ジャンク | ナノ
 お姫様はサディスト様!





「朗報朗報。お姫様がここまで来てくれるってさ」

先ほどまで誰かと電話をしていた巽が、そう言いながら部屋に戻ってきた。安田はそれを聞くと、安心したようにタバコの煙を吐き出した。

「そりゃ良かった。俺らがやるよりずっと早く済むな」
「すぐ来れるらしいよ。これで一件落着かな」

いったい誰のことを言っているのか、話が見えなかった森田は、吸っていたタバコをもみ消した。

「巽さんあの、お姫様、っていうのは?」
「ん?ああ、森田は知らないのか。そんならいい機会だし、彼女に挨拶しておきなよ。たぶん今後も顔合わすと思うし」

用事は全て済んだとばかりに、巽は森田の向かいのソファーにどっかりと腰をおろした。
隣にいた安田が、森田に向かってにやりと意味深に笑いかける。

「お姫様はな、情報を吐かせるプロなんだ。ついでに生粋のサディストだから気ぃつけろよ。お姫様にかかりゃ、お前みたいなのは瞬殺さ。ガキみたいにビービー泣き叫ぶはめになるぜ」
「はぁ…、プロ、ですか」
「とんでもねぇ女だよ」
「ひどいな、安さん。彼女はちょっとユニークなだけで、普通の女の子だよ」
「ユニークすぎらぁな」

巽はテーブルの上に放置されていた、飲み差しの缶コーヒーを手に取った。

「お姫様はまぁ、なんというかさ、俺らの秘密兵器って感じかな。誰かさんにどうしても教えてもらわなきゃいけないことがあるのに、脅しても金積んでもダメっていう、まぁちょうど今みたいな場合がたまにあるわけ。そんな時にあの子に来てもらうんだ」

部屋のすみで横倒しになっている大きなスーツケースにちらりと視線をやり、巽はコーヒーを飲んだ。
あの中には、今日の昼間に事件を起こしたばかりの若い男が、縛られて詰められている。気絶しているらしく、特に騒ぐこともせず大人しいものだ。

今日の午後二時頃にこの男、稲本は、車から降りて事務所に向かう途中の某政治家に、刃物を持って襲いかかった。幸いにも周りの者がすぐに取り押さえたので大事には至らず、ターゲットの政治家本人は転んで手を少し切った程度で、稲本はお縄となった。
無論、立派な殺人未遂事件である。警察に突き出すのが道理だが、どうにもバックがきな臭い。絡んでいるのがヤクザにしろ何にしろ、誰が自分を潰したかったのか明らかにする必要があると、政治家先生は考えた。警察に任せたのでは時間がかかりすぎるし、世間のイメージもあるので、できれば大事にしたくない。そこで平井銀二が呼ばれたというわけだ。
平井の方にもいくらか情報があるので、どこからの指示なのか大まかには見当がつくが、確証がない。とにもかくにも実行犯の青年からの証言が欲しいところなのだが、彼は強情なのか義理堅いのか、今のところ雇い主については完全黙秘を貫いている。巽の言った通り、脅しにも屈せず、金を積んでも口を割らなかった。
だから結局、こうして実力行使の段階までやってきてしまったのだ。

「我らがお姫様は変な薬も使わないし、血みどろにしたり大怪我を負わせたりすることもないし、短時間で終わらせてくれるから重宝してんのよ」

巽は空になったコーヒーの缶を、机の端に押しやった。

「別に俺らがやったっていいんだけどよ。長いことだんまり決められると、俺はついカッとなっちまうからなぁ。昔から尋問は苦手なんだよ」
「俺も痛いことは苦手でさ。喧嘩ならまだいいんだけど、無抵抗の相手をどうこうってのは、できればしたくないよねぇ」
「お姫さん様々だぁな」

巽と安田は顔を見合わせて苦笑している。

森田ら3人がいるここは、名義こそ別人のものだが、実質は平井の持ち物であるアパートの一室だ。ごくありきたりな小さめのアパートであるが、平井が手に入れた際に大幅なリフォームを行った。そのおかげで、全部屋に防音加工が施されているのだ。つまるところ、ここは平井の尋問室なのである。

森田は比較的短気な性分ではあるが、他人を痛めつける趣味はないため、正直、人間の詰まったスーツケースを見た時は気が滅入った。そしてここに連れてこられて、さらに気分が落ち込んだ。
しかし、プロが来て全てやってくれるというなら、もうありがたいとしか言いようがない。それは巽と安田も同意見のようである。

いったい、今からやって来るのはどんな女なのか。森田は新しいタバコに火をつけながら、『お姫様』に思いをはせた。
今までの二人の話を総合するに、彼女はサディストの拷問マニアだ。どうせ、高飛車で目付きがキツくて、攻撃的な女なのだろう。巽は挨拶をしておけと言ったが、初対面で若造の自分などは、下手すれば完全に無視されるかもしれない。
ありがたいことは確かなのだが、あまり顔を合わせたくない種類の人間だなぁと、森田はタバコを吸いながら思った。


それからしばらくして、玄関のベルが鳴った。
お姫様だ、と巽がつぶやいて、タバコを持っている手を森田に向かってひらりと振る。ドアを開けてこいという意味だろう。
森田は立ち上がって玄関まで行き、念のためチェーンロックを付けたまま、ドアを開けた。

ドアの隙間から顔をのぞかせたのは、若くて小柄な女性だった。
歳は20代半ばほどだろうか、顔立ちは可愛らしいが化粧はごく薄く、幼い印象だ。肩より少し短いくらいの髪にはゆるくパーマがかかっており、長袖のカーディガンと少々やぼったいロングスカートを身につけている。
森田とばっちり目が合ってしまった彼女は、どこかおどおどした様子だった。彼女はどう見ても、そこらのカフェで文庫本でも読んでいそうな控えめそうな人物だったので、前情報とのあまりのギャップに、森田は面食らって何も言うことができなかった。
彼女の方も知らない男が出てきて驚いたのだろう。あの、あの、と何度か言葉に詰まった後、「あ、す、すみません、巽さんからお電話を頂いたのですが、その、このお部屋で合ってます、よね…?」と言って森田の顔を見上げた。

「は、はい!そうです!すみません!今ここ開けますから!」

森田は慌ててチェーンロックを外し、彼女を中に迎え入れた。彼女は森田に軽くお辞儀をして、靴を脱いだ。
少しヒールのある靴を履いていたのか、靴下になると彼女はさらに小さく見えた。身長はおそらく、日本人女性の平均よりも少し小さいくらいだろう。

彼女を連れてリビングに戻ると、それを見た巽がソファーから跳ねるように立ち上がって、満面の笑みを浮かべた。

「リツカちゃん!来てくれてありがと!せっかくの休日だったのに呼びつけてごめんね」
「こちらこそ、お電話くださってありがとうございます。特に用事もありませんでしたし、嬉しいです」
「悪いね、リツカちゃん。助かるよ」
「あ、安田さん。お久しぶりです」
「じゃあ、今日もさくっと頼むわ」

本当にこの女が『お姫様』なのか、正直、森田は半信半疑だったのだが、安田と巽の反応を見る限りなんの間違いもないらしい。リツカちゃんと呼ばれている彼女こそが、情報を吐かせるプロでサディストで秘密兵器なのだ。

「そうそう、こいつね、森田鉄雄。最近俺らの仲間になった、銀さん期待のルーキーよ。仲良くしてやってね」

近くまで歩いてきた巽が、リツカに森田のことを紹介する。

「はじめまして、佐野山リツカです」

リツカがぺこりとお辞儀をしたので、森田も慌ててお辞儀を返した。

「あ、森田です。さっきはすみませんでした」
「いえ、こちらこそすみません。知らない方だったのでびっくりしてしまって」

どこか困ったような顔で、リツカは笑った。少し眉が下がっているのでそう見えるのだろう。人懐こい感じのする笑みだった。

「あれ…今日は平井さんはいらっしゃらないんですね」
「銀さんは別件で動いてんだ。もしかして銀さんに会いたかった?」
「あ、いや、そういうわけではなくて」
「俺がいるから許してよ。俺の方が銀さんなんかよりずっと、リツカちゃんのことわかってると思うけどなぁ」

手でも握らんばかりの勢いで、巽がリツカに詰め寄る。リツカは相変わらずの困ったような笑みを浮かべながら、巽をやんわりとかわした。

「おい巽、ベタベタするなよ。リツカちゃんが困ってるだろ」
「んだよ安さん、ただ話してるだけじゃんか。ね、リツカちゃん、お茶でもいれようか」
「いえ、大丈夫です。全部終わってから頂きますから。お急ぎなんですよね?」
「うーん、急ぎってほどでもないんだけどさ。ま、早いに越したことはないし」

ほとんど家具のない殺風景な部屋の中、明らかに違和感のある大きなスーツケースに、リツカは視線をやった。
森田は少しぎくりとして、リツカの顔を注意深く観察した。しかしスーツケースを見ても、彼女の表情には何の変化も訪れなかった。ただ先ほどと同じように、穏やかな瞳をしているだけである。

「これ、聞きたいことのリスト。渡しとくね」

巽がリツカに小さなメモを渡した。リツカはそれに軽く目を通し、ポケットにしまった。

「おい、森田。あれ持ってこいよ」
「はい」

安田がスーツケースを親指で指したので、森田は横倒しになっていたスーツケースを引っ張り上げて縦にし、リツカの側まで引きずっていった。
巽と何か言葉を交わしていたリツカは、小さな愛想笑いを浮かべている。

「で、これなんだけどさ、どこ運ぶ?」
「そうですね…。では、お風呂場にお願いします」
「了解。森田、俺が持ってくよ」
「あ、すみません」

巽はスーツケースを引きずって、リツカと共にバスルームへと消えていった。
それから少しすると、何かの準備が整ったのか、巽とリツカだけがリビングの方に出てきた。

「ありがとうございました。後はこちらでやりますので」
「人手が必要になったら呼んでね。俺らここにいるからさ」
「はい。あの人が話してくれる気になったらお声がけしますね」

リツカは三人にぺこりとお辞儀をして、小さく笑った。
そして、まるでただ化粧を直しに行くだけのような気楽さで、バスルームへと入っていった。ガタンと音をたてて、ドアはぴったり閉められた。

彼女は森田の視界から消える最後の一瞬まで、ごく普通のどこにでもいる若い女性だった。
実は森田は、リツカがいきなり豹変するのではないかと、心のどこかで思っていたのだ。彼女にとって『獲物』であるあの男を目の当たりにすれば、凶暴な顔つきになったり、狂ったような発言をしたり、そういった恐ろしい女に変わるのではないかと。
しかし、その予想は完全に裏切られた。

「風呂場ってこたぁ、今日のメニューはお姫様お得意の水責めだな」
「ひー、おっかないねぇ」

安田と巽が顔を見合わせてにやつく。

「水責め…ですか…」

森田は呆然としたような気持ちで、ソファーへと戻った。

「森田、驚いたろ」
「はい。正直、まだ信じられないっす。あの人がその、お姫様…なんですよね?」
「そうさ。ちっちゃい体してるが、拷問の天才だよ」
「あんなに普通っぽい女の人なのに…」
「だから言ったでしょ、リツカちゃんは普通の女の子なんだって。ただちょっと人を痛めつけるのが好きなだけでさ」
「そういうのはフツーって言わねぇんだよ」

巽は少し不服そうな顔で、普通の子なのにさ、とつぶやいた。
安田が新しいタバコをくわえて火を付けたので、森田もそれにならってタバコを取り出した。

「てっきりもっとこう、見た目からして性格キツそうな感じの人が来るのかと思ってました」
「SMクラブの女王様みてぇな?」
「ええ、そんな感じの」

コーヒーの空き缶を手の中で回して遊びながら、巽はサングラスの奥で笑った。

「リツカちゃんは女王様ってキャラじゃないよね。だから俺らはお姫様って呼んでんだ。いいあだ名でしょ?でも本人はあんまり気に入ってないみたいだから、直接言わないようにね」

ふいにバスルームの方から、ドンドンという、何か重いものが床を叩くような音が響いた。そして聞こえてきたのは、くぐもった男の悲鳴だ。
いくら壁に防音加工がされているとはいえ、浴室と脱衣場の二枚のドアを隔てただけなのだ。人間が苦しんでいる声が、明らかに聞こえた。

「あー、始まったね」
「森田、後学のために見学しとくか?ゾッとするぜ」
「あ、いや、結構です」
「リツカちゃんはね、緩急が絶妙なんだよね。何をどうされたら一番苦しいか、よく知ってるよ。ま、あのお兄ちゃんも一時間もすればゲロるんじゃないかな」

森田はタバコを吸いながら、男の悲鳴を聞いていた。気楽な午後のBGMとしては最低最悪である。
こんなものを間近で聞いて、彼女はどんな顔をしているのだろうか。

「リツカさんって、普段は何してる人なんですか?」
「なんだと思う?」
「いや…その…全然わかんないですけど、やっぱ風俗関係とか…?」

その答えに、二人はゲラゲラと笑った。森田は少しむっとして、口をへの字に曲げた。

「聞いて驚け。お姫様は公務員、市役所の職員さんだよ」
「えっ」
「文化振興課だってさ」
「……まぁ、市役所とかで働いてそうな感じではありますね……」
「優秀なのよ、リツカちゃん。几帳面だからお仕事はきちっとこなす主義みたいで、職場の評価も上々」
「こっちの仕事もきっちりこなしてくれるよな。それこそ気持ち悪いくれぇにさ」
「ありがたいことでしょ」
「まぁなぁ。ま、結局、ほんとにイカレてる奴ほど見た目はまともってことだな」

安田はタバコの煙を吐き出して、足を組んだ。巽は何か言いたそうだったが、黙ってまたコーヒーの缶をいじり始めた。
バスルームから、一段と大きな悲鳴と人が暴れる音が聞こえて、森田は背筋が寒くなった。




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