「なぁ、森田、お前どうせ好きな子がいても指くわえて見てるだけで話しかけられないタイプだろ?俺が女の口説き方を教えてやるよ」


妙に上機嫌なその声に、ビールのジョッキを片手にビーフジャーキーを噛んでいた巽は、またか、と思いながらそちらに目をやった。
案の定、酔っているらしく顔を赤くした安田が、にやにやしながら隣に座る森田の肩に腕を回して詰め寄っているところだった。


「これ聞いときゃお前もモテモテ間違いなしだぜ?」


森田は困ったような愛想笑いを浮かべ、いや…どうですかねぇ、などと歯切れの悪い相槌を打っている。


「でたよ、安さんの恋愛講座」
「彼も飽きないね」


少し離れたところに座って仕事の打ち合わせをしていた巽と船田は、しつこく森田に絡む安田を呆れ顔で見つめた。
ここは都心のホテルのスイートルームであるが、安田と森田の二人が問答を繰り返している空間だけは安い大衆居酒屋のような空気が漂っていた。

安田はもともと色恋沙汰に首を突っ込むのが好きな性格であったが、酒に酔うとそれが加速し、恋愛について(かなり主観的に)語り始める癖があった。今までは仲間内で一番若い巽がその演説の生徒役だったのだが、新参者でさらに若い森田に安田のターゲットは移ったようである。


「森田には悪いけど、俺はちょっとスッキリかな。酔った安さんの相手すんの大変なんだもん。いや、後輩っていいもんだなぁ」
「とんでもない先輩たちに囲まれて森田くんも気の毒だね」


船田は肩をすくめて、空になった自分のグラスに赤ワインをつぎ足した。


「いいかぁ?女の子のことはとりあえず褒めろ、褒められて気分が悪くなるやつなんていないからな。特に靴とか爪とか普通のぼんやりした男が気づかなさそうな細かいとこだ。それからなぁ…」


窓際のテーブルでは森田の興味などはお構いなしに、安田の一方的な講義が始まっていた。
巽は薄ら笑いを浮かべながらビーフジャーキーを噛みちぎった。


「いや、そんなに突拍子もないことは言ってないし、あれで安さん自身がモテてんなら信憑性もあんだけどさぁ」
「ははは、なかなか手厳しいね」
「あ、でも安さん、キャバクラのおねーちゃんにはモテるよね。お金あるから」
「そうなのかい?」
「うん。高い酒ガンガンいれるからもうキャーキャー言われてるよ」
「……そう若くないんだし、彼もそろそろ身を固めたほうがいいと思うんだがね」
「え?安さんが?あはは、むりむり。典型的な独身貴族だもん。結婚なんかしたらストレス溜まってハゲちゃうよ」


巽はけらけら笑ってジョッキのビールを飲み干した。
船田はふうと息を吐いて頭を振ると、ポケットからハンカチを出し、眼鏡を外してレンズを拭き始めた。


「ところでさ船田せんせ、この間の…」

「なるほど、勉強になります!やっぱ車とかは持ってたほうがいいですよね?」


巽と船田はほぼ同じタイミングで首をひねり、唖然として窓際のテーブルを見た。
安田の酔っ払いトークに弱りきっているだろうと思われた森田は、なんと安田直伝の『女にモテる方法』に真面目な顔つきで聞き入っていた。


「おう、そりゃお前、あったり前だろう。女にウケるのは何と言っても外車だ、外車。お前、ベンツの一台くらい買ったらどうだ?」
「ベンツ…ですか?」
「別にポルシェでもフェラーリでもいいぞ」
「考えときます。…あ、あと服とかは!」
「服ぅ?そうだなぁ、大事なのは清潔感だな、うん。ヘタに気張ってオシャレしようとかするとあれだ、お前みたいなのは逆にすべる可能性があるからな。シンプルにいけ、シンプルに!」


森田の反応が良いため、安田はかなり気分が良さそうだった。
船田は眼鏡をかけなおし、やたらとテンションの高い二人の会話を眉間に皺を寄せて聞きながらワイングラスに口をつけた。


「森田くん、随分としっかり聞いているね」
「…意外といいコンビなんだよね、あそこ。さてはアイツも酔ってんな」
「これで森田くんが無事にモテるようになるといいんだが…」
「さぁ、それはどうだろうね」


巽と船田はお互い顔を見合わせて、何とも言えない笑みを浮かべた。




***




森田から受け取った封筒の中身をぱらぱらと確認したリツカはうなずき、封筒を自分の鞄の中にしまった。
時刻は21時を少し回ったところで、薄いガラス窓一枚向こうの渋谷の街はネオンの光に溢れ、大通りはこれから二次会らしいグループや帰宅するため駅へ向かう人などでごった返していた。


「うん、大丈夫。雑用みたいなことさせちゃってごめんね」
「いえ、これくらいぜんぜん問題ないですよ」


森田はほがらかに笑ってみせたが、その頭の中はリツカをこの後どう飲みに誘うかということで一杯だった。自分の目の前にある空になったコーヒーカップと、角砂糖のつまったビンの間のあたりに視線をさ迷わせて、必死にスマートな誘い文句を考える。

一ヶ月ほど前に酒の席で安田に教わった恋愛必勝法によると『女の子と仲良くなりたいなら一緒に酒を飲みに行け!』ということらしかった。さらに『どうせ行くならオシャレなバーだ!』とのことである。
その教え通り、バーに行くことはもう決まっていた。女性が好みそうな雰囲気の店もピックアップしてある。もっと言えば、バーに入った後の展開や、酒を飲みながらリツカとする予定の会話までシミュレーションしてあった。事前準備は完璧である。

問題はひとつ、森田はリツカと二人きりのプライベートで、飲みに行くのはおろか食事にすら行ったことがないということだった。
急に誘ったりして変に思われないだろうか、というかそもそも断られたらどうしよう、などなど、森田の胸中にはモヤモヤとした不安が渦巻いていた。

自分の前に座る男がそんな悩みを抱えているなどと一切知らないリツカは、中身が三分の一ほどになったアイスコーヒーのグラスを引き寄せ、ストローに口をつけた。
ふと、その指に森田の目が引き寄せられる。


「あれ、リツカさん、今日はマニキュアしてるんですね」
「ん、これ?」


リツカはグラスに添えられていた自分の指に目を落とした。リツカの両手の爪は薄いイエローとピンクのグラデーションに塗られていた。ところどころに小さなスパンコールも付けられている。


「ずいぶん前に買ったのを思い出してね、せっかくだから塗ってみようかなって思って」
「え、これリツカさんが自分でやったんですか?器用なんですね、すごくキレイですよ」
「ほんと?ありがとう、けっこう時間かかったんだ。買ってるファッション雑誌にやり方が書いてあってね、カワイイなぁと思って軽い気持ちでやってみたんだけどこれが意外に難しくてさ」


リツカはそう言って嬉しそうに笑った。雑誌で読んだときは簡単そうに見えたんだけど〜と楽しそうに話すその様子に、森田はにやつく頬を抑えられなかった。

ああ、安田さん!ありがとうございます!俺、今まで女の人の爪なんてきちんと見たことありませんでした!

『細かい部分を褒めろ!』という先輩のありがたいアドバイスに感謝しつつ、森田はリツカの話に笑顔で相槌を打った。
ネイルの話を一通り終えアイスコーヒーを飲み干したリツカは、自分の腕時計を確認すると、あ、と声をあげた。


「もうこんな時間。あんまりテッちゃんの大事な時間を貰っちゃダメだよね」


リツカはテーブルの上の伝票を手にとった。


「ここは私が払うわ。今日はわざわざありがとう」
「あの!ちょ、ちょっと待ってください!」


立ち上がりかけていたリツカはきょとんとして、テーブルから身を乗り出すようにしている森田を見た。
森田は必死だった。まだ、肝心の誘いが切り出せていない。


「なに?どうかした?コーヒー代くらい大丈夫だよ?」
「いや、そうじゃなくて!えっと、その、もし迷惑じゃなければなんですけど…」


口の中の水分が急速になくなり喉がカラカラになってしまったので、森田は言葉を切って咳払いをした。頭の中で決まりかけていたスマートな誘いの言葉は、無情にもきれいさっぱり吹き飛んでいた。


「良かったらこの後、俺と飲みに行きませんか?あの、俺、どうせ帰ってもやることないし、なんか酒が飲みたい気分っていうかなんというか…」


文章の終着点が見つからず、森田の声は尻すぼみに小さくなった。
リツカは驚いたような顔で何度かまばたきをしたが、すぐにニッコリと笑った。


「いいよ。私もちょうどお酒飲みたいなって思ってたんだ」


よっしゃああああ!!

森田は心の中で思い切りガッツポーズをした。
ついに、夢にまで見たリツカとのデートに漕ぎつけたのである。同僚二人で飲みに行くことをはたしてデートと呼ぶのかどうかはかなり微妙だが、森田にとっては完全なるデートだった。
しかもリツカが特に悩むこともなく承諾してくれたので、もしかしてこれはいけるんじゃないか、という何の根拠もない希望が森田の頭に浮かんでいた。


「そういえば、テッちゃんとはあんまり一緒にご飯食べたりしたことないね」
「そう、そうなんですよ。なんでかいまいちタイミングが合わなくて」


リツカは席に座り直して伝票をテーブルに置いた。その胸元では、トップに小さな宝石の付いた華奢なネックレスが光っている。

リツカの白くて細い首筋が手の届く範囲内にあるという事実を、森田は改めて噛みしめた。
ついついあらぬ妄想が膨らんでいき、上目遣いで『終電、なくなっちゃったね…』と頬を染めるリツカの姿を脳裏に描いて、森田は思わず体を熱くした。(実際、リツカは普段から移動にはタクシーを使用しているので終電を気にすることはない)


「じゃあ、どこ行こっか。どっか行きたいお店とかある?」
「あ、実はこの近くに何度か行ったことがあるバーがあって、そことかどうですか?」
「へぇ、いいじゃない。どんなとこ?」
「マスターがすごく気さくでいい人なんですよ。料理もおいしいし、内装とかも落ち着ける感じで。あ、それからお酒が…」


ルルルルルルル


突然、森田の携帯電話がけたたましく着信を告げた。
森田は、ちょっとすいません、と断ってポケットから携帯を取り出した。小さな液晶画面には 安田 の文字が点滅している。

いいところだったのに…、と恨めしい気持ちで、森田は携帯のボタンを押した。


「もしもし、安田さん?」
『おう、森田。俺だ。任せた仕事のほうはどうだ、ちゃんと全部終わったか?』
「ええ、全部きちんと片付けましたよ」
『リツカちゃんには会えたか?』
「はい、今目の前にいます」
『お、そうなのか、ご苦労さん。ん?…ってことは今お前、渋谷にいるのか?』
「そうですけど」
『そうかそうか、じゃあちょうどいいや。実は今、俺も銀さんと一緒に渋谷の駅前あたりにいてな、これから一杯やりに行こうって話してたところだったんだ。せっかくだからお前も来いよ』
「えっ…と、それは…」
『そこにリツカちゃんもいるんだろ?ちょうどいいじゃねぇか、四人で飲もうぜ』
「あー、なんというか、今日はちょっと…」
『なんだよ、なんか用事でもあるのか?』
「いや、そういう訳ではないんですけど…、あのやっぱり、リツカさんの意見を聞いてみないとなんとも…、ちょっと待っててください…」


森田は携帯を耳から離すと、リツカのほうに目をやった。リツカは森田の顔を見ると、安田さん?と聞いた。


「あ、その、安田さんと銀さんが渋谷にいるみたいでして、良ければこれから一緒に飲みに行かないかって言われてるんですけど…どうします…?」


『今日はテッちゃんと二人で飲みたいな』というようなセリフを言ってくれることを期待して、森田はすがるような目でリツカを見た。
だが、そんなに物事が都合よく進むはずもなく、笑みと共にリツカの口から出てきたのは、


「ええ、大丈夫よ。人数多いほうが楽しいもんね」


という無慈悲な言葉だった。


「……安田さん」
『おう、どうだ?』
「……オッケーだそうです」
『そうか!そりゃよかった!』


森田は安田と待ち合わせ場所を決め、電話を切った。
リツカはニコニコしていたが、森田はため息をつきたい気分だった。

安田のアドバイスによって上手くいきかけていたリツカと二人きりの楽しい時間は、当の安田本人によってぶち壊されたのである。
もはや何を信じればいいのかもわからず、森田は携帯の電源を切っておかなかったことをただ後悔した。


「ふふふ、ちょうどよかったね」
「…そうですね」
「そういえば私、銀さんに会うの久しぶりだわ」
「そうなんですか?俺は最近、数日おきに会ってますけど」
「え、そうなの?いいなぁ」


リツカの思考はすでにこれから合流する予定の銀髪の男の元へと飛んでいるらしかった。目の前にいる森田のことなどはもうすっかり頭から抜け落ちているようである。さっき森田と交わした会話すら頭の中に残っていないかもしれない。


『いいなぁ』ってそれどういう意味だよ…。

森田は唇を噛み、涼しい目元をした自分の上司を、逆恨みと知りつつ密かに呪った。


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