湯船に体を沈めてひと息ついたところで、玄関のベルが鳴った。
誰だか知らないけど間の悪い人だ。こんな格好じゃ出ようにも出られないし、申しわけないけど居留守を決めこむかなと考えていると、ドアのカギが開くカチッという音がかすかに聞こえた。
わたし以外にこの家の合カギを持っている人はひとりしかいない。つまり、そういうことだ。

「リツカー?」

思ったとおりの声が、わたしを呼ぶ。わたしは湯船から体を半分ほど出すと、手を伸ばして浴室のドアを少し開けた。

「赤木さーん?ごめんなさい、いまお風呂はいってるんです」

ああ風呂か、という声が聞こえ、赤木さんが脱衣所にやってくる気配がしたので、わたしはドアを閉めて湯船の中に体を戻した。
浴室の曇りガラスの向こうに人影が映る。

「食べるものなら冷蔵庫の中に入ってるんで、適当に出して食べててください」
「いや、飯はいい」
「あらそうですか?」
「うーん、そうだなぁ…」

赤木さんはちょっと考えるような素振りを見せたあと、浴室のドアを思いきり開けて、ぐいっと顔をつっこんできた。

「俺も一緒に風呂に入るかな」
「はい…?」

わたしがぽかんとしていると、赤木さんは妙に真面目くさった顔でドアを閉めた。曇りガラスごしに動く人影から察するに、どうやら本当に服を脱ぎはじめたらしい。

「ちょ、ちょっとちょっと、赤木さん!?本気ですか!?うちのお風呂すごく狭いの知ってるでしょ!」
「大丈夫だよ、なんとかなる」
「なりませんよ!」
「いけるいける」
「……ぜったいムリだってぇ…」

わたしの情けない声は狭い浴室の中ではね返って反響した。
ひとり暮らし用のワンルームアパートのお風呂としては平均的なサイズでしかないこの浴室は、ひとりで入るのがやっとの広さの浴槽と、シャワーを浴びるための申しわけ程度のスペースしかない。トイレのついた3点ユニットでないだけまだましくらいの物件だ。
どう考えても、人が2人入ることなんて想定されていないだろう。

ドアを軋ませ、さっさと服を脱いでしまった赤木さんがしれっとした顔で中に入ってきたので、わたしはひざを抱えて身を固くした。

「もうちょっと脇に詰めろよ」

赤木さんはいけしゃあしゃあとそんなことを言うと、むりやり体を湯船の中にねじこみ、腰をおろした。ざばあっと音をたてて溢れたお湯がタイルをつたい、排水口に飲み込まれていく。
わたしはぎりぎりまでひざを胸につけて体を小さくしようと努力したが、どうがんばっても同じく向かいでひざをたてている赤木さんと足をくっつけあう、というかこすりつけあうような格好になってしまう。

「狭いな」
「当たり前じゃないですか!」

わたしは赤木さんのことを、精いっぱいの抗議の気持ちをこめた目でにらんだ。
正直、狭いどころの騒ぎではない。満足に身動きをとることもできず、お湯につかっているんだかお風呂の中に詰め込まれてるんだかわからない状態だ。なぜわたしは赤木さんとこんな至近距離でひざと顔をつきあわせてバスタイムを過ごさなければならないのだろうか。
そもそも誰かと一緒にお風呂に入るなんていつ以来だろう。記憶をたどってみると、小学生のころに親と入ったのが最後な気がする。
なんだか小さな子どもに戻ったような、妙な気分だ。

「おまえ、さっきからずっと入ってるんだろ。もう出て体でも洗ったらどうだ」
「イヤですよ。わたしはもっとあったまってたいんです。赤木さんこそお先にどうぞ」
「俺はいま入ったばっかだろ」
「ふーんだ。なにを言われようとわたし、赤木さんがここから出てくまでお湯から出る気ありませんからね」
「なんだよ、今さらハダカを恥ずかしがるような間がらでもないだろうに」

赤木さんは手でお湯をすくって顔をすすぐと、不機嫌そうな表情をしているであろうわたしを見てにやりと笑った。

「あのね、赤木さんはもう少しデリカシーってもんを身につけたほうがいいですよ」
「あーあー、おっさんだからそういう横文字はわかんねぇなぁ」
「…そうやって都合のいいときだけおじさんになる…」
「それはそうとリツカ、もうちょいそこあけられるんじゃねぇのか」
「ちょっ、これ以上うしろにはいけませんって」

赤木さんが足を伸ばしてきたので、わたしは負けじとその足を足で押し返した。少しでも自分のスペースを広くしようと、しばしの間、2人してあっちを動かしこっちを動かししてみたがたいした変化はなく、結局お互いの体はほとんど元の位置に落ちついた。
どんなにがんばったところで浴槽の容量が変わるわけではないので、当たり前といえば当たり前かもしれない。

赤木さんは細身だけれど、こうして面と向かって眺めているとわたしよりずっと質量があって、体が直線的にできていることがよくわかる。やっぱり男の人なのだ。わたしとはちがう生きものだ。

「なぁ、そういや、ずっと言おうと思ってたんだがよ。あのシャンプー」

赤木さんは顔を横に向け、シャワー近くの棚の上に置いてあるシャンプーとリンスのボトルをあごで示した。

「あれ、女もんだよな」

ボトルは濃いピンク色でバラの絵がついており、ローズフローラルの香りと書いてある。わたしがここ何年か愛用しているものだ。

「うーん、まあ女性向けの商品でしょうね」
「…べつに俺は頭洗うもんにこだわりなんかねぇんだが、なんつーか…、あれ使うと頭からこう、香水みたいな甘いにおいがすんだよなぁ」

わたしは水面の上をただよわせていた目線をあげて、赤木さんを見た。濡れた白い前髪が数本、おでこにはりついている。

「……使ってたんですか、あれ」
「しょうがねぇだろ、他にないんだから」
「そういえばそうですね…考えたこともありませんでした…」

ということは、うちでお風呂に入ったあとの赤木さんはずっと髪からローズフローラルの香りをさせていたことになる。自分の髪からも同じにおいがするからだろうか、まったく気がつかなかった。
いい香りのまま街を歩く赤木さんを想像して、思わずふきだしそうになる。

「ちがうやつ買っといてくれよ。なんでもいいから」

赤木さんはわたしが笑っていることに気がついたのか、ちょっとふてくされたような、むすっとした顔でそう言った。

「銭湯なんかに置いてある、全部ひとつですむようなやつが楽でいいな」
「リンスインシャンプー?」
「ああ、それ」
「わかりました。こんど買っときますね」

湯船から立ちのぼる白い湯気が、浴室の中をぼんやりと満たしている。赤木さんが息を吐きながら髪をかきあげ、その指先から水滴が落ちた。

だんだんとこの家には赤木さんのためのものが増えていく。歯ブラシ、マグカップ、タバコ、灰皿、それからシャンプー。わたしの日常の中に赤木さんの存在が溶けこんでいくのは、少しむずがゆいような感じがする。それは、こうして肌をくっつけて狭いお風呂を分けあうことにどこか似ている。

ひざを抱えるようにして目を閉じると、あたたかくて気持ちよくて、つい眠ってしまいそうだ。
赤木さんが少し動いて、お湯がゆれる。

「たのむよ、リツカ」

わたしの名前を呼ぶ赤木さんの声はひどく甘く優しくて、のぼせてしまったのだろうか、へんに頭がくらくらした。



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