「あぁー!負けたあぁぁ」

森田は手に持っていたトランプを放り投げ、ソファーの背にもたれて天を仰いだ。

「本当に残念だなぁ、森田。お前のひとり負けだ」

テーブルの上に散らばったトランプを集めてそろえながら、巽は悲しそうな顔で大げさに首をふった。安田は新しいタバコをくわえて火をつけると、満足そうに煙を吸いこんだ。

「さーて、負けたやつの処遇を決めてなかったな。どうする、巽」
「どうしようかね」
「…はぁ……いくら払えばいいんすか」
「いや、金はいらねぇよ。お前みたいな若造から金をむしるのは大人としてさすがに心が痛む。それにどうせお前、そんなに金もってねぇだろうし」

トップになった安田はにやにやと笑いながらあごを撫でた。

「罰ゲームだからな、お前がいちばん嫌がることがいい」
「うわ、えげつねぇ」

森田は口をへの字に曲げ、テーブルのはしに放ってあったケントマイルドの箱を掴んだが、あいにく中身は空だった。ぐしゃりと空き箱を握りつぶし、森田は深くため息をついた。
その様子を見ていた巽がつぶやく。

「うーん、一週間禁煙とかどうかな?」

安田はタバコの煙を吐き出すと、すでに吸い殻が山となっている灰皿を引き寄せた。

「それもなかなかいいけどよ…こいつがいちばん嫌なのは女関連だろうぜ」
「なるほど、いいね」
「よし、オンナつくってくるってのはどうだ、森田」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!それ完全に安田さんの趣味でしょ!」
「趣味とはなんだ。若者をいじって遊んでなにが悪い」
「なんすかその開き直り…」
「なぁ、森田。お前も年頃なんだからさ、好きな女の子のひとりやふたりいるんじゃないの?」

巽の問いかけに、森田はぐっと言葉に詰まって目を泳がせた。

「い、ませんよ、そんなの」
「ふーん、今のは完全にいる顔だったな」
「森田は嘘つくのが下手だね。じゃ、森田の罰ゲームはその気になってる女の子に告白して、あわよくば彼女にすることね。はい決定」
「い、いませんってば、ほんとです」
「まぁなんにせよ、とりあえずオンナつくってこい。若いんだし、面構えだってまずくねぇんだからそのくらい余裕だろ、余裕」
「かんべんしてくださいよぉ……」

自分を置き去りにして勝手に盛り上がる二人を尻目に、森田は手元のグラスを手を伸ばし、少々ぬるくなったビールをひと息に飲み下した。
こんなことになるなら暇つぶしのポーカー勝負など引き受けなければ良かったと、今さらながら後悔する。そもそもこの悪党どもが、なにも賭けずにトランプをすることなどないとわかっていたはずなのに。


安田と巽の読み通り、実は森田にはひとりだけ気になる相手がいた。同じく平井の下で働いている、森田より二つ年上の開田リツカだ。

鼻筋の通った品のいい顔立ちがばっちり好みのタイプであったので、初対面のときから森田はリツカに惹かれていた。
リツカはマイペースでおっとりした性格で、いわゆる天然と呼ばれるような、どこか少し抜けているところのある女性だった。しかしいざ仕事となると、きりりとした表情で鋭く冷徹な判断をする、非常に頼れる先輩になるのだった。そんなギャップも森田の心を強く掴んだ。
なぜだかわからないが、優しげに笑うリツカの姿はいつも森田の脳裏に、小学校の校庭のすみの飼育小屋で飼われていたウサギを思い起こさせた。

リツカは森田より頭ひとつ分ほど小さいので、並んで立つと背の高い森田にはリツカの後頭部がよく見える。
後ろでまとめられたリツカのポニーテールの先が、首を動かすたびにウサギの耳のようにぴこぴこ揺れるのを見ていると、森田はなんとなく胸がしめつけられるような、どうしようもない衝動を感じてしまうのだった。


「いいかぁ、森田。オレらはお前のためを思って言ってるんだぜ。これからこっちの世界で生きてくつもりなら、女の扱い方も覚えなきゃなんねぇんだからな」

意味ありげな顔でつまみのピスタチオを噛み砕きながら、安田はうんうんと頷いた。森田は空のグラスを握ったまま、よく言うよこのおっさん、と心の中でひとりごちた。

「期限はそうだな…二週間くらいでどう?」
「おう、いいんじゃねぇか。じゃあ二週間後までに男を見せろよ、森田。楽しみにしてるぜ」

無情にも決まってしまった罰ゲーム。
タバコの煙が漂うマンションの部屋の中、つけっぱなしだったラジオから、深夜0時を告げる時報が静かに流れた。





それから数日間、森田は悩み続けた。

今まで森田はリツカにこの気持ちを打ち明ける気など全くなく、遠くから見ているだけで十分なのだと思っていた。
恋人同士になれればと淡い夢を描くことは確かにあったが、森田とリツカはいわば同僚。数人しか人のいない狭い仲間内で、風紀を乱す職場恋愛が御法度であることぐらいは、社会経験の少ない森田にもわかる。
それに、本当はこっちの理由のほうが大きいのだが、もしフラれてしまったとしてもそのままここで働いていかねばならない気まずさを考えると、おいそれと告白などできるはずがなかった。

しかし、時間は刻々と過ぎ去っていく。『なにもしてません』を安田と巽が許すはずもなく、とにもかくにも期日までになんらかのアクションを起こさないと、次はどんなことをやらされるかわかったものではない。
知り合いの女性に協力してもらい、形だけで適当に済ませることも考えたが、そもそも森田にはそんなことを頼めるような女友達がいないので、その案はすぐに却下された。

特にこれといった策の浮かぶことなく、期日まで一週間を切ったあたりから、
(逆に考えると、もしかしたらこれはチャンスなのかもしれない)
と森田は考えるようになっていた。
オーケーしてもらえれば万々歳。仲間内の風紀を乱すことにはなるが、言い出したのは自分ではないのだし、そのくらい許してもらおう。もし断られてしまったとしても、罰ゲームでしたと言って理由を説明すれば笑い話にしてごまかせる。
どちらにせよ悪くないじゃないか。そのあとあの二人にどう言い訳をするかは、終わってから考えればいいことだ。
そう結論づけて、森田は自分を納得させた。

決まってしまえば、あとはリツカをつかまえて勇気を出すだけなのだが、それがなかなか難しかった。
今回のヤマで、リツカは平井の秘書という体で動いており、あまり自由な時間がないようだった。会うことはできても常に平井が隣にいるため、話を切り出すことができない。

ついにふたりきりになれたのは、期限の日の前日だった。





平井に呼び出され、森田が赤坂のホテルにやってくると、部屋にはリツカひとりしかいなかった。
「別件の用事がたてこんでいて遅れると銀さんから連絡があった。もう少し待っていて欲しい」というようなことをリツカが言うのを聞いて、森田は、言い出すなら今しかないと思った。

椅子に座り、分厚いシステム手帳を開いて考えごとをしているリツカを見つめながら、森田は唇を噛みしめる。
今日のリツカはシンプルな服装ながら、控えめな色味の赤いローヒールパンプスがアクセントになっていて、とても綺麗だった。耳たぶにはリボンの形のピアスが光っている。

言わなければとわかっているにも関わらず、森田の心にはなかなか踏ん切りがつかない。すでに手のひらは緊張による汗でびっしょりだ。

「そそらそーらそーら、かっわいいダンスー」

なにも知らないリツカは、ペンを動かしながら呑気に歌を口ずさんでいる。

「タラッタラッタラッタ、ラッタラッタラッタラッ」

リズムに合わせてポニーテールがかすかに揺れる。

あの長い髪に触れたい。できることなら恋人として、触れたい。
汗ばむ手のひらをズボンに雑になすりつけ、森田は意を決してソファーから立ち上がった。

「あの、リツカさん!だいじな、話が、あるんです!」

リツカは手帳を置いて顔を上げると、きょとんとした表情で森田を見た。

「なあに、森田くん」
「急にこんなこと言うのは悪いってわかってるんですけど、でもオレ、オレ、」

森田は大きく息を吸い、勢いのままガバッと頭を下げた。

「オレ、リツカさんのことが好きなんです!!オレと付き合ってください!!」

緊張に耐え切れず、森田はかたく目をつぶった。
みるみる顔が熱くなり、赤面しているのが自分でもわかった。このまま死んでしまうのではないかと思うほど、心臓はうるさく早鐘を打っている。手先がひどく冷たい。

長い長い(と森田には感じられた)沈黙のあと、森田の下げた頭の向こうで、ふふふ、とリツカが小さく笑った。

「森田くんは律儀なのねぇ」
「………はい…?」

予想外の言葉に、森田がおそるおそる頭を上げると、リツカは優しげな顔で楽しそうに笑っていた。

「罰ゲーム、なんでしょ」

森田は思わず目を見開いた。

「え、なんでそれ、知ってんすか…」
「ごめんね。この間、安田さんと巽さんが話してるの聞いちゃったの。なんか女の子に告白?しないといけないとかなんとか。そんなの適当にやったことにしちゃえばいいのに、律儀だなって」
「い、いや、はい、実はそうなんです、けど…」
「もう、二人ともいい歳なのに中学生かって感じよね。呆れちゃう。それにしても私を選ぶとは思わなかったな…手近なところで済ませる作戦?」
「ち、違います!オレ、ちゃんと!」
「うんうん、わかってるよ。他にそういうこと頼める人がいないんでしょ?まかせといて、協力してあげる」
「えっ…あの……」

リツカは足元に置いてあったブランドもののバッグを持ち上げると、中を探って、革製のカードケースを取り出した。

「私もこういう仕事柄ね、色んな肩書きの名刺を持ってるのよ。たしかこのへんに水商売風のやつが……あ、あったあった」

リツカはケースの中から一枚の名刺を抜き出すと、森田に差し出した。名刺はスカイブルーの地にハートと花が散っているデザインで、真ん中に『美優紀』と源氏名が印刷されていた。

「はい、あげる」
「あ、どうも…」
「安田さんたちにはそれ見せて、この子に告白しましたって言えばいいよ。それが私のだってことはバレないはずだから安心して」
「ありがとう、ございます…」
「まぁ、あのおじさん達と遊んであげるのも業務のうちだと思ってさ。お仕事がんばってね。……あ、そうだ、もしよかったらこれもあげる。はい、開けてみてよ」

リツカはバッグの中から手のひらサイズの小さな紙袋を取り出し、森田に手渡した。
森田が袋の口を開けてみると、出てきたのは白いウサギのストラップだった。

「あの、これは…?」
「昨日、うちの近くの駅前でバザーがやっててね、そこで売ってたんだけど、すごくかわいかったからつい買っちゃったの。でもよく考えたらもうストラップつけるようなとこないし、森田くんにあげる」

座った姿の白ウサギはフェルトでできており、ビーズの黒い目がついている。
森田が黙って手の中のウサギを見つめていると、リツカは眉を寄せて心配そうな表情になった。

「……いらない…?やっぱり男の子にはかわいらしすぎるかな…」
「そ、そんなことないです!嬉しいです、すごく!」
「そう?よかった」
「……あ、の…、リツカさん」
「ん?なあに?」
「…オレは、ほんとに…、その、なんていうか…」
「え?」

森田が本当のことを言おうと口を開きかけたそのとき、誰かがドアをノックする音が部屋に響いた。
リツカがドアのほうに目をやって「銀さんかな」とつぶやく。「たぶん銀さんでしょうね」と返しながら、森田は自分の中の緊張と熱が急速に行き場を失っていくのを感じていた。タイムリミットが来てしまったのだ。

もう一度ノックが響き、リツカは森田にちょっと笑いかけると、ドアを開けに行ってしまった。
ポニーテールの揺れるリツカの後ろ姿を見つめながら、森田はひとり、肩を落とした。





「ところで、森田。今日がなんの日だか覚えてるよな」
「罰ゲーム…ですよね」
「わかってるじゃねぇか。結果はどうだったんだよ、おい」

安田にひじで小突かれ、森田はため息をついた。しぶしぶ上着のポケットからスカイブルーの名刺を取り出し、安田と巽の前のテーブルの上に置く。

「この人に、ちゃんと言いました」
「へぇ、どれどれ…。なるほど、ミユキちゃん、ねぇ」
「ホステスか。どんな子なのよ」
「……頭が良くてキレイな人です」
「ふーん、森田がそんなおねーちゃんのいる店に通ってたなんて知らなかったな」
「そんで、お前、ほんとに告白したのか?」
「しましたよ。好きですって頭下げました」
「……マジ?」
「大マジです!」

森田は巽の手からさっと名刺を抜き取り、またポケットに戻した。代わりにウサギのストラップを取り出して二人に見せる。

「……付き合ってくれって言ったら、これ、くれました」
「え、それだけか」
「…それから、……お仕事がんばってね、って…」

森田はしぼんだ声でそう言い、短くなったタバコを力まかせに灰皿に押しつけた。
安田と巽は顔を見合わせると、そろって噴き出し、げらげらと笑い出した。

「ぶふっ!あっはっははは!ど、どんなホラ話つくってくるかと思って楽しみにしてたけどよ、まさかなぁ!」
「くっ、くくくく…、いっや、ほんとに告白してくるなんてさぁ…、しかもフラれてるし」
「……オレだって男です。賭けの負け分はきっちり払うし、やるって言ったことはやります」
「いいぜいいぜ!お前のそういうとこオレは大好きだよ!ぶっくっくく…」

安田は笑いながら森田の背中をばんばんと平手で叩いた。巽は口元を手で押さえて肩を震わせている。

なにひとつ嘘を言っていないのが逆に辛い。
森田はウサギの頭にくっついていた糸くずを丁寧に手で払い落とすと、大事にポケットにしまった。どういう経緯はあれ、これがリツカからのプレゼントであることに変わりはない。

「いやー、笑った笑った」
「しかしその子、森田より数段上手みたいだね」
「完全に転がされてるもんなぁ」
「オレにも紹介してよ、ミユキちゃん」
「絶対しません!」

森田は半笑いの巽をぎっと睨んだ。

「ずいぶんと楽しそうじゃねぇか。なんの話だ」

頭の向こうからの声に森田が振り返ると、タバコをくわえた平井が立っていた。そのすぐ後ろにはリツカもいる。

「あ、銀さん…」
「銀さん、遅かったな。実は森田の奴がよ…」
「や、やめてください!銀さん!なんでもありませんから!」

森田はなんとかごまかそうと、慌ててソファーから立ち上がった。

「話したっていいだろ、せっかくこんなに面白いんだしさ」
「少なくともまわりに広めるような話じゃないです!オレのプライベートを勝手に言いふらさないでくださいよ…!」
「おいおい、森田。ケチな男はモテねぇぞぉ」

安田はジッポライターをカチカチいわせながら、相変わらずにやついている。
困った森田が視線を漂わせていると、リツカと目が合った。話の流れでなにかを察したらしいリツカは、森田にだけわかるようこっそりと、いたずらっぽく微笑んでみせた。森田はまわりに不審がられぬ程度にほんの少しだけ頭を下げて返した。

「オレはべつになんでも構わねぇがよ。時間もあんまりねぇし、本題に移らせてもらうぞ」

平井はそう言いながら森田のすぐそばまで歩いてくると、ぽんと森田の肩を叩いた。
ごく近い距離で森田を見上げる平井の目が細められ、口元に薄い笑いが宿る。

「ま、せいぜいがんばりな」

すれ違い様、低い小さな声で囁かれたその言葉。
森田がぎょっとして振り返ったときには、もう平井はいつもの表情に戻っており、書類の束を取り出して仕事の話を始めようとしているところだった。

今のはいったい、どういう意味だったのか…。

素知らぬ顔の平井とリツカを交互に見比べながら、森田は寝不足の顔を引きつらせた。



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