買い物から帰ってきたリツカは、ソファーに寝そべってスヤスヤと眠っている男を発見し、唖然としていた。すぐ近くのスーパーまで買い出しに行って戻ってきたら、玄関のカギが開いていたので、もしやこの短時間で泥棒でも入ったのかと、恐る恐るリビングまでやってきたところだったのだ。
「ねぇ、赤木さん」
 とりあえず声をかけてみたが、反応はない。総柄の派手なシャツと、グレーのスラックスがしわになるのも構わず、男はリラックスしきった表情で気持ちよさそうに眠っている。カーテンの隙間から差し込む秋の陽射しが、白い髪を透かすように照らしていた。
「赤木さん、起きてってば」
「……んー?」
 何度か肩を叩いて、ようやく薄目を開けた赤木は、リツカの姿を確認すると、また目を閉じた。
「ちょ、ちょっと二度寝しないでよ」
「……うーん……どうしようかな……」
「起きないとソファーから落とすわよ」
「んんー、……しょうがねぇなぁ」
 眠そうな目をこすりながら体を持ち上げた赤木は、大きなあくびをした。
「もう、なんでそんなとこで寝てるのよ。ドア開いてたから泥棒かと思っちゃった」
「なんだ、買い物行ってたのか」
「そうよ」
 リツカはそう言いながら、買ってきた食材の入ったビニール袋をテーブルの上に置き、中から野菜や肉を取り出した。常温のものと冷蔵のものを分けながら赤木を見る。
「いや、何回ピンポン押しても出ないから、誰もいないのはわかったんだけどよ。急に眠くなったんで、中で休ませてもらうかなぁと」
 赤木は腕を上にあげて伸びをし、またあくびをした。
「っていうか、どうやって入ったの? あたし、カギかけ忘れてた?」
「いや、ほら、前にポストに合いカギ入れてるって言ってただろ」
「あ、そっか。じゃあポストのダイヤルの番号、覚えててくれたのね。一回しか言ってないから、絶対忘れてると思ったのに」
「うん、忘れてた」
「え」
「勘で適当にガチャガチャ合わせてたら開いたんだよ。ラッキーだった」
「……それ、管理会社の人に見つかったら、不審者で捕まってるからね」
 牛乳を冷蔵庫にしまい、リツカは呆れたように眉をしかめた。
「それで、今日はどうしたの。あたしに何かご用?」
「用がなきゃあ、来たらダメかい」
「そういうわけじゃないけど」
「リツカの顔が見たかったんだよ」
 突然の口説き文句のような言葉に、リツカが思わず赤木の方へ振り返ると、赤木は相変わらずの眠たそうな表情で微笑んでいた。
「でも、なんかお前、いつもと顔違うな」
 リツカはバタンと大きな音を立てて冷蔵庫をしめた。
「あのねぇ、お店にいる時と同じくらいの化粧、そのへんのスーパーに行くためにするわけないでしょ」
「あー、たしかに、店にいる時はツヤツヤっつうか、ゴテゴテっつうか……」
「はいはい、ゴテゴテに顔作ってて悪かったわね。クラブのホステスなんだから当たり前じゃない。っていうか、すっぴんも見たことあるくせに、まだ寝ぼけてるの?」
「ははは、それもそうだな」
 全く悪びれる様子もなく、赤木は寝乱れた白髪に手をやった。よれたシャツの襟は妙な方向に曲がっているが、気にはしていないようだ。
「もう三時なのか」
 赤木は壁にかかった時計に目をやり、ひとり言のようにつぶやいた。
「なんか食べる? お菓子ならあるけど」
「食べる」
 リツカは電気ポットのフタを開け、中に水を入れた。コンセントに差してスイッチを入れ、湯を沸かす。
「コーヒーでいい?」
「ああ、悪い」
 赤木はソファーに背中を預けてぼんやりしている。リツカは戸棚を開けると、クッキーの入った四角い缶を取り出した。
「はい。お湯が沸くまでちょっと休憩」
 リツカは缶を持ってくると、赤木の目の前のテーブルに置いた。フタを取れば、様々な形のクッキーが彩り良く詰まっている。赤木はコーヒーが来るのも待たずに、さっそく缶に手を伸ばし、真ん中に赤いジャムが入ったクッキーをつまんだ。
 リツカは赤木の隣に座ると、テーブルの上の花瓶に目をやった。花瓶にはバラが何本か生けられているが、花びらの先が茶色く変色しており、枯れかけていることを伝えている。
「このお花、お店で余ったやつを貰ったんだけど、そろそろおしまいね」
 二枚目のクッキーを頬張る赤木の顔を、リツカは見つめた。
「ねぇ、ちょっと変な話をしてもいい?」
「ああ」
「人って、死んだらどうなるのかしら」
 リツカは花瓶を引き寄せ、バラの花びらを撫でた。柔らかな赤い花びらは、軽く引っ張っただけではらりと落ちた。
「どうしたんだ、急に」
 赤木は手についたクッキーの粉を舐めた。リツカは落ちた花びらをつまみ、半分に引き裂いた。
「あのね、うちのお店によく来てくれてたお客さんがね、最近亡くなったの。もう結構なお歳だったから、仕方ないことなんだけど、肺がんですって。最後に見た時、顔色がかなり悪かったから、心配してたんだけど」
 花びらをテーブルに放って、リツカはため息をついた。
「なーんかそれ以来ね、あたし死んだらどうなるのかなーって考えるようになっちゃって。寝る時みたいに意識がなくなって真っ暗になって、それでおしまいなのかなって思ったら、ちょっと怖くなったの。真っ暗、意識消失、何もなし、おしまい。みたいな。それってすごく怖くない?」
「うーん、そんなこと、考えたこともなかったな」
「死後の世界なんて信じてないけど、やっぱり何かあったりするのかしら」
「さぁなぁ。そりゃ死んでみねぇとわかんねぇだろ」
「それはそうだけど」
 リツカはソファーの肘かけに肘を置いて頬杖をついた。長い髪が肩をすべり、胸の前でゆるいカーブを描いた。
「じゃあ、こうしようか」
 赤木はチョコレートのかかったクッキーを取り、半分かじった。
「俺が死んだらお前のとこに化けて出て、死ぬってのがどんなもんだったか教えてやるよ」
 リツカは唇を少し尖らせ、すねたような顔をした。
「赤木さん、年いくつ?」
「五十二」
「やだ、赤木さんが死ぬのなんて二十年とか三十年後じゃない。そんなに待ってられないわ」
「そうでもないさ。明日あたり、ぽっくり行くかもしれねぇぜ?」
「やめてよ、縁起でもない」
 その時、キッチンの方からピロピロと電子音のメロディーが流れてきた。ポットのお湯が沸いたのだ。リツカはコーヒーを入れるために、ゆっくりと立ち上がった。
「幽霊になって来たら気づいてくれよ」
 赤木は楽しそうに笑って、半分になったクッキーを口に放り込んだ。指には溶けたチョコレートがわずかについていて、その体の温かさを物語っていた。
「あたし、霊感ないから厳しいかも」
 リツカはそう言って、小さく肩をすくめてみせた。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -