「ん…、お前それ、すっぴんなん?」
「はい?」


鏡台の前で保湿クリームを顔に塗っている途中というなんとも間抜けなスタイルのまま振りかえると、声をかけてきた暴力団組長も、ゆるめたネクタイを首にひっかけたままベルトを引き抜いている最中というこれまた情けない格好だった。


「さっきお風呂から出たばかりですからね、そりゃまあ、そうですけど。あの、それがなにか?」
「いや…」


原田さんは抜いたベルトをソファーの上に放って、私の顔をまじまじと見つめた。私は右手の指に白く残ったクリームと彼を交互に見て、それから彼に背を向けた。
目の前の鏡の中からこちらを見つめかえす私は偽りゼロ。もともと童顔な方なので、まるで中学生か何かのようだ。

スーツは男の戦闘服などと言うが、女の化粧も似たようなものだと思う。敵を倒すための武装の重要なポイントだ。
ゆるく巻いた髪に短いスカート、そして流行りのメイクで身を固めれば敵を倒す準備は完璧。仕上げにすました微笑を顔に貼りつけてしまえば、腕を組んで隣を歩いているのがヤクザだろうが国会議員だろうが怖くない。

だが、ひとたび化粧を落としてしまうと自分に対する自信は約30%ダウン。正直、他人と顔を付き合わせたくないというのが本音である。
それが曲がりなりにも想い人であるこの男なら尚更だ。


「やめてくださいよ、メイクしてない顔なんて見れたもんじゃないでしょう。恥ずかしいからあんまり見ないでください」


原田さんにすっぴんを晒すのは初めてではない。化粧をしたまま寝ると肌に相当負担がかかるらしいので、それだけは絶対に避けるようにしているからだ。
ただ、彼は仕事柄あまり自由な時間がないし、せっかく会えても朝早くには出かけてしまうので、ノーメイクで彼の隣にいる時間はとても短いような気がする。

余ったクリームを頬にすりこんで、薬用リップを手に取りフタを開ける。
きゅ、と下を回してスティックを数ミリ出したところで、鏡越しに彼と目が合った。


「いや、なんちゅうかお前、化粧落としてもたいして変わらへんな」
「……どういう意味ですか、それ」


私はむっとしてリップを唇に押しつけた。
この人は私の毎朝の努力をなんだと思っているのか。これでも雑誌なんかを読んで自分なりに研究しているのに。


「どういうて、そのまんまの意味やけど」
「……まあ、つけまつ毛とかはつけてませんからね。あんまり奇抜な色のアイシャドーとか、真っ赤な口紅とかも好きじゃありませんし」
「あー、その辺のことはようわからへんけど、要は化粧が薄いっちゅうことか?」
「そこまで薄くしてるつもりはないですけど、濃くはないかな。厚化粧って苦手なんですよ」


前髪を上げていたバンドをとって、全体をブラシで整える。さっきドライヤーをかけたばかりの髪は、ふわふわとしていて落ち着きがない。

ふと、彼の言葉の意味がわかったような気がして、ブラシをかける手を止めた。


「ねぇ、原田さん」
「なんや」
「さては今まで、メイクを落とすと別人みたいになるお姉さんばっかり見てきましたね?」

「う、」


言葉につまった彼に向かって鏡越しにニッコリと笑いかけ、化粧水やらリップやらをポーチにしまった。
原田さんはソファーの背もたれに引っかかっていた自分のジャケットをつまみ上げると、内ポケットからタバコの箱とライターを取り出した。二人きりの静かな部屋に、ライターの火がつくカチリという音が響く。


「メイクは恐ろしいですよね、ホントに顔変わりますもん。もはや詐欺の域ですよ。ファンデーションとかマスカラとか、どんどん進化してますし。あ、眉毛なかったりすると落としたときかなり印象変わりますよね」


背後で彼がタバコの煙を深く吸い込んだ。私は立ち上がって、ぐっと伸びをした。

そのとき、ふいに原田さんの手が伸びてきて、私の肩を掴んで振り向かせた。ぽかんとしてくわえタバコの彼を見上げると、いやにまっすぐな視線とぶつかる。


「原田さん?」


彼は眉間にしわを寄せて、首にひっかかっていたままのネクタイを抜き取って放った。
もともと人相が悪いことも相まって、こうして眉を寄せていると非常に機嫌が悪いように見える。もし私が通りすがりの他人であれば、とてもじゃないが関わりあいになりたくないと思うこと請け合いだ。
だが実際、彼は考えごとをしているだけなのだ。最近やっと、彼が怒っているのかいないのかの判別がつくようになった。


「リツカ、俺はな」
「?」
「化粧なんてせぇへんでもかわえぇて言いたかったんや」
「!」


ごまかすように、原田さんの唇が私の額に触れる。まだ肌になじんでいないクリームが残っているから、さぞやマズいだろうなどと、実に色気のないことを考えた。
彼の指先で紫煙が揺れている。


「ちょっと、どうしたんですか、急に。らしくない、ですよ」


頬が熱くなる。普段は絶対ほめたりなんかしないくせに。


「べつに、ただの感想を言ぅたまでや。素直に受けとっとき」


そう言って彼が笑うもんだから、恥ずかしくなって今度は私からその唇に噛みついてやった。


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