「遅かったな」

「ぜ、ろ...」

乾いた口内に彼の名前だけ反芻している。
頭の中では違う名前が
今は私を支配しているというのに。

これから私は裏切ろうとしているーー二人を。


沈痛な表情で目線を逸らす優姫に
零は慈愛の溢れた目で眺める。

ーーやめて、
私はあなたを利用しようとしている...


自分のやろうとしていることに
納得して覚悟を決めたつもりだったのに
顔を見るとつい心が揺らぐ。
ーーー昔からの私の悪い癖だ。



「...決めただろう?」

「...うん...」

迷うなよ、と自分に向けられた
藍堂センパイの眼差しを思い出す。
彼は自分の迷いを知っていたのだ。


「優姫、
俺はお前が笑っていることが望みだ。」

「...うん」

「そしてこれは利害の一致...
俺たちにはするべきことがある。
そのための布石なんだ。だからーー」

「零、」

「...なんだ」

「私を...赦さないで...」

「...」


お前のせいじゃないし、
お前が悪いわけじゃない。
お前を赦さないはずないだろう...?

頭に浮かんだ言葉は
どれも優姫を責める言葉など一つもなく、
むしろ彼女を擁護するものだった。

けれどーーー、


「...わかった」

どれだけ言っても、今の彼女には届かず、
寧ろ自分自身を責めてしまうに違いないと
わかっているが故に口には出さない。

ーーー彼女自身もその優しさがわかる故に
やるせなく、切ない恋情を感じ苦しい。

口に出さないのにお互いを
分かり合ってしまうが故の
すれ違いの感情はひどくセンチメンタルで
ほろ苦い胸の疼きを二人が二人とも
感じ取って言いようのない感情を感じる。

けれども、


「いくぞ」

「うん」


今夜の二人は個人ではない。
あくまで公的な存在として来ているのだーー










夜会が行われ始めだいぶ経ち、
会話や料理に楽しんでいた貴族たちが
まだであろうかと考え始めた頃だったーー


「優姫さま...」
「玖蘭優姫さま...」
「玖蘭の姫君...」


淡い寒色系のドレスをひらりと身にまとい、
今夜の主催者である姫は姿を現した。

ーーー若きハンターのトップとともに。


その姿に跪いた貴族たちが一斉に騒めく。

「なんと...」
「あれは確か錐生とかいう...」
「次期協会長...」

貴族たちが騒めく中、
この半年優姫たちを吸血鬼社会安定のために
支えてきた藍堂の父君は心配そうな顔で
彼女を見上げた先で見つめる。

「皆様ご存知の通り、玖蘭家の者として私は
先の混乱から吸血鬼社会安定のために、
そして人間との共存のために動いてきました。
これからも、あなた方貴族の力が
必要になる時があるでしょう。
どうかその時は、私に力を貸して下さい」

凛とした玖蘭の姫君の声に、
声を潜めていた貴族たちも凪いでいく。

その様子を優姫と零の後ろに控え見守っていた
英と琢磨も、心を撫で下ろした。

「もちろんです優姫さま...」
「先の混乱からを収拾なさりました手腕...」
「人間との共存を強くお望みなのでしょう。
さすが太古から平和主義を貫かれる玖蘭の姫...」


先日の混乱の際は統制も取れず
あたふたとしていたというのに、
いざ自分に背反していた純血種たちが
戦いの傷を癒すため長き眠りにつくと、

いまでは混乱を起こした主とも言える者の
妹に忠誠を誓い合うものたち...

結局はここにいる貴族たちは穏健派も含め
強きものに巻かれ、流されるままの、
時を少し生きるだけの意思を持たない
人形にすぎないのだろうか...


大規模なデモンストレーションが
成功したにも関わらず、
優姫の心の中の濃い霧は晴れることはなかった。


「皆様、ありがとうございます。
邪魔はいたしませんから、
今日はお楽しみになってくださいね。」

そう微笑んだ優姫に応えるように、
跪いていた貴族たちは顔を上げ、
各々が優姫がくる前の状態に戻る。

それを確認した零は優姫の手を引いたまま
数段の階段をゆっくりと降りていく。


「いいよ、もう、大丈夫だから」

「こけたら大変だろ、もう少し我慢しろ」

「いいって、ば」

周りの貴族からの焦げ付いた視線が
うざったくて苛つく。

「お前のためじゃない」

わかっているけれど。

「零、もう終わったから...
これ以上茶番はいらない。」

階段を降りたところで、握られていた手を
少し乱暴に振りほどく。
ーーこれ以上零を好奇の目に晒すのは嫌だ。

「仲がよろしいのね、って
思わせとくほうがいいと思うけど?」

「そうだけど...ヴァンパイア目線でいくと
違う意味で見るよ、あの人たちは。」

直接は見ていないけれど、気配でわかる。
貴族たちは零と私の関係に興味があるのだ。


「協会長が玖蘭の姫の僕、って?」

ちらと振り向いた浅い紫色が
痛いほど胸を突き刺さる。
息が苦しいくらいに...

「そうだよ。私は...そんな風に零が
軽んじらて見られるのは嫌。」

私達は確かに血の関係があるけれど、
そんなものは後付けで望んだものではない。
それは零だって同じ気持ちのはずだ。

それなのに、

はぁ、っとため息をついた零は
呆れつつも優しい目で優姫を見る。

「それがある意味では目的だろう。

お前は協会長と仲良し、と見なされ
貴族たちから支持を得ること。
俺は人間に優しい玖蘭が台頭して、
ハンターも仕事がやりやすくなる。

そうやって俺たちは相利共生していく。
人間と吸血鬼の平和的共存を目指すため。
お前だけが俺を利用してる訳じゃない」

「わかってる、でも...」

そうなのだ。
玖蘭が他の純血種より台頭する。
以前だったら血統の重さ、
武器の使い手を輩出するということだけで
十分だった条件は、
先の混乱を〈彼〉が起こしたことから
玖蘭優勢は揺らいでしまった。

幸い親金の新たな武器によって
致命傷まではいかなくとも
傷を負った純血種は眠りに入った。

しかし、玖蘭の代表がまだ産まれて
十数年の小娘の優姫では、
アルテミスが使えると言っても
玖蘭には不安要素しかなかった。

だが、ハンター協会を味方につければ...

ハンター協会は人間と言っても、
やはり武器を保持しているのは大きい。

彼らは純血種の命さえ奪える武器を
持っているのだから。



「...協会だってお前がナイトクラスの時には
俺たちの仲を利用しようとしていた。
今回も俺たちにも利があることだから
お前が気にやむことじゃねーよ。」

「...私は、それ以外も、あるから...」


ついと顔を背けた優姫に、
零は喉を締め付けられたような
息苦しさとくるおしさを感じた。


先の混乱で吸血鬼側だけでなく、
ハンター側も一度は窮地に立たされた今、
新たな立て直しが必要であるのだ。



本当に、なんてことを...
先の混乱を起こしたとも言える本人に、
文句ばかり言いたくても、
いないのだから何も言えない。


ーーー枢。

あなたは一体ーーー




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