※「盆踊りと沢田」→「立直一発チョコレート!」からの続きです。




「いらっしゃいませー。あ、リツカさん」
「笹本くん、こんばんは」
「お仕事帰りですか?」
「うん、そうなの」

『麻雀荘さわだ』にやってきたリツカは、どことなく浮かない顔で、アルバイト店員の大学生に微笑みかけた。平日夜8時の雀荘は、仕事終わりのサラリーマンや暇な学生で溢れている。
リツカは巻いていたマフラーをとり、コートのボタンを外すと、ドアの近くに置かれている休憩用のソファーに沈んだ。
若い女性、しかも麻雀のような賭け事とは縁遠そうな清楚で可愛らしい雰囲気のリツカの姿に、一見の客だけはもの珍しそうな顔をした。しかしリツカは慣れたもので、男しかいない空間も、室内に立ちこめるタバコの煙もまったく気にすることなく、アルバイトの笹本にコーヒーを注文した。こう見えても彼女は、この店の常連なのだ。

「沢田さんなら来てないですよ」

コーヒーカップを用意しながら、笹本が言う。一応は周囲に配慮しているのか、客に聞こえない程度の小さめの声だった。

「そうみたいね」

どこか沈んだ表情で、仕事着であるグレーのスーツの襟を直していたリツカは、店の中を見渡した。もちろん、沢田の姿はどこにもない。
ふとリツカは、部屋の真ん中あたりの場所にある卓に目をとめた。その卓ではちょうど半荘が終わったところらしく、客どうしが金の精算をしており、お開きのような空気が流れていた。
リツカはソファーから立ちあがると、その客の中の、点数表を眺めている茶髪の若い男に声をかけた。

「藤岡くん」

タバコをくわえて表を眺めていた若い男、藤岡は、少し驚いたような顔でリツカのほうを振り向いた。

「あれ、リツカさん?来てたんすね。どうかしたんすか?」
「ちょっと、いいかな」
「あ、はい、だいじょぶっすよ。なんすか」
「こっち来て」

椅子から立って近づいてきた藤岡を、リツカはカウンターの向こうの休憩所のようになっているスペースまで引っ張っていった。藤岡は火のついていないタバコをくわえたまま、大人しくリツカの後ろをついてきた。

「沢田さんのことなんだけどね」

リツカが打ち明け話をするような調子でそう言うと、にっと藤岡は笑った。

「ああ、だと思った。残念すけど、今日は兄貴、ここには来てないっすよ」
「それは知ってる。沢田さん、今日はお仕事?」
「さぁ……ちょっとオレにそこまでは……」

細く剃った眉をしかめ、藤岡は肩をすくめてみせた。
藤岡は沢田が所属する組の組員であり、沢田直属の部下にあたる青年である。明るい茶髪に、重ね付けしたシルバーのネックレスと、見た目こそチャラチャラしているが、根は真面目な努力家なので、沢田に可愛がられていた。
彼はとにかく麻雀が好きで、この雀荘にはまだリツカが店員としてアルバイトをしていた頃からちょくちょく顔を出していた。だから、リツカと藤岡は仲が良い。……というより、リツカは藤岡よりひとつ年上なのをいいことに、ほとんど彼を尻に敷いているような状態であった。

「沢田さん、最近お仕事忙しいの?」
「あーんー、どうだったかなー」
「もう、それくらい把握しといてよ」
「えぇー、んなこと言われても困るっすよぉ。オレだって沢田の兄貴のそばに四六時中いるわけじゃないんすから。それにオレ、したっぱもいいとこだし」

藤岡はすねたように唇をとがらせた。

去年のバレンタインデーにリツカが沢田に告白し、ふたりの関係がオーナーと従業員から「お友達」に昇格(?)してから、約1年がたとうとしている。リツカはこまめに沢田に連絡をとり、時間が合えば食事を共にし、仕事帰りには雀荘にもせっせと通っていた。
沢田はリツカと「お友達」であることを周囲に隠しているつもりであったが、雀荘の常連客の大半がリツカのことを沢田の愛人だと思っている程度には、リツカの好意はあけすけだった。今ではもはや、隠せていると思っているのは沢田本人のみ。リツカと沢田の関係は、『麻雀荘さわだ』における公然の秘密となっていた。

「ほんとは今日、沢田さんと一緒にご飯食べる予定だったんだけどね、急に用事ができたからって、キャンセルされちゃって」
「あー、ふられちゃったんすか」

じろりとリツカに睨まれ、藤岡は慌てて視線を外してごまかした。

「えーっと、用事……用事ねぇ。そんな急に入るような仕事とか、なんかあったかなぁ…?」

リツカは未練がましくポケットから携帯電話を取り出し、ボタンを押して小さな液晶を確認してみた。やはり、着信もメールも一件も入っていない。画面をぼんやりと眺めていると、充電を怠っていたせいか、電池切れマークが現れたので、リツカはため息をついて携帯をポケットにしまった。

リツカが必死のアプローチを続けているにも関わらず、リツカと沢田の仲は一向に進展を見せてはいなかった。意を決して「好きです」と言葉にして伝えたことも何度かあったが、そのたびに上手くはぐらかされ、いまだに友達の域を出ない付き合いしかできていない。

壁にかかった新しいカレンダーに目をやる。
実は今日、1月30日は、リツカの誕生日だった。
前に会ったのは12月の半ばだから、もう1ヶ月以上会っていないことになる。何回か電話はしたが、やはり直接顔を見たい。
クリスマスは仕事だった。本当は初詣にだって一緒に行きたかった。誕生日くらいは会えると思ったのに。

(やっぱり沢田さん、私のことなんてどうでもいいのかな)

こんな時、つい思い出してしまうのは、前回、沢田と食事をした際の出来事だ。


その少し前に、会社の先輩にどうしても頼まれ、リツカは頭数合わせとして仕方なく合コンに参加していた。
問題なのは、そこで知り合ったテレビ局に勤務しているとかいう気取った男に、いたく気に入られてしまったらしいことだ。場の雰囲気に流されて断ることができず、うっかり連絡先を教えたところ、毎日のように電話やらメールやらがくるようになった。
たいした話ではなかったが、黙っているのも隠し事をしているようで嫌だったので、リツカは合コンとその男の話を、近況報告半分、愚痴半分で沢田に語った。
その時、リツカはしゃべりながら、少しもやもやとした気分になった。合コンに参加した、と言ったのに、沢田はただ普通に相槌を打っただけで、全く特別なリアクションを返してくれなかったからだ。
沢田とリツカは恋人同士ではなく、あくまでもただの友達なので、リツカが合コンに行こうがどんな男と連絡をとろうが、なんの問題もない。しかし、リツカとしては、少しでも沢田に「嫌だ」と思って欲しかったのだ。
雀荘でのアルバイトを3年半、お友達として約1年。沢田の心の中に、少しくらいは自分の居場所ができていると信じたかった。
だから、なんだか意地悪な気分になって、心にもないことを言ってしまったのだ。

『その人、すごくかっこよくて優しくて、ちょっと気になるなって思ってるんです』

もしかしたら、嫉妬したりしてくれないだろうか。そんな愚かな期待は、沢田の「それは良かったな」という言葉と優しい笑みに、もろくも崩れ去った。
もちろんそれは、真っ赤な嘘だった。そんなマスコミ男なんて、リツカの眼中にはなかった。顔はまあ、一般的に見ればかっこいい部類に入るのかもしれないが、全くタイプではないし、それになにより、オレってイケてるだろと言わんばかりの自信過剰な態度が生理的に無理だった。
結局、身から出たサビ。小さな嘘はリツカ自身を深く傷つけただけだった。
あの時の、どこかほっとしたような沢田の微笑みが、いつまでたっても頭から離れない。


「もういい」
「へ?」
「今日は朝まで麻雀する。藤岡くん、付き合って」
「えー!?いやいや、どうしちゃったんすかリツカさん」

リツカは険しい表情のまま、藤岡の顔を見据えた。
ここまできたらやけっぱちだ。沢田のことも、誕生日のことも、会ったら話すつもりだったことも、全部まとめて自動卓の中に牌と一緒に叩きこんでやるのだ。

「なんでもいいでしょ。どうせふられた寂しい女ですよ」
「でも、明日も仕事っすよね?徹夜はまずくないすか」

冷静な藤岡の言葉に、リツカは少し考えを改めた。たしかに、仕事に支障が出るのはまずい。

「……じゃあ終電までにする」
「まぁ、そのくらいまでなら付き合いますけど…」
「リツカさーん、コーヒーはいりましたよー」
「もちろん笹本くんも付き合ってくれるよね?」
「えっ…、いや、僕はバイトですから…」
「さーて、そうと決まればさっそくやろう!あそこの卓は空いてるかな?」




***




終電の車内には、独特の気だるい空気が流れている。誰もが疲れたような眠そうな顔をして、電車と一緒に一日の終わりへと向かっている。
リツカは見るともなしに、目の前の座席でこっくりこっくりと船をこいでいるサラリーマンを眺めながら、ぼんやりと取りとめのない思考をめぐらせていた。
宣言通り、電車がなくなるぎりぎりの時間まで麻雀に没頭していたリツカは、今こうして自宅の最寄り駅へと向かう最終電車に揺られている。もっとも、アルバイトとして働いていた経験こそあるものの、リツカの麻雀の腕は素人に毛が生えたレベルである。今日も勝った局よりも負けた局のほうが多く、結果的にはマイナスだった。

こうして静かな空間に身を浸していると、やはり考えてしまうのは沢田のことだ。もう忘れようと振り払っても、気がつけばまた沢田のことを思っている。
食事に行くことができなくなったと、電話があったのは今朝のことだった。「どうしても外せない大事な用事が入ってしまった。すまない」と、沢田は言っていた。

(大事な用事ってなんなんだろう。仕事のことって言ってたけど、本当かな。藤岡くんには心当たりがないみたいだったけど)

電車が駅について止まり、ドアが開く。冷たい空気が車内に入りこんでくる。リツカが降りる駅はこの次の次だ。

(もしかしたら私と会うの、面倒だったのかな。誕生日に会いたいなんて、重いと思われたのかもしれない。……いや、そもそも今日が誕生日だってことなんか、覚えてないよね。話の流れでちょっと言っただけだし)

トンネルに差しかかり、ゴッーという音が車内に響く。

(沢田さんにとって私って、迷惑な存在なんだろうか)

できるだけ考えないように、考えないようにしていたそのフレーズが、リツカの疲弊した脳内にリフレインした。
迷惑、迷惑。迷惑な女。こっちにはそんな気なんて微塵もないのに、まとわりついてきてうざったいやつ。
ふいに鼻の奥がツンとして、目尻に涙がにじんだ。リツカは慌てて目を閉じてうつむき、自分の気持ちをごまかそうとした。しかし、いちどフタの外れてしまった感情は、なかなか押さえこむことができなかった。

(沢田さんは優しいから言わないだけで、本当は私の顔なんか見たくもないのかも。面倒くさいって思われてるのかも。そういえば、せっかく会っても仕事の愚痴ばかり言ってたような気がする。そういうところがダメだったのかな)

合コンの話をした時に沢田が見せたあの笑みは、これでやっと解放されるという安心からだったのではないか。そう思うと、リツカの胸はやるせなさでいっぱいになった。
目尻にたまった涙は、じんわりと増えるばかりでなかなか消えてはくれない。しかし、いくら乗客のまばらな終電とはいえ、公共の場なのでまわりには人がいる。無様に泣き顔をさらすわけにはいかない。リツカは泣いてしまわないように、必死で涙をこらえた。

降りる駅が近づき、駅名を告げるアナウンスが流れたので、リツカは席から立ち上がってドアの前まで歩いていった。ドアのガラスに映ったリツカは、どう見ても半泣きの苦しそうな顔をしていた。
電車が止まると、リツカはいちばんに外に出て、改札まで早足でホームを急いだ。

駅を出てしまうと、住宅街が広がっている。リツカの住むアパートまでは、ここから歩いて8分ほどだ。マフラーを巻き直して、コートのポケットに手をつっこむ。
街灯の明かりだけが照らす夜道はひたすら静かで、冷たく凍えている。小道に入ってしまうと、同じ電車を降りた人々もいなくなり、あたりに人気はまったくなくなった。
誰もいない暗い道。物音ひとつ聞こえない、深夜の町。まるで今の自分の心のようだ。
いくら夜道を急いでも、沢田への想いと疑惑はリツカの心に引っかかったまま、消えてはくれなかった。とうとうリツカは、涙をこらえることができなくなり、鼻をすすって泣き始めた。

「うっ……えぐっ…、ぅえっ…」

溢れた涙は頬を伝い、首元のマフラーへと染みこんでいった。リツカは涙をぬぐおうともせず、流れるに任せて歩き続けた。

(やっぱり、告白なんてしなければよかったんだ。こんなに辛いなら、ひっそりと片思いを続けたほうがまだマシだった。どうせ叶わないなら、半端に期待なんてしないほうが傷つかずにすんだのに。人生って、なんて上手くいかないものなんだろう)

冷たい風が、濡れた頬につきささる。

(好きなのに。こんなに好きなのに。私はただ沢田さんが好きなだけなのに)

泣いても泣いても涙は止まらず、心は晴れなかった。

涙でぼやけた視界の向こうに、自宅のアパートが見えてきた。うつむき気味に角を曲がったリツカは、自分の部屋のドアの前に人影があることに気がつき、驚いて立ち止まった。
ドアの前でタバコを吸っていた男もリツカの姿に気がついたようで、こちらを向くと、ぎょっとした顔をして持っていたタバコを取り落とした。

「リツカ!?」

そこに立っていたのは、寒さで少し顔を赤くした沢田だった。

「さ、沢田、さん……?」
「なっ、なんで泣いて…、どうしてお前、こんな、なにがあったんだ、怪我したのか、どこか痛いところでも、ま、まさか誰かになにかされたのか…!?」

リツカが泣いていることにひどく動揺したらしい沢田は、両手でリツカの肩を掴んだ。

「え、あ、あの、」
「誰だ!誰にやられたんだ!」

リツカは混乱しながらも、ぶんぶんと首を横に振った。沢田の真剣な顔に、なにか盛大な誤解をされていることだけは感じた。

「ち、ちが、ちがうんです、なにも、ないです、平気、平気なん、です」
「こんなに泣いてるのに、平気なわけないだろう」
「ほん、ほんとに、なんでもないん、です、ちょっと、ぇぐっ、悲しいこと、考えてたら、な、泣けて、きちゃって、それだけ、それだけ、なんです」
「悲しいこと…?それなら、怪我もなにもしてないのか?」
「はい、へいき、です」
「本当か?大丈夫なのか?もしなにかあるならきちんと言ってくれ、俺にできることならなんでもするから」

沢田は真剣な表情で、リツカの顔をのぞきこんでくる。しかしまさか、あなたのことを考えて泣いていました、なんて言えるはずがない。
リツカはしゃくりあげながら手の甲で涙をぬぐい、うつむいた。早く泣きやまなければと思うが、感情はそう簡単にコントロールできない。なんとか涙をこらえて、鼻をすするだけで精いっぱいだった。

「だい、じょぶ、だいじょうぶ、で、す。痛いとことかは、ないし、病気でも、ない、です。ただ、悲しかっただけで、それだけ、ですから」
「それなら、その原因はなんだ。仕事のことか?嫌な客とか、嫌な上司とか、もしかして会社でいびられたりしてるのか?」
「ち、がいます、ほんとに、どうでもいいこと、なんです、だから、平気、ですから、びっくりさせて、ごめん、なさい」
「……そうか…。ならいいんだが…」
「はい、……あの、かお、恥ずかし、から、見ないで、ください」
「あ、ああ、悪かった」

沢田はリツカの肩からぱっと手を離し、視線をさ迷わせた。
リツカはカバンからタオルハンカチを取り出し、目頭を押さえた。そのまま時々しゃくりあげながら、なんとか波が引くのを待つ。
ハンカチで口元を隠した状態で、目線だけを上げて沢田を見ると、沢田はさっき取り落としたタバコに気がつき、拾い上げているところだった。
みっともなく泣きじゃくっているところを見られてしまったのは恥ずかしかったが、こうして少しでも顔を隠すことができると、先ほどまでよりは冷静になれた。

「それより、なんでここに、沢田さん、いるんですか」
「ああ…。いや、ちょっと渡したい物があってな。今日は本当に申し訳なかった。前々から約束していたのに、いきなりなしにしてしまって、謝罪の言葉もない。実は昨日、神原の叔父貴のところに出入りがあって、その会議が…、いや、こんな言い訳をしてもしょうがねぇな。つまりその、ここに来たのは、なんと言えばいいか……」

沢田は足元に置いていたカバンを持ち上げると、中から小さな紙袋をひとつ取り出した。リツカがぽかんとしていると、沢田はきまり悪そうにそれを差し出した。

「今日、誕生日だろう?一応、プレゼントを買ったんだ。やっぱりこういうのは当日に渡すべきだと思ったんでな。会えてよかった。……日付けは変わっちまったが」

沢田はちらりと腕時計に目をやり、肩をすくめて笑った。リツカは受け取った紙袋をぎゅうと握った。

「そのために、待ってたんですか、こんな夜中まで」
「何度か電話したんだが出なかったんで、直接家まで行くしかないかと…」
「あ…、ケータイ、電池切れてて…」
「たぶんそうじゃねぇかなと思ったよ。家まで来たらどうもまだ帰ってきてねぇみたいだったから、待ってたんだ。だがまあ、今来たところだから、そう待ってないよ。でも、あと30分くらい待って帰ってこなかったら、さすがに引き返そうかと思ってたとこだ」

今来たところだ、と沢田は言ったが、紙袋を受け取った時にわずかに触れた指先はひどく冷たく、本当は長いこと待っていたのだろうとリツカは思った。
もらった紙袋の中をのぞいてみると、きれいにラッピングされた小さな箱が入っていた。

「ネックレスだよ。大した物じゃなくて悪いな。なにがいいかわからなくて、アクセサリーならとりあえず外さないかと……」

照れたようにそう話す沢田を見ていると、リツカの目にはまた、引いたはずの涙がせり上がってきた。

「…う、うえ、うぇ…、ぐすっ、ひぐっ」
「な、なんで泣くんだ…!なにかまずいこと言っちまったか?ああ、それともここで待ってたのがいけなかったか!たしかに見ようによっちゃ、借金の取り立てが来てるみてぇに見えなくもないし…」
「ち、ちがいますよ!だって、だって、沢田さん、ず、ずるいです!そんなの、かん、かんちがい、するじゃ、ない、ですか!」
「かん違い…?」
「わたし、沢田さんのこと、す、好き、なんです、そんなふうに、やさしくされたら、も、もっと、好きに、なっちゃいます、ぇう、ひぐ……、……わたしに、興味、ないなら、やさしくしないで、ください、期待、もたせないで、くださ、どうせ、わたしのこと、なんか、迷惑だと、おもって、ぅえぇ、う、うぇ、うあああん」
「うわ、な、泣かないでくれ、頼むから、な?俺が悪かったよ、そんなふうに思ってたなんて知らなかったんだ、だからその、泣くのはやめてくれ…!」

沢田がなだめてくれているのはわかったが、リツカはもうどうしようもなくなって、ぼろぼろと大粒の涙をこぼして泣き続けた。

(もうこれで完全に終わった。嫌われた。どうせ時間の問題だったけど。でもこんな人前でわあわあ泣く女なんか、ふられて当然だ)

リツカがそんなことを思いながらうつむいて震えていると、ふいに背中に手を回される感覚があった。驚いて顔を上げると、視界は沢田の黒いコートでいっぱいになっていた。
まるで子供をあやすように、背中をさすられる。リツカは沢田に抱きしめられているのだった。
まさか沢田にそんなことをされるとは思いもしなかったリツカは、呆気にとられて固まってしまった。沢田がどんな顔をしているのかを見ることはできなかったが、ゆっくりと背中をなでてくれる手はひたすら優しかった。

「俺は君のことを、迷惑だなんて思ってない。本当だ」
「……うそ、でしょ……」
「うそじゃない。うそじゃないよ」


リツカの高ぶった感情が落ち着いて、ついでにハンカチが濡れそぼって役に立たなくなりかけた頃。沢田はリツカを抱きしめた状態のまま、口を開いた。

「一応、今日はな、ちゃんとけじめをつけるつもりで来たんだ。いつまでもずるずる微妙な関係を続けるのは男らしくねぇだろう。今まですまなかった。全部俺のせいだ。……しかしその、俺はもう中年だし、仕事も仕事だし、正直なところ、どうして君が俺のことを好いてくれているのかさっぱりわからねぇ。だが、なんというか、つまり、その好意に応えたい気持ちはあって……、あー、上手く言えないんだが……」

沢田は少し言葉を詰まらせ、小さくうなった。リツカは黙って静かに沢田の声を聞いていた。

「君はいい子だ。とても。だが俺と一緒にいると、後ろ指をさされることもあるだろう。嫌な気持ちになることも多いかもしれない。俺はそれが苦しい。でも、君がそれでもいいと言うんなら、」

胸がどきどきと高鳴る。
体中に沢田の体温を感じながら、リツカは期待と不安を抱いて、沢田の言葉を待った。

「俺と、付き合ってくれないか」

小さくつぶやくように、沢田はそう言った。

「さ、さわだ、さん……」

リツカは顔を上げて沢田の顔を見ようとしたが、沢田は慌ててそっぽを向いてしまったため、見ることはできなかった。だが心なしか、先ほどよりも耳が少し赤くなっているような気がした。

「いいん、ですか」
「ああ」
「私、そんなに、いい子じゃない、ですよ」
「俺なんかヤクザだ」
「知って、ます」
「ああ」
「ほんとに、ほんとに、いいの?」
「ああ」
「沢田さん」
「うん?」
「な、泣きそう、です…」
「おいおい、もうさっきからずっと泣いてるじゃねぇか。このままだとそのうち干上がっちまうぞ」

沢田は呆れたようにそう言って、リツカの頭をぽんぽんとなでた。リツカは鼻をすすりながら、沢田の背に手を回して抱きついた。
単純なもので、あれほどささくれ立っていたリツカの心が、今は幸せな気持ちでいっぱいだった。沢田のことが好きだと、強く思った。強いところも弱いところも全部好きで、彼のためならなんでもしたいと、そう思った。

「リツカ」
「はい」
「とりあえず、家の中に入ろうか。寒いし、このままだと近隣住民に色々と誤解されちまいそうだ」
「はい」

沢田の言葉にうなずきはしたものの、リツカは沢田にくっついたまま動こうとしなかった。

「こら、これじゃ動けないぞ」
「もう少し、沢田さんと、こうしてたい、から」
「寒いだろ」
「寒くない、です」
「うそだな」
「……うそです」

沢田が笑ったので、リツカも思わず笑みをこぼした。



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