梟の房

意図もせず背が一つ震えた。
打たれた背中は、血なのか滲む体液なのか又そのどちらもか、で濡れていた。
酷い悪寒がする時のように冷たいのか火照っているのか分からぬ感覚が肌を舐める。ああ、これは薬でも使われたか。
荒くなる息を噛み締める。
咽喉に流れた鼻血のせいか口の中が鉄臭い。
唾と共に吐き出してやろうとしても一向に水は滲みてこなかった。酷く乾いている。
まるで自分のものではないように体が重く鈍い。
視界が狭いのは多分瞼が腫れ上がっているせいだろう。
俯せた顔にまとわりつく髪。
結紐は解けたか切れたか……在った処で結い直す事は叶うまい。後ろ手に縛られているのだから。
肌に食い込む荒縄はちょっとやそっとじゃ外せそうもない。
試しにもがこうとしてみれば、指がひくりと痙攣する様に動いただけであった。無様だ。
畜生の様に這い蹲らされて、手が突けないせいで顔と首とそれから右肩を硬い床に押し付ける格好になる。無様だ無様だ。
力が入らず崩れ落ちそうになる下肢を支えるのは親切心なんかじゃあ無い。
糞。
どうせなら耳も塞いでくれたらよかったのだがな。
見えない処で何をされているかだなんて考えたくもない。悍ましい。
ぐち、水音が響く。
這い回るのは死出虫か、時折、昂り吐精を待つ摩羅を掠めていくのが苦しい。
吐いた息は膿んでいる。
どちらのものかも分からぬ胸のむかつく生臭さが薄暗い闇を澱ませていく。
ぐちり、重量のあるそれが肉に埋まっていく感覚はまるで他人事だ。
殴られ過ぎて、悪酔いをしたみたいにぐらぐらとする。
ああくそきもちわりいはきそうだ。
「…つ、永……ころ……す」
「苛烈、苛烈。卿のそれは聞き飽いた」
ぐ、と強く髪を引かれた。顔が冷たい床から離された。
無理に体を捻って睨めば、そこには上等な生地の枯茶を着崩した野郎。
髷は解かれ、垂れた髪の間には憎たらしい面が浮かび嗜虐的な笑みを刷いている。
胸糞悪くて反吐が出らあ。
「その…目がいけないのだよ。その目に湛えた高邁を光の射さぬ虚無へと落としてみたくなる」
「ゃ、って…み、ろ……や」
絞り出した音が軋む体に響く。
ねっとりと重い嫌味に塗れた笑いが降ってくる。
前触れ無く解かれた戒めにごつ、と頭と床が音を立てた。
痛い、のだろう。
全身隈無く何処も彼処も痛んで正直分からない。
じりじりとした熱だけが肌を焼くようだ。
背に突き立てられた指が、若しくは梟の鉤爪が、破れた皮を掻き分けて肉を抉る。
傷口を押し広げるように蠢く舌。
奴の唾と俺の血とが混じり合ってぐぢぐぢと嫌な音を立てる。
爛れて、熔けそうに、熱い。
「ぅ、ぐ……ぐ、」
「クク……卿はもう少し可愛らしく啼いてみせたらどうかね」
漏れた声は痛みを堪える為のものだ、きっと。

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