ジャンク | ナノ
 REMINISCENCE


※銀さんの過去をかなり捏造しています、というか捏造しかありません
※銀さんの家族が出てきます








「あっ、銀さん!銀さーん!」

声のした方へ目をやると、駅前の雑踏の向こうでリツカが手を振っていた。軽く手を挙げて応えるとリツカの顔がパッと華やぐ。

彼女はわかりやすくていい。裏表がなく感情がすぐ外に出るところも気に入っている。
女との駆け引きは確かに面白いが、この歳になると自ら進んでやりたいと思う仕事ではない。恋人は手のひらに収まるサイズで十分だ。

俺は吸っていた煙草を歩道のわきに備えつけてある灰皿で揉み消し、ベンチから立ち上がった。
沈みかけの太陽の赤い日差しに照らされた新宿の街は、相変わらずごちゃごちゃとした乱雑な空気に包まれている。

「あのっ、お待たせしてしまってすみません、銀さん」

リツカは人混みの間を縫って小走りで近寄って来ると、風で乱れた髪をかきあげた。

「仕事が思ったよりも長引いちゃいまして」
「いや、俺も今来たとこだよ」

軽く微笑みかけてやると、はにかんだようにリツカも笑った。




「…ギンジ…?」


突然、名を呼ばれて顔を上げると、喪服と思しき黒いワンピースを着た年老いた女が人混みの中に立っていた。
口元に、見覚えのあるホクロがひとつ。


「あ、あなた、もしかして銀二なの?」


柄にもなくドクリと心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。
忘れたと思っていたその顔。忘れられるはずもないその視線。脳の中を引っ掻き回されて、古い記憶が引きずり出されていくような感覚に陥る。

リツカはきょとんとした顔で俺と女を見比べ、銀さん?と呟いた。


「母さん、やめないか。銀二は…、」

少し後ろから、同じく喪服らしい黒いスーツを着た年老いた男が歩いてきて女の肩に手を置いた。男の目線がゆっくりと俺に移り、目が合った瞬間、その顔がいぶかしげに歪められる。

「…おまえ……」

そう呟いた男の顔は少しだけ、俺に似ているような気がした。




「………お袋に……親父……?」




女は涙を一筋こぼした。





*****





俺は平井家の次男として生まれた。父はどこぞの地方局の官僚で、ほとんど家に居ることが無かったから関わった記憶は皆無に等しい。そのぶん稼ぎはよかったらしく、俺の家はそこそこいい暮らしをしていた。

母は、名の知れた学校に入り有名企業に就職すれば、それが人間として最高の幸せなのだと考えているステレオタイプの人間だった。
幸か不幸か俺は兄よりずっと勉強ができたので、母の期待は一身に俺に注がれた。

『あなたは頭がいいんだから』

母の口がそう動くのを俺は幼い頃から飽きるほど見てきた。その言葉の後半には大抵「どこそこの学校にだっていける」やら「政治家にだってなれる」といった母の個人的な希望が付属するのだ。


たいして行きたくもなかった高校での学生生活に、あまり良い思い出は無い。

どうやら母の言うとおり俺は生まれつき要領が良い方だったらしく、勉強すればするだけ積み重なっていくので成績はいつもトップだった。
出る杭は打たれるなどと言うが、人は抜きでたものを妬む性質があるらしい。何をしても一等の俺は同級生達の恰好の標的となり、数人がかりで絡まれることが何度もあった。

あの頃の俺は若かった。
もともと多勢に無勢なのだから大人しく殴られていれば穏便にすむものを、生来の負けず嫌いが災いし、いつも全力で応戦した。
おかげで喧嘩は強くなったが、体には生傷が絶えず、数度の停学処分をくらった。最終的には「キレると手がつけられない」とのレッテルを貼られ、他の生徒や教師陣からはまるで腫れ物に触るかのような扱いをされることとなった。

母は俺が問題児であることを認めようとはしなかった。いや、成績以外に興味がなかっただけかもしれない。

俺が喧嘩をして帰ってくると、怪我の心配をし、説教をしてくれたのは六つ年上の兄だった。
兄は優しい性格の典型的なお人好しで、両親などよりずっと俺を可愛がってくれた。
あの頃の俺にとって、自分を認めてくれる兄の存在はかなり大きなものだった。兄がいなかったら、俺の性格はもっとねじ曲がったものになっていただろう。


いくら良い成績をとっても、いくら人を殴っても、俺の心は冷えきっていた。
うっすらとレールの透けて見えるような、この先の俺自身の人生に、ほとほと嫌気が差していたのだ。

全てをぶち壊してしまおうと思ったのはこの頃だ。





*****





「久しぶりだなぁ…三十年近くぶりか?ずいぶんと老けたな、お二人さん」

自分でも驚くほど明るい声が出た。
母は溢れる涙を両手で拭っており、父は呆然とした顔で俺を見つめていた。

「今日は葬式か何かかい?東京に親戚なんかいたっけな…」
「あなた、ほんとうに、銀二…?」

母が震え声で先ほどと同じ質問を繰り返す。

「ああ。俺は平井銀二だよ。あんたらが平井さん夫婦であるなら、俺は正真正銘あんたらの息子さ」

何故だかこのやり取りが面白くて、つい含み笑いが外に漏れた。
もう二度と会うことも無いと思っていたが、こんな形で再会することになるとは、人生ってのはわからないものだ。

「……銀二」

俺の実の父親であるらしい、ひどく痩せ細った老人が俺の名を呼ぶ。

「なんだい、親父」

俺は笑顔で返答する。
たいして知りもしない赤の他人のような男のことを『親父』と呼ぶなんて、実に滑稽だ。バカバカしくてたまらない。

父は、口を何度か開閉させ唇を噛むと絞り出すような声で「今は何をしているんだ」と問うた。

「今…ねぇ。一言で言うなら、そうだな、悪いことをやってるよ」





*****





俺は東京の有名大学に特に苦労することもなく合格し、その大学の寮に住むことが決まった。

正直、何か特別な勉強がしたかった訳でもなく将来の夢や望みがある訳でもなかった。遠い東京の大学を選んだのは、母のブランド志向と、家から離れたいという俺の希望(もちろん口には出さなかったが)が合致しただけだった。
経済学部に入ったのも、母が俺を経営者か何かにしたいと望んだからだ。
この選択がその後の俺の仕事に多少なりとも影響してくるのだが、まあ、それはまた別の話だ。


電車を降り、初めて東京に着いた時のことを、俺は今でもよく覚えている。

高度成長期まっ只中の薄汚れた空気と溢れかえる大量の人の間に、完成したばかりの東京タワーがそびえ立っていた。荷物は重く、右も左もわからなかったが、心は今までに感じたことがないほど軽かった。

この小さくて巨大な街で、俺はたった一人で歩いていた。


俺は自由だった。





*****





「ねぇ銀さん、その、こちらのお二人は、銀さんの…?」

俺の後ろに隠れるようにして俺たちのやりとりを見ていたリツカが、おずおずと尋ねた。

「ああ、両親だ」

俺の言葉に、彼女は慌てて頭を下げた。

「はじめまして、野々村リツカと申します。銀二さんにはお世話になっております」

父と母は礼を返すこともなく、ただ黙ってリツカの挙動を見ていた。リツカは気まずそうに、また俺の後ろに下がった。

「……銀二…、こちらの、お嬢さんは…?」

母が乾いた声で問いかける。

「俺の恋人だよ」

俺は見せつけるようにリツカの腰に手を回して引き寄せた。両親の目が見開かれるのと、彼女の耳が赤く染まるのがほとんど同時で、俺は笑いをこらえるのが大変だった。

「恋人…って、こんなに若いお嬢さんを……」
「なーに、歳なんて二回りほどしか離れてないさ。…なぁ、リツカ?」

いきなり話を振られたリツカが困ったような視線を向ける。
俺はここ最近感じたことがないほど、ひどく愉快な気持ちだった。ここが人通りの多い駅前でなかったなら、涙が出るほど笑い転げていたかもしれない。





*****





半年は大人しく大学に通った。経済の勉強は面白くもなかったがつまらない訳でもなかった。
東京にはかなり慣れた。素行が悪いことで有名な先輩と付き合い、ビリヤード場や雀荘やバーを渡り歩いた。ギャンブルもずいぶん強くなり、女にはやたらとモテた。若かった、ということもあるのだろうが、麻雀をすれば負けなしだった。
親からの仕送りなどなくても、この街で十分暮らしていけることがわかった。

俺は、自分の世界がどんどん広がっていくことが面白くて仕方無かった。片田舎の荒れた高校で燻っていたときよりもずっと人間的に大きく成長し、酸いも甘いも噛み分けたような気になっていた。
今考えると只のいけ好かない気取ったガキであったと、少々恥ずかしくも思う。


あれは、19の誕生日を迎えた数日後。
俺は大学の中退手続きと学生寮の撤退手続きを勝手に済ませ、晴れ晴れとした気持ちで公衆電話から実家に電話をかけた。
あちらから俺に電話がかかってくることは何度もあったが、俺が自分から電話をかけたのは、後にも先にもこの一回だけだった。

「銀二?どうしたの?」

反吐が出るほど嫌いだった母の甘ったるい声も、何故かこのときだけは嫌悪を感じなかった。

「大学はやめる。寮も出ていく。俺は東京で暮らすよ。もう会うこともないだろうな。さようなら。兄貴によろしく」

そんなようなことを軽いゆっくりした口調で話した気がする。母のヒステリックな怒声が聞こえてくる前に俺は受話器を耳から離し、電話を切った。

電話ボックスのガラスを透かして見上げた空は、偽物みたいに青くて美しかった。


それ以来、俺はひとりで生きてきた。





*****





俺はリツカの腰に回していた手をはずして、彼女の腕をとった。

「時間とらせて悪かったな、リツカ。行こうか」

リツカが驚いた顔で、俺と両親を交互に見る。

「えっ、銀さん、いいんですか?だってお父様とお母様が…」
「いいんだよ。のんびりしてると店の予約時間に遅れちまうだろ」

俺は、呆然と突っ立ったままの父と母に笑いかけた。

「じゃあな、お二人さん。せいぜい長生きでもしてくれ。あんまり兄貴に迷惑かけんなよ」

強引にリツカの手を引いて、俺は早足で歩道の脇に止まっていたタクシーの側まで行くと、窓を小突いてドアを開けさせた。

「だ、駄目よ!待ちなさい銀二!銀二!」

母の制止を無視し、困った顔で後ろを気にしているリツカを押しこむようにしてタクシーの座席に座らせた。まだ母がなにか甲高い声で叫んでいるのが聞こえたが、気にせず俺も乗り込んだ。
タクシーのドアがバタンと閉まる。

「あー、とりあえず帝国ホテルまで」

窓から、俺を追いかけようとする母と、それを必死で止めている父の姿が見えた。
俺は忍び笑いを漏らしながら、その光景が夕暮れの新宿の雑踏に押し流されていくのを眺めた。


あの二人の目に、俺はいったいどう映っただろう。
派手な色の高級ブランドスーツ、胸元を広く開けた開襟シャツ、若い恋人。

バカみたいに見えただろうか。
そう思うと、愉快だった。



「ご両親、ご健在だったんですね」

リツカがぽつりと呟いた。

「死んでると思ってたか?」
「銀さんは孤児かなにかなんだと勝手に思ってました」
「俺が?そりゃ面白いな」
「……ねぇ、ずるい、ですよ」

リツカは座席の背もたれに体を預けて、窓の向こうを見つめている。

「銀さんは私のことをなんでも知ってるのに、私は銀さんのことをなにも知らない。家族も、出身も、若いころのことも、なにも」

俺は深く息を吐いて、目を閉じた。

「自分のことを話すのは、あまり得意じゃないんだ。嫌なことが腐るほどあったから」

本当にそうだ。苦い思いは数え切れないくらい味わったし、とても世間に顔向けできないようなえげつないことも幾度となくやってきた。
俺の、ろくでもない半生。

「でも、そうだな、お前になら話してもいいかもしれない」
「……本当ですか?」

リツカが俺の顔を見る。
俺は腕を伸ばして、膝の上で組まれている彼女の手にそっと触れた。

「ああ。…聞いてくれるか?」
「…もちろんですよ」

リツカは俺の手を握り返して、嬉しそうに笑った。




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