駅前大通りの脇を曲がって少し進むと、薄暗い立ち飲み屋や猫の額ほどの居酒屋やスナックの連なる、少々さびれた通りが現れる。その通りの四番目の路地、雀荘「九蓮荘」の角をL字に曲がった突き当たりが、リツカの住む家だ。
その家の玄関前の石段の上に座り、白髪の青年が堂々とタバコをふかしているのを見て、リツカはふうと息を吐いた。

「ねぇ、アカギくん」
「なに」
「そこどいてくれない?」
「どうして」
「どうしてって、そこがあたしの家の出入り口だからでしょ」

アカギはタバコの煙を吐き出すと、目の前に立つリツカの全身をじろじろと観察した。場所を移動する気配はない。

「今日はずいぶん珍しい服着てるな」
「わかる?ちょっと今日はオシャレなのよ」

リツカは笑って、着ている白と黒の太縞のワンピースのはしをつまんで見せた。普段は校則に従って二つに結ばれている髪もまっすぐおろされており、いつもとはかなり異なる雰囲気だった。

「そんなスカートはいてるの、初めて見た。どこか行ってたわけ」
「実はね、デートしてたの」
「デート?」

その外来語にアカギは一瞬、眉をぴくりと動かして眉間に皺を寄せた。その皺はすぐに消えてなくなったが、アカギのまとう雰囲気は先程よりも鋭くなったままだった。
もっとも、それは本当にごくわずかな変化であったので、リツカは全く気がつきもしなかった。

「うん、映画を観に行ってたのよ」

アカギが動きそうにもないので、リツカは近くに置かれていた古い自転車のサドルの上に座った。
リツカの家の玄関前で一服するのは、アカギの癖のようなものだ。なせだか知らないがアカギはこの場所をいたく気に入っているらしく、タバコを吸い終わるまでは絶対にそこからどかない。それはいつものことなので、リツカはもう慣れっこになっていた。

「誰と行ったの」
「学校の三年生の先輩。なんかこのあいだ声かけられてね」
「ふーん」

リツカはスカートについた砂を手で払いながらアカギに目をやった。アカギはリツカの話に興味があるのかないのか、相変わらずの無表情でタバコを吸っている。

リツカの父は自宅の半分を改築してつくった雀荘を経営している。家と雀荘がつながった構造になってるため、アカギのすぐ後ろにある、本来は裏口にあたる場所が玄関として使われているのだ。
アカギはその雀荘にたまにやって来る客のひとりだった。現在高校二年生であるリツカと年齢はたいして変わらないように見えるが、学生ではないようだし、働いているのかいないのか、私生活は完全に謎に包まれていた。

「映画、なに見たんだ」
「んーと、なんとかヒッチコックっていう監督の『鳥』って映画」
「なんだそれ」
「うーん、ちょっとよくわからない映画だった。先輩はその監督が大好きらしくてね、観終わったあとに喫茶店で色々と解説してくれたんだけど、ぜんぜんわからないしつまんないから、理由つけて帰ってきちゃった」

リツカはあっけらかんとした様子でそう言うと、地面から浮かせた足をぶらぶらと動かした。

「アカギくん、これからお店に行くの?」
「いいや、もう行ってきた。決めた分は勝ったから今日はもうこれで終わり」
「そうなんだ」

この青年は一週間から二週間に一度、ふらりと店にやってきては軽く麻雀を打っていく。派手に大勝ちはしないが負けることはなく、絶対に勝ち金を持って帰っていくのだった。
昔からリツカは学校の合間に店を手伝っているので、麻雀についてはよくわかる。アカギが大きく勝たないのは、あえてそうならないよう手を抜いているだけで、本来の実力はそこらのサラリーマンや学生などでは歯がたたないほどであることを、リツカは知っていた。
ずいぶん前に、なぜ本気を出さないのかとアカギに訊ねたことがある。すると彼は「あんまりデカく勝ち続けると、店に出入り禁止になるからね」と、肩をすくめて言ってみせた。九蓮荘はたいして綺麗なわけでもサービスが良いわけでもない、タバコの匂いの染みついたどこにでもある古い雀荘だったが、出入り禁止にされたくない程度にはアカギに好まれているようだった。

大通りの賑わいから離れ、煤けた建物に囲まれた路地裏は、そこだけ世界から切り離されたような錯覚すら覚える。リツカはアカギのくわえたタバコがだんだんと短くなっていく様子を横目で見ていたが、あ、と小さく声をもらした。

「アカギくん、お父さんにはデートのこと秘密にしておいてよ。男の子と二人きりで出かけたなんてバレたら、あたし殺されちゃうわ」
「へぇ、どうしようかな」

アカギは指を焦がしそうなほど短くなったタバコを地面に押しつけて消し、立ち上がった。

「お願いね。あの人ってば頭固いんだもん」

リツカは自転車のサドルからおり、玄関へと近づいた。しかし、いつもタバコを吸い終わればいなくなるはずのアカギが、今日は立ち上がったきり玄関の前から動こうとしなかった。必然的に二人はそのまま真正面で向かい合う格好になる。
リツカは不思議そうにアカギを見上げた。アカギはリツカのことをじっと見つめながら、口を開いた。

「なぁ、リツカ。オレさ、テレビは何度か見たことあるけど、映画はまだ一度もないんだ。だから、オレとも行こうよ」
「え?」
「オレと行こう」
「どこへ?」
「映画館」

見上げたアカギの瞳が、陽の光をうけて薄茶色に光る。

「……あたしと…?」
「そう」
「………でも…、それは……」
「その先輩と行くのは良くて、オレと行くのは無理ってわけ」
「…そうは、言ってないけど……」
「じゃあいいじゃない。行こうぜ、デート」

アカギのまっすぐな物言いに、リツカは急に頬が熱くなるのを感じ、思わず目線を下にそらした。下げた頭の向こうで、アカギが静かに笑っている気配がする。
リツカは動くこともできず、しばらくあちこちに視線を泳がせていたが、とうとう小さな固い声で、

「今度の日曜なら空いてるけど」

とだけ、言った。
アカギはくくっと声に出して笑うと、リツカの隣をすり抜けて歩きだした。

「楽しみにしてるよ」

それだけ残してポケットに手をつっこみ、さっさとどこかへ消えていこうとするアカギのに背に向かって、リツカは悔しいような気持ちで叫んだ。

「アカギくんのおごりだからね!」


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