※「盆踊りと沢田」→「立直一発チョコレート!」→「恋する誕生日 」のシリーズと同一ヒロインです。




ワカメうどんを食べ終わったリツカは、レンゲでつゆの中をかき回して取り残したうどんがないか探しながら、口を開いた。

「そろそろバイトしようかなと思ってるんだ。親からの仕送りに頼りっぱなしなのは心もとないし」
「あー、いいんじゃない?」

向かいでハンバーグ定食を食べている友人、美香は、手元の授業プリントから顔を上げて返事をした。

「もう6月だし、大学にもひとり暮らしにも慣れたでしょ。バイト始めるにはちょうどいい時期だと思うけど」
「そう思って、探してるんだよ。でも、なかなかいいバイトがなくて……」

昼休みの時間からは少しはずれていたが、食堂は依然として学生たちで溢れ、賑わいをみせていた。とはいえ、おぼんを持って列に並び何か注文をしている人数よりは、食事を終えておしゃべりに興じているグループの方が多いだろうか。
リツカはカバンの中を探って、求人雑誌を取り出した。パラパラと中身をめくりながら、小さくため息をつく。

「朝と昼は授業があるから、夕方から夜だけ働きたいんだけど……」
「そうするとやっぱ居酒屋じゃん?」
「居酒屋……向いてない気がするんだよね…声も小さいし……」
「だったら塾の講師とか? 夜のコマだけ入ればよくない?」
「塾ね。それも考えてるとこ。大学と家のあいだくらいにあればいいと思うんだけど…」

うーんとリツカがうなっていると、美香の隣でゲームボーイをしていた弘樹が声をあげた。

「じゃあ、雀荘は?」

テトリスの画面から目を離さないままの弘樹の提案は、リツカが考えもしなかった選択肢だった。

「雀荘?」
「そうそう、雀荘。オレのサークルの先輩が雀荘で働いてんだ。その先輩は女の人なんだけどさ、慣れれば楽だってよ」
「え、雀荘って麻雀やるとこでしょ? 女の子でも働けるんだ」

美香が意外そうに言う。

「お茶とか軽食とか出したりする、ウェイトレスみたいな仕事すんだってさ。本走はなしで、代走だけはちょっとやるらしいけど」
「本走…?」
「ああ、えーっと、麻雀って4人でやるだろ? だから卓に客が3人とか半端になったときに、店員が入るんだよ。それが本走。代走は客がトイレ入ったりしてるときにちょっとだけ代わること。雀荘ってだいたい夕方から夜が混むわけだし、条件ぴったりじゃん?」
「弘樹くん、詳しいね」
「オレ最近めっちゃ雀荘行ってるからさ。授業受けてる時間より麻雀打ってる時間のが長えよ、たぶん」
「もしかしてそれで最近、英語サボってんの?」
「いや、単純に1限はキツいんだって…」

上手くゲームを進められなかったらしく、弘樹は眉をしかめて首をひねっている。
リツカは雀荘には行ったことがなかったが、テレビのドラマなどで見たことがあるので、イメージだけは知っていた。

「雀荘かぁ……」
「リツカ、麻雀できるの?」
「うん。うちのお父さんが麻雀好きで、麻雀牌のセットが家にあってさ。それで小さい頃からやってたからできるよ。ぜんぜん弱くて、いつもお兄ちゃんに泣かされてたけど」
「ルールわかるんなら十分だよ。別に女の子なら強くなくても大丈夫だし、リツカちゃんならぴったりな気がする」
「そーお? あたしはリツカには塾のが向いてると思うけどな」

二人の意見を聞きながら、リツカは雀荘でウェイトレスとして働く自分の姿を、ぼんやりと思い浮かべてみた。
結構、悪くないかもしれない。麻雀は弱いけど好きだし、高校の時に少しだけカフェで働いていたこともあるし。
なんとなく、そんなふうに思った。



それからしばらく、リツカは授業の合間にバイトを探す作業を続けた。いろいろ考えたすえ、やはり居酒屋か塾、深夜までやっているレストランなどを重点的にピックアップしていた。
雀荘のウェイトレスという候補は頭にない訳ではなかったが、求人雑誌などに募集がなかったため、半分ほど忘れかけていた。

そんなある日、買い物のために街を歩きながら、それとなく求人広告がないか探していた時のことだ。偶然にも、雑居ビルの壁にひっそりと貼られていたチラシが目に止まった。


アルバイト募集!
麻雀経験者優遇!女性歓迎!
明るく楽しいお店です!
          麻雀荘さわだ


リツカは思わず立ち止まり、それからそのチラシに近づいて文面をよく読んだ。
営業時間は10時から24時。上を見上げてみると、ビルの2階の窓に『麻雀荘さわだ』の文字があったので、店はここだ。場所はちょうど大学から自宅の間くらいで、営業時間も長いし、時給も悪くない。
リツカはとりあえず、そのチラシに書いてあった電話番号を手帳にメモした。

家に帰ってから、リツカは色々と考えてみた。
場所も時間もぴったりなのは、今のところ例の雀荘だけだ。バイト先を探すのにも少し疲れた。もうそろそろ決めたいところだ。
こういうとき、リツカは案外、思いきりのいい性格である。どうせ応募したところで落ちるかもしれないのだし、それなら善は急げと、さっさとその雀荘に電話をした。

電話に出たのはバイトの青年で、バイトの募集を見てかけたと伝えると、店長に確認してから折り返すと言われた。
少しして、またその青年から電話がかかってきた。そして、面接をするから次の定休日の午後3時に店まで来てくれと言われた。店には店長の沢田がいるはずだから、と。




****




約束の時間の5分前、午後2時55分。バイトの面接を受けるのは初めてではないが、新しい場所で、知らない人と話すというのは、何度やっても慣れるものではない。
リツカは緊張しながら雀荘のドアを開けた。なんとなく気が引けて、ゆっくりと力を入れたので、ドアの上部についているドアベルは、控えめに軽く鳴っただけだった。

「こ、こんにちはぁ……」

リツカは店と外の境目部分に立ったまま、そう声をかけてみた。しかし少し待ってみても、誰かが出てくる様子はない。
リツカはおかしいなと思いながら、もう一歩だけ店内に入って、中の様子をうかがってみた。
ドアのすぐ前には受付のカウンターらしきものがある。向かって右側には本棚やイスが並んでいて、休憩スペースのような空間であるようだ。左側は麻雀卓がいくつも並んでいて、いわゆる雀荘という雰囲気だ。だが、そのどこにも人はいない。
トイレにでも行っているだけだろうか。それとも自分が面接の時間をまちがえてしまったのか…、でも定休日なのにドアは開いていたし…。
そんなことを考えながらあたりを見回していると、ドアのすぐ左手にあるソファーで、何かが動いたような気がした。

「あっ…!」

驚きで思わずリツカは声をあげてしまい、慌てて口をつぐんだ。
今までまったく気がつかなかったのだが、おそらく今日の面接相手であろう男は、すぐそばにいた。ソファーに座って腕を組んだまま、ぐっすりと眠っていたのだ。
リツカはどうすればいいものかわからず、とりあえず店の中に入り、音をたてないよう、ゆっくりゆっくりドアを閉めた。それから、途方に暮れたような気持ちで、起きる気配もなく眠り続けている男を見つめた。

ソファーで眠っているのは、黒っぽいシャツにグレーのスラックスを身に着けた、四十路前後の中年男性だった。くせっ毛なのか、ややうねった黒髪には、わずかに白いものが混じっているのが見てとれた。
電話で言われたことに変更がないのであれば、彼はこの店のオーナーであり、今日これからリツカに面接をすることになっている、沢田という男であるはずだ。
テーブルの上には書類の束と、手書きで数字が書きこまれた紙が散らばっており、紙の影に隠れるようにして電卓が顔をのぞかせていた。どうやら何か計算事をしていて、そのまま眠りこんでしまったらしい。
リツカは男の足元に転がっていたボールペンを拾い上げ、そっとテーブルの上に置いた。はからずも下からのぞきこむような体勢になったので、目を閉じた彼の顔に、隠しきれない疲労がにじんでいるのがよく見えた。

(雀荘経営の他にも、何か仕事をしているのかもしれない。年齢的に考えると中間管理職ってとこだし、毎日お疲れなのかも)

リツカはなんだか申し訳ないような気持ちで男の顔を見ていたが、こうして突っ立っていても事態は一向に進まない。悪いとは思いつつも、思いきって声をかけてみることにした。

「あのぉ、すみません…。沢田さん……で、いいのかな…? えっと、お休み中に大変申し訳ないんですけど…、バイトの面接に来たのですが……」

リツカは言葉を切って少し待ったが、男が起きる気配はなかった。仕方なくリツカはおずおずと手を伸ばし、指先で彼の肩に触れた。

「沢田さん? すみません、あの…」

軽く肩を叩くこと数回、男は突然、パッと目を開けた。そして慌てたように顔を上げたので、肩を叩いていたリツカと、ばっちり目が合う結果となった。

「うわっ!」
「はぅ!」

男がいきなり声をあげたので、リツカは驚いて妙な声を出してしまったが、目覚めた相手の方もかなり驚いているようだった。

「あ、ん? 君は?」
「す、すみません! 驚かせるつもりはなかったんですけど、その、お約束の時間でしたので、それで…」

彼はリツカの言葉を聞きながらあたりを見回し、訳がわからないという顔をしていたが、ふと自分の腕時計に目を落として、「あっ」とつぶやいた。

「3時? もう3時なのか…! あー、そうか、君はもしかしてバイトの面接に来てくれた…」
「は、はい。清水リツカです」
「そうだ、清水さん。そうだそうだ。いや、悪かった、いつの間にか寝ちまってたみたいで、ちゃんと来てくれたのに申し訳ないことを…。あ、俺はここの店長の沢田です…」

やはり彼は面接相手の沢田であったらしい。
沢田はまだぼんやりとした表情で目元をこすっている。
リツカが自分の肩掛けカバンの持ち手を握りしめていると、沢田はおもむろに立ち上がった。よく見ると、目の下にうっすらとクマができているのがわかった。

「その、悪いんだが、顔を洗ってきても…?」
「あ! どうぞどうぞ、私のことはお構いなく!」
「すまない。ちょっとそこのソファーに座って待って……、いや、結構汚いな…。そのへんの雀卓の、どこか適当な席に座っててくれないかな。すぐ戻るから」

沢田は部屋の中に置かれている雀卓を指さすと、トイレがあると思われる奥の方へ、ふらふらと消えていった。
リツカは言われた通り、いちばん近くにあった雀卓の席に座った。目の前にあるのは、自動卓と呼ばれる、牌を自動で積んでくれる麻雀卓だ。ホコリよけの布がかかっているのでよくわからないが、なにやら色々と楽しそうな仕掛けがついている。
部屋の中はきちんと掃除されていて、内装も綺麗だった。
初めて見る自動卓を興味深く眺めていると、相変わらず眠そうな顔の沢田が帰ってきた。

「どうも。えーと、バイトに応募してくれてありがとう。みっともないところを見せて悪かったよ」
「あ、いえ、ぜんぜん気にしないでください」
「うん…。実は最近少し忙しくて、あんまり寝てねぇんだ…」

リツカの隣、というよりは下家の席に腰をおろした沢田は、そう言いながら大きく息をついた。

「あの…、もしあれでしたら私、出直しましょうか…? 別に急いでませんし、時間もありますから…」
「あ、いやいや、いいんだよ。気にしないでくれ。あーっと、下の貼り紙を見て電話してくれたんだったか。この店、いま少し人が足りなくてね。バイトは早急に雇わないと…」

沢田は垂れてきた前髪を緩慢な動作でかき上げた。

「そうだ、お茶でも出そうか…」
「だ、大丈夫です、お構いなく! べつにノドも渇いてないので!」
「そうかい? あーっと、清水さんは大学生?」
「はい、大学1年です。あ、そういえば、履歴書を持ってきたのですが…」
「あぁ、ありがとう。見せてもらってもいいかな」

リツカがカバンから出した履歴書を渡すと、沢田はそれを開いて読み始めた。老眼気味なのか、目を細めて、頭を引くようにしている。
履歴書に目を通している沢田を見ていたリツカは、彼の後頭部の真ん中あたりで、髪の毛がひと房、ぴょこんと跳ねていることに気がついた。それが朝から跳ねているのか、先ほどの昼寝のせいでついてしまった癖なのかはわからないが、頭のちょうど真後ろでひそかに存在を主張していた。

「通ってるのはそこの大学だね」
「はい、すぐ近くです」
「それにしても、なんでうちなんかに応募したんだ? 女の子なんだし、もっとなんかこう、喫茶店とかの方がいいんじゃねぇか?」
「あ、それは色々と理由があるのですが、やっぱりいちばんは麻雀が好きなので」

なぜ雀荘でバイトがしたいのか。絶対に聞かれるだろうと思っていたので、ちゃんと回答は用意してあった。
小さい頃から麻雀をやってきたこと、あまり強くはないが、これから勉強していきたいということ。それからバイトに入れる時間帯のこと。とりあえずリツカは、準備していたことを全部素直に話した。

「なるほどねぇ…」

沢田は渋い顔で、リツカの履歴書を眺めている。

「いや、うちとしても、女の子が欲しいなと思ってたところなんだ。ずっと店員は男しかしなくてね。女の子がいると店が華やぐし、客も喜ぶし。だが、なんと言えばいいか……」

沢田はそう言いながら自分の頭に手をやり、髪を触った。そして、おや?というような顔でわずかに眉根を寄せた。後ろ髪が跳ねていることに気がついたらしい。

「オーナーとしては雇いたいと思ってたんだが、その、人としてと言うか、大人としてと言うか、君の親御さんの気持ちになってみると、まぁ、少しあれなもんだな……」

沢田は跳ねている部分の髪を手で撫でつけてなんとか直そうとしていたが、癖は頑固で、結局どうすることもできなかった。
沢田は少しばつが悪そうに、また履歴書に目を落とした。

「つまり、君みたいな若いお嬢さんが好んでやるような仕事じゃないと思うんだ。タバコの煙はひどいし、客として来るのは男ばっかりだから、最近話題のセクハラ?だって、無いとは言いきれないし……」

雀荘で女子大生が働くことのデメリットを、沢田が歯切れ悪く並べていくのを聞きながら、リツカは(なんだか沢田さんって、かわいいおじさんだな)と思っていた。
女子を雇いたいと言いながら、今日会ったばかりのリツカのことを本気で心配している。思いやりのある良い人だということがよくわかった。
沢田がしゃべればしゃべるほど、リツカのここで働いてみたい気持ちは高まっていった。

「……あー、だからもっと明るい感じの、普通のバイト先も考えてみて、それからっていうのはどうだろうか」
「はい、考えてみました。私、ここで働きたいです」

リツカがきっぱりとそう言うと、沢田は驚いたようにリツカを見た。

「……俺の話、聞いてたか…?」
「ちゃんと聞いてました、大丈夫です。いまお聞きしたようなことは、もちろん承知の上です」
「いや、でもなぁ……」

沢田は思案顔で頭に手をやり、跳ねている髪をいじった。

「うーんん……」

悩む沢田を、リツカは祈るような気持ちで見つめた。リツカの視線に気がついた沢田は、困ったような、照れたような顔をした。

「あー、そうだなぁ……。ほんとに大丈夫か…?」
「はい! 大丈夫です!」
「……なら、とりあえず1ヶ月だけ、研修期間ってことでどうかな…。もしダメそうなら、それで終わりってことで…」
「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」

リツカはパッと顔を輝かせて、勢い良く頭を下げた。沢田はまだ悩んでいるようだったが、リツカの笑顔につられて小さく微笑んだ。
相変わらず後ろ髪は跳ねているし、目の下には薄くクマがあったが、その微笑みにリツカはなんとなく、心の奥底をくすぐられるような不思議な感覚を感じた。だが、その正体がなんなのかは、まだよくわからなかった。




こうして、ごく普通の大学生のごく普通の人生は、ちょっと普通ではない方向へと動き始めたのだった。


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