夜空に上がった大きな花火から少し遅れてやってきた、ドーン、という重低音が銀二の鼓膜を震わせた。

「うわぁ!すごーい!今の見ました?すごく綺麗でしたよ!」
「ああ、そうだな」

はしゃぐリツカを尻目に、銀二は冷めた表情で短くなった煙草を左手に持った灰皿に押しつけて火を消した。

リツカの住むマンションのベランダから見る花火は、お世辞にも絶景とは言い難かった。花火が上がっている会場はそこそこ近い場所にあるので立地は悪くないのだが、すぐ目の前にアパートが建っているせいで、低い位置に上がる花火はその直径の三分の一ほどしか見ることができない。それにこの花火大会自体、上がる玉数の少ない規模の小さなものであるため、良く言えば無難な、悪く言えば面白味に欠ける内容であった。

「花火が見てえんだったらそう言ってくれりゃあよかったのに。先週は隅田川の花火大会だっただろ。屋形船の一艘や二艘、貸し切ってやったのによお」

銀二は不満そうに鼻を鳴らして新しい煙草を取り出し、くわえて火をつけた。灰皿は手に持っていると邪魔だったので、近くにあった室外機の上に置いた。
いくら夜とはいえ屋外は蒸し暑く、正直、銀二は空調の効いた室内が恋しかった。

「いいじゃないですか、よそに行かなくてもウチで見られるんですから」
「でもなぁ…、半分くらいあのアパートに隠れちまって見えねぇぞ」
「うーん、まぁ、たしかにそれは残念ですけど…。でも、高い位置に上がるやつはちゃんと見えますし、自分の家で花火が見られるなんて贅沢ですよねぇ。ちょっと駅から遠いけど、ほんと、ここの部屋借りて良かったって思います」

リツカは楽しそうに笑い、また夜空を見上げた。
銀二はベランダの手すりにもたれて煙を吐き出した。足元にはリツカが育てているナスのプランターと、ミントだかレモンバームだかの丸い鉢植えが置いてある。

そうか、賃貸なのか、と銀二は思った。家賃を毎月払っているのか、と。
リツカはごく普通の会社員であり、大企業の社長の娘なわけでも、水商売をしているわけでもないのだから、それが当然のことだった。
マンションくらい買ってやるのに、と銀二は思う。銀二にとって、リツカの住むこの部屋を買い取ることなど何の雑作もないことだった。それこそ、都心の一等地にある高級マンションの一室を買い与えてやることだってできる。
だが、そんなことをしたらきっとリツカは嫌がるだろう。銀二の頭には、眉を下げて申し訳なさそうな顔をする彼女がありありと浮かんだ。

リツカは、人に何かをおごられたり、買って貰ったりするのが苦手だった。三人兄弟の一番上で、小さい頃から両親に遠慮してあまりわがままを言わずに育った結果であるらしい。つまり、甘えるのが下手なのだ。
銀二がとんでもなく金持ちで、『連れの女に金を払わせるなんて男としてみっともない』という信条を持っていることを理解してからは、二人でどこかに行くたびに銀二が金を出すことに対してリツカが口を出したことはない。だが、カードを出し、サインをしている自分の後ろで、リツカがいつも酷くすまなさそうな顔をしていることを銀二は知っていた。

「あの花火って、一発いくらくらいするんでしょうね」
「さあ、あれはピンキリだからな…。たしか、一尺玉で六万ぐらいだったか」
「え、そんなにするんですか」
「もっとデカくて色々仕込んであるやつだと、一発で百万以上するのもあるぞ」
「へえぇ…花火ってお金かかるんですね……。あ、でもそのぶん、お客さんも来るから大丈夫なのか」

ドーン、ドーン、と体の底を震わせるような音が夜空に響く。

「買ってやろうか、花火」
「え?」
「どんな豪華なやつでもいい。見たいってんならいくらでも上げてやるよ。もっと面白い花火を、いくらでも」

リツカは目を丸くして銀二の顔を見た。
銀二は、女一人のために東京湾で花火大会を行う自分の姿を思い描いて、少々気恥ずかしくなり、ごまかすように空を見上げて煙を吐き出した。
リツカを喜ばせるためならどれだけ金を積もうと惜しくない、なぜだか今はそんな気分だった。

「えっと…、銀さんって花火職人だったんですか?」
「……はぁ…?」
「だって、上げてやる、って」
「…俺が上げるわけねぇだろ」
「あはは、そりゃそうですよね」

リツカは笑って、一歩、銀二の傍に近寄った。そのまま、銀二の腕に触れる。

「それなら、一緒に線香花火、やりましょうよ。私ね、あれ好きなんです」
「線香花火?」
「はい。大きい手持ち花火は川原とか公園に行かなきゃできないけど、線香花火ならこのベランダでできますからね。今度見つけたら買っておきますから。あのね、ずっと夢だったんです、飽きるまで線香花火やるの」

リツカは自分の肩を、銀二の肩にくっつけた。

「ほら、家族で花火するときに買うようなのって、色んなのがちょっとずつ入ってるパックタイプのやつでしょう?線香花火も入ってるんですけど、当たり前だけどそんなに本数ないんですよね。弟も妹もやりたがるから、結局、私ができるのはいつも数本で。だから、一度でいいからたくさんやってみたいって思ってたんです」
「……打ち上げ花火より線香花火か…。お前らしいな」

銀二は呆れたように微笑んで、リツカの手に自分の指を絡ませた。
触れあっている部分はお互いの体温で熱を持ち、蒸し暑さを加速させたが、不思議と気にならなかった。

「銀さんと一緒に花火が見られるなんて、幸せだなぁ」

花火の音にまぎれて、リツカが小さな声でつぶやいた。
低い位置に上がる花火は相変わらずほとんど見えなかったが、先ほどより美しく輝いているような気がした。



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