玄関のドアを開けたリツカは赤木が手に持っているものを見て、少し驚いた顔をした。

「金魚をすくったんだ」

赤木は2つの小さなビニールの袋をリツカの目線まで持ち上げた。袋の中ではそれぞれ4、5匹の金魚がゆらゆらと泳いでいた。

「あ、そういえば今日はお祭りの日でしたね」
「俺は飼えねぇからさ、こいつら、お前んちに置いてやってくれ」

玄関マットの上に用意されていた黄色い来客用スリッパを無視して、赤木は靴下のままリツカの家にあがりこんだ。
リビングの壁際に設置されている90センチ水槽の前までまっすぐ歩いて行き、フタに手をかける。

「あ!ま、待ってください!ダメ!いれちゃダメ!」

ぎょっとした顔で慌てて止めにはいったリツカのことを赤木はちょっと見つめてから、それならこっちか、と横にあるひと回り小さい60センチ水槽に手を伸ばした。

「ああ!ダメ!そっちは海水水槽だからもっとダメです!」

金魚のはいった袋を持った腕をしっかりとリツカに掴まれて、赤木は困惑したように眉をしかめた。

「じゃあ、これはどうすりゃいい?」
「うーんと、ちょっと待っててくださいね、今、それ用のを出しますから。えーと、たしかこのへんにケースが…」

リツカはしゃがみこむと、水槽の置かれている台の下にある戸棚を開けて、中をごそごそとあさり始めた。棚の中には、何かのチューブやボトルや小さな網といった水槽を維持管理するのに必要なものが、ぎっしりと詰まっていた。

「なんでこの中に入れちゃいけねぇんだ?」
「えーと、その金魚たちは弱ってますんで、色々と処置をしなくちゃいけないんです。それに、小さいほうの水槽は中身が海水なので海のお魚じゃないと死んじゃいます。大きいほうの水槽は淡水ですけど、金魚を入れる用にレイアウトしてないので、ちょっと…。…うーん、とりあえずこれに入れておけばいいかな…」

リツカは20センチ程度の小さなプラケースを取り出した。90センチ水槽のフタを開けて中にケースをくぐらせ、水をすくう。水槽の上のほうを泳いでいた小さな青い魚が、突然現れたケースに驚いて水草の奥に逃げた。
水のたまったプラケースを、リツカはソファーの前のテーブルの上に置いた。

「水温は…大丈夫かな…?赤木さん、その金魚をすくったのってどのくらい前ですか?」
「ついさっきだぜ」
「じゃあたぶん平気かな…、ここにその金魚を入れてください」
「ああ」

赤木は袋をひっくり返して、ケースの中に金魚を放した。ビニール袋よりも広い空間を得た金魚たちは、ケースの中を確認するようにぐるぐると泳ぎ回った。

「んー、やっぱりこれじゃあちょっと小さいか…。でもまぁ、しかたない。あ、エアレーション、エアレーション」

リツカはそう言うと、また棚の中をあさり始めた。
赤木はテーブルの側にしゃがんでプラケースの側面に顔を近づけ、金魚の様子をじっと見つめた。全部で10匹ほどの金魚たちは、1匹だけ黒い出目金で、他は全て赤い色をしていた。金魚たちはあまり広くはないケースの中を、特に目的もなくゆらゆら泳いでいる。

「あったあった。ちょっと失礼しますね」

リツカはチューブに繋がった丸くて黒い石を水の中に沈めた。エアーポンプのコンセントを入れると、石からぶくぶくと泡が溢れ出した。
リツカは腰をかがめてプラケースの中をのぞきこみ、金魚の様子を確認した。

「うん、とりあえずはこれでいいかな」
「ここで飼うのか?」
「いえ、これはあくまでも一時待機場所みたいな感じです。水槽じゃなくてプラスチックケースですし。あそこに空いてる25センチ水槽がひとつあるので、もう少ししたらそっちに移しますよ。まずは金魚を休ませてあげないと」
「ふーん、そういうもんなのか 」
「あ、あと、お塩も入れなきゃいけませんね」
「塩?」
「ええ、金魚すくいの金魚って基本的に弱ってるし、病気を持ってることが多いんです。白点病とか、尾ぐされ病とか。それの治療というか、療養のために塩浴させるんです」
「へぇ。金魚飼うのって思ったより大変なんだな」

リツカは顔をあげ、カルキ抜きしなきゃ、とつぶやき、戸棚のほうに戻っていった。棚の中から出てきたバケツを抱えてキッチンに消えていくリツカを見送り、赤木はソファーに座ってプラケースを近くに引き寄せ、金魚の観察を再開した。
小さな金魚たちが透明な水の中で背びれや尾びれをくねらせて泳いでいる様はとても涼しげで、ずっと見ていても飽きなかった。

「赤木さん、金魚好きなんですか?」

いつの間にか戻ってきたリツカが、赤木の隣に座りながら言った。

「んー?いや、別に」
「でも、ずいぶんと真剣に見てるじゃないですか」
「なんかよぉ、上から見るのと横から見るのとじゃかなり感じがちげぇなぁと思ってな。なんつーか、横から見るとただのフナみてぇだ」
「ふふふ、そりゃそうですよ。金魚は品種改良されたフナですから」
「へぇ、だから似てるのか」
「私、ちょっとびっくりしましたよ。赤木さんが金魚を持ってくるなんて」
「いちどやってみたかったんだ、金魚すくい」
「やったことなかったんですか?」
「ああ、どうせ飼えねぇからな。すくったっぱなしで袋の中で死なせちまっちゃあ可哀想だろう。でも、今日の祭りで金魚すくいの店を見かけたときに、お前の家の水槽のことを思い出したんだ」

赤木は顔を横に向けて、リビングの一角を占めている水槽2つに目をやった。どちらも岩やら水草やらで見映えよくレイアウトされており、中では色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいた。

赤木は都心のクラブやバーなどで、美しくライトアップされた大きな水槽を目にすることがしばしばあった。だが、それらはあくまでもインテリアのひとつとして置かれているだけであり、設置や機器の管理、日々のメンテナンスといった細かいことはそういった専門の業者が行っているのだと聞いていた。
だから赤木はずっと、リツカもそういう業者を家に入れているのだと思っていた。だがよくよく話を聞いてみると、魚の飼育と水槽の管理は全てリツカが自分で行っているのだった。

『趣味なんです、アクアリウム』
いつだったか赤木がその話題を出したとき、リツカはちょっと恥ずかしそうにそう言った。
『初心者向けの飼育が簡単なお魚しか飼ってないし、レイアウトのセンスもないから、あんまり人様にお見せできるようなものじゃないんですけど』

リツカはおとなしく物静かな性格で、あまりおしゃべりなほうではなかったが、飼っている魚のことを聞くと丁寧に詳しく教えてくれた。
あれがカージナルテトラ、あれがスズメダイ、と楽しそうに語るリツカの話を聞くのが赤木は好きだった。もっとも、赤木には水槽や水草のことなんかちっともわからなかったし、熱帯魚の名前など、 何度教わってもすぐに忘れてしまうのだったが。

「あの薄い紙で金魚をすくうってのは意外と難しくてよ、ほんとはもっとデメキンが欲しかったんだが、1匹しかとれなかったんだ 」
「たしかに1匹だけ黒出目金がいますね」
「他の、普通の金魚は正式には何て名前なんだ?デメキンじゃなくて…」
「えーと、ワキンですね、和金」
「ワキン…か。……ん?なんかこいつだけ尻尾の形がちげぇな。あの、はじにいるやつ」

赤木はプラケースの右端を泳いでいる金魚を上から指さした。

「あ、本当だ。他の子はフナ尾だけど、この子だけ三尾ですね」
「ミツオ?」
「ほら、上から見ると尾びれがみっつに分かれて見えるでしょう?」
「ん、ああ、たしかに。なんかひらひらしてるな。綺麗だ」
「ほんと、綺麗ですよね。金魚ってすごく綺麗。夢中になる人が多いのもうなずけます」
「俺はよく知らねぇけど、たくさん種類がいるんだろ?」
「ええ。ここにいるのは和金と出目金だけですけど、他にも琉金とかランチュウとかピンポンパールとか、色んな金魚がいますよ。歴史の古い観賞魚ですからね、本当に色も形も多種多様で」

赤木は金魚から目を離してソファーに沈み、プラケースの中を見つめるリツカの横顔を眺めた。黒いまつ毛が小さく揺れている。
魚を見るリツカの瞳はいつも決まってとても優しげで、赤木はそんなリツカの顔を見るのが好きだった。

「なぁ、祭りは明日もやってるんだろ?行こうぜ、一緒に」
「金魚をすくいに、ですか?」
「ああ、コツを掴んだ気がするんだ。次はもっとたくさんすくえる」
「ふふふ、あんまりすくったら水槽に入りきらなくなっちゃいますよ」
「お前、浴衣は持ってるのか?」
「うーん、残念ながら持ってません」
「なら明日、買いに行こう。俺が買ってやるよ。…そうだな、薄い色の浴衣がいい。柄は…、金魚、金魚がいいな。白地に赤い金魚だ。うん、それがいい」

赤木はひとりでうなずき、手を伸ばしてリツカの髪をすいた。リツカは少しだけくすぐったそうに身をよじって、くすくすと笑った。

「素敵ですね」
「ああ、そうだろう」

赤木はなんとなく、もの言わぬ魚を可愛がるリツカの気持ちがわかったような気がした。




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