※森田離脱後捏造



俺がリツカと暮らすようになって一年が経つ。
暮らし始めた当初は、出先から家に帰ってくると食事が出来ていて風呂が沸いているという状態に驚きと多少の違和感を感じたものだが、もう大分慣れた。
彼女は本当によくやってくれている。家事は器用にこなすし、料理も上手い。味噌汁に納豆を入れるのだけは少々頂けないが、まあ文句はない。口には出さないが、俺が病院の検診で肝臓が悪いと言われて以来、総カロリーだのタンパク質量だのにも気を遣ってくれているらしい。そのことはこの間、彼女のレシピ本がしまわれている棚の中に、いくつも付箋の貼られた療養食の本を見つけて知った。

俺はこの歳になるまで他人と同じ家で暮らしたことなどなかった。まだずっと若い頃、女の家に数日ほど厄介になったことはあるような気がするが、その程度だ。
ひとりで生きて、ひとりで死ぬ人間なのだろうとずっと思っていた。そんな俺が、まるで普通の男みたいに他人に寄りかかって毎日を過ごしている。


きっかけは、俺が事故にあったことだった。あの競馬勝負から一年弱、有楽町周辺の道を歩いていた俺は、いきなり突っ込んできた車にはね飛ばされた。車はそのまま逃亡し、意識を失った俺は救急車で病院に緊急搬送されて手術を受けた。
次に目を覚ましたのは病院のベッドの上で、命に別条はなかったが、はねられた時に体を強く打ったらしく、全身打撲に加え左大腿部を複雑骨折する大怪我だった。
いわゆる轢き逃げだが、これがただの事故ではなく、故意に俺を狙って引き起こされたものであることはすぐにわかった。誰が指示したかも大体は見当がついた。見舞いに来た安田と巽は犯人の卑劣なやり口にかなり腹を立てていて、絶対にそのくそ野郎に報復してやるから待っていろと言って帰っていった。

俺は誰もいない病室のベッドの上で重たい体を眺めながら、また死に損なったと思った。昔から、死んでもおかしくない状況に何度も何度も遭遇してきた。その度にぎりぎりで生き残った。そしてまた今回も。
自分の汚れきった半生に思いをはせて自棄になっていたのか、ただ単に頭がぼうっとしていたのかはわからないが、俺はあの時、彼女が病室にやって来たことに気がつかなかった。

銀さん。

名前を呼ばれて、やっと俺はそちらに目を向けた。
彼女は泣きそうな顔で笑っていた。

生きていてくれて本当に良かった。


彼女は某証券会社に勤めていて、あるヤマで会社の内部に協力者が必要だった関係で、臨時的に俺たちの仲間になった。そのヤマにけりがつけばそれで終わりのつもりだったが、なかなか頭の回る女だったのでそれからも何度か働いてもらった。
彼女が時折、情のこもった視線で俺を見ていることはなんとなく知っていた。女に困っているわけでもなし、知らぬふりを決めこんでも一向に構わなかったのだが、いつも落ち着いた態度で冷静に物事を対処する彼女が、男の腕の中でどんな顔をするのか興味があった。だから、仕事がひとつ片づいた夜の祝宴に紛れるようにさりげなく口説き、甘言で言いくるめてベッドに連れこんだ。伏し目がちに恥じらいながら俺への好意を告げる彼女の姿に、満更悪い気はしなかった。
彼女は若いながらもきちんと礼儀をわきまえていて、一度寝た後も変に馴れ馴れしく擦り寄ってくるようなことをしなかった。そんな所が気に入って、仕事が絡まずともたまに会うようになった。
セフレというには少し硬く、愛人というよりはもう少し砕けた、そんな関係だったように思う。

薄情なことに、俺は彼女が見舞いに来るまでその存在をすっかり忘れていた。頭の片隅に浮かびもしなかった。俺のベッドの傍に彼女が立って初めて、そういえばと思い出したのだ。

彼女は怪我のことや病院のこと、仕事、自分の会社、社会情勢その他、他愛ないことをつるつると話し、俺はそれに言葉少なに応答した。やがて話すこともなくなったのか、彼女は酷く思い詰めたよう顔で押し黙った。
そのまま長い沈黙が続き、やっと口を開いた彼女は震える声で、俺が全く予想だにしなかったことを言った。

銀さん。
退院したら、私と一緒に暮らしませんか。


彼女の言い分はこうだ。

その怪我であれば、退院しても日常生活に支障が出るだろう。仕事はもちろん、移動、食事、着替え、風呂、リハビリに至るまで、ひとりでこなすには負担が大きいこと必至である。
身体が治るまででいい。あなたのマンションに私を置いて手伝わせてくれないか。見返りはいらない。あなたが私を自分の家に住ませるのが嫌なら、私は自宅から通うし、私との関係性が嫌なら、家政婦だとか介助者のようなものだと思って扱ってくれて構わない。
だからどうか、私を使ってほしい。

彼女は泣いていた。
うつむいて嗚咽をこらえている彼女に、なぜそこまで俺を構うのかと尋ねると、彼女はひと言、好きだから、と答えた。
俺はこうして会うまで彼女のことを思い出しすらしなかったのに、彼女は俺のために涙を流していた。

結局その日は答えを出すことができず、また来るように言って彼女を帰した。それから数日間、俺は考え続けた。
そして俺は彼女と、俺のマンションで共に暮らすことを決めた。



あれから一年。万全とは言えないまでも傷は癒え、折れた骨も治った。出かける時は杖を持ち歩いているが、必ずしも歩行に必要なわけではなく、念の為といった意味合いが強い。強く打った部分と左足がたまに痛むこともあるが、生活を送るうえで他人の手を借りる場面はもうない。
彼女が提出した、俺の身体が治るまで、という期日は過ぎた。いつ彼女が荷物をまとめて出ていってもおかしくない。彼女はそのことに気がついているはずだが、その優しさ故に口に出さない。俺も言わない。お互いにその話題には触れないようにして目を背けている。

結局は、俺のエゴなのだろうと思う。その気もないのに気まぐれでふらふらと手をつけた彼女を、俺はそのまま閉じ込めて縛りつけている。
彼女が何度もくり返し告げる好意の言葉に、俺は一度だって色良い返事をしたことがない。ただ誤魔化して、聞かなかったふりをして、それでも逃げてしまわないように期待だけは持たせて、生殺しのまま転がして。人を利用するのは慣れているはずなのに、全部わかったような顔で笑う彼女を見ると俺の心は苦しくなる。

俺はずるい。もうこんな年寄りの世話などしなくていいから自分の人生を生きろと、捕らえた彼女を離してやってもいいのに、当たり前みたいな顔をして彼女の待つ家に帰り、彼女がつくる飯を食い、彼女が整えた布団の中で眠る。彼女の好意の上にあぐらをかいて、俺は安心しきっている。
ひとりで生きている時は何も感じなかったはずなのに、ふたり、という味を覚えてしまってからはもう駄目だ。決して若くはない老いた身体を引きずって、広大な街の雑踏の中をひとりで立ち続けることが怖くなってしまった。
仕事の方は相変わらずで、お偉いさんの弱みを突っついては金を得るようなせこい商売をしてこの世界を渡っている。今のところまだ身を破滅させるような大きな敗れは来ていない。俺はこの先も生きて、勝っていかねばならない。
それならせめて、彼女ともう少し、このぬるま湯に浸るようなままごとを続けていたい。


今日、銀座の老舗ブランド店で指輪をひとつ買った。プラチナ製の華奢なリングにダイヤがひと粒はめられたソリテールタイプのもので、婚約指輪の王道型だ。
俺はまた、分かりやすい形で彼女を縛ろうとしている。

玄関の鍵を開けて家の中に入る。
帽子を脱いで手袋を外していると、彼女が出迎えに来てくれる。

「おかえりなさい、銀二さん」

聞き慣れたその声に、俺は静かに笑みを返した。

「ただいま、リツカ」



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