「あのね、枢さまっ」
「なに?優姫」
数ヶ月前に会った際に彼がプレゼントした
自分より少し小さいクマのぬいぐるみを
胸に抱え、クリーム色のワンピースを着た少女に
彼は微笑みかけ手を伸ばす。
いつもならすぐに彼の手を取る少女は
今回は少し困ったような顔をして、
彼の後ろに佇む養父をちらりと見る。
「ごめんなさい...枢さま...」
「...いきなりどうしたの?優姫」
ふわりとした優しい笑みを落とす大好きな人に
彼女は困ったように眉根を下げる。
「...優姫は、今日は枢さまに触れないの...」
悲しそうな顔をみせる彼女とは裏腹に、
笑顔の美少年の笑みがぴたりと固まった。
*
「...私、そんなこと言ったんですか」
「そうだよ。
あの時ほど、僕が辛かった瞬間はなかった。」
「...すいません。」
「はあ...いまも君は敬語、か...。」
「...それとこれとは別だと...って、
どこ触ってるんですかお兄さま!」
「別に...今はこうやって優姫に触れる距離に
いれることが嬉しくて。」
「...おにいさま、」
「本当に、君に触れられないと言われた時、
僕がどんな気持ちだったかわかる?」
「...私、おにいさまに結構ひどいことを...」
「うん。幼心って、容赦がないよね。」
「...でも私、
なんでそんなこと言ったんですか?」
「それはね、」
*
「...どうして、優姫?」
「だって...優姫には呪いがかけられてて、
枢さまに触れたら、枢さまが死んじゃうって
理事長が...」
「...そう。」
彼はドアの隙間から顔を出し
こちらを伺う彼女の養父に
一瞬剣呑な眼差しを向ける。
ヒェッと声をあげドアから離れていく養父を
確認して、彼はいつものような優しい表情を
彼女に向ける。
「大丈夫だよ、優姫。
...今日は何の日か知ってる?」
「...ううん、知らない」
「今日はね、
エイプリルフールっていう日なんだ。」
「えいぷりる...?」
「エイプリルフール。
午前中だけ、嘘をついていい日なんだよ」
「そうなの?」
「うん。だから、理事長が優姫にちょっと
意地悪をしただけ。
優姫が触れても、僕は死んだりしない。」
そう彼が優しく告げると、
彼女は困惑した表情で彼を大きな瞳で見つめる。
「...ほんとう?」
「ほんとうだよ。」
「でも、もし枢さまが死んじゃったりしたら
優姫すっごく悲しいから...」
「...じゃあ、呪いを解く方法を教えてあげる」
「ほんと!?」
「うん、本当。」
*
「...おにいさま、その流れって...」
「なに?優姫。話はまだ途中だよ?」
「...なんとなく、
オチは想像がついてきました...」
*
「古くから伝わる呪いを解く方法はね、」
「うん、」
「呪いをかけられた人が
運命の人とキスをすることなんだ。」
「うんめい...?」
「深く関わりのある人のことだよ。
優姫は僕のこと、好きでしょ?」
「うんっ!枢さまだいすき!」
「じゃあ、大丈夫。
優姫が僕にキスをしてくれれば、
呪いから解放されるよ。」
「ほんとう!?」
「本当。」
そう呟きながら、膝をつき
彼女に溢れんばかりの笑みを向ける彼に、
彼女は近づいて、
彼の唇にふわりと自分の唇を当てた。
「...これで、平気かなあ?」
「うん、平気だと思うよ。
ありがとう、優姫」
そういって彼女を
くまのぬいぐるみごと引き寄せ、
頭にキスをすると彼女の顔を見て
嬉しそうな笑みを浮かべた。
それを見て彼女も、
大きな瞳を薄めて大好きな人に微笑む。
「...じゃあ、理事長がお茶を
用意してくれてるだろうから、
リビングに行こうか。」
「うん!枢さま!あのね、理事長がね...」
*
「...おにいさま...。」
「なに?言いたいことがあるなら言って?」
「いえ、いいです...」
「またそうやって君は僕に壁を作る。
僕はその度に胸が痛くて仕方ない。」
「...」
「あの頃の優姫は僕になんの気兼ねもせずに
いてくれていたのに。」
「...わかりました。」
何かを決心したらしい顔の彼女に、
一瞬顔を背けた彼は再び視線を戻す。
「おにいさま、では言いたかったことを
言わせてもらいますね。」
「うん」
「私、藍堂先輩が好きなんです」
二人の手前に置いてあった
お茶の用意一式と部屋に置かれた額縁のガラスに
亀裂の入る音がして、
優姫はしまったと
真顔のまま表情を固まらせた婚約者を見て悟り、
藍堂先輩ごめんなさいと
心の中で呟いたのだった。
【エイプリルフール!】