、お前今からそれを飲むのか」

「...」

「そんなもの飲んだら、眠れなくなるぞ」

「...わかってます」

「なら、」

「俺が、」

零の持つ、ティーカップの中の
漆黒の液体がさざ波を立てる。


「玖蘭枢を、見つけるんです」

まっすぐに見つめられた、
様々な感情がストレートすぎるほど
含まれた彼の視線に、
英は少し驚いたような表情を見せる。

「あいつに約束しましたから...」

その中に入っている感情が、
自分の持っている感情と一致するものがあると、
英は感じながらも、

自分よりもその感情のせいで苦しむ彼は、
ブラックコーヒーを飲み下し、
少し乱暴にソーサーにおろした。

「じゃあ」

「...まてよお前まだ夜明けだぞ?」

「仕事があるんですよ。」

彼を探しながらも次期協会長として仕事を
こなす零は、どこから誰が見ても、
オーバーワークしている。

それを優姫の前では隠しているが、
零はそのうち倒れるんじゃないかというのが、
彼の周りの者たちの見解だった。
ーーー英もまた、しかり。


「まて錐生」

コートに手をかけた零は
その言葉に動きを止める。

「せめて一時間でも寝ていけ。」

「...必要な、」

「必要に決まってるだろう!
お前まで死んだりしたら、それこそ...!!」

言いかけた言葉に英は口をつぐむ。

なぜ自分はこんなに
こいつを気にかけているのか、
自分でわかってはいたがわかりたくなかった。

「...少し寝ていけ。
お前が具合が悪くなったら、
悲しむ奴がいるだろう。」

「...わかりましたよ。」

ため息とも取れる吐息を散りばめ、
部屋を出て行こうとする零の背中に
英は声をかける。

「...いつか護送車の中で行ったこと、
覚えてるかお前。」

「.......」

「あれは今でも、有効だからな」


ーーー振り返らなかったが、
確かに自分まで聞こえた彼の応えに
英は満足していた。



【僕だったら何度だって対決して、奪う】


あの時はその言葉に、
殺気じみた視線を送り返して
ただあいつは黙っていた。

ーーあいつは俺には関係ない。
そんな瞳で。



『俺も、そうするつもりです』


いつの間にか、
時が流れていると感じるのはこんな時だ。

気づくと皆、成長している。

架院と瑠佳も、一条も、支葵と利磨も、
大切な人を通して変わっていっている。


なのに自分はーー、

自分自身の感情を認めきることもできず、
だからといって零のように前にも進めない。

零は彼女を満たし続けている、
大きな存在に挑もうとしているというのに。


「枢様...」

瞳を閉じて浮かんだ、
あの頃の玖蘭邸での暮らしが過ぎり、
心臓が鼓動を刻むのを感じた。




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