あな憂

ぴしりぴしりと肌を刺す緊張感は膨れ上がり軍を、戦場を、覆い尽くす。
行き過ぎたそれはどうにも危うく、まるで火薬庫の中で焚き火をしてるようなもんだ。
いつ暴発するとも知れねェ。
ヤな感じだ。ここはひとつ総大将に演説でもさせて流れを変えるか、とヤツが詰めているだろう陣へ足を向けた。
果たして。
探し人は、山吹色にくっきりと染め付いた三つ葉葵その前の畳床几に腰を下ろし瞑目していた。
こいつもまた緊張の一端を担っているのか重々しい空気を背負っている。
否、それをただ単純に緊張と呼ぶにはどうにも陰鬱な色を帯び、天道に薄雲が掛かったかのように僅か暗い。
ひうひう吹く風が幟を叩く音に砂利を踏む音が雑じる。
足音に肩が少し揺れたようだがそれでも落とした目蓋は上がらない。
零した溜め息に、
「あな心憂や」
溢れた言葉。
「……よう総大将。俺ァ泣き言なンざ聞きたかねェな」
男はようやくと目を開き真っ正面に立つ俺を見上げた。
微笑もうとして失敗した、惨めなツラをしていた。
コイツの中で大きな存在だったろうあの男をこれから殺さなきゃならねェんだ。愉快な気分になれねェってのはまあ分かる。
だがよ、大将がンな辛気臭ェ顔してたら士気に係わるだろうが。
それを己でも分かって、こうして一人陣深くに籠もっているのかも知れねェが…………ああ、ったく、損な役回りだぜ。
「酷ェツラだ」
「そうか?」
何でもないという風に返る声はいっそ陽気だ。
いっそ見て見ぬフリをしたらどうだったろうか。
会うとしたら開戦の間際で、その時こいつは大将の顔をして立つのだろう。俺はこんな面を知らぬままだったのだろう。
どちらにせよ仮定はもう無意味だ。
「ああ。腹の中のモン全部吐き出しちまえよ。今なら……誰も聞いちゃいねェ、俺だけだ」
「…………そう、だな」
ひう。
また一つ風が泣く。
誰かの代わりにと咽び続けるそれはか細く長く吹き抜けていく。
言葉が途切れ、少しだけ顔を俯かせた男は唇を舐め、それから覚悟を決めたように顔を上げた。俺はそれを具に見ていた。
「この期に及んでも戦わずに済めば、なんて思っていると言ったらお前は怒るか?」
「怒りゃしねェが……Hum…それがseriousなら俺はまずアンタの首を獲る」
それはこわいな、と笑む男。
どこまでが本気でどこからが冗談か分かりゃしない。
もしかしたらこの男には何一つ嘘はなくてどこにも真実などないのかも知れない。
「ままならないものだ。戦の無い世を創る為に戦をしなくてはならない」
唄うよう、謡うよう、織り上げられた言葉は書物の一節を読み上げるのと変わりない温度をしていた。
俺はこの哀しい男に何をしてやれるだろうか。
誰がこの哀しい男の心を掬ってやれるのだろうか。
多分、この男に太陽を見ている内は誰も救えない。
唯一それが出来るとすれば。
「なあ独眼竜。ワシは間違ったのかな」
それが正しい救いでなくとも。
「そうだ。と俺が言ったらアンタは兵を退くのか」
「いいや、」
どうせならその先は風が攫っていってくれりゃあよかったのによ。

「退けない」

続けられた言葉は大きくもないのに辺りにはっきりと響いた。
浮かべているだろう泣きそうな笑い顔を見たくなくて晴天を仰ぐ。
薄青を塗り重ねたそこは晴れがましくもなく凝っていた。
もうすぐ、殺し合いがはじまる。

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